ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 700+3:邂逅(1) 今週のジャンプ・ナルト外伝感想  (WJ25号)

NARUTO 外伝 700+3 邂逅(1)

 今回は感想up時間がはっきりせず、遅めになりすみませんでした。
 それにしても、短期連載だけあって話がサクサク進んでいきますねぇ…! そして今回も、前回の暴走(気味な感想)をさらに加速させたくなるようなお話でもありました。 だけど、それ以上に心動かされたのは、ボルトやサラダの「優しい気持ち」…子供が親を想う気持ち、想いを届けたいと思ってるその優しさでした。

 さて、サスケと合流するため里を出立するナルトと、それぞれの自分探しの旅に出るサラダとチョウチョウ… 大人から見たら、彼女達の旅の目的はどちらも「子供っぽい冒険」かもしれないけど、でも本人達はいたって真剣、本気… だけど初っ端から、彼女たちの旅は意外な方向へと向かいそうで… 

・ボルトの想い

 “謎の少年”ミツキを従えて「弁当のお届け」に来たのに、ちょっとのところで間に合わず、しかも《親父は「分かってたのに」待たなかったらしい》と知って、ボルトは《なるほどね…》と吐き捨てるように言う…。 それと似たような表現をしていたのが、700+1話での「本物のクソオヤジは《当然》仕事だよ」の《当然》…
   直接本人にぶつけられない「怒り」を、イライラとした言葉にぶつけてる感じなんですよね、ボルト。

 ナルトがシカマルに託した「ボルトに謝っといてくれ」の言葉には、弁当の事だけじゃなく色々な意味、想いがあったのかもしれないし(表情的にもナルトは「分かってる」感じだった)、ボルトの気持ちを平気で踏みにじるようなナルトじゃあないと思うのですが、そこはあえて置いといて…今回は「ボルト目線」を追ってみることにします。

 実は、今まで「ボルト」について、こう思っていたんです… いくら親父さんが多忙で構ってくれないとしても、ボルトには優しいヒナタ母ちゃんが居るんだから、それだけでも十分幸せで有難いことでしょーよ、ってね。 
 だけど今回のボルトの「クソオヤジへの怒り」は、「自分がせっかく届けに来たのに待ってくれなかった事への怒り」というよりも「せっかく母ちゃんが父ちゃんの為に弁当を作ったのに、それを受け取らなかった事への怒り」だったらしい。そうか…優しい子なんだなぁ…ボルトって。

 ボルトが「日頃から」母ちゃんのことを気に掛けていたであろう事は、「イヤ…いい…持って帰って母ちゃんに思い知らせてやる!母ちゃんが作って持たせるの知ってて…これだからよ…」の言葉からも伝わってきます。「思い知らせてやる」ってのは…“懲りずに”ナルト父ちゃんに尽くしている(ように見える)母ちゃんの姿を、ボルトはいつも気にしていた…ってことでしょうか。 母ちゃんの想いが父ちゃんに伝わってないような気がして、それがすっごく「悔しい」んじゃないだろうか。

 ボルトが思い浮かべている『ヒナタ母ちゃん』の顔は…《控えめで優しそうで、いかにもヒナタらしい顔ではあるんだけど、斜め下を向いたその表情は…ちょっと寂しそう》なんですよね。 

実際には、ヒナタは「寂しい」とは意識してないかもしれないし、火影の妻として「ナルトと横に並んでいる」つもりかもしれない。だけど、少なくとも「ボルトの目に写る母の姿」はいつも寂しそう…っていう事なんじゃないだろうか…?
  
 ミツキに「まだ追いかければ間に合うんじゃないかな」と言われても、ボルトは追いかけようとしない…サラダが「届けてあげようか」と言っても拒否。
でも本当は、弁当を持ち帰ったら「母ちゃんがかわいそう」だって思ってるからこそ、ボルトは間に合うように急いでクソオヤジを追いかけてきたんですもんね。

(そして、サラダの表情が、ボルトの言葉で変わる…)


・「怒り」じゃなくて「愛」ということ…

 サラダが「そのお弁当私が届けてあげようか」と言いだしたのは、最初は「七代目を追いかけるいい口実」になるから‥だったかもしれません。 だから「作り笑顔」でボルトに近づき、いかにも演技臭く「ね!チョウチョウいいでしょ?」なんてヘラヘラっと調子を合わせたりして… だけど、ボルトの「持って帰って母ちゃんに思い知らせてやる!母ちゃんが作って持たせるの知ってて…これだからよ…」の言葉に、急にサラダの表情が「……」と一変する。 一瞬、心の奥でズキーンと何かが響いたような顔になって、すぐに毅然とした表情で「私が届けるって言ってんの」ときっぱり。

「届ける人がハッキリと分かってるなら迷う事もないじゃん… 
それなら…… 私にだって届けられる!」

「……それに… お弁当ってただ食べるだけじゃないでしょ?」
「作ってくれた人が特別だってちゃんと分かってる時には…」

「……」

 その言葉に、ボルトはヒナタ母ちゃんの顔を思い浮かべ「なんなんだよ…お前…」とブツブツ言いながらも渋々サラダに弁当を託してる。 自分のホントの想いがサラダにバレている事に、ちょっと複雑な気分になっちゃっただろうか…。
 こういう時のボルトって、すごーくヤンチャな「クソガキっぽい表情」をしてみせたかと思うと「すごく思慮深い表情」をしてみせたりする…両面を持ってるんですね。

 そしてサラダの表情が変わったのは、なぜなのか… ボルトは「父ちゃんへの怒り」でイライラしていたけど、そのイライラの原因は「母ちゃんの想いが父ちゃんに伝わってない」と思ったからであって…そしてボルトが必死にナルトを追いかけてきたのは「母ちゃんの愛を届けたいから」だった。 
 サラダは、そんなボルトが「自分と似ているかも」と気づいたんじゃないだろうか…? 

 サラダも、ちょっと前まで「自分の出生」や「メガネ疑惑」などの不安をどこにもぶつけられず、「怒り」でイライラしていたけど、そのイライラの原因は「ママの想いがパパに伝わってない」と思ったからでもあって、パパに会いたいのは「ママの想いを届けたい」って気持ちもあるんじゃないだろうか。 サラダがパパに本当に伝えたいのは「怒り」じゃなくって「愛」なのかもしれないって事に、ボルトの言葉で気づいたのかもしれない。

チョウチョウにも「怒ってるよね?」と指摘されていたサラダだけど、ボルトからお弁当を預かって走り出した時の表情は、すっかりスッキリしたいい表情になっている…… サラダの背中を見送るボルトの表情も、それまでの強がった表情じゃなくって、素直に何かを考えている表情… サラダの背中に「自分自身の想い」を見ているんだろうか。


・お弁当という「愛」…

 「お弁当」って…作るの大変ですよね(って突然ですが)。 

 それなりに「品数」がいるし、栄養のバランスも、色どりとか見た目も考えなくちゃいけないし、食べやすさとか、汁っぽく無いものとか傷まないものとか、毎日同じじゃ無いものとか、好物を入れるとか…もろもろ… とてもじゃないが「愛」無しには出来ませんな…。お弁当って、まさに「愛」が形になったようなもの。

 作ってもらう側も、もちろん心の中では感謝してるハズだし、有難さも分かってるハズなんだけど、うっかりすると「当たり前」になってて…「あのおかずはイヤだった」なんて不満まで言っちゃったりしてね…。 でも、作った側は、そういう言葉に傷ついちゃいますよね…一生懸命想いをこめて作ったんだから。 そのかわり、「おいしかったよ」とか「ありがとう」って言ってもらったら、作った側はどんなに嬉しい事か…(そういうもんですよね…?)

 忘れちゃいかんのだと思います、「当たり前」にしてもらってる事への「感謝」の想いとか…そして《ありがとう》の言葉ってのを… それは「お弁当」に限らずの話なんですが(自戒の念を込めて)。 
 親や周囲が自分(達)の為にしてくれることへの感謝とか…そして、もっと大きな意味での親ともいえる「自然」が人間にもたらしてくれる事への感謝とかも…やっぱり忘れちゃいけない。 

 (…でも忍達も、すべての「祖(親)」と言える存在への感謝の気持ちを、忘れてる… 日ごろ当たり前に使っているチャクラとか、その祖である自然エネルギーへの感謝ってのを…)

 サラダの「届ける人がハッキリと分かってるなら迷う事もないじゃん… それなら…… 私にだって届けられる!」のセリフなんですが、この先「重要なセリフ」になりそうなニオイがプンプンします(笑)…読み進めるうちに、この言葉の意味がさらに分かっていく…みたいな… だから、この言葉の「雑考」はもうちょっと先までとっておこう…と思います(と逃げる)。


・…にしても、ボルトと一緒に来た「ミツキ」。

 あらためて「ただ者じゃあないな」と思いますね… 前回も、チョウチョウに「悲劇のヒロイン症候群」と言ったり、「家紋」の話題を出したり、今回もいたって冷静で、見た目こそ「ボルト世代」の子供ですが精神年齢的にはずっと大人…あるいは背伸びしてるだけかもしれないけど、とにかく頭のキレとボキャブラリーの豊富さは、どの子達よりも「上」っすね。 空気を察してチョウチョウを連れ出したり、「告る気?」なんて相変わらず勘違いのチョウチョウに「症状…進んでるね」と指摘したり、ここまで冷静に客観的に分析するミツキって、何者なんだろう…。
それに、彼が何をチョウチョウに語ったのか分からんのですが、戻ってきたチョウチョウは「文句言わずにサラダとお弁当届けに向かい始める」…ミツキは何を話したんだろう…?(チョウチョウは相変わらず勘違いしてるけど)。 この年齢にして、この分析力、話術…

 それに「ボルト」にいつも寄り添うようにくっついているのは、なぜなんだろう…? 空気を察してチョウチョウを連れ出したり、ボルトの心を見透かすように「まだ間に合う」と言ってみたり、ボルトにくっついているのも「彼なりに思うことあって」のような気さえします。 ホント、この子の「姓」が気になっちゃう…大筒木とか…羽衣とか…色々想像してしまいますが、「白黒半身ずつカラー」の服装は「ただのデザイン」なのか、それとも……。

(それにしても、シカマルは「チョウチョウとサラダの旅」を止める様子もナシ。子供だけで里の外に出ていいのかな? 前の時代だったら、許されなかったと思うのに)。


・遂に姿を現した…??

 そして、彼らの様子をこっそりと見張っていたのは…

この前の少年ではなく、今度は「これ」…↓

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《ギロリ》

これって…「十尾」? (姿は未熟というか子供みたいな不完全な姿だけど)

 前回の感想で「十尾」の話を出したばかりなので「いきなりですか…」という感じなのだけど、前回の十尾話題はそれほど「大暴走」でもなかったかな…;
 正面から見るとかなり不気味でブサイクだけど、後ろ姿はちょっと可愛らしい…(尻尾は1つ)。 とはいっても「NARUTOのマスコットキャラクター」になれるかどうかは…かなり微妙。 

 もしかしたら、今までサスケが感じてきた「気配」とは、「これ」だった可能性もありでしょうか。 もし、あの気配が「これ」だったとしたら、アレは「自然エネルギー」そのもの…「感知」できるようなものではないし、「自然エネルギーに対して敏感な人」だけが「気配」として感じ取れる…のかもしれない(柱間やサスケとか)。
 でも、前回も「気配」と共にあの写輪眼少年が現れて、今回もサラダの前に「突然」写輪眼少年現れている事を考えると「これ=写輪眼少年」じゃないかとも思ったのですが、しかし《220頁の「これのちょっとかわいい後ろ姿」の画と、221頁の「フード男の後ろ姿」の画が、全く同じポーズで描かれている》事にも意味を感じてしまいます…まるで「こいつらは同じ」と言ってるかのようで。

・視野共有の話

  そして《ギロッ》と睨んだ十尾っぽい子の眼は、前回のフード男と(そして少年と)視野を「共有」しているらしい。
 写輪眼の視野共有は、本来「同じ眼」でなければ出来ないはずなのだが(オビトとカカシの視野共有のように)、フード男(今回半分顔出し)の目の周囲に「黒棒」が多数刺されている事から、「黒棒」が送受信機の役割を果たして映像を見ている可能性もあるだろうか(ペインと長門間での黒棒通信のように)。 
 そして、今回フード男はとりあえず「右目だけ」のご登場…今の時点では「左目」はどうなっているのかは不明です。 右目と同じ状態なのか、あるいは「無い」可能性もある。「十尾っぽいアレ」と左右の眼を分けっこしているのかもしれないし、 そして写輪眼の少年も「見えた」と言っているので、この子の眼もあの十尾っぽいアレの見たものを見ている。うーん…彼らに共通して在る同じチャクラが、その共有を可能にしてるのでしょうか。

 「視野の共有」といえば、前々から気になっていることが1つありまして…それは63巻で登場したマダラ爺ちゃんには当時「右目が入っていなかった」という事なんです。

 おそらくアレは「外の世界に居る何者か」に「対(ペア)となる左目」を与えていて、その人物と視野を共有して「外の世界を観察」しており、その人物を「眼」を通して支配し、指示出しをしていたのではないかと思われるのです(「その人物=もう一人のマダラさん」が霧隠れを瞳力で支配していた可能性は高い…と思う)。
 あの時、マダラ爺ちゃんは「この体では外に出られん」と言ってましたけど、それは「別の(右目のほうの)身体では出られる」という意味だったんじゃないかな…とも考えています。

 「わざわざ左目だけのマダラが登場した」のは「ワケあり」だと思うし、物語の終わりのほうで「カカシとオビトの視野共有」の話が出された事も「ワケあり」な気がするんですが、その「ワケ」も明かされないままNARUTOは終了してしまいました。 出来れば、これらの気になるモロモロも「スッキリ」させて頂きたいものですが‥(願望)。

 そしてもう1つ気になるのは、例の「黒棒」…外道魔像から生まれる「カグヤの意志」、ようするに「神樹の意志」とでも言いましょうか…まだまだコレも謎に満ちています。

 今回のフード男の目の周りに黒棒が刺されている理由…それがひじょーに気になります。 長門の場合は背中のあたりにグサグサと棒が刺さっており、全身に黒棒を刺したペインにチャクラを送受信して操っていましたし、マダラはオビトの右半身に埋めた黒棒で操ったりしておりました。 でも、このフード男の黒棒は「目の周り」にやたらと集中している…(体はどういう状態か見えないのだが)…『目』に集中的に送受信…まるでこの人物の「本体」は目だけなんじゃないか…いや「本体」は目に宿る「チャクラ」なんじゃないかとも考えてしまいます。

 身体よりも、眼…「眼に宿るチャクラ」のほうが、この存在の正体なんじゃないだろうか、と…


・「うちはシン」…

 それが、あの写輪眼少年の「名前」でした。  シンって…「神」?
 偶然かもしれませんが、シンが今回出現したのは奇しくも神社前…

(うちは一族は…もうパパ以外いないってママが言ってたのに)
(サラダの心の中の言葉)

 《うちは一族はもうパパ以外いない…》… それを聞くと、かつてイタチが言っていた「マダラは生きている」ってのは、結局何を意味していたんだろうか?とまた考えてしまうんです。 長門の目のことを言っていたのか、オビトの事だったのか…マダラの意志の事だったのか…でもそれだけじゃあないような、ザワザワした気がしてならんのです。

 サスケとの闘いの中で、イタチは時間をかなり割いて「マダラ」について語ったり… 再会時も、最後に念を押すように「マダラ(仮面)」についての記憶を見せたのは、なぜだったんだろう?…イタチは何を語りたかったんだろう?
  イタチ自身もまだ「真実」が分からず、「サスケの目」だったら真実が見えるかもしれないと…後を託したんじゃないか…なんて思ったりもするんですよね。

 あのフード男が何者であるにせよ、「うちは」への強烈なこだわりがあり、「サスケ」への強烈なこだわりがある…。「全くの新キャラ」かもしれないけど、もし、万が一、「過去に登場していた事がある」としたら、それは…「人物」というよりも「チャクラ」として登場していたんじゃないだろうか…?

 かつて、イタチに「オレは里にもうちはにも恨みがある」と言って、うちは一族抹殺の協力をした「チャクラ」で…
 九尾事件で「(人柱力の出産という)このわずかな隙をどれほど待ったことか」と言った「チャクラ」で…
 宿屋にナルトを訪ねて「うちはの血塗られた運命」を語り、「サスケをお前にぶつける」と言った「チャクラ」で… 自分自身の目的について「完全体になる事」と言った「チャクラ」で…
 637話でサスケに「何をもって終戦と決めつける…裏切り者の同胞よ」と言った「チャクラ」ではないだろうか…?

 あえて「人物」ではなく「チャクラ」と書いたのは、正体を考えるうえで重要なのは『外見上の身体(器)=人物(仮面の男やオビト)』ではなく、『その目に宿ったチャクラ』のほうじゃないかと思うからです。 …そのチャクラが器である人物の眼、体を通して「語っていたのではないか」と考えてしまうんです。

 そのチャクラとは、黒棒に宿ったチャクラ…そして上記の「過去に登場した、チャクラのセリフ」の数々とフード男の言動は「きわめて酷似」しているように思えてならんのです…まだあのフード男の言動がちょっとしか出ていないので、判断するのは時期尚早とはいえ…

(ちなみに「チャクラ」が別の人物の眼に宿れば、器となった人物の眼に変化が生じ、「チャクラ」の能力や意志も「器」に宿る事が、71巻の「カカシの右眼にオビトのチャクラが宿って右眼が変化した事」によって証明されている)。

 フード男も肝心なのは「眼(に宿るチャクラ)」であって、身体そのものは(顔を見ても)「形骸化したような体」じゃないかと思うんです。 そしてそれは、五影会談で「仮面男」が自分の事を「今のオレは形骸化した存在」と語っていた事を思い起こさせます。  あの時、仮面男は五影の前で「自分の目的」についても「本来の自分に戻るため」とも語っていた…これも大いに気になるところです(これは「オビト」の言葉としては不自然)。 このセリフも、仮面男の「器」ではなく「その眼に宿るチャクラ」が語っていた…とは考えられないだろうか。かつての「仮面男」のセリフの「違和感」については、過去の雑考、感想で度々述べてきた事なのですが、ここで書いていくと長くなっちゃうんで別の機会にまとめますが…  
 
 そして、シンはこのフード男の事を『父様』と呼んでますけど、それは本当の父親なのか、それとも「父親のような存在」という意味なのか… 以前「黒ゼツ」がカグヤの事を「母さん」と呼んでいたのと似たような関係なんだろうか…?
 しかし前回は「無感情無表情」に思えたシンも、今回見た限りでは多少の感情はあるようで、表情にも変化が見られます。シンは「父様」の命令を「絶対」と言って従っていますが、それは服従させられているだけなのか、それとも「父への想い」があって自らの意志で従っているのか…そのあたり「彼の心の内」は今後の展開と共に楽しみでもあります。

 で…ちょっと話が逸れますが、「カグヤ」の夫…つまりハゴロモ達の「父親」って誰(何)なんだろう…って思ってしまうのですが、フツーの「一般の方」なのか、あるいは処女受胎的に未婚のまま「取り込んだ神樹の実の子」を産んだのか、とか…   
 ま、結局答えは分からなかったんですけど、いずれにせよハゴロモ達は、カグヤが「神樹を取り込んでから」生まれ、本来十尾のものである能力を受け継いだのだから、彼らは「神樹=十尾の子供」でもある…ようするに、ハゴロモ達の子孫である今の忍達は「十尾の子供」とも言えるんじゃないだろうか…?

 しかし時代の流れと共に「血が薄れ」、十尾直結の能力は薄まっていって、もはや自分たちのルーツが「十尾」だなんて思う忍はいないかもしれないけど、しかし時が経って忘れた頃に「柱間」のような、「十尾の能力である木遁」を使う忍が現れたり、「ナルトとサスケ」のようにかなり先祖返り的な能力を持った忍が現れる事があるのは、「本当の父ちゃん、母ちゃん(御先祖)は誰なのか」という事を思い起こさせる現象とも思うのです。 
 そう考えると、サラダの「香燐似」も、直接の親がどうのこうのという話ではなく「先祖の血」の共通点が現れた例の1つ「かも」しれないけど… 

 ようするに何が言いたいかっていうと…時と共に人間は「十尾が親とも言える存在」ってことを忘れていってるんじゃないだろうか…という事です。

 結局、前の戦争では出来なかった『カグヤ(あるいは神樹)という親と子供達の想いを繋ぐこと』…いずれは、その問題の解決も後の世代が叶えてくれるんじゃないか…なんて思ってNARUTOは終了したのですが、今回の「サラダやボルトのお弁当を届けたい想い」を読んで、もしかしたら彼らなら、それも出来るんじゃないか…なんて思ってしまいました。 


 ・ところで「シン」と「サラダ&チョウチョウ」の間でちょっとしたバトルになりましたが、驚きました…サラダとチョウチョウ、動けますな…! 

 まだアカデミー生の身分で、あそこまで出来るとは… 突然現れた不気味な相手との実戦にも、まったく動揺していないし、しかも「コンビネーション技」まで阿吽の呼吸でこなす。 ナルトは最初に出現した鬼兄弟を前に「動けなかった」けどなぁ… 平和な時代に生まれたはずのこの子達、大したもんですね。 
 もっとも(すぐに七代目が助けに来てくれたから)短い戦闘シーンではあったのだけど、それでもシンが使う鎖の「グィ~ンという伸び縮みする動き」の効果もあって、躍動が伝わってくるというか…短くても活き活きとした「動き」が頭の中でイメージ出来た戦闘シーンでした。

 「子供のケンカにしちゃあ…ちっとやり過ぎだな」って、ナルト…それって、かつて自分が言われたセリフですな… 「ケンカにしちゃ ちょいやり過ぎでしょーよ」って(20巻でカカシに言われてる)。 しかし、「いざという時に守るのが父親の役割」と四代目は言っていたけど、チョウチョウとサラダを守った「七代目火影」の「父親としての背中」が、やたらと眩しい… 
 「うちの里の子供達はしつけがいい方だと思うんだけどよ…」と語る姿は、まさに「里の子供達全員のお父ちゃん」。

ナルトは「里の忍達」の父ちゃん…そして、「全ての忍達の父、母」は…

 いつの間にか忘れられた「本当の意味での親は誰なのか」という事…「親へのありがとうの想い」… 
 そして愛情の行き違いに「怒り」ではなく「愛(想い)」を届けて「再び想いと想いを繋ぐこと」。 
 
いつか…ボルトたち世代が、そのテーマに向き合ってくれるんじゃないのかな…その先まで描かれるかどうかは分からないにしても。




☆長駄文、読んでくださって感謝。





☆ナルトが向かってい「錏(しころ)峠」…シコロって、兜の下についてるガードのようなアレの事なんですね。

☆ナルト、仙人モードでサラダ達を感知してましたが、ナルトの目の周りの隈取(自然エネルギーを取り込んでいる証)も、十尾っぽいといえば十尾っぽい訳で…

☆本来ならチョウチョウみたいな性格はうざくて「面倒」な事が多いけど、チョウチョウはそのズレ方が憎めないし、愛らしい… いいコンビ。

☆フード男、今回は“暁”衣未確認ですが、顔だち的には「鼻がボテッとしてる」…
うちは一族の中ではシスイの鼻的な形だけど、あくまでそれは「鼻の形」ってことで。問題なのは「その意思」であり、あのフード男の意思は「十尾」あるいは、自然そのものの「祖」っぽいと思うのだが…。

☆217頁のサラダとボルトの並んだ絵。ナルトとサスケに似てますね…

☆「お弁当」というと、25巻でミコト母さんが「あの日」の朝、フガク、イタチ、サスケにお弁当を用意して渡していた光景が忘れられません。あれも…





(ナルト好きブログ! 2015/05/18)