ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

初代火影・千手柱間の考察 「柱間の賭け」

千手柱間 NARUTO-ナルト- 登場人物雑考

  
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「扉間」
《ギンっ》
 
(か、貫禄ハンパねェ~~~!!!)(水月
 
 
 691話では… 久々に「背をつけたマダラ」に、そっと『戦友』という言葉をプレゼントした柱間。 素直に『友』と認めることが出来ないマダラにも納得できるような『戦友』という言葉を贈ることで、「変わらない友情」を伝えるなんて…いかにもハッシーらしい優しい言葉。
 
そして、この人ほど「イメージ」とのギャップに驚いた人はいない…
 
 立派な「貫禄のある火影」のイメージだったのが、実際には「ガハハ」と笑い、弟に叱られれば《ズーン》と落ち込む… その姿に“貫禄”のイメージは一度、一気に崩れました(笑) 
 だけど「ここぞ」という時には圧倒的なチャクラで抑え込み、迫力を見せつける… 水月が言ったみたいに、柱間とは『忍の神…貫禄ねぇ~…』であり『忍の神ハンパねぇー』でもある。とにかく予想外の「おもしろい」人…想像以上に親しみやすい優しい人だった。そしてその「カリスマ性」はハンパない…かっこつけてないくせにカッコいい。自然体すぎるほどだけど、それが彼の最大の魅力。
あの時代に、人前で涙を流したり…頭を下げたり。彼こそ本当の意味で「革命」を起こしたんじゃないだろうか。
 
 さすがの貫禄と、まさかの貫禄無さのギャップが相当激しいし… さらにこの方の高低差の激しさは、“貫禄”だけじゃあなく、テンションの高低差もかな~り激しい。ちょっとした事でズーンと落ち込んだと思えば、すぐに立ち直る…その乱高下するテンションには、しばしば子供時代のマダラも振り回されてましたっけ。 
 でも、柱間の「切り替えの早さ」というのは、弟・扉間のような合理的な発想による「切り替え」ともちょっと違う。 柱間は「自分自身の事」…叱られた事とか失敗した事とか、落ち込んでいても「何も始まらない」ことは切り替えが早いのだが…「自分以外の事に」関しては徹底して考えこむ。 
 どうやったら戦いをなくせるかとか、弟を死なせてしまった事などは…じっと考える。だけど、ただ悲しんだり落ち込んだりではなく「何をすべきなのか」…それを考える。
 
そして《何を今、最優先すべきなのか》…それを判断できるのが、柱間。
 
 弟・扉間が、ナルトの『天然なのにバカじゃない』ところを見て『兄者と闘っているようだ』と言っていましたが、柱間は天然で楽観的すぎるように見えても、鋭く観察している… だから、切れ者の扉間が「兄者」をあれだけ尊敬し、大切な決定は「兄者の好きにせい…」と兄者の判断に任せていたのは、柱間が何を最優先すべきかを見抜く事が出来る人だったからだと思います。
 
(そのことに関しては、以前の雑考で書いたので、もしよろしければ➡︎「柱間はなぜ座り込んだのか」という話)。
 
 で…結局、なぜ千手の中でも柱間だけが「木遁」を使えたのか…その理由は明かされないまま終わりそうな気もしますが、要するにその…それはマダラが最初に「万華鏡写輪眼を開眼した」というのと同じような事だったのかとも思います(あるいはマダラとサスケの「直巴」と対になるモノなのかな)。
それには「ある条件」を満たす必要があったのかもしれませんが、「木遁」にしても「尾獣を操る眼(万華鏡写輪眼)」にしても、元はと言えば「十尾(神)の能力」と思えるし、柱間とマダラが十尾の力を得たのは『運命に選ばれた2人』であった証拠でもあったんだろうかと思います(ナルトは尾獣と和解したことで「違う形」で能力を得たわけだけど)。 「分けられた」能力を、彼らはうまく「合せる」事は出来なかったけど…
 
柱間の甘さとマダラの危うさと… そして柱間のおおらかさとマダラの繊細さと…
それらは相反するものであり、うまく補い合えるものでもあったのに。
 
 穢土転生された柱間を見て「意外」だったり「なるほど」だった事が他にも2つほどあるのですが… 一つは『孫を果てしなく甘やかした』らしいこと、もうひとつは『お酒と賭け事が好きだったこと』
(酒好きとは言ってないが、「忍の子供達も酒の味を知るまで生きていけるようになる」なんて喩え方をしている事から、綱手同様酒好きかと思われる)…
「忍の三禁」を二つ破ってんじゃん…とも思うけど(三禁決めたのって誰だろ?扉間かな?)、幼い綱手に「賭け事」まで教えちゃうなんて…ミトさんには怒られたんじゃないかなぁ…。 でも、結果としてそれは「綱手のため」には良かったのかもしれない。
 綱手があれだけ「思い切った賭け」に出ることができるのも(いいんだか悪いんだか分かんないけど)柱間譲り… でもそんな彼女だからこそ、「まだ未知数だった」ナルトにも「賭ける」ことができたわけですから(もっとも柱間には扉間、綱手にはシズネというシッカリ者がついていたし…彼らのおかげでもあるんだけども)。
 
 
そして(これ…前々から読んでる方にはきっと「またかよ!」って叱られると思いますが、今までの「まとめ」でもあるので勘弁してください)…
 
同じ「かける」でも、タズナと小南は「希望の橋」を「かけた」のだけど…
 
タズナさんは「希望の橋を架けた」…波の国の人達に勇気と希望を与え、自信を取り戻させるための「なると大橋」をしっかりと作り「架けた」…
小南は「希望の橋を懸けた」…まだ実際には架かったわけじゃないが、願いをこめて託した。
 
そしてマダラと柱間は、水切りで願いを「かけた」のだけど…
 
マダラは願いを「掛けた」…信心深いマダラは神に願掛けし、向こう岸に石が届いたことで「神に願いは届いた」と考えた。
柱間は願いを「賭けた」…向こう岸に石が届いたことで「後世の忍達はきっと届いてくれる」と考えた。 
 691話でも、柱間は「オレ達は届かなくてもよかった」と言ってましたっけ。孫に大甘で賭け事好きな柱間は、里の全ての子供達にも「大甘」で賭けることが出来た… 
 
 綱手が背中に「賭」の文字を堂々と背負っていたのも、あれも「柱間の意志」…おじい様の意志を背負って火影になったという「意志の証明」だったのかもしれない。
 
(って…綱手は火影をまだ続けるのかな…)
 
 
 
 
 
 
 
☆柱間…どうもありがとう! 
 
 
 
 
 
 
 
 
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