ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 694:ナルトとサスケ① 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ45号)

NARUTO 694:ナルトとサスケ①

 
イメージ 1
 
 
「苦汁をなめ闇に居て 国と里の犯罪者…裏切り者として…全ての憎しみを一身に受けながら火の国と木ノ葉の里を影から守る忍…」
 
「彼こそが 本当の火影だったんだと」
 
「皆に認められた者ではなく 全ての憎しみを引き受けていく者こそその名にふさわしい」
 
…サスケも「イタチの歩んだ道」を“さらに”進もうというんだろうか…?
 
 
…私事色々ありまして、台風の影響やらで、結局本日はスケジュールが大幅にずれまして…こんな中途半端な時間に記事アップしております。 早くに来てくださった方々には申し訳ないやら、ありがたいやら。 今回は1記事なのですが、これは単純に「区切り」を見つけられなかったからでして…;
 
さて、ついにナルトとサスケ…拳をぶつけ合っての戦いが始まってしまいましたね。
 
 かつて「忍組手」で闘った時と重ねながらの《ナルトとサスケ》の決戦は、時空間内でのカカシとオビトの決戦と重なります。今回の「サスケの言葉」も、64巻あたりの「オビト」の言葉と重なり合うし…「オビト戦」は「サスケ戦」の予行練習に思えてしまいます。あれだけ長かったオビト戦の経験値が、ナルトにとって役に立たないはずはない… 
 
さて…
 
…今週のサスケの答えを聞いていると、まるで「イタチの想いを踏みにじっている」ようにも聞こえるのですが…でもサスケは…「イタチの生き様」を思いっきり「肯定」したいのでは…と思いました。
 
 
・サスケが言うところの『火影』とは…
 
 
サスケは「火影とは」を語る直前、「全ての憎しみを一人だけで背負う事が出来る」、そして「憎しみはオレ一人に全て集中させる」と続けたうえで「闇の中の憎しみはなくならん それならいっそ…」と言って、言葉を途切らせてしまった。
 
それならいっそ…《オレが憎しみ(憎まれ役)を引き受ける》と言おうとしたんだろうか?
 
 言葉を止め目を伏せてしまったのは《憎しみを一身に引き受けようとしたイタチ兄さん》を思い浮かべたのか…それとも闇の中にただ一人《憎しみの欠片として残された幼い自分》を思い浮かべたのだろうか。あるいは‥「憎まれ役」と言う言葉を「うっかり」言いそうになって止めたんだろうか。
 
でもその後、サスケは「決意」したかのようにナルトの目をシッカリと見て「そう…オレの言う火影とは」と続けていく。
 
里全ての闇を己の炎で焼きつくし その灰を喰らって生き続ける者だ」
 
「忍世界の全ての闇を炎で燃やし、その灰を喰らう」とは《苦汁をなめ闇に居る(生きる)》という事…闇の残骸を一身に受けとめそれを背負い、その苦しみも引き受けるという覚悟…まさに「イタチの生き様」です。
サスケは憎しみを受けて「処罰」されることを願っているのかと思ってたんですが、そうじゃなく「生き続ける」と言いましたね; 
 
この世界から「憎しみはなくならない」とサスケは考えてるなら、いっそ…その憎しみを「1つ」に限定してしまえばいいとサスケは考えてるんじゃないだろうか。
そしてその「闇」となって「生き続ける」…ずっと「闇として在り続ける」苦しい道を選ぼうっていうんじゃないだろうか。
 「憎しみ」が1つ(一人)なら…忍達はその「憎しみ」という共通のものがあるために、いつまでも「忍連合の術(協力関係)」を保つことも出来る。サスケにとって大切なのは「憎しみをばらまかない」事じゃないかと思うんです。
 
サスケは、イタチの生き様を肯定しつつも…
 
「ただ一つ兄は失敗した… 兄弟のオレを一人残し そのオレに真実を隠しきれず 憎しみを分散させてしまったからだ」
 
と言っていた。
 
世界の憎しみの対象として「生き続ける」…それは闇を背負い憎しみを引き受けて生き続けた「イタチの生き様」のようであり、ダンゾウがやろうとしていた事の様でもあり…マダラがその名を「恐怖」として後世まで残そうとした理由でもあるような気がします。 
やはりサスケは「イタチと同じ生き様」を選び、「イタチの生き様」を認めたいんじゃないだろうか。今までの「影」達以上に「影」だったんだとイタチを認めたいのでは…。 
とはいえ、イタチは「世間から認められること」を願ったわけでもないし、サスケも「世間から」イタチを認めてほしいとは思ってないのかもしれない。だけど、サスケだけがイタチの生き様を認め、真の火影と認める…それがサスケにとってのイタチの名誉回復なんじゃないだろうか…などと感じています。 
 
結局、サスケはイタチを引きずっているんじゃないかとも思うけど、一方で「イタチはもうオレにとっての過去」であり「ここで過去の過ち…迷いは全てたち切り一新する…」とも言ってるんですよね。 そしてイタチとの繋がりさえ、たち切ろうとしてる。 このあたりにサスケの複雑な心境と、イタチへの深い想いが交錯してる感じがします。
 
 そしてナルトを斬ることで《それを亡き兄へと注ぐ―― 弔う最後の血としよう》なんて物騒な言い方もしてますが、それは「兄離れの儀式」なんじゃないだろうか。兄という「壁」を自力で乗り越えるためのもの…
 
イタチは、かつてサスケを一本道に導いた事を間違いだったといい、サスケが「どういう答えを出そうが《愛している》」という事をまず第一に伝えた… 
だからサスケは「かつてイタチがサスケに用意した道」とは違う「自分自身で探した道」をイタチに示したいんじゃないかと思うんです。
 「イタチが望んではいない道」を自分が新たに選んだ道として示す事…これは「サスケを信じてくれたイタチ」への、サスケの「精一杯の返答」なんじゃないかと思うんです…兄さんを愛すればこそ、サスケは「伝えたい」んじゃないだろうか。
 
で…サスケは「イタチの生き様」を踏襲しつつ、「イタチには無かったもの」を見つけ…イタチが失敗した点を修正した道を歩みだしたんじゃないかと思うのですが、イタチとサスケでは「どこをイタチの失敗と解釈するか」という点が違ってるんですよね。
 
・イタチの「失敗」とは
 
イタチは「何でも一人でやろうとしたこと」が失敗だと考えた。だけどサスケは…イタチの失敗とは「完璧に一人ではやれなかったこと」だと考えてる。イタチの失敗は「サスケを残したこと」だと考えてる。 
 
…サスケは「完璧に一人でやり遂げる」事で、兄が出来なかったことをやろうとしてる…イタチ以上の「完璧な自己犠牲」をサスケは行おうとしてるんじゃないだろうか。もし、本当にサスケが「世界の憎しみを一手に引き受ける」事を考えているのだとしたら、それってかつて「カグヤ」が当初考えたことと同じだったのかもしれない…なんて思ったりもします。
 
 
・「一人」についてのナルトとサスケの「ズレ」
 
さて…ナルトとサスケのやり取りを見ていると、とにかく共に「イタチ」を大切にしているのはよく伝わってくるんです。 ナルトはとにかく真っ直ぐサスケの言葉を受け取り、そしてイタチから教えてもらった事《どんなに強くなろうとも全て一人で背負おうとするな》をサスケにも伝えなくちゃとひたすら思ってる。イタチのサスケを想う「兄心」を想えばこそ…ナルトはイタチの言葉を大切にしようとする。だから、ナルトはサスケの《一人》という言葉に強く「反応」しちゃう。
 
サスケはサスケで、これまた《一人》をやたらと強調する。
 
「オレは一人だ」
「もう全ての憎しみを一人だけで背負う事ができる」
 
「憎しみはオレ一人に全て集中させる」
 
「闇はオレ一人となる」
 
「イタチ亡き今 やっとオレは一人になった様に思えた…」
 
「オレの火影は繋がりを切り一人となって完成する」
 
  「オレは一人だ」と一人であることを強調する… そしてナルトは《ピクッ》と反応する。 でも、ここに二人の間に《一人》をめぐる認識の違い、ズレがあるから会話がどうもかみ合わない。これ…根本的に「なぜオレ一人なのか」にこだわる理由がナルトとサスケでは「真逆」だってことにズレの原因があります。
 
ナルトがかつて《オレ一人》にこだわっていた理由は「皆に認めてもらいたかったから」でしたよね。何とか認めてもらいたいと必死だから、つい目立つために「オレオレ」になってしまい…それをイタチに注意されてましたっけ。ナルトは《皆に認めてもらいたい願望が強い》…
 
だけどサスケは《お前らがオレをどう思おうと関係ない》…誰にも認めてもらうつもりはないんですよね。 だから《オレ一人》にこだわる理由も「目立って認めてもらいたいから」じゃあない… 憎しみを自分一人に集中させ、繋がりを断つことで「憎しみの拡散を防止する」為でしかない。だから…二人が「オレ一人」について言い合っても、噛み合う訳がないんですよね。
 
 
そして、サスケがなぜ「繋がりを断ち、一人になる事で」憎しみを解決できると考えているのか…という点なのですが、それはサスケが「孤独が何よりも辛く恐ろしい事」だと知っているからだと思うんです。そして「つながり」や「愛情」こそ「憎しみの原因」である事も知ってるからじゃないでしょうか。 
「繋がりや愛情があるからこそ苦しい」…大切なつながりがあるからこそ、それを失えば憎しみが生まれてしまう。そして「愛すればこそ」苦しみが生まれてしまう。カカシは、サスケに「愛すればこその苦しみ」を語っていたけど、その苦しみはサスケは一番よく分かっていると思う。
 
だから…サスケは自ら全ての繋がりを切り、ナルト達のサスケへの愛情も断たせようとしてるんじゃないだろうか。サクラにも、ナルトにも… 
その上でサスケが全ての闇を背負えば、サスケは「ただ一つの闇」になる… サスケを「愛する者」を一人でも残しては、サスケの計画は「失敗」することになるんじゃないかな…。
 
 
「だがオレはもう兄とは違う…」 
「父も母も兄も一族さえ一人としていない…」
「オレは一人だ」 
「もう全ての憎しみを一人だけで背負う事ができる」
 
…というのも…そういう意味なんじゃないだろうか。
 
 
・そして、もう1つの違い
 
もう1つのナルトとサスケの間に在る考えの違い…それは深い愛情や友情が《上手くいくだけじゃない》という事…。
ナルトは「一人だけじゃできねーこともある」「カグヤとの戦いもそうだっただろが!」と言い、サスケは例のイタチの言葉を思い出す…
 
「何であれ…一つとして一つで完璧なものなんて無いのかもしれない」
「だからこそ補うモノが引き寄せられるように生まれ…側で対を成して初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う…」
 
…サスケも「一人じゃできない」というイタチの言葉をちゃんと思い出してるんですよね。でもその後、サスケは…
 
「それは…上手くいくだけじゃない…この二体の石像の様に」
(そしてオレ達兄弟の様に…) と言っている。
 
「柱間とマダラ」をあえて「この二体の石像」と言うのは、これも「過去」だと強調したいのかな…? 
サスケは「上手くいくだけじゃない」と言っていますが、柱間とマダラも…そして当然イタチとサスケも「憎しみ合ったのか?」と言えば、そういうわけじゃない… 色々あったけど、実際には互いに深く愛し合ってましたもんね。 しかしお互いに一方的な愛情で相手を想うだけだったから、その愛情はひとりよがりになり、上手くはいかなかった…。
「柱間とマダラ」だってそうなんですよね…お互いに「それぞれの方法で」大切に想い、自分の愛情の押し付け合いのような形で愛情を示したから面倒な事になり、うまくいかなかったんじゃないかと思います。「愛情」やら「友情」は意外と厄介なもので… 
 
しかしナルトは「兄弟」なら「きっと上手くいく」と信じているようなところがある。だけど現実的には「イタチとサスケ」のように愛情があればこそ上手くいかない事もある。「ナルトとサスケ」だって「本当の兄弟みたいなもの」…だからこそ「上手くいかない事もある」。そこには、ナルトはまだ知らない《愛情があればこそ》のややこしさもあるんじゃないだろうか。
 
 
・サスケと「理」
  
そして…サスケは《過去を切り棄てる》とも言ってるけど、実際には過去を大切にしてると思うんです。 
ナルトは「オレは全部過去の人たちから学んできたんだってばよ」と言ってるけど、サスケも「過去の人達(歴代火影やイタチ、そしてダンゾウ、カブト、マダラやオビトからも)」学んでる。そして好き好んで「切り棄て」ている訳じゃないってのも伝わってくる…
 
 今週のサスケの語りを聞いていると、「イタチ兄さん」の事を、意識的になのか、兄というよりもまるで他人のように…「一人の忍」としてすごく“客観的”に語ってる感じがしちゃったんです。 「兄さん」ではなく「イタチ」(という忍)として語り、そして「兄」という時でさえ“法的な続柄の「兄と弟」”のようにドライに語ってる感じがする…  
それは「感情的にではなく、冷静にイタチを理解した」と言いたいからなのか、それとも「兄離れ出来ない弟」としての自分と訣別したいんだろうか。
イタチがどんなに「忍」であろうと「サスケの兄さん」であり続けた事とは対照的です。
 
でも「イタチ」「彼」「兄」と呼び、「イタチはもうオレにとっての過去」と言えば言うほど、サスケは「イタチ兄さん」にこだわってるのが分かるし、イタチとの繋がりを「本当は切りたくない」のが伝わってくるような気がする…
 
この前、ナルトがイタチの事を《お前の兄ちゃん》といってたアレですが…あれこそサスケの心中をズバリ言い当てた表現だったんじゃないかと思ってるんです。
サスケは別段気に留めてもいなかった様子だったけど、イタチの事を「客観的に冷静に理解しようと努めている」サスケにとって「兄ちゃん」なんて… 心が揺れちゃうんじゃないかな…。
 
サスケはイタチを「感情的」にではなく、忍として「理解」しようとしてる…ように見える。
 
《そしてオレはようやく理解した…》とか、《…そして そこまでして守りたかった国と里 イタチの想いも理解した》とか…「理解」を重ねてる。
「まずは知る事だった」とも言っていたように、サスケにはイタチの生き様の「理」を知る必要があったのだと思います。
 
 だいたい「理」を求めるときってのは、感情では割り切れない「何か」がある時じゃないかと思うのですが… サスケがイタチの生き様に「理」を求めようとしたのも、イタチの生き様を極めようとする中で《繋がりを断ち切る》事だけは辛かったからじゃないだろうか…なんて思います。 だって…
 
「父も母も兄も 一族さえ一人としていない…」と握りしめたサスケの拳にも力が入っているように見える…
 
それに、サスケの言葉の端々には、悲しい響きがある。
 
《もう》全ての憎しみを一人だけで背負う事が《できる》とか…《やっとオレは一人になったように思えた…》とか。 
 
受け取り方によっては「その時を待ってました」的なニュアンスもあるし、遂に力を得て「個の力に頼ろうとしている」様に見えてしまうかもしれない。 
だけどサスケの《もう…できる》には《待ってました》的な明るい響きなんか全然ないんですよね。悲しい響きしかない。孤独の…悲しい虚しい響きを感じるんです。
切り「棄てる」にも、要らないから「捨てる」んじゃなく…「諦める」という響きを感じます。
 
《もう…できる》状況にやっと辿り着いたものの、ホントはその状況を嬉しいとは思えず、ホントは辛いってことは…「握りしめた拳」やら「一瞬うつむいたり」に表れているような気がするんです。
  
《イタチ亡き今 やっとオレは一人になったように思えた…》
《だがナルト…あいつだけは斬っておかなければならない》
 
《オレの火影は繋がりを切り一人となって完成する》
 
サスケにはどうしても「一人になる必要があった」…愛情と憎しみを生む「繋がり」を全て断つ必要があったのだと思います。でも…六道仙人にサスケが語った言葉にも「明るさ」は感じられないんです。サスケは、自分の決意の根拠を「理」に求め正当化し、それを心の支えにしたいと思ってるんじゃないだろうか…これも「時空間での決戦」の時のカカシと似た心理じゃないかと思います。
 
 
・そして、サスケが六道仙人にだけ語った「答え」
 
やはりと言うか…精神世界でサスケとナルトが六道仙人に出した答えは…すごく対照的で真逆なものでした。
 
「オレとサスケは本当の兄弟じゃねーけど仲直りは出来ると思うんだ」と笑顔で答えるナルトと…
「だがナルト…あいつだけは斬っておかねばならない」と暗い表情で答えるサスケ。
  
今週号にうちはサスケの写輪眼伝(最強ジャンプからの出張版)」が掲載されてましたが(突然ですが)、その中でサスケの「闇がよく見える眼」の話が出てました。 闇がよく見える眼とは「暗いところに隠れた100円玉を見つけるのに便利な目」ってことらしい(違うってば)… いや、今回の694話を読んでいても、やはり写輪眼ってのは《闇を見る眼》…忍世界の闇がやたらと見えてしまう眼なんだって事がよく分かる気がしました。ナルトの持つ眼が対照的に《光を見る眼》(忍世界の光がやたらと見えてしまう眼)であるように…やはり二人は「真逆」。
 …違うスタートから真逆な体験をしながら進んできた彼らの道は、今まで交差することなく…二人に違う目的を見つけさせてきたんですね。
 
だけど…一番最後に仙人に告げた《答え》は、「真逆」ではなく…「同じ」だった…
 
「オレ達かなりの友達だから」
 
「オレにとって奴は… 最も親しい友のままでいるからだ」
 
いやぁ…このサスケの「答え」を見た時は、ホント嬉しかった。 とにかく嬉しかった。サスケにとってナルトはちゃんと…《最も親しい友のまま》でいるんですね。もうこれを見た時は、今までのモヤっとしたものがスーッと消えたような気がした…
 
…すべて「真逆」なのかと思っていたけど、違う道を歩いても、その道のりで見つけた一番大切な答えは「同じ」だったってこと…それだけに「難しいんだ」ってサスケには言われそうですが…でも「同じ想い」であってくれたことが、本当に嬉しかった。
 
ハゴロモが、二人を信じて希望を託せたのも、この肝心な「答え」を聞いていたからなんじゃないかと思います
 
 
・消えゆく仙人が残した言葉…
 
 
「そろそろ時間の様だ」
 
「…私は」
「私はどうすれば…?」  (カカシ)
 
「…ただ…信じてやるのだ 今ワシらにはそれしかできぬ…」
 
「……」
 
 
 
「ナルトに任せる」とは言ったものの…カカシ、まだ心配だったんですね。
 
この前、ハゴロモはカカシを「彼らの師」としてかなりの高評価をしてましたが、それはカカシが彼らを信じてやり、見守ってあげられたからでしょうか。
いつまでも直接「指導」できるわけじゃないし、だけどずっと見えないところから信じて見守る…それが「師」に出来る事なのかもしれません。
親が子を「どこまでいっても」信じてやれるように… 
兄が弟を「どうなろうと」愛してやれるように。
 
かなり昔…師匠と上官、先生の違いについての記事を書いて、色々とご意見をいただいたことがあったんですが、当時は「師匠とは術を伝授し、寝食を共にする者」と考えていたんです。 術を伝えていく…つまり「過去から学び」それをつなげていく。それが師弟の在り方なんだと…。 
もちろんそれもあるけれど、それ以上に「親や兄弟のようにいつまでも信じて見守ってやれる」事…それも師の大切な役目なんじゃないかと思います。 「言う事を聞かせる」上官とは、そこがちょっと違うのかもしれない。 
 
ようするに…「理」を与える上官、教師に対して、「理では説明できないもの」も教える事ができるのがNARUTOでいうところの「師」なんじゃないだろうか。
 
「愛は道理では語れない」と諭し、教え子たちに「大好きだ」と愛情と信頼を与えてやれたカカシは…第七班の良き師であり、そしてもちろん難しい「理」も分かりやすく教えてくれる良き先生でもあります。
 
全てを「理」で解そうとこだわるサスケの気持ちも…「理では語れないもの」にこだわりたいナルトの気持ちも…カカシなら分かってやれる。
両方が分かるカカシだからこそ、ナルトとサスケの両方を信じてやれるんじゃないかと私は思っています。 
 
サスケの答えが良い悪いとか、最善か最悪か…という問題は置いといて(サスケの答えはいい方法とは思えないのだが)、サスケも必死…イタチの生き様を守りたくて、そして真剣に平和を守りたくて一生懸命なんだと思います。
サスケがなぜそう考えたのか…そこにある「理では語れないもの」… そこにこそ大切なモノがあるような気がするし、逆にナルトの想いにある「理」にも、大切なモノがあるのかもしれない。だから…
 
二人が拳を合わせる中で、よりよい答えを見つけていってくれたら…と「信じる」ことにしようと思います。なんといっても…ふたりは「同じ答え」を大切に持っているって事が、やっとわかったんだから…!
 
 
 
 
 
 
 ☆だらだら長駄文、読んでくださって感謝…
 
 
 
 
 
 
☆一気書きにつき、あとで誤字脱字、あるいは文修正&加筆していくかもしれません;すみません。なんか書き忘れたか消しちゃった気がする…
 
 
☆ 次号は巻頭カラー&表紙そして土曜日発売。
 
☆次号予告に載っていたナルトとサスケの画(眼のアップ、昔の画ですが)…あらためて ナルトの「+眼(狐蛙眼)」とサスケの「十尾輪廻眼」…二人は「神」の能力を分け持っているんだという事を感じてしまいました。二人が力を合わせれば、今度こそ…「神」がもとの姿を取り戻すことになるんだろうか…なんて思ってしまった。
いずこから「神」は見ているんだろうか…
 
 
☆11月4日、71巻&陣の書発売のようで…
 
☆今年のジャンフェスも、NARUTOのステージ決定ですね!
 
☆本日これから移動&仕事アリにつき;先週のコメントお返事を書くのがさらに遅れそうで…再びごめんなさい。
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/10/06)