ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

チョウジとアスマ (アスマが伝えたかったもの)

チョウジとアスマ (アスマが伝えたかったもの) 

NARUTO完結というのに、相変わらず雑考アップしております・・なんだか閉まりの悪い蛇口みたいでカッコ悪いですが、完結したことでかえってNARUTOという作品を考えなおす事も多くなりました。時間的に余裕が出来たせいもあるかな…? なのにアップしている記事は相変わらず駄文…全然成長しません(恥)…  にもかかわらず足を運んでくださるNARUTOファンの皆様には心からお礼申し上げます。

…という言い訳はさておき、今回は第十班の師弟‥「アスマとチョウジ」の事を少々。

チョウジと言えば「誰よりも優しい男」、そして「デ」…いや「ポッチャリ系代表」。 おっとりした性格で争いを好まず、アカデミー時代には「組手」さえ拒否。 なのに、“食”に関しては凄まじい執念を見せる…チョウジにとっての「戦場」は、どうやら「食卓」のようで……
 戦いに関してはアッサリ系。だけど、食に関してはとことん貪欲でガッツリ系。特に「最後の一口」に関しては容赦なく、まるで人が変わったようになる…

 “変わる”といえば、チョウジは「デブ」という言葉が引き金となって「激怒モード」に移行して圧倒的な「パワー」を炸裂させますが、秋道一族は日頃から蓄えている脂肪(?)を瞬時に燃焼させて力に変化させたり、肉体を改造する能力を持つ(カロリーコントロール)。 感情の「爆発」によって体内に変化が生じ、それが眠っていた力を引き出すところは「うちは一族の写輪眼」と似たようなシステムなんだろうか…。  だけどチョウジは長い間、己の固い蛹(さなぎ)を打ち破れなくって、本来の能力を引き出せずにいた… 超マイペースなチョウジの「指導」には、アスマもかなり苦労したんじゃないのかな。

「先生、師」としてのアスマ…

 アスマは「手とり足とり」指導するタイプではなさそうだし、自主性を重んじ、キッカケを与えて本人の潜在的な能力を「引き出す」タイプ(だと思う)。 
たとえばシカマルに将棋を教えたのはアスマだったらしいけれど(36巻での回想によれば)、それもシカマルの「軍師としての能力」を試し引き出す為だったんじゃないかと思います。
 もっとも、「猪鹿蝶」は家に伝わる秘伝を扱う一族だから、アスマが直接「術」を教える事は殆どないわけでして… それだけに「師」として彼らに何をしてやれるのか、アスマは色々と考えてたと思うんです。 
 特にアスマってのは『己の役目』について常に考えている人でしたから… 「猿飛一族」として「三代目火影の息子として」、さらに「父として」己の役目は何なのか…それらを悩み考えるアスマの姿は、35~36巻あたりで細かく描写されています。

 
では、『自主性を重んじ、キッカケを与えて本人の潜在的な能力を引き出す』のがアスマ流だとしたら…チョウジに対してはどういう「指導」を行っていたんだろうか…?

具体的にアスマはチョウジに何をしたのか…まずは「中認試験」の頃まで遡ってみるとします。

《中忍試験の予選で「もし強い相手に当たったらどうする?」という話になった時、チョウジはあっさり「ボクすぐ棄権するし…別にいーもん」と言う。 
アスマは「ってことは試験終わったら焼肉食い放題ってのはナシだな」と言い、さらに「なに、ヤバくなったらヒナタの時みたいにオレが止めに入ってやるよ」と言ってチョウジを励ますのですが…》 

さて、この「アスマのチョウジへの指導の仕方」なんですが、これにツッコミを入れてたのがシカマルなんです。 

『焼肉』発言については「食い物なんかでつるなよ」とツッコみ、「ヤバくなったら止めに入ってやる(から大丈夫)」発言については(ヒナタん時木ノ葉のセンコーで止めに入んなかったのアンタだけだろ…)とツッコんでいる。 どうもシカマルは日頃から「アスマのチョウジへの指導方法」には少々疑問を感じていたらしく、このあとも アスマのやり方に対してモヤモヤとし続けているんです。

《さらに中忍試験終了後、第十班は「シカマルの中忍就任祝い」も兼ねた打ち上げで焼肉に連れて行ってもらうのですが、そこでチョウジはひたすら食べまくり、まるでバトルのように「食」に全力を傾ける… そこでアスマは厳しい一言を言い放つのです…》 

 「チョウジお前は食い気ばっかりだな…少しは修行しろよ…シカマルはもう中忍だってのに」って… 

( で、チョウジはしゅんと落ち込んでしまう)。

 アスマの「容赦ない一言」にもシカマルは疑問を感じたようで、あとで「あんまり気にすんなよ アスマの言うことなんてよ」そして「お前はお前だ」とチョウジを励ましている。 せっかく皆で楽しく食べてた時に、いきなり空気を重くしたアスマのひと言はちょっと言い過ぎにも思えたし、実際私も(先生、その言い方はないだろーが)って思っちゃいましたもん。 
 もっとも、シカマルも「チョウジはもっと修業したほうがいい」とは思っていたようで、激励した後に「オレ帰るわ オヤジが新技伝授するなんてめんどくせーこと言い始めやがってよ」という言葉を付け加えているのです。 遠回しに押しつけがましくなく《優しく》修行のススメをしてるんですよね。  で、チョウジはニコッと笑って「修行ガンバレよ」なんて言うのです。 シカマルの気持ち、チョウジは分かったのか、分かってなかったのか… 

それにしても(チョウジをしゅ~んと落ち込ませてしまったアスマと、チョウジを優しく励ましニコニコにさせたシカマル…)

 アスマの言いたい事は分かるけど、だからって「あの言い方」はちょっと無い。もっとうまい言い方があるだろうって、《まだ》あの時のシカマルはそう思っていたんじゃないだろうか。

 アスマはガイみたいに「熱い」タイプでもないし、カカシみたいに「細々と気を配る」タイプでもない。 おおらかで太っ腹にも見えるけど時々「あんな無神経な事も言う」…シカマルにとっちゃ《つかみどころのない先生》だったかもしれない。 実際、アスマが亡くなった時にシカマルは『つかみどころのない変な先生だったけど…』なんて言ってましたっけ。

 しかし…「お前は食い気ばっかり」と言うのなら、なぜアスマは「食い物なんかでチョウジをつったのか」。 そしてチョウジは試合に負けたのに、なぜアスマは「チョウジを焼肉に連れて行く」と言ったのか?(試合に負けた直後に、焼肉に連れていってやると言っている) 
 それは…アスマがチョウジを「焼肉」に連れていくのは、「ごほうび=楽しんでもらう為」だけじゃなかったからだと思うんです。 秋道一族にとって《食》は重要なエネルギー源…目的の為の「手段」であるはずなんです。 アスマがチョウジを焼肉に誘うのは、もっと強くなってもらうため…「エネルギーを蓄えてしっかり修行してほしい」という願いがあったからじゃないだろうか。 
なのにチョウジの口から出る言葉は「味覚」やら「食べる楽しみ」に関する事ばかり…チョウジにとって《食》は「お楽しみ(=目的)」でしかないように見えた…
  
 
業を煮やしたアスマは、ついに「手段を目的と履き違えたチョウジ」にきつ~い一言を言ったんではないかと思うんです。 

 チョウジがサナギから抜け出せない理由…思うにそれは2つの「はき違え」があったんじゃないだろうか。 
1つは「手段と目的のはき違え」、もう1つは56巻でも登場した「優しさのはき違え」。 アスマはこれらが「邪魔をしている」と考え、チョウジにこれら2つのはき違えに気付いてほしかったんじゃないだろうか…と思います。

《優しさのはき違え》…

 チョウジは優しいから、相手の痛みを想ってしまって戦えなくなることもある。 だけど、その「優しさ」が次第に「甘さ」に変化してしまったんじゃないだろうか。  『相手が強かったら棄権すればいい』なんて発想は、ただの甘えになっちゃってる気もする。 それに「優しいチョウジ」に対しては、周囲も「優しくなりがち」。 
 だけど「優しくする事」だけが「本当の優しさ」じゃないのかもしれない…時にはあえて厳しく対処する事も必要なのかもしれない。

《役目》と言えば、前述の中忍試験でシカマルがツッコんでいた「ヒナタVSネジで、試合を止めに入らなかった木ノ葉の先生はアスマだけだった」という件ですが、アレもアスマは「己の役目」を考えた上で動かなかったんじゃないかと思うんです。 ネジとヒナタはアスマの「担当外」だし、そこは他の上忍が止めると分かってたから、動かなかっただけのような気はするんですよね。

「余計な手出しはしない」、だけど「己が為すべき事はちゃんとする」…それがアスマの考え方じゃないだろうか…。 だから…アスマの「無神経に見えるバッサリな物言い」も、ちゃんと《自分の役割》を考えての事だったと思うんです。
 
「優しさと甘さは違う」…本当に相手のことを想うなら、厳しく対処しないとならないこともある。 優しい言葉で甘く接する事だけが「本当の優しさとは限らない」。
 

あの時、アスマはそれを身をもって示してくれてたのかもしれません。
《目的と手段をはき違え、優しさをはき違えていたチョウジのために…》

 しかし、あの頃のチョウジ達には「まだ」アスマの師としての想いは「つかみどころがなくって」よく分からなかったみたいだった… 彼らに「あの時のアスマの想い」が本当に伝わったのは、56巻…穢土転生されたアスマに会った時でした。

《穢土転生されたアスマを止める為にはアスマを殴って倒すしかない》…本当の優しさがあるのなら、アスマに厳しい対応をしないといけない。 今度は第十班がアスマに「優しさゆえの厳しい対応」をする番が来て、チョウジはついに「優しさのはき違え」を克服し、「固いサナギ」を破って見事に羽化し羽ばたいた… チョウジ達に、やっと「あの時の」アスマの想いが伝わったんじゃないのかな。 そして、それがアスマ先生による「最後の修業」となったのでした。

ところで…

 27巻「第一部のラスト」には、各人物たちの「今後への願い、誓い」がつづられていて、それが物語の本当のラストで「結ばれていく」…という話はちょくちょくして参りました。 
 ナルトも、第一部ラストで「サスケを救い出し」、それを四代目に「見ててくれ」と誓っていたのを「物語の最後」でちゃんと叶えたし、カカシは「もしオビトが生きていたら今のオレに何て言うんだろうな」の言葉が叶ってオビトから数々の言葉を貰った… ガイは「青春も無理な年齢」と言ってたのが、永遠の青春を手に入れたし…

そして、27巻第一部ラストでチョウジは…

(すごい勢いで焼肉を食べながら、アスマに…)

「これ食い終わったらさっそく修業付き合ってよね!アスマ先生!」

…やっと、チョウジは自分から「修行に付き合って」と言ってくれた。
アスマは「……」と微笑んで手応えを感じてる。この一言をずーっと待ってたと思うんですよね、アスマは。

 そして、27巻第一部ラストのチョウジの「願い」も、56巻穢土転生されたアスマによってちゃんと「叶えられた」のでした《アスマ先生によるチョウジの為の、最後の修業》として



 
 
イメージ 1

「そうだ チョウジ・・」
 

イメージ 2

「その顔だ!」





「お前らにはもう何も言う事がない…」

(ニコッ)






☆長駄文、読んでくださって感謝…




(ナルト好きブログ! 2015/03/05)