ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 総集編雑考 ④ 前の終末の谷の闘いと、今回の終末の谷の闘いに思う事

NARUTO-ナルト- 総集編雑考 Χ 前の終末の谷の闘いと、今回の終末の谷の闘いに思う事

 
695話で、サスケは「オレ達はもう昔 ここで戦った時とは違う」と言ったけど、色々な意味でもう「あの時とは違う」。 その中でも、彼らが最後にぶつけあった互いの必殺技「螺旋丸と千鳥」…あの時はまだ二人とも「術の意味」が全然分かってなかった。
 前の終末の谷の時は、お互いの「強さ」を主張したくって、やっと覚えた《必殺技》の破壊力が嬉しくて、ただただ力でぶつけ合っていただけなんですよね…その術の「意味」など分からないままに。
 
 再び「ここ」に戻ってきた彼らの今までの旅は・・「この術」の意味を知る旅でもありました。
 
ナルトとサスケ…といえば「螺旋丸と千鳥」。
二人にとってこの術がいかに大切なものか…
 
螺旋丸は、父ミナトが開発し、師・自来也に教えてもらった術・・
そして「尾獣と人間の共生」の証の術。
千鳥は、師・カカシが開発し、うちはの写輪眼(オビト)によって完成した術・・「里とうちはの共生」の証の術。
 
「人柱力のナルト」は螺旋丸を・・そして「うちはのサスケ」は千鳥を・・
 
前の終末の谷の時は、それを「己の力の証明」として使ったけど、今はそれぞれの「想い」を懸けてる。ナルトは《尾獣との共存》を…そしてサスケは《里とうちはの在り方》をかけて。
 
 彼らに術を与えたのは「自来也とカカシ」…彼らはなぜ術を伝授する時に、術の「開発秘話」やら「意味」を教えなかったんだろうと不思議に思っていたんです。教えていれば、ナルトもサスケも…もっと(さらに)螺旋丸や千鳥を大切に使ったんじゃないかと思ったりして。
 でも今は「教えなくて正解だった」と思っています。「答えは自分で見つけないと意味が無い」…遠回りでも自分で見つけ出さなければ、本当の意味で「理解」なんて出来ないもんですよね。
 それに何と言っても、ナルトは「難しい説明は苦手(体で覚えるタイプ)」だし、サスケは「説教されるのが苦手」なタイプだし…
 
前の「終末の谷」でぶつかった二人は、結局お互いの事が「分からない」で終わった。でもその後…再び終末の谷で出会うまでの「第二部」の二人は、《人柱力》として…そして《うちは》としての自分の生き方、あるべき道を探してきましたよね。 そして行き着いた答えが、ナルトは「尾獣と共生できる道」だったし、サスケは「里を守る為に、うちはとして支える道」だったってのも、偶然なのか必然なのか…面白い巡り合わせだったと思います。結局彼らが出した「答え」が「螺旋丸の意味」であり「千鳥の意味」だったのだから。
 
サスケの「千鳥」は写輪眼で「敵のカウンター攻撃から守る」つまり「雷遁攻撃(里)を写輪眼(うちは)が見守る」術…写輪眼はサポート役なんですよね、敵から守る見守り役。 前にオビトが「火影岩に彫ってもらった写輪眼で、敵から里を守る」と言ってたことがありましたが(子供時代)、千鳥における写輪眼の役割もそういう事なんですよね。 
 サスケの行き着いた答えは「影から見守る役割」…主役ではなく、目立たないまま「支える」というもの。それが瞳力を持つ「うちは」としての役割だとサスケは考えた… 要するに《千鳥》がサスケの答えだったという事なんですよね。
 
「オレ達はもう昔 ここで戦った時とは違う」・・・
 
4年前の終末の谷と、今の終末の谷…二人がぶつける「螺旋丸と千鳥」も全然その「意味」が違っている。今ではその術は《魂を持ったように》…誠のある言葉のように、意味を持っている。
 
(4年前、終末の谷でぶつけ合った螺旋丸と千鳥… そして別れた道)。
 
あの時「別れ」再び「出会った」事…こうして思うと、この4年間は無駄な4年間では無かったんだと思います。
 
 4年前は、あの後…降り出した雨が谷底に落ちて、その雨音は広い空間に響き…その音は空しかった。悲しかった。だけどその後には、光も差してきたんですよね…
 
 
「次こそは… 完璧にこなしてみせます…!」 (シカマル)
 
あの時シカマルが流した涙に、読んでるこっちも胸のあたりが《きゅーっ》となった…
 
あの時の彼らの「失敗」が、今に繋がった… 今の「この時」は、あの時の失敗から始まったんだと思うと、さらに感慨深いものがあります…
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝、
 
その5に続けます。
 
 
 
 
 
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