ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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699話雑考追加として… サスケの「スネってる」についてと、第1巻扉絵の話。

699話雑考追加として… サスケの「スネってる」についてと、第1巻扉絵の話。

NARUTO連載中は、ひたすら最新号の感想UPの繰り返しで、慌ただしかったのですが…今はゆったりと味わって読んでます。今年最後の雑考は、エンディングあたりの事を(サスケに関して)ちょっとだけ…699話雑考追加という形で。
 
 最近の雑誌やステージでのインタビューで、岸本先生は何度か《サスケはスネちゃっていた》発言をされていましたが、それはナルトも何度か言ってましたっけ…

「友(ダチ)がスネってる」 とか、
「ったく! それ以上スネてグチグチ言ってみろ またぶっとばすぞ!!」とか。

ナルトから見たサスケは とんだ拗ねスケなんだろうけど…
ナルトに言わせれば「スネてる」とは「お前のそーゆー背負ってゴチャゴチャしてるとこ」って事でもあるらしい。
 本来「拗(す)ねる」とは、素直に言うこと聞かない、反抗的になるということ…「拗れる(こじれる)」とも同じ漢字だし「細い糸を手で曲げてしまう」事。  サスケも繊細なタイプだし、背負うものがどんどん増えて考えこみだすと…「繊細な糸」はさらにゴチャゴチャに絡まってメンドくさくなる。

『すねるタイプ』っていうと、思わず「シノ」を思い浮かべちゃうんですけどね…理屈をブツブツ呟いてるのに「肝心な一言」は言えず、ホントは人懐っこいのに そんな素振りは見せられない。 やっぱり「素直じゃない」わけですが、ま…シノのスネ方は まだカワイイ。だけど、サスケの方は一筋縄じゃあいかなかった。

「背負ってゴチャゴチャしてる」ってのは、うちは一族の多くに共通してるような気がいたしますが、扉間も「うちはには繊細な者が多い」と言ってましたっけ。 彼らのうち「優秀な瞳力」を持つ人は(特に)「己の為すべき事」を思い詰めてゴチャゴチャになるんだろうか…?    そういうタイプが多そうな「うちは一族のために」本当の自分を認めさせる「イザナミ」という術が開発されたのも、なんだか妙に納得してしまうのです。 サスケにとって、ナルトとの闘いもイザナミのようなもの…だったのかな。

で…ナルトのセリフで、一つ引っかかった箇所がありまして…

「死ぬぐらいなら生きてオレに協力しろ!!」…の部分。

  またゴチャゴチャとスネ始めたサスケに、ナルトがガツンと言った一言ですが…
この時、やっぱりサスケって、ナルトに甘えたかったのかなぁ…と思ったんです。
 
 あ、悪い意味じゃなくて、サスケにとってナルトが《心を許せる唯一の友》だからだと思うんですがね…  ナルトなら「止めてくれる」とサスケは《ひそかに(無意識に)》期待してたんじゃないかと思うんです。
  もちろんサスケは自分の責任を重たく感じていたはずで、だからこそ自分自身で決着なんて言い出したわけですが、それでも心の奥底では「生きたい、先を見たい」という想いはあったと思うんですよね。

…本当に「死んで決着をつけるしかない」と思ってたなら、あの場で「オレ自身で決着をつける」なんてサスケは言わなかったはず(と思います)。 なぜなら、そんな事を言えば「ナルトが止める」のは明らかだったわけですから…それを分かってて言ってるんだから、サスケは本当は「止めて欲しかった」んじゃないかと思うんです。
「世界共通の敵になる」なんて計画をわざわざナルトに語ったのも、サスケ自身にも迷いがあったからだと思うし…  ナルトも、サスケのそういう「本心(裏の心)」を察して「拗ねてる」「背負ってゴチャゴチャ」と言ってたんじゃないのかな…。
 
 ン年前の「カカシは先生なのか師匠なのか」って記事で(※)、サスケはカカシの前では散々毒づくけど…それもカカシに(家族のように)甘えたかったからじゃないか…という雑考をしたことがあったんです。 で、それはナルトにも言えてるのかな…と思ったんですよね。 
 サスケがナルトの前でスネるのは、サスケもナルトのことを友達だと思っていたから…ナルトを家族のように思っていたから…ナルトを「本当の兄弟のように思ってた」じゃないのかな…。
 
 サスケは《お前はオレを決して切らず》《ずっとオレの心に近づいて来てくれた》 《お前はずっとオレの事を友だと言った》 《友として止めてくれた》と語っていたけれど、ナルトだけは「決して」切らず「ずっと」と友でいてくれて「近づいてきてくれて止めてくれた」事が物凄く嬉しかったんですね。 
 ホントはナルトだけじゃなく「家族みたいだった」カカシやサクラにもそれを期待してたんじゃないだろうか… ドロドロなところやゴチャゴチャなところもひっくるめて 受け入れてくれる「家族」をサスケは求めていたんだろうか。
 でも…そんな(ホントは人恋しい寂しがりやで、ちょっと甘えたい)自分をうまく他人に見せられないから、サスケは面倒な事になってしまう。

 
  「スネちゃう」人ってのは、見た目や表の言動に似合わず実は子供っぽいのかもしれない…シノもそうだけど。
 


 で、話が少し逸れちゃいましたが戻しまして…気になったナルトのセリフ。
 
何が気になったかと言うと…『オレと』協力しろ、じゃなくて『オレに』協力しろ、とナルトが言ってた点…
 
 細けー事かもしれませんが、『オレに』の場合…「オレのやり方に」協力しろ、オレに合わせろという意味になりかねない(ナルトがそういう考えじゃない事は承知の上だけど)。
 それは、かつて柱扉体制がとった(失敗を生んだ)やり方でもあり、どちらか一方に合わせる方法は 争いの火種を作りかねない… ナルト達も既に「過去」から学んでいるハズなのですが、サスケがどういう形で協力するのか…そこは大事なところだと思ったんです。
 
 で…サスケが選んだ協力の形は「ナルトに協力」というより「ナルトと協力」だった。 世界を見て歩き、外から里を…平和を守るという形の協力でした。

「…今のオレならこの忍界が …この世界がどう見えるのか知りたいんだ」

「今まで見逃してきた事も見えそうな気がする… このままでなければ見えない何かが… それに少し気になってる事もあるしな」

…ご承知かと思いますが、私はナルトとサスケの2人で火影になって欲しかったんです。 千手とうちは、対等に同じ力で補いあって…負けた方だけが責任を取る従来のやり方ではなくって…と思ってたんです。 雲隠れのエービー兄弟の「両側から同じ力で合わせる絶牛雷犁熱刀(ダブルラリアット)」こそ理想的な協力の仕方、理想的な補い合い方だと思ってたから、「対等」にこだわってたんです。

だけど…そうはならなかった。
 
 その代わり、サスケは彼ならではの「眼」としての役割(協力の仕方)を見つけたみたいだったから、ホッとしたんです。 里の中と外から…それぞれに向いた事を、それぞれのやれる事をする。役職の違いこそあるけど、二人の間ではあくまで「対等」で…それこそ「絶牛雷犁熱刀」みたいな協力なのかな…と。

 ま、里を出るにあたっては、カカシのお許しやらナルトの嘆願とか、簡単にはいかなかったみたいだけど…それでもサスケの意思は否定されなかった。 サスケを信じてサスケの考えを尊重したという事は、それまでの「里」にはなかった、新しいことかもしれない。



そして、その結末…  ナルトとサスケの物語の結末は《第1巻第1話の冒頭(扉絵)》で描かれた通りでした。
 
 
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(扉絵の一部分だけだけど… 過去記事「イタチを語るな」感想からの使い回し)
 
木ノ葉の里を象徴するような妙木山の蝦蟇の上にいるカカシ、ナルト、サクラ。
サスケだけは、一人離れて鷹に乗り、外から厳しい表情で里を見守っているようにも見える。でもちゃんと額当てはしてるんですよね。 カカシは、高いところから腕組みして里を見守り…その姿は「火影」のようにも見えます。  壮大な予言とでも言いましょうか…

この扉絵に関しては「予言のようだ」という雑考をしてきたのですが(過去記事コミックス第1巻の事、など)、最終話699話の内容は「この扉絵そのもの」とも言えるんじゃないか…なんて思っています。

 物語の進行と共に、物語はじめの頃のテーマに立ち返りつつあった、ここ数年のNARUTO。 
 
 第1話開始前の「四代目火影譚」は、700話のラスト頁「七代目火影譚」と対となって「第1頁」と「最終頁」を飾り…
 さらに第1話の扉絵(オープニング)は事実上の最終話699話と重なった
あらためて実に見事な着地(終わり方)だったと思うのです。
 
 
 
 
イメージ 2
 
(ナルトにとっては、サスケのこんな表情も《ゴチャゴチャ背負ってスネってる表情》だったんだろうな…)
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
  
そして…NARUTOを最後まで一緒に読んでくださった方、
今まで本当にありがとうございました。
 
どうぞ良いお年を…  
来年が、そして再来年も…
これからずっと…皆様にとって素晴らしいものとなりますように。
 
 





(ナルト好きブログ! 2014/12/27)