ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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ナルトとサスケ雑考 「兄弟がいるのはこんな感じ」

 さて…そろそろ「ナルトとサスケ」についての雑考を書こうと思っていますが、ただ漠然と「ナルトとサスケ」というお題にするには あまりにもフィールドが広すぎちゃうので、お題を限定して…今回は698話~699話の辺りから、ナルトとサスケが感じた「兄弟がいるのはこんな感じ」の話題を少々…
 
 

ナルトとサスケ雑考 「兄弟がいるのはこんな感じ」

 
《この時のオレは あのお前の言葉を思い出していた》
 
《オレと居る時 兄弟がいるのは こんな感じなのかと思うと…》
 
《その感覚が…》
 
《この時 やっと 分かったんだ》
 
(699話からサスケの言葉)
 
 
 サスケにとって「兄弟」とは、イタチ以外あり得ない…『血』の繋がりを越えるモノは存在しないと思っていたのかな…たかが血…されど血。

 「サスケの兄ちゃん」イタチは、一族の枠にはこだわらない人だったけど…それでも うちはの「血」には こだわりもあったんじゃないかと(私は)思うんです。 精神的なものとは別に、いかようにしても越えられない『血』というものが在るって事に。
  だから、カカシにも「アナタの体はその眼に合う血族の体ではない」と忠告したり、カカシが万華鏡を開眼した事には《まさか》と衝撃を受けていた…。 イタチでさえ驚く一族越え、「血」さえ乗り越えてしまうモノ…『血』より濃い『何か』は、確かに存在する。
 
 シスイから眼を受け取ったイタチは、シスイの心を大切にしようと…その眼の使い方を考えてたんですよね、“別天神”をいかに使うかを…。しかし“別天神”は十数年に一度しか使えない。 命の期限が迫っていたイタチは、シスイの眼を「ナルト」に託しますが、それはナルトの…
 
『アイツのことを兄弟だと思ってるからだ…‼︎』
 
という言葉を聞いて「サスケを止められるのはナルト」と確信するに至ったから…(40巻)。 だけど、あの時イタチがナルトに渡したものは、シスイの眼の「力」(“別天神”機能)。 
 
 ナルトにサスケを止めてもらう『ストップ機能』を期待したイタチだったけど…その後、穢土転されてナルトに再会し、ナルトの「サスケへの想い」を改めて知り…サスケの事を本当の兄弟のように想ってくれている『想い』そのものに期待するようになったんですね。 そして、大切なのは「力」としての別天神ではなく「想い」としての別天神なのだと… それでシスイの眼を燃やしてしまう。
 
「お前はサスケを兄弟だと言った」

「お前はシスイの眼以上のものを持ってる…それはシスイと同じ心だ
シスイが渡したかった本当のものはそれだ」

(552話から)
 
 シスイの眼を燃やしてしまったのは、眼の「機能」にこだわってきた己の愚かしさへの訣別でもあったのかな…   そして「写輪眼」の存在意義も、その優秀な機能よりも「心を写す」ところに意義があるのだと イタチは気づいたんじゃないだろうか。  シスイがイタチに眼を託したのも《イタチのことを本当の兄弟のように想ってくれていたから》…

  生前のイタチは、サスケの為に己の「眼」を託そうとしたり、あれこれと手を打ってサスケを導こうとしたけれど、結局自分は「失敗した」と思っていた… 
だけどナルトに「本当の兄弟の意味」に気づかされ、サスケに託そうとしたモノは「眼」じゃなくて、そこに在る想い…「愛」なのだと気づいて… 最後にあれほど誇りと自信をもって《お前を愛している》と伝えることが出来たんじゃないかと思います。 一番大切な「心」をしっかり伝えることが出来て、イタチは満たされたように逝った…イタチは、ナルトが言った《兄弟だと思ってる》の意味が《この時 やっと 分かった》んじゃないのかな…。
 ナルトは、たとえ片腕がもげても、サスケの為なら痛みを何とも思わない…
サスケが、ナルトが言った《兄弟がいるのはこんな感じ》の意味が《この時 やっと 分かった》のは、そんなナルトを見て…そしてナルトの痛みを自分も痛いと感じて…。 
「片腕もげても」…で思い浮かべるのが「雲隠れのエービー兄弟」なんです。彼らも血の繋がった「本当の兄弟」じゃあないけれど、ビーが誘拐された時 エーは泣いて大騒ぎして心配して、右腕を失っても気にしてなかった… 。エービー兄弟の在り方は、ナルトとサスケの在り方のいい手本だといつも思うんですよね…  あ、話が逸れるからエーとビーの話はここまでとして…
 
 「兄弟」について、雑誌のインタビューで、岸本先生はご自身が双子だから「弟が技をかけられているのを見ると、自分が痛かった」とおっしゃっていて、「ナルトとサスケの友情の原点は僕と弟」なんだそうだけど… そうかぁ、やっぱり兄弟って、そういうものなんですね。いいなぁ…兄弟って(自分は一人っ子なもので)。ナルトも、ずっと…「本当の兄弟」「本当の親」ってどんなものか考えてたんだろうなぁ…。 もっとも「兄弟」って言ったって、ナルトは理論派じゃあないから…本で調べて「兄弟とは、本人から見て傍系2親等の男性の事である(ウィキによる)なんて考え方は無かったでしょうね、きっと。 「体で覚える派」 ナルトが探していたモノは「兄弟という感覚」。 サスケを見て「兄弟ってこんな感じかなぁ…」って思ったのも「感覚的なもの」ですよね。

  ナルトは、イルカの事を「父ちゃんってこんな感じかなぁ」と思ったようですが、それはイルカがナルトの事を「ちゃんと叱ってくれた」というのもあると思うんです。

 サスケは(698話で)かつてのナルトのことを「バカな事をしてはワザと叱られようとしていた…他人と関わる為だろう…」なんて思い返していましたが、ナルトはイタズラしては「叱られようとしてた」。 食べかけのカップラーメンを投げつけたり、爺さんの盆栽にイタズラしたりしたり…  で、結果的にどうだったかといえば…
 
 『叱られた』んじゃなくて『怒られた』だけなんですよね。
『怒られる』『叱られる』では、表面的には似ているけど…全く違う。
 
「怒られる」のは、相手を不快にさせたことへの「報復」を受けるだけ。
ま…それでも「構ってはもらえる」わけだから、当初ナルトはこれだけでも「無視されるよりマシ」と思ってたのかもしれない。
 だけど「叱られる」ってのは、ただ怒られるだけじゃない…相手が自分の事を“想って”注意してくれること。 
 
 怒るような腹が立つ事をされても、自分が痛みを受けても…それでも「相手を想う」…だから「叱る」。「想い」があるからこそ「叱る」。  イルカ先生の「怒り」は、他の人達とは違う… 自分の痛みよりもナルトを想ってくれてる…ナルトはその「違い」を《本当の父ちゃんのように感じた》…。 
 多分、ナルトはその違いの「理由(理屈)」は分かってなかったと思うけど…そこには感覚的に伝わる「想い」があったんですよね。 自分のこと以上に相手のことを「想う」…それが親子や兄弟、「家族」のような愛情…かな。 
 
 サスケは、独りだったナルトに『本当の兄弟』みたいな感覚を教えてくれた。
そしてナルトは、自分が痛い思いをしても サスケを一人にしようとしなかった…一人になろうとするサスケを叱ってくれた。
 大切な、大切な繋がり…そこにあるのは「自分のこと以上に相手のことを優先する」想い。 すごく単純なことのようでいて、当たり前のようでいて、側にあって…その有難さにはなかなか気づけない。だけど何よりも嬉しい物…どんな寒い心も温かくしてくれるモノ…


《その感覚が…》
 
《この時 やっと 分かったんだ》
 
 
 
サスケの「涙」の理由。
…長かった、ここまでの道のり。
 

 
 
 
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/12/03)
 
 
風が冷たい…風邪も流行ってますね、みなさん温かくしてしっかり睡眠を!




コメントくださった方へのお礼をまずここで…。 記事を読んでくださった方、ご意見くださった方、ありがとうございました。コメント読ませていただきました。 
 カグヤについては、私としても「逆ハーレムの術」が効いたってのがね…あれなら心を引っ張り出せるのではと期待したのですが…。やっぱり最高傑作です、ハーレムの術。 そして目覚ましテレビですが…録画してませんでした;観たかったなぁ…。
ネットの件ですが、お忙しい先生やスタッフの皆さまは、このような辺境の地(ブログ)は到底ご存じないだろうし、そこまでチェックはされてないと思います。読者の反応は、アンケートやファンレターで見ることが出来るし、そもそもネット上に出回る意見はごく一部の偏った意見で、実際の読者層の一般的な感想とはかなり異なってる印象もあります(中高生に話を聞いてみると)
だからと言って見られたら困るようなことは書いてないつもりですが…つもり(笑)
 
…新たなコメント欄(次は劇場版について)を開きましたら、またお一人ずつにお返事させていただきます。