ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 699:和解の印 / NARUTO-ナルト- 700:うずまきナルト!! 最終のジャンプ・ナルト感想 (WJ50号) その2

NARUTO 699:和解の印 その2
NARUTO 700(最終話):うずまきナルト!!

 
(その1の続きです)
 
そしてオールカラーの最終話、第700話は『ナルトの子供達が登場する後日談』。
 
いやぁ…驚きました。十年後ぐらいの世界なのかな、いきなりナルト達が「親」になってる…まさかここまで「先」の話が出てくるとは思ってませんでした。
 
 そうか、そうなったか…
   
ナルトとヒナタ(子供は「ボルト」と「ひまわり」)、
サスケとサクラ、
シカマルとテマリ、
サイといの。  
 
「女子側の想いが叶った」感じに落ち着いたみたいですが(それが平和かも)、この組み合わせは、後半特に…「予感させる描写」はありましたよね。
 
 想像つかなかったのは、「チョウジとカルイ」…
でもそういえば、カルイは木ノ葉に使者として派遣された時にこんな事を言ってましたっけ…? 「イケ面で金持ちで背の高いセレブ忍者が告白してこないとも限らない訳だが!」って… それがチョウジだったというわけですね。
 
 そして「キバとタマキ」…タマキは猫バァの孫、うちは御用達の武器屋の娘(39巻に登場。猫を連れているから、たぶんタマキだと思うんですが違ったらごめんなさい…タマキの名前は「者の書」から)。
 
あとは…アンコがすっかり太ったおばちゃんになっててショック…これまた厳しい現実。ま、それはさておき…
 
 
(時代は「六代目火影カカシ」から「七代目火影ナルト」へと移っている)
 
  
「火影ナルト」は、火影岩にイタズラ書きするボルトを止めに入るのだけど…
 
 「瞬身の術はひきょうだぞ!!」 (ボルト)
 
…って…もしかして、ナルト「飛雷神」使いましたか!??
 
…(今度こそ?)
 
このブログでは「今度こそナルトの飛雷神」と言い続けて、飛雷神詐欺みたいになっちゃってたので、もしそうなら…ホントはもっと早くに見たかった(笑)
…いや…もしかしたら、やはり687話の《フッ》は、本当にナルトが「無意識に使った飛雷神」だったの「かも」しれない
(黒がオビトの事を罵った時、ナルトが強烈に怒ってフッと「飛んだ」事があった)…
 
うん、そう思っておこう(笑)
  
 ちなみに「ボルト」の名は、ナルトとヒナタにとって特別な、恩人「ネジ」に因んだ名という事で付けたのかな。 
当のナルトは、堂々とした立派な火影になりましたねぇ… 髪の毛は超短髪で、何だかオビトっぽくなった…(そしてサスケはマダラに似てきた…)。  
 サスケは外を見まわっているのか、旅に出てるのか…「何かの気配」を悟ってましたが…一体、何ぞ?    《チャクラというより気配》だったようで、柱間が「黒」の気配を感じ取った時に似ています。699話でサスケが言っていた「気になる事」同様気になる… この話…「続く」んだろうか…?
 
そして、ちょっと思ったんですが…《なぜナルト次世代》を岸本先生は描かれたのか…ということ。それは「次回作にご期待ください」的な現実的な必要性があったから…という話は置いといて…
 
 やっぱり、NARUTO-ナルト- の物語に於ける重要なテーマの1つは、言うまでもなく《木ノ葉舞うところに…火は燃ゆる》そして…《火の影は里を照らし… また…木ノ葉は芽吹く》なんですよね。 ナルト達が「過去の人達から学び」、それと同じように今度は次世代が学び、繋いでいく。 それこそ自然な「輪廻天生(転生)」であって、そうやって生命も繋がれていく。 柱間は「オレ達は届かなくても良かったのだ」と言ってましたが、確かにその通りなんだと…最終話になって改めて思ったんです。
 
 699話、700話を読んでいると、ナルト達の為した事は確かに「革命的だった」とも言えるけど「完璧ではなかった」事も分かるんです。「トビ」が正体不明のままで怪しく終わったり、サスケが「気になる事がある」と言っていたり「何か」の気配を感じていたり… 問題はまだ「残っている」ことが、ちゃんと描かれてる。
別に岸本先生が「伏線回収を放置しちゃった」のではない事がはっきりとした訳で…あえて「残されている」。
 
そして、それは「ラスト」でより鮮明になる… 
 
 第700最終話のタイトルはうずまきナルト!!』…これは第1巻第1話のタイトルうずまきナルト!!』と同じです。
 そして「ラスト」の頁は、「七代目火影が十尾を封印した話」で終わりますが、これも「オープニング」の四代目火影が九尾を封印した話」と見事に対になった、そっくりな絵とそっくりな文言になっています。 (やはりそう来たかぁ…)
 
 岸本先生は作品全体のバランス、構成を実にスタイリッシュに計算されている方なので、最終話は「第1話」と対になるモノだろう…とは想像出来て、そんな話もしていたんです。 しかし、私が考えていたのと「大きく違ってた」ところがあったんです…
 
  私は、NARUTO-ナルト- の物語は「九尾事件で始まり」そして「九尾事件で終わる」と考えていたんですよね… 「九尾」に関する問題で始まって、ナルトがそれをキレイに解決して終わり、《問題提起⇒解決、完了》という話だと思っていた。
でも、そうでは無かった…。
  NARUTO-ナルト- の物語は「四代目火影が封印してしまった九尾とナルトが友達になり」…そして「十尾を封印して終わる」。 つまりナルトは「九尾」問題は解決したものの、新たに起きた「十尾問題」を未解決のまま終わってる。
 四代目火影による九尾封印は「里を守る」事になったけど、新たな問題を引き起こしたように… 同じようにナルトによる十尾封印は「忍世界を守る」事になったけど、新たな問題を引き起こしている(かもしれない)…
 
 だから、改めて思ったんです… NARUTO-ナルト-は「次へと受け継いでいく物語」であって「独りで完璧」を求めた物語ではないってこと… だから「伏線オール回収」なんて求めた時点で、私は物語の主旨を理解してなかったんじゃないか…と思いました(反省)。 
 以前、イタチというキャラクターにも「完璧」を求め過ぎて、その「完璧像」が崩されて…いい意味での衝撃を受けたんです。 なのに、今度はナルトにも完璧を求め過ぎていたのかもしれない… 「ナルト世代」で全てを解決させる必要なんて無かったんですよね。
 
それに、作者は無責任に「問題未解決」のまま話を放り出したわけでもない…
 
 ナルトが「九尾」そして尾獣達と和解出来たのは、彼ら尾獣の「痛みが分かった」からでもありました。 尾獣の痛みは、かつてのナルトの苦しみと同じ…「孤独で、憎しみと冷たい目で見られていた」というものだった…。
 昔、ナルトが火影岩にイタズラ書きした理由は《誰かに見て欲しかった、叱って欲しかった》からだったわけで…。
 
一方でナルトの子供、ボルトが火影岩にイタズラ書きした理由は父親に見て欲しかった、構って欲しかった》からだった…  
「七代目火影(ナルト)が残した課題」であるカグヤ、十尾の問題…そこには「親子関係」の話が絡んでいましたよね…カグヤは息子達を今でも想い、涙を流し…しかしハゴロモは母になぜか無関心。 ナルトも、カグヤや黒に対して「子離れできてない」「親離れできていない」とツッコミはいれたものの、結果として「単純に封印」するので精一杯だった。でもナルト達も、自分達がやれる事を命がけでやってくれた…それだけで十分。
 そして…「親に構って欲しい」ボルトなら、もしかしたら…かぐやや十尾達の痛みも理解して、問題も「解決」出来るかもしれない…第600話は、そういう「先」を予感させてくれる物語でもありました。ナルト達が出来なかった事は、きっと次の世代がやってくれる。 
 
 感想その1で「未解決の問題が残ったままでも、それでもいいと納得できた」と書いたのは、上記のような理由です。 たとえ主人公と言えど、完璧に『させなかった』…そこに、作品のテーマを貫く作者の気概を感じてしまったのです。
 
 700話では、新世代の五影会談…ダルイ、黒ツチ、長十郎、我愛羅、ナルト… 
どうやら定期的に「五影会談」を開いているようで、旧五影達も同窓会のように集まって、ずいぶんと「大国」間は平和になった様子。 国際結婚もあったり…
これだけ「里と里の間」が繋がれたのは、「ナルトとサスケ」だけじゃなく…他の忍達も「苦しみも想いも分かち合うことが出来る」と知ったからですよね…(きっと)。
 
 
 
(話を699話に戻しますが…)
 
 第699話は… ナルトが「4年前、サスケが終末の谷に置いていった額あて」を返すところで終わります。 「いつか本当の闘いをする時の為に…」
 
…そして、これが事実上の「ナルトの物語」の完結です。 
 
ナルトが歩いてきた道、サスケが歩いてきた道…それが最後で「出会った」。 
サスケが旅をして、感じ、辿り着いた祈り… それは、自来也がナルトに託した「憎しみをどうにかする方法、そして本当の意味で理解しあうこと」の答えでもありました。そして、かつて我愛羅が言っていた言葉ともつながります(28巻)…
 
《苦しみや悲しみ…喜びも…他の誰かと分かち合うことが出来るのだと…》
 
 
(以下、長いですが699話…ラストのサスケのモノローグから…)
  
 
オレは旅をし 世界を巡っていると…
あの時の事をよく思い出す
 
オレ達は孤独で愛に飢え 
憎しみを募らせたガキだった
 
そこからオレ達は互いに違う道へ行き……戦った
 
だが時が経った今 こう思う
 
父や母… それに兄弟だったイタチの苦しみや想いが
オレに伝わってきたのと同じ様に
 
今はナルト… お前の苦しみや想いが同じ様に伝わってくるだろうと
 
お前は決してオレを切らず ずっとオレの心に近づいて来てくれた
 
オレに憎しみをぶつけてきても おかしくなかったはずなのに
お前はずっとオレの事を友だと言った
 
オレはその想いすら切ろうとしたってのに…
 
…そして片腕を失ってまで
オレを友として止めてくれた
 
お前のおかげでオレは救われた
 
いがみ合ってたちっぽけなオレたちが
今は互いの心を痛み合うことができる
 
そして旅を通し世界を見てこう思った…
この事はオレ達だけじゃなく 
もっと大きなものにも言える事なのかもしれないいと
 
…だがお前のようにはなかなか出来るものじゃない
そう簡単にはいかないだろう オレ達自身がそうだったように
大きなものなら なおさらな
 
それは 祈りにも似た想いだ
 
それでも それができるまで耐え忍んでいく
 
その様を 任された者達… 
 
それがオレ達…
 
忍者なのかもな
 
 
 …もう、この言葉だけで十分です。
 
サスケが「お前は決してオレを切らず ずっとオレの心に近づいて来てくれた」…「来てくれた」と言ったこと。その言葉からも、サスケのナルトへの感謝、想い、そして「幸せ」がじゅうぶんに伝わってくる…今、サスケの心は満たされている。 
 
ナルトは里で多くの人達との繋がりの中に居て…繋がりの中から学んで…
サスケは旅して世界を見て回る… そうやって辿り着いた答えは「同じ」モノだった…   
 
 《どうやったら本当の意味での理解が出来るのか》…それは互いの「心を痛み合う」こと… そして、それは「小さなところ」から…そうすれば「いつか」と信じることが出来る。   シカマルも言ってましたよね、どんなに小さな力でも…って。 
 《本当の意味での理解》に至る答え…この超難題に、NARUTO-ナルト- がどんな答えを示すのか…これをずっと待っていたんです。 そして、サスケの言葉という形で語られた答えは…「心から」共感出来るものでした。
 
 2年ほど前の事ですが、『戦争編を読んで思う事』として、個人的な「想い」を綴ったことがあるのです()。 その記事は、特に「これからの世界を担う世代」の人達に向けて書いたものだったのですが…あの時、私が言いたかった事をサスケが全て言ってくれた。 ますますいがみ合うこの世界で、ちっぽけな人間一人にも、きっとできる事はある。 
 《苦しみや悲しみ…喜びも分かち合うことができる》という想い…それを持ち続ければ、いつか遠くの世界の人達とも分かり合えるかもしれない。まずは「個人の単位」で…それが繋がっていけば、いつかきっと… それは、サスケが言う様にまさに「祈り」のような願いです。 
   
 
完璧を求める必要なんかない…
極端に失敗を恐れる必要もない。 
小さなことから始めればいい…
自分ができる事をすればいい。…NARUTO-ナルト- が教えてくれた事です。 
 
第1話から最終第700話まで…ナルト達の成長、そして「託していく」物語は、いろんなことを教えてくれた…そして色んな感動を与えてくれた。ナルト達と一緒にいっぱい泣いたし、時にはお腹抱えて笑ったし… おおぜいの忍達の生き様に心を動かされ…この数年間は、NARUTO-ナルト- と一緒に歩いてきたような気がします。
何度読み返しても、毎回違う事に気付かされ…何度も涙した。きっとこれから先も、NARUTOは私にとって大切なものであってくれると思っています。
 
そして、ただ一人で読んでいるだけではなく…ここに来てくださった皆様方と出会い、時に語り…一緒にNARUTO-ナルト- の世界を共有できたこと、それも幸せな時間でした。 皆様と、この素晴らしい時間を共有できたことも、ずっと大切にしていきたいと思います。
 
 
 
最後に…
 
 
 
岸本先生と、NARUTO-ナルト- という作品に 心からの感謝と…
長駄文を毎週読んでくださった皆様への感謝と…
 
そして、ナルト、ありがとう…
 
本当に、ありがとう。
 
 
 
 
 
(ラストの…「変わらない」木ノ葉隠れの里の風景と、「変わっていく」崖上に出来た街の風景。古きものと新しきものの共存と… 
九喇嘛が平和そうに居眠りする風景。尾獣と人間の平和な日々… 
これぞ「NARUTO」の完結…最高のエンディング)。
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/11/10)
 
 
※遅くなりましたが、午後11時15分に自由に語り場もOPENさせて頂きます。