「願望」と「プレゼント」 (HAPPY CHRISTMAS …そしてマダラの誕生日でもある)
皆さんはどんなクリスマスを迎えておられるでしょうか…? 前のデータブック「者の書」が発売されて(2008年だったかな)、うちはマダラの誕生日が「12月24日(救世主の誕生日※注1)」と分かって以来…マダラの《救世主願望》についてアレコレと雑考して参りました。 606話で遂にマダラ自身から《救世主》発言があり、マダラの《救世主願望》はこれで確定したと思ってたんです…そして「12月24日生まれ設定」にも納得してました。
でも、連載が終わった今…マダラの《救世主願望》に、少し疑問を感じるようにもなりました。 本当の本当に、マダラは《救世主になりたかったのだろうか?》と…
戦い終わったマダラは、柱間と語って…どこか《ホッ》としたような表情を見せてましたっけ。「負けたのに」なぜか安堵したような表情を…
マダラもオビトもサスケもですが、「負け」を認めた時に「長い間見せなかったような清々しい顔」をしてたんですよね。 サスケも「オレの負け」と言った時は、最高に優しく穏やかな表情だった…。
彼らにとって「負け」とは、《自分はこうしなければならないんだ》という「猛烈な義務感のような願望(という縛り)」から解放される事でもあったんじゃないだろうか…?
「負け」と言えば、第4巻…ナルトの最初の「敵」であった再不斬は、自分の本心をナルトに引きずり出されたことを《負け》と称してましたよね。 《白と一緒に居たい》という己の本当の願望を受け入れることが出来て…負けたというのに「やっと解放されたような」穏やかな表情だったのが印象に残っています。
サスケも《火影願望》を語っていたけれど、それも「義務感からくる願望」だったと思うんですよね。 それがやっと「己の本当の願望」を素直に受け入れることが出来て…最高に穏やかな表情になっていた。「負けた側」のほうが嬉しそうってのも面白いけれど、彼等にとって「本当の願い」を再び見つけることが出来たこと…それは何よりも嬉しい事だったんじゃないかと思います。
信心深いマダラは最後まで「己の義務=救世主願望」にこだわっていたかもしれないけど、でも彼だって…今の忍達と闘った事で「己の本当の願望」に気付いたんじゃないかと思うんですよね。 時折見せていた『忍達の見事な協力(連携)への笑顔』やら、ガイの闘いっぷりへの敬意に近い喜び』…こっちのほうこそマダラの「本当の願い」だったんじゃないだろうか。
…でも闘いが終わって「本当の自分の願い」に気付いたのは…ナルトもその一人だったんじゃないだろうか…なんて思っています。
ナルトと言えば《火影願望》…そして《英雄(ヒーロー)願望》(だった)。
でも、連載が終わった今…ナルトの《火影・英雄願望》にも、少しだけ疑問を感じるようになりました。 ナルトがそれを望んだのは「里の皆に認めて欲しかったから」だと思いますが、ペイン戦後「里の英雄」扱いされたナルトは、里の皆に認められたって言うのに…それほど満たされてはいなかったと思うんです。
もちろん嬉しかっただろうけど、でも「何かちょっち違う」とナルトは思っていたんじゃないのかな…? (これ劇場版でちやほやされていたナルトの描写にも言えるんだけど)。
「英雄と言われる事」とか「里の皆に認められる事(そして火影になる事)」は…確かに「最大の目標」だったと思うけど、ナルトが本当の本当に欲しかったモノは「もっとその先にあるもの」…「里の皆と“家族”になること」だったんじゃないだろうか。
サスケは、最後に《ナルトが「兄弟のように思ってる」と言っていた感覚がやっと分かった》と言っていたけれど、ナルトが一番欲しかったモノは「家族」だったんだと…サスケも感じていたのではないかな。
三代目火影が築いていたような「里の父(火影)と家族(里の人達)」という関係…ナルトは「本当の家族」が欲しかったんじゃないだろうか。
《火影願望》というよりは《里の父願望》…
かつては、「おかえり」と言ってくれる家族がいなくって…
誕生日に「おめでとう」と祝ってくれる家族が居なくって…
長い間孤独だったナルトが、最後にミナト父ちゃんから貰ったのは「おかえり」と「誕生日おめでとう」という言葉。それこそ最高の「プレゼント」だったんじゃないのかな。
そして700話では、作者からも「火影就任」と(それ以上の願望だったと思う)「家族」という最高の「プレゼント」を貰えたんじゃないか…と思います。
これ以上考えられないほど最高の、プレゼント…
闘いの果てに、それぞれが見つけたのは、《本当の願望》…
☆長駄文読んでくださって感謝。
(ナルト好きブログ! 2014/12/24)
☆関連過去記事:マダラの「救世主願望」
※注1 以前、12月24日はクリスマスイブであって救世主の誕生日(25日)ではないというご意見を頂戴した事があるので、一応ご説明を(面倒と思う方は読まなくて全然OK)、
キリストの誕生日は12月24日~25日の境あたりの真夜中と設定され、日本では24日夜から生誕を祝うミサを始める事が多く、一般にも「12月24日」のほうが「救世主の誕生日」と認識されやすいのではないか…と思われます。
☆自由に語り場にご意見くださった皆様、ありがとうございました。
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インフルが周囲で猛威…皆様ご自愛ください。
ありがとうございました。