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NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 700+5:未来は 今週のジャンプ・ナルト外伝感想 その2(暁、復活)WJ27号

NARUTO 外伝 700+5 未来は その2 (暁、復活)

・そして「シン」と例のフード男とチビ十尾…

 驚きました…「シン」がいっぱい(見えているのは6体)…いや、まだ顔が見えた訳じゃないので「全員シン」とは限りませんが、一斉に《ハイ》と答えているし、ほぼ「同じ」感じ…まるで人形というか、白ゼツから豊かな感情を取り去って「忠誠心」だけを残した「写輪眼の人形たち」って感じがする(写輪眼が見えた訳じゃないけど)。 たぶんこれが「父様と子供達」って事なんだろうけど、なんだか多重影分身のようなシン達とチビ十尾達‥

 そしてフード男(今週ついに彼はフードを取ったので、別の呼び方をしないとならないのですが)…彼は腕にも頭にも「眼がいっぱい」で、まるで眼男(仮称)。 

 眉なし毛無の強面で、ダンゾウ以上に体に写輪眼をはめ込んでいて、「体(器)」に関しては昔の「大蛇丸の実験体」っぽい雰囲気。これだけの写輪眼を扱うには柱間細胞あるいは白ゼツ、十尾のような体、もしくは自然エネルギーを取り込める体でもないとダメでしょうけど、彼の眼はすべて「右目」と連動しているらしく、全てこの「右目」中心に動いているように見えます。 何の為に「眼だらけ」なのかは不明ですが、これだけの写輪眼をどこかで入手したのだとしたら、やっぱり気になるのは《暁アジトの大量の写輪眼》なんですよね。あの大量の眼が集められていたのは『暁のアジト』、さらにこの眼男が言っている『暁の復活』…これらは関係しているのだろうか。

 《眼男は、シンとチビ十尾と共に小高いところに立ち、その下に「うちは」の服を着たシン達(?)を従えている…》

 この絵を見て、42巻のイタチの話に出てきた「かつてのマダラ・イズナ兄弟に従ううちは一族の絵」(368話)を思い出してしまった… マダラとイズナが小高い崖の上に立ち、その下に「うちはの家紋」を背負った一族がひれ伏すように並び「兄弟はその瞳力をもってうちはを束ね…」と書いてある絵に似てるんです。《一族が1つになって、マダラ兄弟に忠誠を尽くしていた頃》のうちは一族の絵…多分マダラやイズナにとっては「良き時代」だった頃の絵に…。

 そして、この絵の構図は(「700+2話」の感想でも書いた通り)「構図そのもの」が何かのヒントになってるような気がしちゃうのです。《中心に居る「眼」、それをグルっと囲む「木遁」のような形(材質は岩っぽいのだが)…そして「眼」が従える多くの「うちは」一族…》 それが意味するモノは何なんだろうか、って。


「我々の目的の為… 今より事を始める…」

「暁の復活だ」

(眼男の後ろ姿には、ハッキリと暁の東雲模様が…)

やはり…そう来ましたか、「“暁”復活」…!!

・“暁”の復活

 で…分からないのは、なぜ眼男が「うちは」にこだわるのか、そしてなぜ“暁”を名乗るのかって事です。 “暁”を名乗り、“暁”の衣まで着ている事を考えると、かつての“暁”と同じ理念を持ち、かつての“暁”と同じような目的を持っている可能性が高い(と思う)。 しかも《復活》と言っているところ…そこに大きな「ヒント」があると思うんですよね。 

 「復活」ということは《もう一度》という事… もう一度作る、もう一度立ち上げるという事。  

 そうなると、かなり元祖“暁”に深く関わった人物(存在)じゃないかと思うんですよね。ちょっとバイトしてたことがあります…程度の関わりじゃあない。

そうすると、やはりコレが気になるんですよ…

《“暁”を弥彦に立ち上げるように仕向けたのはオレだ》 
(54巻、仮面が小南に言った言葉)

…あの時の仮面男の《オレ》と、今の眼男の《オレ》という存在は同一ではないだろうか?と…

どういう事かというと、上記の仮面のセリフは「オビトの中に同居していた《何者かのチャクラ》」がしゃべっていたセリフであり、そいつは今は「眼男の中」に居るのではないか…(分かりづらくてすみません)ということです。あくまで仮説の1つって事で… 
 同じ《何者かのチャクラ》が、かつてはオビトの中に居て「“暁”立ち上げを主導し」…しばしの沈黙の後、今では眼男の中に居て「“暁”復活を企んでいる」のではないか…という意味なんです。

 さらに、この眼男の「暁の名と暁の衣への執着」を見て思い出すのが、54巻小南と仮面のやり取り…

「その衣を着てるとはな… “暁”に未練があると見える」

 こんな事を言うなんて、逆に仮面のほうが「暁の衣」にかなりの執着があるんじゃないか…なんて当時思ったものですが、54巻のあの部分を読むと、どうやら小南と仮面の間では「暁の名と暁の衣に込めた想い」に関して認識が違ったらしいのです

 小南は、暁の衣の「赤い雲模様」について《雨隠れに血の雨を降らせた戦争の象徴》(弥彦発案)と信じていたらしいのですが、その後《暁の立ち上げも、長門に輪廻眼を与えたのも仮面(オレ)の仕業》と判明し、小南が考えていた暁の雲模様の「意味」も、事実上否定されてしまったのです。 
 しかし、結局…“暁”の「赤い雲模様」の「本当の意味(仮面が意図した意味)」についてはNARUTO完結まで明かされることはありませんでした。「暁」の名の由来も「暁の衣の本当の意味」も…謎のまま終わってしまった。 

 でも「暁(夜明け前頃)」という組織名から考えると、あの「赤い雲模様」は《夜明け前の、朝日で赤く染まった東の雲》と考えた方がしっくりくると思うんです(普通にね…)。 だけど、それだとその模様が象徴するモノは「闇の終わり、夜明け」であって、小南が考えていた「戦争」とはほぼ真逆… 
 それだけに《暁の名付け親》は本当は何者で、そいつの「思想」は何なのか…それをずーっと知りたいと思っていたんです。 それは、サスケに「猿飛サスケのサスケ」の名を付けたフガクの「本当の思想」をずーっと知りたいと思っているのと同じで… 

 暁はなぜ暁と名付けられ、サスケはなぜサスケと名付けられたのだろうかと。
「親の本当の想い」が知りたいのです。

 でも、もう「暁の話」は終わっちゃったし…と半ば諦めかけていたのですが、ここにきてこの展開…「もしかしたら今度こそ」暁誕生秘話と暁の本当の意味が明かされるかも…とちょっとだけ期待しちゃいます。ちょっとだけ…


・そして神速のバトル

 さて、いきなり眼男ご本人が出撃とは… それも時空間忍術で突然の奇襲、一瞬にして時空間より出で、すかさず攻撃…その「速さ」といったらまさに「神速」…さらに、それを余裕で防御してみせるナルト…

 《ヒュンヒュン》という刃が向かう音、それを《ガキキキン》とナルトが払う音…さらに《ギュンギュン》と刃が植物のツタのようにしなり飛ぶ音、それをナルトが九喇嘛の衣で《ガッガッ》と払う音…そのスピードと躍動が「効果音」と共に迫ってきます。 直線の剛い音と曲線のしなる音の臨場感が凄まじい…《ヒュンヒュン》《ガキキキン》《ギュンギュン》《ガッガッ》というね…この「音」だけで、戦いの「速さ」と「レベルの高さ」が分かる。 

 この前の「サラダ&チョウチョウVSシン」も、鎖の「投げる、しなる」で奥行や伸びを感じ、その場にいるような臨場感を味わったのですが、今回のバトルも「音」と共に「空間の上下(高さ)」を感じて面白い。


・眼男の「万華鏡写輪眼」のことですが

で…途中、ちょっと気になった部分…

 眼男の右眼が「普通の写輪眼」から「万華鏡」に移行する描写がありますが(ズッと変わる)…↓

イメージ 1

この描写がアレに似ていて… アレってのはコレ…↓


 これは、九尾事件の時に操られた九喇嘛の眼が、仮面男と同じ「写輪眼模様」に変化した時の絵です(53巻)。 これにちょっと似てませんか?    
あの時の「九喇嘛が操られた眼の模様(◉)」、「眼男の万華鏡の模様(ほぼ◉に近い)」が似ている…ってこともあるんですがね。 

 あの時、九喇嘛が操られた眼は「オビトの万華鏡模様」とは違っていました。

だから、あの時の九喇嘛は「万華鏡ではない普通の写輪眼で操られていた」と解釈するしかなかったんです。 でもその一方で《九尾を操ることが出来るのは万華鏡写輪眼だけ》という鉄則のようなモノが「イタチとサスケの会話」には出てきているのです。 そういや、かつてのうちはマダラも「万華鏡」で九尾を操っていた‥。
 なのにオビトはフツーの写輪眼で九尾を操れたってのか?と…そこの「矛盾」がモヤモヤはしてましたが、「まぁいいや」でやり過ごすしかなかったのです。 
 でも、今回の眼男の万華鏡模様を見ると…「遠目で見ればほぼ◉」に近く、あの日九喇嘛を操った「写輪眼の模様」に酷似している…これは「ちょっち疑わしい」と思ってしまったんです。

 もしかして、もしかしてだけど…九尾事件の時、九喇嘛を操ったのは、あの眼男と同じ模様の万華鏡写輪眼だったのではないだろうか…?(とあくまで仮説の1つ)…

 えっと、でもそれは「オビトでは無かった」という意味ではありません。
あれはオビトだったとは思うんですが…当時のオビトの「右目」に「何者かのチャクラ」が写し出され「あの万華鏡写輪眼」に変化し、九尾を操ることが出来たのではないか…という意味なんです。 

 もしずっとオビトの中に例の何者かのチャクラが同居していたのなら(ナルトの中の九喇嘛チャクラのような同居)、時々シフトチェンジで表に出て言動を主導したり、目の模様をソイツのチャクラ模様(眼男の万華鏡模様と同じ可能性あり)に変化させる事も可能なはずです(体内に同居するチャクラによって「眼の模様」を様々に変化できる事は、ナルトやカカシの例で実証済み)。

…また分かり難くてすみません。

 前述の「弥彦に暁を立ち上げさせたのは《オレ》だ」の《オレ》は、オビトの中に居ながら“暁”に身を潜め、九尾事件を主導し、サスケを育て、サスケに「鷹の眼」を期待し…サスケに「うちはの存在証明」を期待したものの、だが「裏切った」サスケに戦場で《裏切り者の同胞よ…》のセリフを吐き、今は「眼男」の中に居て“暁”を「復活」させようとし、今もサスケに対して恨み言のような事を言う… こうすると「原作中で残された謎」の数々も、ちょっとだけ「つながって」いきませんか…? 「何者か」は分かりませんが…
(仮説にすぎないが…考えられない事じゃない…かな…)

・霧隠れのマダラさんの謎も…
 
 かつて霧隠れで水影を操り、血霧の時代にした「自称マダラさん」…いわゆるロン毛さんですが、彼の右眼にも、オビトに同居していたのと同じ「何者かのチャクラ」が宿っていた可能性もあるんじゃないだろうか(ちなみに「血霧を作ったマダラさん」がオビトとは別人だった事は63巻で確定済みですが、それが大前提での話となります)。

 「眼男、シン、チビ十尾」全員が「同じ万華鏡模様」になるという事は、彼等の中には「同じチャクラが存在する」という事… 複数の人物の中に「同一のチャクラが潜む」事は可能ってことです。 例えば・・大蛇丸もそうですよね、アンコの中にも、サスケの中にも、カブトの中にもいた…。そしてチャクラには「意思」も付随する…。

 《“暁”を立ち上げたオレ(オビトの中に居たチャクラ)》が《霧隠れでやぐらを操っていたロン毛の中に居たチャクラ》と同一(同一の存在)ならば、《霧隠れは“暁”発祥の地》といわれる事にも繋がります。

 さらに、かつてオビトが鬼鮫「仮面を外して見せた眼」(44巻)の謎も… 
もし「オビト」と「霧隠れのマダラさん」に共通して同じチャクラが在ったのなら…オビトはそのチャクラを目に写し出し、「霧隠れのマダラさんと共通の万華鏡写輪眼(もしかしたら今回の眼男と同じ模様)」を作る事も可能になります。 鬼鮫にソレを見せる事も可能…っていうか、それを見せたのはオビトというよりも「オビトの中に居たソイツの意思」だったのかもしれませんが…。

霧隠れのマダラ、マダラを名乗っていたオビト…共通するのは「マダラ」なので、彼らに宿っていた(かもしれない)その「何者かのチャクラ」の事を、仮に《マダラのチャクラ》と呼ぶことにしますが…

 あくまで「ぶっ飛んだ仮説」ですが、でも、万が一そうだったとしたら、それこそ《マダラ(というチャクラ)は生きている》という事になり、全てはまだ「終わっていない」という事にもなるのです。「マダラは生きている」とイタチが言ったのも、ホントはもっともっと「意味が深い」のではないか…。たぶん、我々の認識やら常識では考えられない「生きている」という意味なんじゃないだろうか。

で…肝心の、それなら「いわゆるマダラのチャクラ」とは何なのか…という事ですが、それは…「仙術チャクラ」と大いに関係しているのではないかと考え始めております…。すごく漠然としてるのですが。

・いわゆる「マダラのチャクラ=禍々しいチャクラ」とは「仙術チャクラ」の一種ではないか…という話

「マダラは生きている」とか「マダラのチャクラ」とは言っても、「あのうちはマダラ本人」の事を言っているわけではないんです。「いわゆるマダラ」「通称マダラ」と言ったほうがいいでしょうか…  
 たとえば、九喇嘛はかつて自分を操ったモノの事を全て「マダラ」とか「マダラの禍々しいチャクラ」と表現しておりますが、それと同じチャクラの質を九喇嘛は「サスケの中も感じていた」という事…そこにヒントがあると思うんです。

 《ワシ以上に禍々しいチャクラ…かつてのうちはマダラと同じだな》と九喇嘛は言ってましたが(34巻)、なにもサスケの中に「うちはマダラのチャクラ」があった訳ではないし…当時のサスケの中に在ったチャクラと言えば「呪印=仙術チャクラ」です。

 かつてのうちはマダラ、仮面(オビト)にも、「仙術チャクラ」という名ではないですが、黒いの(黒ゼツの素というか、黒棒というか)が関わっていたわけで、そいつはカグヤの子、十尾の子というべき存在…要するに自然エネルギーそのものであり、いわばチャクラの質としては「仙術チャクラ」と言っていいのでは‥と思うんです(ヘンかな)。  九喇嘛は、サスケの中の仙術チャクラを「禍々しい、かつてのマダラと同じ」と感じ取ったんじゃないだろうか… ま、仙術チャクラ(呪印)といえば、その元である「重吾」だってうまくコントロールできず「ヒャハハハ」と別人のような殺人衝動に駆られたりしちゃうほど、本来かなり「禍々しい」。 

 「仙術チャクラの禍々しさ」を説明するものは他にもあって、例えば664話と667話… 香燐が「カブトの仙術チャクラ」のことを「すごく嫌な感じがする」と言っており、そのチャクラのせいで「カブト本人のチャクラ」を感知できなかった事があったり… 大蛇丸も「仙術チャクラの禍々しさ」に言及しかかった事がありました(もっとも、大蛇丸は「言いかけた」だけであって、最後までちゃんと説明せずに終わっている)。
 戦争後半で、大蛇丸が分析していた《仙術チャクラの禍々しさ》…九喇嘛を操った禍々しい「通称マダラのチャクラ」も、高尚なイメージの「仙術チャクラ」も、元をたどれば「同じようなモノ」と言えるのかもしれない。

(ちなみに、柱間もたまに《ゾっ》とするようなチャクラを出しますよね。扉間をゾクッと縛ってしまうような)

 …で、仙術チャクラに関連して「気になる存在」というと…あの「トビ」(通称グルグル)なんです。

大蛇丸は、戦場で「トビ(グルグル)」の正体を分析していた唯一の忍で、彼はトビに《呪印(=仙術チャクラ)パッチテスト》を行っている…(663話で)。その結果、トビはそれを「相殺」しているのだ…)

 今週の絵で、眼男達が居る世界の構図が、何かのヒントじゃないか…と先ほど申しましたが(眼を中心にグルっと木遁風デザインが囲んで、そいつは「複数の写輪眼に己のチャクラを与えて」支配し、従えている絵)…あの絵は「写輪眼を取り囲んでいたトビ(グルグル)仮面の絵」のようにも思えるし、そいつは「己のチャクラを複数の写輪眼(オビトや霧隠れのマダラさん等)に分散させ支配していた」事を暗示している絵にも思える…

 さらにもう一発…今週の絵でもう1枚… 眼男とシンが「神威」でこっちの世界に出てくる瞬間の神威の絵(チョウチョウがポテトを差し出している絵の横)…もろ「トビ(グルグル)」の顔に見えませんか…?  
 もともと神威の術がズズズと描く模様はトビ柄ですけど、あの絵は極端に「トビ」を強調しているように思えるのですが…(はて)。 ま、彼の正体が何なのかとか、眼男の(“暁”はともかく)うちはへの執着の理由な何なのかとか、今は分からない事だらけではあるので、そこまでにしておきますが…(すでに過多)

 書いてて支離滅裂でホント申しわけないのですが、そこんとこ、きっと大蛇丸先生」ならうまく説明して「点と線」を結んでくれるのではないか‥分かりやすく講義してくれるのではないかと私は凄く期待しています。 なぜなら彼は忍界きっての《仙術チャクラ研究家》であり、唯一トビに着目していた人物だから… 今の忍界で、彼ほどインテリジェンスを感じさせる人は居ない(と思う)。

 そして「今度こそ」、戦場での大蛇丸の「途切れた会話」…662話で「トビ(グルグル)」を観察しながらつぶやいた「この敵…」「……」のあとに続く言葉を聞きたいし、さらに667話の(カブトの嫌な感じのチャクラについて)「いろいろと他人のチャクラを体に入れ込んだあげく、仙術チャクラまで取り込んだから香燐でも別人と間違えたようね ちなみにイヤな感じがしたのって、私のチャクラが残ってたからかしら… それとも…」の続きのセリフを「ぜひ」お聞かせ願いたいものです。 大蛇丸が長い事かけて追いかけてきた《仙術チャクラ》の概要が明かされる時… 私はNARUTO世界」に残された謎の大半は一気に見えてくるのではないかと思っています。 


・そして最後に、再び「未来」…

そして…

 今週のサスケを見て思ったんですが…サスケがやっている事って、かつてイタチがやった事とほぼ同じですよね。 一人で「上層部しか知らぬ極秘任務」を引き受け、真実を隠して子供を子供扱いして「守る対象とする」… 
 
 でも最後にイタチは《この手でお前をずっと遠ざけてきた お前を巻き込みたくはなかった》《だが今はこう思う お前が父を母を うちはを変えることができたかもしれないと》《オレが初めからお前とちゃんと向き合い同じ目線に立って真実を語り合っていれば…》と伝えていましたよね。

 ナルトとサスケは、二人で「カグヤ」というトンでもない敵を封印し世界を救った経緯があるから、まだ「自分たちがやらなくちゃ」と思っているかもしれない。守りたい対象が出来て、守らなくてはという想いが強くなるにつれ、その想いも強くなるのも分かる…  いくらイタチから「自分の失敗談」として聞かされていても、こればっかりは「自分で体験」しないと分からないし、なかなか「子供と同じ目線で」とはいかないのかもしれない。

 並行して進む、2つのストーリー… 実は2つとも、密接に絡み同時に進む物語でもあるのでは…と思っています。  写輪眼のほうの話も、めんどくさそうではあるけれど、私は“暁”の名の由来が気になって仕方なく…その由来がもし「夜明け(明るい未来)」であるのなら、あまり悲観的な話にはならないだろう…なんて楽観もしています。もしそこに「親」の本当の想いがあるのなら…

 なので…これから起こる問題を「本質的に解決に導く」ことが出来るのは、親を想い、親の想いを「伝えたい」と願うサラダたち世代の「子供目線」であろうと確信しています。それが長い間のしがらみを、解いてくれる鍵になるんじゃないだろうか…。

(時代は‥すでに「明るい未来」へと動き出しているのかも)…なんて思ってみたりします…





☆長駄文読んでくださって感謝。ホント分かり難くてすみません。自分でもよく分かりません(コラ)…





(ナルト好きブログ! 2015/06/01)





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