(その1の続きです…)
・「似たようなもん」
「まぁそうはいっても やってる事は昔のナルトも似た様なもんだったけどな」
「オレンとこも似たよーなもんか…」
(シカマルのセリフ)
《似たようなもん》かぁ… 「親」ってのは、自分と子供が「似ている」と思う時、どんな気持ちになるものなんだろう…? 「しょーもないところに限って」似ちゃったりして、それでもそれが余計に愛おしく思えたり… なんだか「もう一人の自分(分身)」のような「昔の自分」のような、ちょいと複雑な思いを抱くのだろうか。
自分とよく似た“自分より若いもん”を見る時の「複雑な思い」については、NARUTOの中では『オビトがナルトを見る時の想い』として詳しく描かれていましたが、ナルトやシカマルは今、自分に「似たようなもん」な息子達を見て、どう思っているんだろう…?
「ナルト」といえば、相手に“自分と似たようなもん”を見つけて、それを「お互いをつなぐ取っ掛かり」にするのが得意だったけど、ボルトに対してはどうなんだろう…。 サイに「大人げない」と言われるぐらい、真剣にボルトに付き合ってやってるナルトは(影分身らしいけどね)、昔の自分がイルカにしてもらった事を精一杯ボルトにしてやってるんだろうなぁ…と思います。
それでもボルトとナルトは「似たようなもん」であって、「似ている」けれど当然「同じ」じゃあない。 ボルトにはちゃんと家族がいるとか人柱力でもないとか、昔のナルトよりずっと恵まれているようにも見えるんだけど、それでもナルトとは「ちょっと違う寂しさ」を抱えているんですよね。 近くにいるのに「遠い」…みたいな。
(昔のナルトは)… 第1巻第1話で、巻物を持ち出したナルトは、ついにイルカに見つかってしまうのですが、その時ナルトはどういう反応をしたかというと…
「…見つけたぞコラ!!」
「あー!!鼻血ブー見っけー!!」
「バカ者!!見つけたのはオレの方だ!!」
(ニコニコ笑うナルト)
「へへへ見つかっちまったか まだ術一個しか覚えてねーのに」…
(NARUTO-ナルト- 第1話から抜粋)
「見つかっちまったか」なんて言ってはいるけど、この時のナルトは《すっごく嬉しそうな笑顔》をしているんですよね。 たとえイルカがナルトを探していた直接の理由が「ナルトが大切な巻物を持ち出したから」だったとしても、それでも、今まで誰にも構ってもらえなかったナルトにとっては「イルカが自分を探してくれた」という事実が何よりも嬉しかった訳でして、ナルトは隠れながら「イルカが早く見つけ出してくれる事」を心のどっかで期待して「待っていた」んじゃないか…なんて思うんです。早く見つけて欲しくて…。
一方でボルトは…オヤジが自分を探すのは「面倒事はさっさと済ませて仕事に専念したいから」と思ってるんじゃないだろうか。だから「なるべく時間を稼いで新記録を出したい」と思っている…長い時間オヤジを「つなぎ留めておく」ためになるべく見つかりたくないと思っている。 オヤジを困らせて「自分」を示したかったのかもしれないし、見つかった時には昔のナルトみたいに「嬉しさ全開」なんかじゃなくって、きっと「チィ」…とかいう反応なんだろうなぁ…。
だけどナルトは、自分とボルトは「似たようなもん」だから、ボルトの気持ちもずいぶん分かってるつもりじゃないのかな…だから「対処法」も分かったうえで向き合っているハズなのに、ど~もうまくボルトと想いが繋がらない…。 それでナルトも「親をバカにするのもたいがいに…」なんてイライラしちゃうんじゃないのかな…(なぜなんだ?という感じに)。「似てる」けど瓜二つじゃあない… まさに《似たよーなもん》というよーな、ややボワ~っとした微妙な表現がぴったりなのかも。
・影分身と本物
賢そうなサラダから見たら、ボルトがやってる事ってのは幼稚に見えるのでしょうけど、それでもボルトの気持ちが少し「わかってしまう」…だからボルトのバカげた「鬼ごっこ」にも協力してやってしまうのかな…。 でもボルトだって、本当は「こんな事」しても空しいだけって分かってるんですよね。
しょせん相手は「影分身」…「ありゃ影分身…本物のクソオヤジは当然仕事だよ」って…「当然」って言葉に「諦めて自分に言い聞かせようとしてる」寂しさと悔しさが伝わってくる…。
そういえば、マダラが「柱間の木遁分身」ではなく「柱間の本体」にこだわってた事がありましたけど、あれは「本体じゃないと仙人の力をいただけない」という具体的な理由以上に「ホンモノの柱間とさしで話がしたかった」んじゃないかな…なんて思っています(ようするにマダラは柱間に会いたくてしかたなかったんだろうな、と)。
案外、ボルトを探している方のナルトが「本体」って事は無いのかなぁ‥(なんて思ってみたりするのだが)。
今まで「相手の気持ちが分かる」事に関しちゃずば抜けていたナルトだけど、最も身近なハズのボルトに苦労している様で…
・「分かるってばよ」の穴
NARUTOでは、物語が終わりに近づくにつれてナルトはどんどん「神レベル」の強さになっていったけど、同時に「ナルトも完璧ではない」ってこともジワジワ描かれていたと思うんです。
たとえば、ナルトの不思議な力「分かるってばよ」(相手と自分に似たようなもんを見つけて分かり合っていく能力)は、699話でサスケが「お前のようにはなかなか出来るものじゃない」と言うほどの「ナルトならではの能力」で、そのおかげでナルトは再不斬・白からオビトに至るまで「敵」と分かり合えたわけですが… だけど最終戦の敵であった「カグヤ」(あるいは黒ゼツ)にだけは、それも通用しなかったんですよね。
ナルトは「カグヤには心がねーみてーな感じだった」と言ってたけど、カグヤは息子を想って涙を流したり、息子を憎んだり、逆ハーレムに(一瞬とはいえ)引っ掛かったり、ちゃんと「心」は残ってたんです。 でも当時のナルトに「親子の確執」なんて分からなかっただろうし、カグヤとの間に「自分と似たようなもん」を見つけることが出来ず、ついに「分かるってばよ」も不発に終わった…(という事なんだろうと私は解釈しています)。うーん…
お互いの心をつなぐ為の取っかかりは、「似たようなもん」じゃないとダメなんだろうか…? それとも「似たようなもん」を見つけられなくても、心をつなぐことは出来るんだろうか…?
《そして、親との間に「似たようなもん」を見つけられなくて…「つながり」に不安を覚えてしまったのが…サラダ》。
・「パパって… ふだん めがねかけてた?」
「サラダとサスケ」…読者から見れば、モノの考え方、それにアカデミーで席についている時の姿勢(肘をついて手を組んでる姿勢)なんて「よく似ている」と思うんだけど、なにせサラダは「写真のパパ」しか知らない。写真で似てるのは黒髪くらいかなぁ…。
700話で最初にサラダが登場した時、この子は「サクラの子なのか香燐の子なのか?」と迷った方は多いと思うんです(というか、どっちかといえば香燐に似てますもんね…なにせあの「メガネ」だし)。 で…今週の話は、サラダに「ママって本当にパパのおくさんなの?」と聞かれた時のサクラのただならぬ動揺といい(このセリフはかなりグサッときますね)、ラストでサラダが見つけた「パパの隣りに写っているメガネの女(香燐)」といい…かなり「思わせぶり」なものがありました。
ま、そのあたりの「事情」はいずれ判明するでしょうから待つとしますが……
しかし、サスケが普段メガネをかけていたかどうかも分かんなくて「…かけてないと思う…たぶん…」としかサクラは答えられず、「おかしいのはママとパパの関係でしょ そっちは少しじゃなくてかなりだけどね」とサラダはズバズバ言いたい放題。あんまりママを困らせないであげて…とも思ったけど、サラダの目からも「涙」が…。
サラダがあれこれとサクラに質問をぶつけたのは、不安を「否定」してもらいたかったんでしょうねぇ…不安なんか吹っ飛ばしてくれるぐらいの「パパとの強い絆」を、ママに見せてもらいたかったんだろうと思います。 なのに、サクラの口から出てきた言葉は「余計に不安になっちゃうものばかり」だったから、ついにサラダも日頃「思っている事」を全部ぶつけてしまったんですよね。悲しくって、切なくって、「嫌な予感」が当たってしまったようなやりきれなさで…。 サクラは「今日は少しおかしいわよアンタ!!」と言ってるから、「いつものサラダ」はずっと我慢してて「聞かなかった」んですね…小さいのにサクラママを気遣ってきたのかもしれない。
(サクラはついに「ドゴッ」と拳を地面にぶつけ、そのせいで家まで崩壊してしまうのですが…)
「あの」サクラが、チャクラコントロールを誤って怪力をセーブ出来なかったとは…「よっぽど」なんですよね(というかローンで家建てていたんですね。てっきりヤマト一発で建ててもらったのかと…)。
十年以上(かな?)サスケの留守を守ってきたなんて…世間ではまだ「うちは」への風当たりも強いだろうに、サクラもサラダも「うちは」の家紋入りの服を着て「うちは」の家紋入りの家に住んでいる… サクラの「努力家」っぷりがハンパないことは知っていましたが、それにしても随分と一人で「頑張って」きたんじゃないのかな…だから緊張の糸がプツンと切れて…気絶しちゃったんじゃないだろうか…。
・サクラの「大丈夫!」
そして特に気になってしまったのが…サクラの《大丈夫!》。
「パパとは気持ちがちゃんとつながってるから大丈夫!」
サクラは「涙を流すサラダ」をいたわるように「大丈夫」というのですが、でもサラダは「何でそんなこと…ハッキリ言えるの?」とズバリなんですよね(この子にごまかしは効かない)、サクラの「大丈夫」の脆さ…「大丈夫」に何の根拠も無い事を見抜いちゃっている(洞察眼はさすが)。 前述の《そもそも忍者って何?忍者になったからって何?》的な徹底した掘り下げ発想で、「なぜなら」が語れない「根拠のない曖昧な言葉」にサラダは納得できない。
そして「大丈夫」と言えば…(ちょいと古い世代の私は最近の「大丈夫」という言葉の使い方にもモヤモヤしておりますが…って話はさておき)…20巻、病院の屋上でナルトとサスケが戦おうとした時、泣きじゃくるサクラにカカシが『大じょーぶ!また昔みたいになれるさ』と言って慰めた事があったんですよね。…でも、結局全然「大丈夫」じゃなかった。
それで51巻、カカシが(サスケとサクラの前で)「お前を安心させようと無責任な事を言った…自分自身に(大じょーぶと)言い聞かせてたのかもしれない」と謝罪したことがあったんです。
「大丈夫という言葉を無責任に使った」ことへのカカシの謝罪…カカシが教え子に「謝罪」するなんて初めての事だったし、サクラは驚きつつも真剣にその謝罪を受けていたんですよね…だからサクラ自身「大丈夫」という言葉を無責任に使わないだろうと思ってたんですが、今回の「大丈夫」は前にカカシが言ったような「自分自身に言い聞かせた」大丈夫に聞こえてしまう…。 それだけどうしようもなく「不安」だって事なのかな…。
サクラが言っている「気持ちが繋がっている」ということ…これもNARUTOではちょいちょい登場しますが、正直言うと《それってどこまで信じられるのか》と思ってしまう事もあるんです。 気持を信じられるほどの「強さ」を、誰もが持っているわけじゃないのでは…ってね。
サクラとサスケの間には、きっとしっかりした「気持ちの繋がり」があるのだろう…とは思っていますが、でも…10年も会ってなかったら、サクラにも「不安」はあるんじゃないだろうか…? 何らかの「よりどころ(根拠)」が欲しい…そう思ってしまうのが自然なんじゃないだろうか。
サラダも、そしてサクラも…サスケと気持ちが繋がっているとハッキリ言える何か、「なぜなら…」と続けられる言葉を、探しているんじゃないだろうか…
・他の方じゃ分からない大切なモノ
気絶したママをシズネのところに連れていって「お願いします」なんて頼んだり…サラダの「しっかりしたところ」には恐れ入ります。 彼女が「他の方じゃ分からない大切なものもいくつかありますから…」と言って、崩壊した家で真っ先に探し出したのは…《家族写真》でした。サラダにとって「大切なもの」はパパとママと自分が写った写真…
「写真」といえば「つながりの証」としてしばしばNARUTO-ナルト- に登場しますよね、「第七班」の写真や「ミナト班」の写真… サラダの家でも「家族の写真」は「第七班の写真」の隣に飾ってありました。でも…「第七班の写真」は4人が一緒に写った集合写真だけど、サラダの家の家族写真は…一緒に写った写真じゃなくて「寄せ集め」。しかも、壊れたフレームから出てきたサスケパパの写真は、実は“鷹”の写真で…そこにサクラとサラダの写真を重ねたものに過ぎなかったというね…サラダにしては「衝撃的な」ものである事が判明してしまうのです。 サラダにとっちゃ唯一の《家族》の証拠であり、ものごころついた時から会ったことが無い「パパ」とのつながりを示す「ただ一つの大切なもの」だったのに…それが「寄せ集めてつくられた物」だったとしたら…
(サラダが、サスケの写真を持つ指に思わず《ギュッ》と力をいれた時、「ん!」と何かに勘付いたサスケ…700話でも似たような「場面のつなげ方」がありましたっけ。 キッシーお得意の「場面転換の手法、場面のつなげ方」…相変わらず巧みですねぇ… って、読者が何で上から目線…)
そもそも十年(ぐらい)里にも帰らず、家族にも会わず…って、一体サスケは何をしているんでしょうね。 少なくともサクラとサラダをずーっと放置しているほどの「相当な理由(なぜなら)」があるんだろうと… もしそうでなかったら、それこそサスケはサクラに怪力で100メートルぶっ飛ばされてもいいレベルなんじゃないか…とも思います(笑)
699話でサスケが言っていた「気になってる事」ってのが、私もひじょーに気になってるのですが… 結局、NARUTO全72巻中では「カグヤ」や「トビ(グルグル)」、「霧隠れのマダラさん」等よく分からないまま終わってしまったし、私としては「イタチがサスケに最後に見せた、自分自身を語る記憶(映像)」とは実はイタチがサスケにそっと託した「課題(この世界の謎を解くヒント)」じゃないかと思っているのですが…サスケがそれを基に「まだ解き明かされていないこの世界の謎」の答えを探しているのではないか…なんて勝手に想像しています(というより、これは「願望」かな)。 正直、そのあたりは「まったく描かれない」かもしれませんが…
NARUTOの物語では「世界の平和」という大きな方向へ、話が外へ外へと広がっていったけど… ボルトの物語では「家族」という最も小さな方向へ、話が内側へと向かっていくのでしょうか。 699話では、サスケが「分かり合うことのむずかしさ」として「大きなものなら なおさらな(簡単にはいかない)」と言っていましたが、「小さなものこそ、なおさらな…」なのかもしれません。 案外とあの「カグヤ」も、大きなものを守ろうとした為に、小さな「一番大切なもの」を失ってしまったんじゃないだろうか…
さて、このあと“鷹”の写真を手掛かりに、サラダがどうやって「つながり」を見つけていくのか…次回が気になりますが、次は連休明けなんですよね。
久々の「感想」で上手くまとめられず、話も逸れ気味で長文で(ま、これはいつもの事だけど…)読み落としや間違いも多々あるかもしれません。 とまぁこんなですが…また次回「700+2話」も(そしてその前に小記事も)お付き合いいただけたら嬉しいです。
☆長駄文、読んでくださって感謝…
☆下書きした原稿の一部が抜け落ちていた事に気付きました(29日)。その分、一部追加しておきました(他の方じゃ分からない大切なモノ、の部分)
☆にしても、サラダはうちはで「近眼」って;写輪眼は使えないのだろうか?
もし「うずまき」の血を引いているのだとしたらボルト同様に「眼と獣」両方の力を受け継ぐ事になり、瞳力も使い放題になりそうなものですが…
サラダに「感知」の能力などないんだろうか…等々いろいろ気になります。
NARUTO最後のほうで香燐がいきなり「クシナ並みの能力」を開花させたり…あの描写もちょっと気になります。
☆アカデミーでボルトの隣に座っている、大筒木一族っぽく顔色のよくない子(?)は…誰なんだろう(知っている方は教えてください)
☆シズネが若い…術使っているのかな…
☆GWに入るので、その間にこの前アップし損なった雑考(雷影エーの話)や軽めの雑談記事でも…と思っています。出来ればだけど…
☆久々にコメント欄も開かせていただきますので、ご意見いただけたらうれしいです。どうかお手柔らかに…
(ナルト好きブログ! 2015/04/27)