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サスケと「イタチの涙」  (NARUTO72巻からの雑考)

サスケと「イタチの涙」  (NARUTO72巻からの雑考)

「カカシ秘伝」、実はのんびり考えてて、発売日には買わなかったんです。そしたらどこでも「売り切れ」状態…! どこにもなくてあわてて探してたら、盲点とも言うべき近所の本屋さんに2冊残ってて、何とか無事にゲット。 すごい人気なんですね…(驚いた)。 近いうちに感想をちょこっと…とは思っていますが、その前に72巻からの雑考を少しだけ。 

ナルトとサスケの「第二の終末の谷の戦い」は、「感情と理性の闘い」でもあったんじゃないかと私は思っています。《ナルトの「感情(心)」VSサスケの「理性」》… 
 サスケが「負けを認めた」というのは、サスケもやっと「本当の自分」を素直に認めてやれた…って事じゃないだろうか。 サスケも《結局、忍も感情の無い道具にはなれないのかもな…》という事だったんじゃないかと。

 再び終末の谷に降り立った時、サスケは「戦う前にハッキリさせる」と言って《オレの言う火影とは》と語り始めるわけですが、あれは「ナルトと正々堂々と戦うため」でもあったと思いますが、「自分の考え」をハッキリさせるためでもあったと思うんです。 「断ち切り難い想い」を抑え込み、自分の「為すべき事」を自分に言い聞かせる為でもあったんじゃないだろうか。

  で…結果はご承知の通り、ナルトの「想い」がサスケの「理」という甲冑をぶっ壊し、サスケの本心を引っ張り出すことに成功するのですが(697話の感想で触れましたが、あの時のナルトの「沈黙作戦」はホントに見事でした)…しかし、最終的に二人が「マダラと柱間」とは違う答えを出せたのは、サスケの『選択』によるところも大きかったのではないかと思うんです。 
 

 その『サスケの選択』とは、自分の考え(革命計画)をナルトにちゃんと「伝えた」という事… 戦いの前に「ハッキリさせた」こと、あの選択が結果として「運命を変えた」んじゃないかと思っています。 

 
 72巻691話で、柱間がこんな事を言ってましたっけ…

「ガキの頃… お前は“オレ達は忍でいつ死ぬかも分からぬ”と言った… 
互いに死なぬ方法があるとすれば 敵同士腹の中を見せ合って 兄弟の杯を酌み交わすしかねェと」

…で、それを「成し遂げた」のが、ナルトとサスケだった。 
二人とも生きて「腹の中」を見せ合って、そして「兄弟ってこんな感じかなぁ」という想いを共有した…。

 最終72巻で和解した3組、「柱間とマダラ、カカシとオビト、ナルトとサスケ」…そのうち「二人とも生きている間に」腹の内を見せ合えたのは、ナルトとサスケだけでした。 マダラは、生きている間に「己の本当の夢」について柱間に語る事は無かった…。 「結果的」にではありますが、サスケが「生きている間に」ナルトに自分の「考え」を伝えた事、それが『分岐点での重要な選択』になったのではないかと思うんです。
 
 

 それに、サスケの「完璧に理論武装をしたつもりだった革命宣言」なんですが…これも「隠しきれない感情(心)」が見え隠れしてるんですよね。
「オレは一人だ」「父も母も兄も 一族さえ一人としていない」と語る時に手が震えていたりとか…心の揺れを隠しきれていなかった。 でも、あの宣言の中で、サスケの言葉に「力」が入っていたと感じたのは、この言葉…

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「彼(イタチ)こそが 本当の火影だったんだと」

「イタチ」を語る時、サスケはどうしても「想い」を隠しきれない。
なのに、サスケは イタチの事でさえ「過去」として「断ち切る」必要があったから、「イタチの想い」まで理解(道理で解)しようとする…。 
「国と里、イタチの想いを理解した」と言ってたけど、それは道理、セオリーで解したという意味。 

 
 「サクラの想い」についても、オレにはこいつを好く道理も好かれる道理もない」なんて言ってましたよね。道理って…

 サクラの告白と「涙」も、サスケは道理で説明し片づけようとする…それだけサクラの「想い」がサスケの心を「揺さぶった」ということですよね、きっと。
カカシには「理由があるのは人を嫌いになる時だけでいい!」「お前に殺されかけたこともあるこの子が…今でもお前のことを想い涙を流すのは…」「お前を愛して苦しんでいるからだ!」なんて言われてましたっけ。

《サクラの涙》は、うまく伝えられない「愛情」の欠片。
でも、サスケはそれを「失敗した過去の縛りかもな…」と言った…

 イタチから貰った「溢れるほどの愛」を抱え込み、イタチへの「溢れる」を自分一人の胸の内に抱え込んで…持っていきどころの分からない愛を、どう昇華したらいいのか戸惑って…サスケは「道理」で愛を説明しようとしたのでしょうか。
でも、「理論的であるはず」だったサスケの革命宣言は、「サスケのイタチへの愛、忍達への愛、友情、平和を願う想い」で溢れていた。それは、イタチの「愛している」の言葉をキッカケに、それまでサスケがしまい込んでいた「愛情」が解放されたからなのかな…。

 「結果的にそうなった」という事ではあるけれど、そのおかげでサスケは自分の想いを抑えきれなくなって、腹の中を「開けざるをえなくなった」。 それが、サスケが「生きている間に」腹の内をナルトに見せることに繋がったんじゃないかとも思います。

《生きている間に自分の腹の内を他人に見せる》という事は、《自分の本当の想いに素直になる》ってこと…  自分を許し、本当の自分に戻るという事…
それは、イタチがサスケに望んだことでもありました。 穢土転イタチはこんな事を語ってましたっけ…

「カブトにはオレと違い 死ぬ前に気付いてほしい…」と。 

ようするに「生きている間に気付いてほしい」。 あれはカブト越しに「サスケ」に伝えた言葉だったと私は解釈していますが、「生きているうちに、自分に嘘をつくのを止める」事に気づいてほしい、本当の自分を取り戻してほしい、つまり腹の中を見せて欲しい、というイタチの想い…それは《忍も結局は「感情の無い道具」なんかにはなれない》って事でもあると思うんです。

 ここでちょっと、5年前の「波の国任務」の話に飛びますが… あの時、第七班は最初の戦いでいきなり「多くの忍が抱えている問題」にぶち当たります。 
本当の忍者とは、どういうモノなのか…『忍とは国の為、任務の為に、感情の無い道具になるべきなのか』という問題に。 

 あの時ナルトは、きっぱりと(感情の無い道具になるなんて)「そんなのやだ!」と断言したのですが、だけどサスケは… カカシに「アンタもそう思うのか?」と尋ねただけで、特に自分の意見をいう事はありませんでした。

 サスケがあの時、簡単に「答え」を出せなかったのには事情があったのではないかと思ってまして… 《忍も感情の無い道具にはなれないのかもしれない》という問題に、サスケは「引っ掛かるものがあった」んじゃないかと思うんです。
引っ掛かるものとは、それは…
 

 《イタチの涙》です。 一族抹殺の夜に見た、イタチの涙。 

あの当時(波の国任務当時)はまだイタチの「涙の理由」は知らなかったけれど、《あの時、泣いてた、オレの…》…サスケは薄々と《忍も感情の無い道具にはなれないのかもな》と感じていたかもしれません。 だけど、あの涙をどう捉えていいものなのか…考えれば考えるほど、簡単に答えは出せなかったんじゃないかと思うんです。

 そして693話で《サクラの涙》を見て「家族」を思い浮かべていましたが‥あの時サスケは《イタチの涙》も思い出して、それを「失敗した過去の縛り」と言ったんじゃないだろうか。 

 イタチの涙はサスケに「真実」を伝えてしまい、「憎しみを分散させてしまった」… だから「ただ一つ兄は失敗した」とサスケは語っていた(694話で)。それこそ「失敗した過去の縛り」… 
サスケは「涙(感情、想い)は余計なモノでしかない」と考えようとしたんだろうか。…でも、それはサスケの「本心」じゃあなかった。

 ナルトに「腹の中」を語りナルトと闘いながら、サスケは己の中の「理では抑えられない本当の想い」を認めていくわけですが… 「想い」に素直になる事を己に許したサスケは…《結局、忍も感情の無い道具にはなれないのかもな…》という 波の国での「自分の答え」をやっと確かめられたんじゃないだろうか。
そして《イタチの涙》も、そのまま「想い」として受け入れられるようになったんじゃないだろうか。

 あの時(第33話)からブレずに真っ直ぐ進んできたナルトと… 第698話にしてようやく答えを確かめられたサスケ。 どっちがいいとか悪いとかではなく、どちらも「忍とは何なのか」という問題に向き合ってきた、真剣に歩んだ道のりだったのではないか…と思います。


「忍も人間だ… 感情の無い道具にはなれないのかもな…」 
 
(再不斬、32話)


「オレの負けだ…」
「オレの負けだ」

(再不斬=32話、そしてサスケ=698話)



☆長駄文、読んでくださって感謝…




(ナルト好きブログ!  2015/02/08)