ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 697:ナルトとサスケ ④ 今週のジャンプ・ナルト感想(WJ48号) その1

NARUTO 697:ナルトとサスケ ④ その1

 
 
 
(この手は、かつて「忍組手」をした時のサスケとナルト…「和解の印」を結ぼうとして出来なかった、あの時の手…)
 
…今週の2人の闘いの画は、とにかく最高でした。
息を吐く間も与えないほど「徹底した殴り合い」…それはただの「ケンカ」とも言えるけど、ただの「ケンカ」とも違う。

…最近では、「スケールの大きな術」に見慣れてしまったせいか…「地図が描きかえられる」ほど大きな術でも驚かなくなってしまって、かえってシンプルな「拳の応酬」の方が、ずっと新鮮に感じられたんです。 
殴り、殴られ…どっちがいいとか悪いとかじゃなく、2人が「ここ」に辿り着く迄の苦労の日々が想われて…2人の「真剣な想い」に、こっちの胸も熱くなった…。

それに、何と言っても2人の「心理描写」が実に見事。サスケの決意と「本心」の間で揺れる心と…ナルトの徹底してブレない信念に…これまた胸が激アツです。

・さて…まずは先週の「全力のぶつかり合い」の結果ですが。
 
サスケに言わせれば「今のオレが放てる最強の技」だったそうで、それをサスケは「須佐能乎の矢」と言わず「インドラの矢」と言っている。 あの「戦闘神」の如き須佐能乎完成体はインドラと言っていいでしょうか。 その結果《ドッ》と膨大な自然エネルギーと雷が相俟って、その力はほぼ十尾の『天変地異』。 
《ゴゴゴ》と水をうねらせ、雷は地を割り、衝撃で「石像」は削られ、無限月読の人達の繭を揺らし…雷雲はゴゴゴ…と渦を巻く。
 
迫る衝撃に「何かが起きている」事を察したカカシの、左目が虚ろ…ですな。 
 
前の終末の谷を思い出しているのか…あの悪夢のような「空っぽになるような気持ち」を、カカシは思い出してしまってるんだろうか。
 「信じるだけ」とは分かっていても、カカシには「時の流れ」が一層重たく感じられるに違いない。
 
 
・サスケの心の中の言葉…
 
《オレは 今ここでのお前との勝負が最後なのさ…》
 
 サスケがこの世界「最強にして唯一」となれば、もはや「勝負できる相手」はなく、これから先も転生不死で「永遠の憎まれ役」となり続け、ひたすら闇を喰らって闇の中に居る事になる。 もはやその状態は《生きている》とは言えず、生ける屍… いや、ある意味「石像」以上に無機質な存在になってしまうのではないかと思います。  だけど、《最後なのさ…》の言葉には、「闘い」という形でしかナルトとの友情を確かめられない、サスケの切ない想いが溢れてますね。
 
 かつての終末の谷でのマダラや、時空間でカカシと戦った時のオビトもそうでしたが、「孤」に入る決意を前に…最後に「唯一の友と闘いたかった」彼らは…友との繋がりを「切るために」戦ったのではなく、本当は友との繋がりを「確かめる為に」戦ったんじゃないだろうか。サスケについても、そう感じる… 
 
 
(空中の衝撃は渦を巻き、その中から二人が落ちてくる)
 
 
「くそ…まだ…」 (サスケ)
 
(影分身の印を結ぶナルトに、陰九喇嘛が「正直ワシの自然エネルギーが間に合わなかったらさっきので消しとんでたぞ… それにこの戦争でお前のチャクラはもうとっくに…」と語りかける。 九喇嘛のチャクラが衣となってサスケの天照からナルトを守る…)
 
 サスケが「(多重)影分身の術」を“孤独を紛らわせるための術”と言うならば、ナルトは「影分身の術」を“協力の為の術”と主張するが如く「影分身」にこだわっている…ように見える。 たとえチャクラが不足でも「影分身」にこだわる… 
 サスケが“一人で影を背負う”のなら、ナルトは“影を皆で分担”する。
そこはお互いに《譲れない》主張ですもんね。
 
 しかし、陰九喇嘛が言っている「この戦争でお前のチャクラはもうとっくに…」は気になるところです。 今のナルトは、九喇嘛がせっせと集めてくれてる自然エネルギーのおかげで何とかなってる…。 これから先、「チャクラ」はどうなるんだろう。自然エネルギーとの付き合い方はどうなっていくんだろう…?
 
 
・ナルト連弾 
 
(「チャクラ枯渇状態」のナルトはそれでも「影分身」を使い、3体の影分身がサスケをガガガッと蹴上げ、1体(本体?)がサスケに殴りかかる)…
 
―――これ、うずまきナルト連弾」ですよね、懐かしい…。
 
ナルトの「オリジナル忍術」にして、「サスケの“獅子連弾”のパクリ」。
 
ナルトが最初にこれを使ったのは、中忍試験のキバ戦でしたっけ。 直前にサスケの「獅子連弾」を見て、そこから着想を得て、咄嗟に思いついた技でしたよね。
ナルトの得意忍術(影分身)に、サスケのオリジナル技(獅子連弾)を掛け合わせた技…。
 
 カカシはこれを「サスケの(獅子連弾)を見てたから」「術名もパクリ」と言ってたけど、パクリと言うよりも…これはサスケへの尊敬の念を表した「オマージュ」とでも言いましょうか。 そして、ナルトが「ライバル」サスケの技を堂々とパクった(自分の影分身の術にサスケの技を掛け合わせた)背景には、その少し前(第66話)にサスケが《オレはお前とも闘いたい…》と言ってくれた事があるんですよね。
 
 あの時、ナルトは嬉しすぎてビックリして、何も言葉を返せなかった…。
 
だから、その後に「獅子連弾へのオマージュ」とも言うべきうずまきナルト連弾”を披露したって事は、それがサスケの言葉への「返答」でもあったんじゃないかと思うんです。 あ…もちろん、ナルトの事だから「意識して」ではなくって、たぶん「無意識に」…サスケに認めてもらった喜びがうずまきナルト連弾”という形になって自然と表れた…という感じでしょうか。
(もっともサスケ本人はキバ戦は見てなくって、のちに我愛羅戦にて「うずまきナルト二千連弾」を見て驚く事になるのですがね…)
 
 あの技はナルトにとっちゃ《サスケとの友情の証》…《サスケと認め合った証》。
 
あの日、あの時、サスケが言ってくれたオレはお前とも闘いたい(お前を認めている)という言葉があったからこそ、生まれた技。
そして、あの日ナルトが言えなかったオレもお前と闘いたい(オレもお前を認めている)という言葉代わりでもあるんじゃないだろうか…? 
 
だから…ナルトが今ここで、チャクラ不足にもかかわらず、無理をしてでも「影分身」を使ううずまきナルト連弾』にこだわった事には、特別な想いがあったと思うんです。 
 この前(696話)、ナルトはサスケの言葉を思い出しながら「でも(勝ちたいのは)今のお前にじゃねェ」と言ってましたが、この「連弾」は改めてその想いをサスケに伝える手段でもあったんじゃなかろうか。
 
(サスケはナルトの影分身に手裏剣を投げ命中させ、さらに千鳥で影分身達を消す。 そして千鳥をナルト(本体?)にも向けようとしますが、チャクラ切れで千鳥が消えてしまい… 螺旋丸で応戦しようとしたナルトも、サスケの前で転んでしまって螺旋丸が消えてしまう)
 
サスケの手裏剣術、実に鮮やかですねぇ…倒れた状態からすかさず手裏剣を投げて、それも見事に全部命中させるのだから。
 サスケの手裏剣術は、手裏剣の名手イタチに教わったもの…すべて命中させるとは、まさにその「器用」さはイタチ譲り。
 
ナルトは螺旋丸を発動させたのはいいけど、けっつまずいてすっ転ぶとは…
 ナルトの螺旋丸は、自来也に教わったもの…だけど肝心なところですっ転ぶとは、まさにその「無器用さ、おっちょこちょい」は自来也譲り。
自来也って、肝心な時に口寄せ失敗したり見得を切れなかったり、長門にも「昔と同じでドジ」と言われていた)…
 
ドジは《ナルトらしい》とも言えるし、サスケが「チャクラ切れ」だったのと同様に《ナルトももう限界に近いから》よろけて転んだとも考えられるんだけども… んだけども…あれは「ドジや疲れから転んだわけじゃない」ような気もする。
 サスケの「千鳥」に対抗すべく螺旋丸で突っ込もうとしたら、サスケの千鳥が消えてしまい、サスケは立ち上がれなかったのが見えた… だからナルトは「ブレーキ」を掛けようとしたから「転んだ」んじゃないだろうか。
 時空間の戦いで、カカシが「すっ転んで無防備状態だったオビト」に雷切を向けたものの直前で「止めた」のと同じように… ナルトも「無防備状態だったサスケ」に螺旋丸をぶつける事は出来なかったんじゃないだろうか。ナルトは…サスケをころしたいわけじゃないですもんね。 
それに《ナルトは無器用》ってのは、ちょっと前までの事… 今やすっかり器用になって、この螺旋丸だって、仙人モードや尾獣モードじゃない「素の状態」で片手で作ってますし、今のナルトは「器用」と言える(もっとも59巻の黒ゼツ戦ではホントに勢い余って転んでましたけど…)。
 
ナルト…「ドジで転んだ」ように見えて、実は「慌てて止めた」のだとしたら…この闘い、明らかにナルトのほうが「余裕」があるように思われる。
 
 
(もはやチャクラ切れで限界状態の二人は、ひたすら殴り殴られの「ケンカ」を続けるのですが…) 
 
アシュラとインドラとか、千手とうちはとか、運命がどうとか…そんな訳分からん事から離れて、ただ「ナルトとサスケ」として…ひたすら「殴られたら殴る」、「蹴られたら頭突き」…黙々と闘う画の連続は、余計な言葉なんかなくっても、十分「心」が伝わってくるから不思議です。
やってる事は「ケンカ」とはいえ、今までの長い道程があったからこそ、二人の拳には《これが今までのオレの歩んできた道だコノヤロー!》的な“語り”がある(※実際にこんなこと言ってるわけじゃありませんが)。 そして、これほどの「拳の会話」は、真の友である2人じゃなければ交わせない。
 
先週の「神々しい須佐能乎」やナルトの尾獣化姿は確かにスケールは大きいものだろうけど、正直あまり「伝わってくる」ものはなかった(…私にはそう思えた)。 それは、その力が所詮借り物の力(夢のような力)に過ぎなかったからじゃないだろうか。 今回のシンプルな殴り合いのほうが、ずーっと「伝わってくる」ものがあった。 画も、今週の「殴り合い」の画のほうがずっと迫力があった…と私は思います。 そして何と言っても「拳」は体温を直接感じるもの。なんか…ホントに目の前で彼らが闘っているのを「見ている」ような気がして…
「もう止めて」と言いたくもなるし、でも黙って見守るしかないとも思う… 
そこにはけして邪魔できない「二人の世界」があります。
 
前々回あたりにも書いた気がしますが… ナルトとサスケが「人間離れした力」を得る度に、こじつけ的な「術の理屈の雑考」はどうでもいい事に感じられてきました(あれこれ考える作業も面白かったのですがね…)。大切なのはそこに宿る「想い」であって、術の仕組みでは無いのだと…。 
ナルトの「心の強さ」は、どれほど力を得ても どれほど「背負う」モノが増えても、シンプルに「想い」だけを大切にしているところに在るのだと私は思います。だからこそ、どれほど「夢のような力」やら「訳わからない人達の思惑やら願い」まで背負わされても、「己」を見失わずにこられたんじゃなかろうか。 
 ナルトは術の「理屈」は全然分かってなくて、それで扉間に呆れられたり…サクラに不思議がられたりしてましたが…全て「何となく」やってるんですよね。でも「それでいい」んだと思えてくる。
 
(ナルトとサスケの《殴り殴られ》の絵は…白い枠ではなく線の入った枠でが描かれ…それが「時の経過」を感じさせます。今が過去になり…繰り返され…というね…。そしてそのまま黒い「回想」枠に繋がり、アカデミー時代の『忍組手』のナルトとサスケへとつながっていく。 ただし今回は、サクラの回想)…
 
 回想…というよりも「夢の中で思い出している過去」。57巻では、ナルトは九喇嘛に言われて「あの日の忍組手」を思い出していましたが(ナルトは忘れかけていた)、サクラも夢の中でようやく思い出した感じでしょうか。無意識の中から引き出されてきた記憶…というのかな。今回の闘いの始めにも、ナルトとサスケはあの時の事を思い出してましたよね。
 
 57巻のナルトの記憶によれば、組手を始める前までサクラは(いのと並んで)サスケを応援していて「相手なんてボッコボコよ、しゃーんなろー!」と叫んでた。…ナルトの事は「相手」呼ばわりで、おそらく「ナルト」の名前さえも認識してなかったと思われる…。サスケが勝って、いのは歓声をあげてるんだけど、隣のサクラは「!!」となったまま黙っていた。で…今回サクラの記憶で分かった「あの時のサクラの反応」…いのが喜んでる横で、サクラは「何かを感じて」驚いたような表情をしていたんですね。
 
 でもサクラの位置からは、サスケの表情までは見えてなかったハズなんですよね… だけど、サクラは「サスケの背中」と、ナルトの「びっくりしたような表情」に尋常ではない「何か」を感じ取ったのかもしれない。そして《ナルトとサスケ》の間にだけ在る「特別な何か」も感じ取っていたのかもしれない…
 
そして、その直後の「和解の印」の為に差し出した手… 本当はこの後、2人は和解の印を結ばずに「フン」となるんだけど… その直前でサクラが目覚める。
この続きは「分らない」という感じの途切れ方は、「今」につながる絶妙な描写ですね。「今度こそ」を何となく予感させてくれる…。
 
 
にしても…
 
 
・もう夕方…?
 
「もう… 夕方…?」  (サクラ)
 
…えぇっ、もう夕方なの!?? 
…ほとんど一日中殴り合ってたんですね…ナルトとサスケ。
 
前の日(10/09)一日分の描写だけで「コミックス10巻分以上」かかったので、「もう夕方」とは…やたらと早く感じますね。 というか、それだけナルトとサスケの闘いが「長い」って事…(サスケは「もう散れ、いい加減にしてくれ」と殴り続け、ナルトは「ひたすら無言」で対応していたと思われるので…それを延々と描く必要は確かに無い)。 ひたすら待っているカカシにとっては、どれだけ時間が長く重たく感じられた事だろう…。
 
(首がもげた石像の前、谷底で…ほとんど枯渇した水の上に二人はいる)
 
「柱間とマダラ」の頭が取れているのは、もはや「運命」は次の二人「ナルトとサスケ」に交代し、託された事を示すのだろうか。
そして、石像の間に顔を出すのは沈みかけた夕日なのか(それとも昇り始めた月?)… そして二筋の線となって流れ落ちる水は、ナルトとサスケの二人に注がれているかのように見えます。 もう既にあたりは暗く、じきに太陽に代わって月が昇り、月が「2人の行く末」の目撃者となる事でしょう。 
 
かつての柱間とマダラの終末の谷の闘いも、その結果を「月」が見ていた…
そして九尾事件も、うちは事件も…「月」が見ていた。
今日が「10月10日」という事は、ちょうど17年前の今ごろの時間(夕暮れ頃)ナルトは生まれたんですね。 あれから17年…今夜の月は何を見る事になるんだろう…?
 
そして…
 
・さて、今週は「いつもと全然違う」ものがありましたが…
 
その「違い」が持つ意味…そしてその「効果」が予想外でして、だからこそ《今週は面白い!》と思ったのです。 そしてナルトの「賢さ」には脱帽するしかない…
 
 
(その事については、その2へ続けます… 続きは月曜夕方ごろアップいたします)
 
 
 
 
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