ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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サスケと雨   (イラスト集UZUMAKI NARUTOからの雑考)

サスケと雨     (イラスト集UZUMAKI NARUTOからの雑考)

さて、今回も「イラスト集UZUMAKI NARUTO」からの雑考の続きなのですが……

このイラスト集の中で 1つだけ、ジャンプで見た時に 涙がどひょーっと溢れてしまった絵があるんです。 それは、先生チョイスのベスト10には入っていない、やや地味な絵…

「476話の扉絵」(コミックスでいうと51巻)…NARUTO11周年記念号の巻頭カラー扉絵です。

どういう絵かというと…ざっとこんな感じの…(イメージっていう事でご容赦。是非本物を見て下さいな)

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《全体的に薄暗い色調で、サスケが軒下に佇んで険しい表情で外を見つめている… 
すでに雨は止んでいるように見えるのだが、よほど激しい雨が降った「後」なのか…ひしめき合う庇からとめどもなく雨水が滴り落ちている。 サスケが見つめている一角には「力」、「闇」の文字も見える…》 

 ジャンプ掲載時には「オレはとっくに目を閉じた… オレの目的は闇の中にしかない サスケ第二の復讐劇の幕が開く!!」の言葉も添えられていた…

 この扉絵が描かれた476話は、ちょうどダンゾウとの戦いが始まった頃でして、ストーリー的にサスケがどんどん孤独に闇を深めていった頃なんですね。
 この頃のジャンフェスステージでも、岸本先生が『これからサスケが段々闇に染まっていく』というような発言もされていたし、この扉絵は「サスケ闇への道まっしぐら」を示す絵とも受け取れたんです。

この頃のサスケはというと、五影会談で侍相手に大暴れしたり、重吾や水月を置き去りにしたりと…正直「どうしたんだ?」と思えるぐらい荒れていて、サスケというキャラクターが分からなくなりかけていた頃でした。

 なのに、この絵を見たら「泣けてしまった」。 サスケの「孤独」がたまらなく悲しかった。

 この絵を見ていたら、『サスケは闇に落ちてしまった』という簡単な一言で済ませちゃいけないと思えてきたんです。 もうちょっとサスケの立場・サスケの視点で物語を見直してもいいんじゃないか…と思えてきた。 
 それで「本来のサスケの性格」から考えていけば、これまでのサスケの冷酷で不可解な言動や、仲間達に対する容赦ない「切り捨て」も、「自分の第二の復讐劇」に仲間を巻き込みたくないという サスケの「本来の優しさ」からのモノだったのではないだろうか…と素直に思えるようになったんです。 この扉絵は、私にとって「それまでとは違った物語の読み方」のキッカケを与えてくれた、忘れられない絵でもあります。

 一人壁に寄り掛かり、激しく雨が降った「跡」を見つめるサスケ… でも、サスケが見つめているのは「目の前にある景色」ではなく、もっと違うモノ…もっと「遠く」のような気がする。

 そういえばアカデミーの組手の話でも、サスケの目は「目の前のナルト」を見ておらず、遠い何かを見ていた…ということがありましたが(538話での事)、サスケの目は「目の前」のモノを見てはいない。 サスケの目が見ていたのは、「過去」だったのか…  サスケの目が見ていたモノは「あの日」だったのでしょうか。

「あの日」とは…約10年前の「うちは一族抹殺」の後、サスケが病院を抜け出して それが現実だったと知ってしまった「あの日」の事です。

あの日、幼いサスケが見たものは「誰もいない町」、そして「誰もいない家」… そこで聞こえた「音」は、台所の蛇口から滴る水の「ぽちゃん」という空虚な音。
 空っぽになったサスケの心に響く水滴の音とサスケの涙は、やがてザーッという雨の轟音に掻き消されていく… (25巻)

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あの日の“雨の音”が サスケの耳からずーっと離れないんじゃないだろうか。
あの日の“雨の光景”が サスケの脳裏からずーっと離れないんじゃないだろうか…?
そして、あれからずっとサスケは「あの世界」に居て、“雨が残した跡”をずーっと見ているんじゃないだろうか。

この前も引き合いに出した我愛羅のセリフ「サスケ お前はオレと似ている… この世の闇を歩いてきた者… だからこそ小さな光明ですら目に届くはずだ」… それに対してサスケは「オレはとっくに目を閉じた…オレの目的は闇の中にしかない」と答えてるんですよね。
 たとえ目は開いていても、目の前の現実を見ていないサスケの目… 目を閉じて「瞼に焼き付いたあの日」だけをサスケは見つめていたのだろうか。ずっと…10年間、サスケはあの扉絵のような世界に居たのだろうか。


《そして「雨」は、サスケの心の風景を象徴するものとしても描写されていく…》 

 『NARUTO』では、無口な忍達に代わって「風景」が彼らの心の内を語ってくれる事が多いけど、サスケの場合は「雨」がサスケの想いを語ってくれる。

26巻、闘いが終わり、サスケが終末の谷を立ち去る時に降り始めた雨も…(233話)

イタチとの戦いに発つ時に、サスケ達“蛇”に降り注いだ雨も…(354話)

イタチとの戦いが終わり、抜け殻のようになったサスケを撫でた雨も(394話)…

これからナルトを「切りにいく」と決意するサスケを濡らした雨も…(574話)

「苦汁をなめ闇に居て全ての憎しみを一身に受けた」イタチこそが本当の火影だったんだとサスケが思い浮かべた「イタチ」を鞭打っている雨も(694話)…それらの雨はサスケの「本当の想い」を語っているような気がした。 

そして…

「弟は生きている」とイタチが見上げた雨(364話)にも…

サスケを追うナルト達の“熱さ”を嗤うような「嫌な」雨にも…(354話)

サスケ奪還に失敗したナルトの頬に容赦なくたたきつける雨(396話)にも「サスケ」を感じた。 イタチも、ナルトも…遠く離れた場所にいる「サスケの心」を、「雨」で感じ取っていたかもしれない。


《サスケと雨》…

 度々登場する「サスケの幼い頃の思い出」の中に、「雨」の景色は登場しなかったと思う。  まだ父さん母さん、イタチ兄さんが揃っていた頃のサスケの思い出には、代弁者である「雨」は登場しない。 そして、回想に登場する(その頃の)幼いサスケは、「心の中」をちゃんと自分の言葉で語っているのです。  
 例えば、(オレも明日からアカデミーで頑張るんだ)とか(父さん…オレは…さすがオレの子だって言って欲しかったんだ)とか、読者にも心の内を見せてくれている… だから「風景による代弁」は必要ない。

 しかし「あの日」を境に、一度サスケは心を閉ざしてしまったと思われるのですが(アカデミー時代後半…あの「組手」をした頃)、その後 第七班に入って仲間と触れ合う中で 次第にサスケは再び「心の中」を見せるようになります。
  第一部の「第七班時代のサスケ」は、ちゃんと心の中を言葉で読者に語ってくれている…  例えば(そろそろ本当にヤバいな…)とか(本当にあのナルトか?いつの間にこんなに伸びたんだ!?)とか… だから読者もちゃんとサスケの心の中が分かる。

 しかし20巻あたりからサスケは再び心を閉ざし始め、ナルトと闘った「終末の谷」を最後に、サスケの「心の内」は 言葉ではほとんど描かれなくなってしまう。 

終末の谷でのサスケの冷たい言動は、ナルトや仲間達の事を完全に断ち切ってしまったように見えた、聞こえた…  でもサスケの「言葉」は、サスケの“本当の想い”を語ってはいなかった。
 
 戦いの終わりに降り始めた雨は、「悲しくせつない雨」ではあったけど、「冷淡な雨」じゃあなかったと(私は)思う。

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「ナルト、オレは…」

(せつなく悲しい雨… サスケの本当の想いを伝える雨は、ナルトの頬をそっと濡らした)


だけど、43巻… サスケを必死に追いかけ、間に合わなかったナルトを打ち付けた雨は、冷たい非情な雨でした。 

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 空しく無感情にナルトを打ち続ける雨は、当時のサスケの心の情景… 
襲いかかる悲しみや絶望さえ「感じる事が出来ない」ほど空っぽだった、サスケの空ろな心のような雨でした。

誰にも心の内を明かす事がなかったサスケに代わって、度々サスケの心の内を語ってきた「雨」…  

 
 476話以降、サスケはさらに己を隠し、自分を孤独に追い込み、ひたすら「闇」に進んでいきます。
 だけどその前に、一瞬だけ「心の中の風景」を読者だけに見せてくれた… それが「あの扉絵」だったのではないかと思っています。 
  


激しく降った雨が残していった「跡」の風景…





(長駄文、読んでくださって感謝…)






(ナルト好きブログ! 2015/04/09)