ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 700+6話:進化無き種 今週のジャンプ・ナルト外伝感想 WJ28号

NARUTO 外伝 700+6 進化無き種


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うちの旦那様と愛娘に何してくれてんだ 
しゃーんなろーーがぁ‼‼

いやぁ…爽快にして豪快。妻は強し、そして母は強し。「あの」カグヤにも食らわせたサクラの拳が敵をぶっ飛ばす…(といっても、彼らが「敵」であるかどうかはまだ不明…だと思うんだけど)。

…と言いますか、今週の話を何度か読み直してみたんですが…読めば読むほど難しく、考えることが多くって…何度も書きなおしました。きっと、この記事をアップした後に、まったく違う感想を思いつくかもしれないし… で、何が難しかったのかと言うと《親子の想い》なんです。 親が子を想う気持ちと子が親を想う気持ちの交錯…そして親はどう親であるべきなのか、子はどうやって親に想いを届ければいいのか。…これはホントに難しい。 
 そして「愛情にあふれたサクラとサスケ、サラダ親子」と「冷酷なシン親子」の在り方を見て、まったく違うと思ったけど「実は似ていたり」で…「親子」の問題は一筋縄じゃあいかない、友情以上に難しいテーマじゃないかと…今、頭を抱えています。

さて、先週のナルト&サスケVSシン&眼男の闘いの続きなのですが…

 眼男の万華鏡写輪眼の能力、武器を自在に動かし操る能力と、サスケの輪廻眼の能力(空間入れ替え)のぶつかり合い。 サスケの火遁・豪火球の術に、眼男は瞳力で我が子シンを盾として使い、自分への被害を最小に止めるという汚ない手を使ってきた…

・眼男(シンの親父さん)の「意外な情報量」

 ちょっと「意外だったところ」なんですが、あの眼男…《サスケ》にこだっている感じだったのに、サスケの輪廻眼の能力を見て『!?』と驚き、さらに「…そうか…これがお前の瞳の力か…うちはサスケ…!」なんて言ってるんですよね。 なんだ、そんな事も知らなかったのか… どうやら「サスケのことなら何でも知っている」わけじゃなさそうです。
 サスケが輪廻眼の力を使ったのは六道マダラ・カグヤ戦でしたが、眼男はその戦いの情報を持っていなかったという事らしい。 一方で、サクラに対しては「そうか…お前も医療忍者だったな…」と言ってるんですよね。つまり彼は「サクラが医療忍者」である事は知っていた…。

 眼男は、サスケ達のことはサクラを含めて「よく知っている」。だけど「サスケの輪廻眼の能力(カグヤ戦の情報)」は持っていなかったという事…これもコイツの正体を知るヒントの1つになる(…かもしれない)。 
 そして今回、眼男が直々に出て来てサスケにちょっかい出したのは「サスケの瞳力の情報」も目的だったんじゃないかと思います。

 それと、サスケの能力を知って「これがお前の瞳の力か」「“暁”復活のためにぜひとも欲しい代物だ」と言ってるという事は、彼が欲しいのは「サスケ」じゃなくて、どうやら「サスケの瞳=眼」らしいですね。 
 彼が欲しいのは「優秀な眼」… だとしたら、やっぱりあの“暁”アジト内にストックされていた大量の写輪眼との「関連」が気になってしまいます(大量写輪眼の謎はあのまま「謎」で終わっちゃうのかなぁ…)? 

・サラダと「うちは」

 「火遁・豪火球」といえば、「うちはの基本忍術」ですよね。
でも、サラダはたぶん「火遁・豪火球」をまだ使えない…(と思う)。 本来、サラダに「うちは」としての教育をすべきサスケパパがいないのなら、当然そうなるわけですが… 
 もしかしたら、サスケは…娘に「うちは」としての生き方を望んでいないんじゃないだろうか。 サラダを「意識的に避ける」ようにしているのも、彼女から「うちは」を遠ざけているのでは…と思えてしまうんです。

 かつては「うちはの再興」を考えていたサスケだけど、今では「うちは」を自分一人だけで背負い「娘を巻き込みたくない(何かから守りたい)」と思ってる…それはこの後のサスケの言動からも何となく伝わってきます。

・サスケの「しゃべれ」と「黙ってろ」

《まずは「しゃべれ」の方から…》

 (すぐに全て吐いてもらうぞ)って…サスケの《心の中の声》が書かれるのは珍しいですが、それだけ作者はサスケの「この想い」を見せたかったという事…そのあとも「…すぐにしゃべらせてやる」「捕らわれてからゆっくり本当の事をしゃべれ」とサスケは言っていて、「吐け、しゃべらせてやる、しゃべれ」と…サスケの《情報獲得》への執念のようなモノを感じるのです。 

 一方の眼男は、ご丁寧にも自分から「“暁”復活のために」と言ってみたり、聞いてもないのに「オレはうちはシン」なんて名乗って挑発してくる。 でも、サスケはいっこうにそれらの情報には「乗らない」…全くと言っていいほど関心を見せず「(あとで)ゆっくり」とか「本当の事を」しゃべれと言ってるんですね。 
暁復活とか、この男の名前などはサスケにとっては「どうでもよく」…それよりもっと重要な《核心》を知りたいのでしょうか。 そして、この眼男自体を「危険な敵」と考えているのではなく、あくまでコレは「情報源」と考えている…って事じゃないかと思います。

《そして「黙ってろ」のほう…》

 そして、サスケは「今は黙ってろ」と… 《サラダの前ではそれ以上しゃべるな!》って事ですよね。 ベラベラ余計な事をしゃべりそうな勢いの眼男を、なんとか「黙らせたい」…サスケは徹底して「サラダに知られたくない」にこだわっていますよね。 それだけ、サスケが危惧している「今起きている状況」ってのは「サラダを巻き込んしまう事、サラダを危険に晒してしまう事」なんじゃないだろうか。
「サスケがサラダに近寄る事」は「サラダに危険を呼び寄せてしまう事」でもあるんだろうか…だからサスケは自分をサラダから遠ざけていたんだろうか?

 そしてこれも「NARUTO世界に残る謎その2※」で触れた事なのですが、私が引っ掛かっているのは、うちはのクーデターやうちは事件に絡んで《サスケだけが何も知らされていなかった》という事実…そして、それが今の《サラダだけが何も知らされていない》という状況にそっくりだという事です。

 かつて、サスケは「幼かったから」という理由で何も知らされてはいませんでした。 そして今のサラダも、何も知らされないまま「何かから守られようとしている」… 
 どうやらそれは「サラダの出生」にも絡んでいるようだし、サスケとサクラだけじゃなく「里ぐるみでそれを隠している」っていうのがね‥かつてのサスケとそっくりです。

 しかし、その結果がサスケにとっても忍世界にとっても本当に良かったかといえば大いに疑問であるように…《大人が盾になって守るだけ》《子は黙って守られているだけ》が必ずしも最善の策とは言えないんですよね。

 その一方で「シン(子供)」は… あの子たちはコピーして作られた「白ゼツ兵」のようにも見えるし、親に言われた事を「絶対」とし、親が自分に何をしようと「歯向かわない」… かつての“暁”といえば「己の忍道が第一」の面々で「裏切り」もしばしばあったと思うから、今度の新“暁”はその「反省」をふまえてなのか…白ゼツ兵のような「忠実なシン達(自分の分身のようなモノ)」だけで構成して「親」から見れば理想的なメンバーになっているのかもしれません。 でも、そんなのが「仲間(家族)」だといえるんだろうか…。

 ちゃんと言いたいことを言い合えるのが本当の仲間、家族ってもんじゃないだろうか…?

(前の“暁”では裏切りが一番の問題点だったような気がする…。参考過去記事=「トビと裏切りその1、トビとゼツのズレてる会話」※など…かなり古いものですが)。 

 だけど…次の「サクラ」の言葉を聞いていると、実は「サクラやサスケがサラダにしようとしている事と眼男がシンにしている事は(極端に言えば)大差ない」ような気もしてきちゃうのです。

「ごめんね…サラダにはちゃんと言い聞かせてるつもりだったんだけど…」
(サクラがサスケに言った言葉)

このサクラの言葉を聞いて、サラダは「…」と驚いたような顔を見せ…そして「黙って寂しそうにうつむき」…さらに「……」と横を向いて怒ったような顔をする。

 「言い聞かせる」っていうのは、親が子供を「ちゃんとコントロールする」ということであって…「親のいう事を黙って聞いているだけ」がいい子なんだろうかと…サラダはそこに疑問を感じたんじゃないだろうか。 それが極端になっていけば「シン親子」のような関係になってしまいかねないんじゃないだろうか(あくまで「極端」な例ということですが)。 
 「子を守る為」だった事が、いつのまにか「親が子を縛ってしまう」こともある… かつてのカグヤの「白ゼツ兵作り」も、元々は「子供達(未来)を守る為」だったのかもしれませんが、それが行き過ぎて「黙って言う事を聞く子を育てる」になってしまったんじゃないだろうか…?

 そして…サクラママ「ごめんね」とサスケパパに謝った事も、サラダは驚いたんじゃないかと思うんです。なんで辛い思いをしてきたママの方が謝るんだろう、って。 
 サラダがここに来たのは「ママの想いをパパに伝えたかった」からでもあるし、サラダはせっかく「パパにママの想いを届けた」のに…ママはそれを「否定」するような事を言う…。 自分の「家族を繋ぎたい想い」を否定されたようでもあって、サラダは悲しかったんじゃないのかな…。
 サラダは、「本当の想い」をパパに正直に伝えた。正直な想いで家族を繋ぎたかったんじゃないかと思うのに、親は「ごめんね」とか「悪いのはオレの方だ…どう考えてもな」「お前が謝る必要はない」とか…謝るばっかりで、あとは「……」ばかり。 肝心な「大切な想い」は伝えてない…

 「……」だけで伝わるカッコいい「阿吽の呼吸」ってのあるけれども(今週のナルトとサスケの戦闘中の会話みたいに)、「……」で終わらせてしまう「気まずい空気」ってのもある。  
 本当は愛し合って互いを想っての結果かもしれないけれど、「……」で抱え込んでしまうのが「うちは一家」の癖でもある。そこに「疑問」を感じているサラダが、何とか風穴を開けてくれたらなぁ…と思うのに。

…なんて偉そうに「上から目線」で書いてはみたものの…実際にはコレはとっても難しい事なのだと思います。いろいろ言うは易し、行うはとっても難し。

  で、サクラがシン父様を殴った時…満身創痍で息も絶え絶えな子供シンが、目を右前方のほうに向けて…サクラを見つめていたんですよね。 あの時、シンは『何を想い何を感じて』いたんだろう…? 
 
 「子を守ろうとした母」の姿に何かを思ったのか、それとも「大切な父様を傷付けた憎い相手」を見ていたのか…

 前に、サラダが…「サスケパパのことを褒められれば自然と顔がほころぶし、サスケパパの悪いところを指摘されれば傷つく」って描写がありましたよね。 シンも同じなんじゃないだろうか…? 
 
 サクラを見る目の、あの表情からは…「人形のようなシン」にも《ちゃんと感じる心》があるように見えた…「親子の愛情」を感じる心が…あの子にもちゃんとあるんじゃないだろうかと。


・すっかり火影らしくなったナルトだけど…

 今週のナルトも、すっかり火影らしく落ち着いてましたねぇ…「眼男が自分の子供を盾にした」と分かった時でさえ、心ン中では怒っても怒りを言葉や態度には出さなかった… 昔はすぐに熱くなって、敵を煽ったりしていた「あのナルト」が…黙って冷静に分析し、敵の攻撃にも動じない。先週はそれを「貫禄」だと思ったのですが…どうやらそこに「スキ」があったんですねぇ…。

 《サスケの刀に敵のマーキングが施されていたため、敵の瞳力で操られ、ナルトのお腹にグサッと突き刺されてしまう》…

 やられてから「敵が血を流しながらサスケの刀を握ったのはマーキングの為だった」と気づいたサスケと…すっかり無防備だったナルト。 九喇嘛に言わせれば「戦闘のカンが鈍ってる」って言うけど…確かに、九喇嘛の言う通りかもしれない。 
《カグヤ》以降、戦争もなく小競り合いも減っただろうし、「彼らを上回る敵の不在」は彼らのカンを鈍くさせたとしても無理はない。 それに、前の戦争のように次から次へと「自分たちの実力を上回る敵」が登場し、その都度それを「超えなくちゃいけない」という必死さも、今の彼らにはない。 
 この前、九喇嘛も言ってましたっけ…「久しぶりに暴れるのか?」って。 ほんと久しぶりだったんですね…。

 しかし、この前サスケが言ってた《カグヤを超える敵の存在がまだ居る可能性》があるのなら、これって…本当にまずいんじゃないだろうか…?

そして、サスケもうっかり見落としていた「マーキング」…


・マーキングと時空間忍術と「アレ」

 「マーキング」と言っても赤丸のマーキングじゃなくって…いや、結局は同じ事かな… ご承知の通り、己のチャクラ、血や尿(?)などでマーキングし、チャクラの「繋げる力」を利用して移動させたりくっつけたりする…それを利用したのが「口寄せの術」であったり「飛雷神の術」であったりするわけですが、「うちはシン」の瞳力も「マーキング」したものを自在に操る能力。 
 比較的最近まで「神威」は「印もマーキングもいらない時空間忍術」43巻カカシ)と解釈されていたのですが、どうやら「マーキングが必要だった」らしい事が71巻になってやっと判明しました。 なんで物語も大詰めになった頃にいきなり「神威での移動にもマーキングが必要だった」なんて話が出てきたんだろう…と不思議に思ったのですが、今回もマーキング話題が出てきた事だし、これからも「マーキング」の話題は「時空間忍術」とセットとなって続きそうな気がする…(これからも…と言っても残り数話だろうけども)。

 で…チビ十尾の「神威風瞳術」なんですが、相変わらずズズズズズ…と描く模様が、今週も相変わらず『トビ仮面模様』です。

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 カカシやオビトの神威の渦模様より、もっとハッキリとした「トビ仮面模様」…円の縁どりまで描かれて「お面の形」になってるし、わざわざ吸い込む「点」が左やや上あたりに描かれているせいで、余計に『トビ仮面模様』に見えてしまう。 
 ここまで露骨に「トビ(グルグル)」に似せてると…これって「ヒント」じゃないか…と思ってしまうんだけど…やはり『トビ(グルグル)』の介在を感じてなりません。

 ナルトはチビ十尾を見て「またアレか!!」と言ってるけど…そうなんですよね、まだあのチビは「アレ」なんです…名前が無い。 あれ「シン」なのか、あれ「シン」なのか…それともいろいろ名前はあるが今は無い…んだろうか。

サスケはアレの神威(らしき瞳術)を見て「!?時空間忍術だと!?」「……時空間まで…」とかなり驚いた様子ですが…(これはサスケにも「意外」だったんだろうか)。

 《うちはシン》というか《アレ》は、時空間忍術を使う…カグヤも(形式は違うけど)時空間忍術を使った。 カグヤ戦では、オビトの「神威」をカグヤの時空間忍術に共鳴させることが可能だったけど、どうやらこれから先も「時空間忍術」は欠かせないっぽいし、さて…ナルトはどうする?
 どうなんだろ…ナルトは『飛雷神』を使えるようになっているんだろうか…?
 700話で見せた「瞬身」はごく普通の瞬身だったのか、それとも父ちゃん譲りの「飛雷神」だったのか…? それに、687話で見せたナルトの《フッ》という時空間系の瞬身は結局、何だったのか…あれはサスケの輪廻眼瞳術だったのか、それともナルトが「無意識に使った飛雷神」だったのか…すごく気になったままです。


・そして、実は眼男の名前も「うちはシン」

 …だったんですね。つまり、あの万華鏡を使うモノはすべて「シン」

 で、眼男が「シン」と名乗った時の絵ですが…《右目》が強調される様にアップになってるんです。 つまり『右目』が『オレの名はうちはシン』と言ってるように見える… 「目をいっぱい埋め込んだ実験体」を持つあの男が「うちはシン」さんなのではなく、あの「右目」が「うちはシン」って事じゃないだろうか(あるいはあの眼の本来の持ち主が「うちはシン」)

 先週、彼らを動かしている「共通のチャクラ」を「仮称マダラのチャクラ」(いろいろ起こしてきた禍々しいチャクラ=仙術チャクラの一種)と考えましたが、とりあえず「うちはシン」と名乗ってきたので(本名か仮称かもわかりませんが)今後は「うちはシンチャクラ」と仮称いたしますが… でもこの「うちはシンチャクラ」にとって、今のこの器(眼だらけの実験体)はそれなりに重要だと見えて、シン(子)から臓器を移植してまで「治そう」としている…

(で、サクラが時空間忍術で連れていかれた先は…敵アジト内のかなり立派な「手術室」だった)。


・2つの「医療忍者疑惑」?

 シン(父)は、例の瞳力で刃を使い、シンのお腹を引き裂き体を持ち上げて手術台に乗せて(自分も乗って)「移植手術」を始めたらしい…(サクラは他のシン達に囲まれ身動きが取れないまま見ている)。

「…移植手術? その臓器を取ったらその子はもう…!」
「そうか…お前も医療忍者だったな… だがな… お前のせいでこうなったのだ」

…サクラに凹られてどうやらシン(父)は内臓破裂したらしく、なんと子供シンから臓器を取り出して自分に移植する手術を自分で始めたらしいのだけど… ここで前述した「お前も医療忍者だったな…」という「サクラが医療忍者だと知っていた」発言が出るのです。が…気になるのはこっち、《お前も》…の《》です

 これだけ整った医療設備、整えられトレーの上にきれに並べられた「メス」…いわば「仕事道具」。 何だかわからないけど、どうやら…この方《も》医療忍者なんじゃないだろうか? 「この方」って言っても、うちはシンなんだか、この体(器)の方なんだか、チャクラなんだか、もはや何が何やら正直「分からん」のですが…

 で…ホント余談ですが、482話で…仮面男がダンゾウの遺体からシスイの眼を摘出しようとしている絵があるのですが(大量の写輪眼水槽があるところ)、アレも手術台の前に『トレーの上にきれいに並べられたメス』がありまして…あまりにも整った「仕事道具」に、この当時の感想で「この仮面男は医療忍者なのか?」なんて書いた事があったんです() でもオビトは医療忍者じゃないし…って考え込んでしまったのですが(あくまで51巻当時の話)…  んー…今思うと、あの時「シスイの眼」を欲しがっていたのは「オビト」じゃなくて「オビトの中に居た(?)チャクラ(仮称シンチャクラ)」のほうだったのかも…なんて思ってしまいます。

 で、もう1つ「医療忍者疑惑」が出た話がありまして…それが「NARUTO世界に残された謎3※」でまとめた、《九尾事件の仮面は、なぜか出産の時に九尾の封印が弱まる事を知っていた》という、例の…『犯人特定の、使われなかった切り札』です。
 おそらく「仮面」は、過去のミトの出産時に「九尾の封印が弱まって大変だった」事を知っていたんでしょうが、それを知り得るのはほんのごく一部の存在だけのハズ…「ミトが九尾の人柱力だった」という里の最高機密を知り得る火影周辺の一部の上層部と、出産に立ち会った医療忍者だけだったはず…です。九尾事件の仮面の真の黒幕の特定に至る「切り札」は、遂に使われる時が来るのだろうか…? (それともあれは関係ないまま終わるのかな…)。

 もっとも、「たかが一医療忍者」が全てを起こしたとも正直思い難く、気になるのはもっと「その根本にあるような存在」であったり、ようは十尾だったりもするのですが…どこがどう繋がってどう絡んでくるのか「全く分からん」でして…シン父様とシン達とチビ十尾の関係も分かるようで…分からない(分かるハズもない)。 
 どこまでが外伝で絡んできて、どこまでが劇場版につながっていくのか…そして「その後」はあるのかとか、さっぱり見えない中…あと「残り数話」と思われる外伝がどこまで行ってまとまるのか…半分楽しみで、半分おそれてます(また「知りたい」願望でじらされそうで…)…


・母の想いと父の想いと子の想い。

 子供の臓器を取り出して自分が助かろうとするシン(父)と、サクラの会話…

「アナタが私の夫と子供をころそうとしてたからよ それに大切な友達も…」
「ならなぜオレのガキの心配までする?」
「アンタ… 本気でそれ言ってんの?」

 シン父の発言はにわかには信じられない程冷酷で、サクラも呆れて「アナタ」から「アンタ」に降格させてますが… あまりにも「感覚のズレ」があり、もはや「変な奴」というより「根本的に考え方が違っていそう」な気がする… 

 そもそも「シン」の親子関係は、本当の親子なのかDNAをコピーして作った親子なのか、同じチャクラを分けて同じ目を持つという意味の親子なのか、そのあたりもよく分からないのですが… もし「普通の親子」と考えるとしても、シン父の発想はもしかしたら「昔の忍世界ではそう珍しい発想ではない」のかもしれません。

「自分の大切なもの」を傷付けようとした敵は憎い(ハズ)…その敵の子供も憎いハズ。それに「敵の子供」の事なんて、どうでもいいというのが昔の忍の考え方だった(戦国時代は、まず最初に相手の子供を狙うのが定石だったんですもんね)。
 犠牲になっていった子供の死を「忍として立派」とか「一人前」と正当化していた昔の忍界では、親のせいで子供が犠牲になる事も珍しくは無かった…そんな世界を変える為に立ち上げられた本来「子供を守る為」だった里も、いつしか里を守る為に「子供」を犠牲にするのを厭わなくなっていって…そしてリンの事件のように子供の犠牲も珍しくはなくなってしまった。

 なのに、サクラは憎い敵の子供の心配までしている…そこにシンは純粋に疑問を持ち「知りたい」と思ったんじゃないだろうか。 サクラの発言は、我々からすればごく「自然な感情」のように思えるのだけど、もし『シン』「長い間忍界を見てきた者」だとしたら…サクラの発言は稀有に思えたのかもしれない。

 ただ…そういうサクラも、サラダの「心」を知らない間に傷付けていたりはするんですよね…(そしてサクラはまだ「それにあまり気づいていない」ような気がする)。

 そして…こんな質問をサクラにぶつけているって事で、シンに「敵意」的なものはさほど感じないのです。 もし、『シン』(右目に居るチャクラ)が「カグヤが恐れた敵」に対抗するために行動を起こしているのだとしたら、なおさら本当の「敵」は彼等じゃあないような気がする…。 
 実際、ナルトもサスケも戦闘のカンが鈍っている事をこれで自覚したわけだし、今回の急襲は「警告」のようにも感じます。…そしてそれは今回の(戦闘中の)『シン』の発言からも感じられる…

・進化なき種と進化する種

《平和は人としての進化を止める… まさに今のお前らだ》
《進化無き種はいずれ滅ぶ》

…これは「警告」でもあるんじゃないだろうか…? 

 「ワラワ」の母さんがこの地を「苗床」とし、優秀な種を育てようとしたのは「何かの脅威」に対抗しての事であるというサスケの仮説が正しければ、「このまま」では本当に人類は「終わる」危機が迫っているのかもしれない。 

  
タイトルの『進化無き種』…

 『シン』が考える人の進化とは、感情が無く忠実に動く白ゼツ兵のようになる事なのか、それとも永遠に戦って「生き残るために」ひたすら強くなろうとし続ける事なのか…「平和は人としての進化を止める」という発言から考えると後者…「永遠に戦ってひたすら強くなり続ける事」を進化と言っているような気もします。

 そして…《永遠に戦い続けることを運命づけられた一族》が「かぐや一族」でした(24巻大蛇丸の説明によると)。

戦い続け、霧隠れに一族だけで挑み、君麻呂一人を除いて絶滅してしまった(と思われる)一族… ただ、彼らがなぜ「戦い続けなければならなかったのか」…その理由は明らかになっていなかったんですが、もしかしたらそれは『進化』の為だったのかもしれませんね。 「戦闘を続ける」がゆえに、数少ない「進化可能な種」であったのかもしれない…。

 大蛇丸が「夢の器」としてまず最初に「かぐや一族の君麻呂」を選んだのは、彼が《もっとも進化可能な種》だったからなのかもしれません。そして…君麻呂は大蛇丸「僕の理解者」と言い、自身を大蛇丸様の野望を担う」とも言っていた…彼らの「野望」とは「さらなる進化」の事だったんじゃないかと(今は)思います。
 そして…君麻呂は「サスケ」に後を託しているわけで…そこまでして望まれる「進化」とはいったい何だろう…? 重吾もそのあたりを知っていそうなんですがね…
 
 君麻呂とサスケは重吾の殺人衝動を抑えることが出来た。つまり…仙術チャクラの禍々しさも「抑えることが出来る」…そのあたりと関係しているのでしょうか。
 
 『種』というと、やはり連想してしまうのは『大蛇丸』でして… 先週、大蛇丸は『仙術チャクラ研究家』と書きましたが、もちろん忍界きっての『種の研究者』として知られているわけで、大蛇丸ほど地上の「優秀で美しい種」の研究・保存にこだわった人物はいない(と思います)。 重吾の一族、うずまき一族、鬼灯一族、かぐや一族、千手一族…様々な「美しい種」にこだわり欲してきた大蛇丸が、研究の末辿り着いた「最高に美しい種」…それが《うちは》でした。

 大蛇丸が「君麻呂」の次に、最終的に望んだ『器』は…サスケの《若く美しい体》…大蛇丸がサスケの身体を欲した理由は「仙術」に適する器であったからとも思うのですが、なぜ《うちは》だったのかといえば…「うちは」も《最も進化可能な種》だからではないでしょうか。

 シンはサスケの眼に「さらなる進化の可能性」を見ているようにも見えます…それがトビが言っていた「鷹の眼」なのか、イタチがが言っていたところの「本当の変化」(うちはの高み)なのか…。 

 そしてサスケがサラダをあれだけ「遠ざけようとしている」事を考えると、「うちはの高み」に最も適した器はサスケよりも「サラダ」なんじゃないかと思います。それでサスケは「サラダ」をあれほどまでして守ろうとしているんじゃないだろうか。

 大蛇丸はかつてサスケの「若い肉体」にこだわっていたけど…今じゃサスケも「いい年齢の大人」だし、そういう意味でも「サラダ」のほうが「進化」には向いているのかもしれません。 何だかなぁ…サラダはとんでもない運命に巻き込まれかかっているのかもしれない。
 
 …だとしたらなおさらのこと、サスケはサラダにちゃんと真実を伝え、彼女自身で道を決めさせていってあげて欲しい…と思います。重い運命に巻き込まれているのなら、なおさらのこと…サラダの事を愛しているならなおさらの事… 
 「盾」になって攻撃から守ってあげたり、お得意の「……」で隠しているだけが愛情表現じゃあないってことに、なんとか早く気づいてほしい…そして「一緒に」それを乗り越えていってほしいと思います。 できれば、今度は「家族3人」一緒に…!!


(と、最後はまとまらなくなってきたところで…)




…長駄文、読んでくださって感謝。




☆今週のチョウチョウの「おことば」…(あーあ‥あちしの本当のパパも サラダのパパぐらい 目力で女おとす系だったら最高!)…とポテチをバリボリ。…ていうか、それ「コンソメ味」じゃないの?(笑)
 チョウチョウのこの発言…《ナルトが「眼男(シン父)とシンは親子」だと知って、子を盾にした眼男に怒りを感じている》一連の描写の中に突然1コマだけ挿入されてる…  ってことは「眼男(父)が、息子を目力で落とした(盾にして落下させた)」事にも引っかけているんじゃないのかな?とか;

☆ついでにもう1つ、《チョウチョウのお言葉》は遠まわしに何を意味しているのかと邪推すると… 《まだ知らぬ本当の父親》とは「忍達の本当の父」‥いわば忍の祖、全ての祖(十尾)に引っかけているとしたらですが…「忍達の本当のパパ(十尾)は、目力(瞳力)で女(カグヤ)おとす系だった」…ようするに、神樹の実を食べたあと、カグヤは「十尾の眼」に支配されて十尾化した(十尾の目力に落とされた)とも受け取れるかと…(かなり無理があるな…) 読み流してSVP…

☆チョウチョウの「サラダってスネるとちょっとね…」。そうか、サラダはスネると面倒な事になるんですね(笑)…そこは「父親譲り」かな。

☆シンは子供の事を「ガキ」って言うんですねぇ… 以前「ガキ」の使い方で気になった事があって、関連した考察をしたことがあったんですが…


☆参考までに…過去記事「かぐや一族君麻呂の雑考」




(ナルト好きブログ!  2015/06/08)