ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

雲隠れのエービー兄弟の「物語上の役割」について少々。

雲隠れのエービー兄弟の「物語上の役割」について少々。

 この前の外伝(700+1話)で、チョウジがポテチ(ガルBポテート)を持ち歩いていたのを見て、相変わらずだなぁ…と、なんだか和みました。 だけど、チョウジとカルイが結ばれるとは…まったく想像もしてなかったなぁ…。

 後付け的に考えるなら、たしかにカルイが呟いていた言葉は伏線ぽかったし(木ノ葉の背の高いセレブなイケメンに告白されるかも…という例の妄想)、実際にその条件にチョウジはピッタシはまっていた…(戦争中「超倍化の術」でチョウジは誰よりも背が高いイケメンセレブになりましたもんね)。 そして、カルイがチョウジに惹かれたのは《高身長イケメンセレブ》というだけじゃなく、700+1話のように《街中で堂々とポテチを食べ歩いている姿》を見たからではないか…なんて想像しています。 
 なにせ、雲隠れは《ポテトにマヨつけるのもご法度》(?)な里だから(?)、カロリーなんて気にしない「ポッチャリ系」チョウジの存在は、カルイにとって新鮮(衝撃)だったのかもしれない…  …なんて、色々と後付け的に想像出来るのも「今は結果が分かっているから」。 読んでいた当時は、カルイの妄想発言やオモイの「ポテトにマヨ」発言、それとチョウジのポテチを関連付けて考えたりはしなかった…。

 チョウジとカルイの話みたいに、「その時にはあまり気に留めなかったような話」が、後になってからジワジワと効いてくる…そういう例はいくつもありますが、雷影エーとキラービー兄弟の「兄弟エピソード」もその1つだと思っています。 
 彼らエービー兄弟の「兄弟エピソード」は、NARUTOの物語の「メインステージ」に登場するほどの話じゃないような気はしますが、しかしナルトやサスケのストーリーにじわじわと影響を与え、深い味わいを加えていた…という事に「今だからこそ」気付く。

 さて…その「エービー兄弟のエピソード」なんですが、大まかに2つに分けられると思うんです。で、それぞれ「ナルト」と「サスケ」に絡みつつ、絶妙なタイミングで挿入されていきます。たとえば…

 まずエービー兄弟「1つめの兄弟エピソード」は、44~50巻あたりで語られる《弟を守ろうとする兄と、そこから逃げたい弟の愛情エピソード》… ビーが“暁”(サスケ)に連れ去られてからエーに見つかって里に戻されるあたりまでの物語。

 何が何でも弟を守ろうとする愛情たっぷりな兄と…兄の思い通りにはならない弟の話なんですが、これってちょっと「イタチ兄さんとサスケの話」にも似ているような気がするんですよね。 そして、この「エービー兄弟1つめのエピソード」に大きく関わったのは『サスケ』です。

 で…この1つめのエピソードの頃の「サスケ」と言えば、イタチの真実と愛を知って、兄が望んだ道を拒否し、兄の愛情から逃れる様に「迷走」し始めた頃でして… ちょうどその頃に「エービー兄弟の話」が登場するのです。兄の愛情と、弟の想い…まさに絶妙なタイミングで重ねられています。

 ビーも、兄エーによって「守られ、決められた生き方」に少なからず反発しているのですが、けして「迷走」はしていない… それは以前、ビーは兄から「愛情の言葉」をもらっていたからであって、いずれサスケもそれを兄から貰う事になるのですが…

エービー兄弟の話は「サスケ」がキッカケとなって始まる訳ですが、サスケはビーと戦い、さらに雷影エーとも戦って「エーのビーへの想い」を目の当たりにします。  もっとも、この時点でサスケが「エーとビーは兄弟」という事を知っていたかどうかは不明で、おまけにサスケはエーとの戦いで「兄弟愛」なんて感じる余裕も無かったとは思うんです。 しかし、エーが《弟のためなら左腕を失うことさえ躊躇しなかった》愛情の強さ、想いの強さを目の当たりにした経験は、のちに…しばらくして物語のエンディング辺りでサスケに「効いてきた」のではないか…なんて思っています(699話で、サスケが「ナルトが片腕を失ってまでして自分を止めてくれた“想い”」について語っている部分)。


 そして、エービー兄弟「2つめの兄弟エピソード」は、52~57巻あたりで語られる《本当の兄弟》についてのエピソード。 兄弟がついに拳を交して腹の内を見せ合い…そして互いの信頼関係や愛情を再び築く物語です。
  
 弟を外の世界に出したくない兄エーと、自分達が決めた道を行かせてほしい弟ビーがついに拳を交し、兄弟で「自分腹の内」をぶつけ…そして兄は弟を信じて「行かせる」ことにするのですが、この部分については61~62巻のイタチがサスケを「行かせる」決意をした物語ともよく似ています。 しかし、この2つめの兄弟エピソードに深く関わっているのはサスケではなく、今度は「ナルト」。

 この2つめのエピソードでは、驚きの新事実《エーとビーは本当の兄弟ではない》ことも明かされるのですが、ちょうどその頃、ナルトは『血の繋がりの無いサスケの事を、本当の兄弟のように思えるだろうか』という事で悩んでいたんですよね…まさにこっちも絶妙なタイミングで挿まれたエピソードです。

 少し前(40巻)にイタチに会った時は『アイツのことを兄弟だと思ってる』とキッパリと語ったものの…ナルトがビーと出会った52巻の頃は、ナルトがサスケの事で悩んでいたピークの頃でして、《アイツの中にも…》と「似たようなチャクラ(インドラのチャクラ)」を感じ取り、サスケとどう闘ったらいいのか、どう受け入れるべきか悩んでいた頃だと思うんです。 
 で…57巻538話では、それを心配した九喇嘛がナルトにツッコみを入れ(詰問)、ナルトは「サスケはどうにかする」と答えてはいたけれど、九喇嘛から見ればその考えはまだまだ「甘い」ものでした。 ナルトの自信に溢れている(ようにみえる)言葉には、裏付けが無かったのですから…。 

 しかし、その直後にナルトに転機が訪れます(540話)。57巻540話~543話で、ナルトの目の前でエービー兄弟は互いの想いをぶつけ合って「拳をぶつけ合う」…。

 ナルトが「エーとビーは本当の兄弟ではない」と知っていたかどうかは定かではないのですが、拳を合わせた時に知っていたか…あるいは知らなかったとしても「拳を合わせて想いを伝えあう本当の兄弟」の姿をナルトは見せてもらった事になります。あの時エーとビーが交わした「本当の兄弟」としての言葉を聞き、彼らの行動を見たことは、自然とナルトに経験として蓄積され、具体的なビジョンとなっていったのではないか…なんて思っています(おそらく無意識の意識で)。

だから…40巻でイタチに「アイツのことを兄弟だと思ってる」と語った時の表情は、こんな感じだけど…↓(イメージ)

イメージ 1

 言葉こそ「キッパリ」だったけど、あくまで「そのつもり」という決意表明であって、まだ先は見えていない… 想いだけが先行して「不安」を自分で打ち消す為の表情にも見えるんです。

そしてその後(52巻)、その「不安」を示すような表情を、こうやって腕で隠していたりするのですが…(↓)

イメージ 2

ところが「エービー兄弟の拳での和解」を見た直後である58巻では、穢土転イタチとの再会時に…ナルトはこんなにスッキリとした余裕の表情で、イタチにこう言えたのです(↓)

イメージ 3

「後はオレに任せてくれ」
(模写では上手く伝わらないので、是非本物を見て下さいな…)

これは「エービー兄弟の絆」を見せてもらったばかり、なにせその「直後」ですから、この時のナルトは「エービー兄弟の絆」を無意識に意識していたんじゃないか…と思うんです。それが裏付けのある自信となり《アイツのことを兄弟と思ってる》という言葉にもホンモノの自信を持つことが出来たんじゃないだろうか(と思う)。


 『ビーの為なら片腕がもげても構わなかったエー』を見たサスケは…699話でナルトの事を『片腕を失ってまでオレを友として止めてくれた』と語り…
 『想いを拳に乗せてエーにぶつけたビー』を見たナルトは、『想いを拳に乗せてサスケにぶつけた』… 
 エービー兄弟の《兄弟エピソード》も、ナルトとサスケが最後に辿り着いた答えに(目立たないけど)ちゃんと影響を与えている…。

 エービー兄弟のエピソードが挿まれた事で、戦争編がより長くなっちゃったわけだけど… しかし、ナルトとサスケの物語に「エービー兄弟の物語」が絡むことで、物語のテーマがよりハッキリとし、ナルトとサスケの言動も「薄っぺらなモノ」ではなく裏打ちされた「確かな分厚いもの」になっていく。
 こういった「ひと手間」が、NARUTOを『何年経っても色褪せない、何度読み返しても面白い』漫画にしているんじゃないのかな…なんて思ったりするのです。




☆長駄文、読んでくださって感謝。次のジャンプは11日…




(ナルト好きブログ! 2015/05/07じゃなくて/08)