ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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うちはマダラ  NARUTO-ナルト- 登場人物雑考

うちはマダラ  NARUTO-ナルト- 登場人物雑考

 
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…マダラという存在がこの世に生きているのではないか? 
…欺瞞に満ちた存在でもそう思わせておけば世界は恐怖する
 
その名が“力”なんだ その名は注意を引き付け 
皆を戦争に巻き込むだけの無視できないハッタリになった
 
私らはもう釣られちまってんのさ…
 
(561話、綱手の言葉)
 
 
 NARUTO-ナルト- 最終回に向けて、登場人物雑考を「贈る言葉」として(可能な限り)続けていこうかと思ってるのですが…まずは「うちはマダラ」からです。 この前の感想でマダラの部分を後回しにしていたら「いきなりラスト5回」コール… なので慌てて、とりあえず「マダラ」の雑考を。 
 あれだけ大騒ぎして無限月読まで突っ走ったのに、終わった後のマダラはどこか「悔いなし」的な、さっぱりしたものがありました。結局、彼は何がしたかったんだろう…? 最近のサスケを見ていると、マダラもサスケもオビトも…皆同じような考えが根本にあったのではないかと思えてきます。
 
 
《うちはマダラ》とは何だったのか…
結局は、上の綱手の言葉が全てを表していたんじゃないかと思ってしまうんです。
 
 「マダラという存在がこの世に生きている」という恐怖が、世界を震わせ…その恐怖で世界は「小さな事で争い合っている場合ではない」と気がつく。欺瞞に満ちた存在でもそう思わせておけば世界は恐怖する。
 
「おそらくマダラは…本当の意味で不死だ」…これも綱手の言葉ですが(545話)、この時綱手が言っていた〝不死〟とは「どんな攻撃も通用しないから不死」という現実的な意味での〝不死〟でした。でも「本当の意味」でのマダラの不死とは、後世にまで《マダラは生きているかもしれない》という恐怖を与え続ける事…そしてその恐怖が「抑止力」になる…そういう事だったんじゃないかと私は思ったりします。
 
かつて…若きオオノキと無サマの前で「力」を振りかざし、屈服させた行為も《マダラ=恐怖、力》のイメージを作りあげる為だったんじゃないだろうか。
木ノ葉を抜けて里を襲ったのも《マダラ=恐怖、力》という抑止力になろうとしたんじゃないだろうか。 
 
《恐怖、力》という抑止力である、救世主「マダラ」…
 
マダラは、かつて柱間に火影就任を要請された時「お前の顔岩を作る」と言われ「冗談だろ…」と相当戸惑っていた…
 柱間は「ちょっと顔に修正を加えて」優しい顔したマダラ像が里を見守れば、そうすれば里の人達のマダラに対する「誤解」も消えるんじゃないかと考えていた… だけど、マダラは「優しい顔をした火影岩」となって里を見守るよりも…「永遠に生き続ける恐怖」となり、抑止力として永遠に見守るほうが自分のガラにふさわしいと思ったんじゃないだろうか。 
 
694話で、サスケがマダラと柱間の事を「この石像の二人」という表現を使っていましたが、「石像」と呼ぶ事で過去》である事を強調したかったんじゃないかと思うんですよね。 柱間は、自分が「顔岩」や「終末の谷の石像」という《過去》になっていく事を厭いませんでしたが、マダラは《石像化(過去化)》したくなかったんじゃないだろうか…? 「後ろ」に立たれたくないんですもんね。
 
イタチが言っていた《マダラは生きている》とは…(今となっては)… 
「マダラ」に象徴される忍世界の憎しみは「今も生きている(ずっと残っている)」という意味だったんだろうか…とも思います。
 
この世に転生されたマダラは、そのイメージ通りに「やりたい放題」でしたが、でも…私には《マダラ=憎しみ、恐怖》とは思えない… 
「うちはマダラ」とは…後ろに立たれたらダメなほど繊細で気が弱い人であり、
イズナに「兄さん騙されるな」と注意されるほどの「お人好し」であり…
柱間が落ち込んでいるのを見て心配して「いいから言え!」と怒鳴るほど優しい心の持ち主なのだから。
 
さらに、かつて柱間の「美的センス」にツッコみを入れるほど意外に「見た目重視」。あのボサボサに見えるロングヘアも「風に靡いた時に貫禄があるように見える」事を計算済みなのだろうし、例のあの見下ろす「マダラ立ちポーズ」にしても…昭和の映画スターのような「片足上げて取るポーズ」(657話など)にしても、かなりのカッコつけでもあります。 しかし、ああいう外見(ポーズ)にこだわる人ほど「ホントは繊細で気弱」だったりするんじゃないか…と、こっそり思っています。 
 
本来の「お人好し」なところが垣間見えたのは、オビトを利用して輪廻天生させようとした時(第一回目の)に、《じいちゃんありがとう》と言ってる〝かわいい〟オビトを思い出してしまったり… 最後にオビトに「自分がしてきた悪事」を告白しまくったりした時。 あれは「心苦しかった」からなんだろうなぁ…と思うんです。
 
 私にとってマダラとは、「かなりの変人で面白い人」というイメージが強い(あくまで個人の感想です)…
 
 本人は真面目に《恐怖》を演出しているつもりだと思うけど、そのわりには「本性」がボロボロあっちこっちで見え隠れしていて…それが彼の憎めないところでもあります。  穢土転柱間が戦場に来ると分かった時の、あの《柱間ァ!》の狂喜顔といい… 
 
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 (これね)
 
この人ほど、表情が豊かな人はいないんじゃないかと思うぐらい様々な顔を見せてくれた… 
 
柱間を迎える時にも「わざわざ高い所」を陣取って見下ろして、「待っていたぞォ~」と迎えたのに無視されちゃって「……」になってしまった時は、遂にギャグキャラ化したかと思ったけど…でも…アレこそがマダラの「本性」なんじゃないだろうか。 思わず「お仕事」を忘れるぐらい、よほど嬉しかったんですねぇ…親友との再会は。 
 
 マダラは狂ったように暴れたかと思えば、冷静になることもあり我愛羅の砂の攻撃を「いい術だ…」とほめたり、連合の連携を嬉しそうに眺めたり、ガイを褒めたり)…やはりこの人は忍達を深く愛していたんだなと思うのです。あれだけ暴れて…そして今の忍達を見て… 
 マダラはかつて倒れたフリをして、柱間の腑を「試した」事がありましたが(「相子」の話)、今回は今の忍達の腑を試したんだろうか…?
 
優しい顔して里を見守る「火影岩」としてよりも、イカツイ顔した「生きる恐怖」として「憎しみの救世主」として、うちはマダラは《その名と共に》ずっと在り続けたかったんだろうか…とも思います。
 
何事にも手を抜かず「真剣に熱く生きた」マダラ。
 
さて…「これから」は、親友・柱間とゆっくり酒を酌み交わしてもらいたいと思いますが、なんといっても気難しい恥ずかしがり屋だから… 「あっち」に行っても「ホントの自分」は見られたくないんじゃないのかな… 
 
 
 
 
 
 
☆マダラ、どうもありがとう…
 
 
(2014年10月08日 ナルト好きブログ!)