ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ 第700+10話:その眼に写るもの  今週のジャンプ・ナルト外伝感想 その1  WJ32号

NARUTO 外伝 700+10話 その眼に写るもの (1)

さて外伝も、ついにこれで最終話。

なんだかな…これでNARUTOの漫画が読めるのは最後になっちゃうのかなぁ…と思うと、やっぱり寂しい。 外伝連載中の約2カ月間、久しぶりに毎週「新鮮な」NARUTOが読めて、「リアルタイムの感想」が書けて皆様からご意見を頂けて…この約2カ月はすごく楽しかった。 だけど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう… 

 短期連載ならではの「毎週激しく動く展開」に翻弄され踊らされ(笑)、1週間あれこれ思い巡らせ、ジャンプを買ってきて「そーっと開く時のドキドキ感」…(コレがたまらない。たまに「NARUTOの最終頁」をいきなり開いちゃうという失敗もあったりで)…そして予想外の展開に「そう来たかぁー」とワクワクする。

 NARUTOはいつも私の予想や想像の範疇を超えて一枚も二枚も上を行き、その都度ナルトの言葉や表情に感動させられ、登場人物一人一人の個性に今さらながらに惹きつけられる。 NARUTO-ナルト-の面白さを改めて実感させてもらい、堪能させてもらった10週でした。 

 そして、外伝を締め括ってくれた言葉、それは…
『つながりってのは 色々なカタチがあんだよ…』
 最後にやっと登場した「香燐」の言葉でした。 

 結局、サラダは私が妄想すっ飛ばしたような「クローン」として生み出されたワケでもなかったし、「複雑にして特別な事情」があって外で生まれたワケでもなかったし、ごくごく普通に「サクラが旅の途中に産気づいて香燐のアジトで出産して香燐がへその緒を持っていた」というだけのものでした。 別段そこに「劇的な何か」があったわけでもない。 私はチョウチョウ同様「劇的な何か」を期待していたのだと思いますが、実は「一見、どうってことのない日常」の中にこそ、本当は感動的なもの、大切なものがあるんだと教えてもらった気がしています。

 それに、ナルトの「想い それさえありゃあいい」「助けてーって想いがあったんなら… それが本物だ」の言葉に今さらながら感動し、「血」云々より結果的に『家族3人が互いの想いを確認できてよかった』…これに尽きると思っています。 血が繋がっていようがいまいが、想いでしっかり繋がっている…それこそが《本当の家族》であり、そして《家族のありがたさ》なんだな…って。

 もちろん、サクラとサラダが本当に血の繋がった親子と分かって「困る」わけじゃないんだけど、正直なところを言うと、それが「結局血の繋がりが一番、血の繋がりが無ければ家族じゃないよね」的な展開になる事を私は密かに懸念してたんです。「血の繋がりがあるから」という理由でしか愛せないという事を… 
でも、サラダは「うん…分かってる… もういいの… ちゃんと想いがあって…気持ちがつながってるのが一番だから…」と言ってくれて、そんな私の余計な心配も見事に払拭してくれました。 

 ま…サスケ一家の物語も、チョウチョウの物語も、結局は「どこの家庭にでも起こりそうな親子間のアレコレ」だったような気はしますが(普通の家庭で写輪眼とか無いけどね)、しかし「日頃は気づけない事」に気付かせてくれた物語でもあったと思うんです。 
「何気なく過ごしている日常にある幸せ」って、当たり前すぎて意外と気づくことが出来ない。「人は何かを失って初めてその物事の本質に気付く」というね… (これは18巻大蛇丸の言葉ですが、あの“モラル欠如のヘビ野郎”も色々と名言を残しているんですよね)。

 サラダは、一度は「家族の繋がりを失ってしまった」と思った… でもその体験によって「家族の繋がりの本質」を知り、「その大切さ、有難さ」に気付けた事は結果的によかったんじゃないかと思うんです。 「本当に失ってしまってから気づいた」サスケとは違い、サラダの眼が見る未来は「明るいものになる」んじゃないだろうか。


・サスケ一家の眼に写るもの

 さて…話を戻して先週の続きですが、サラダが見せてくれた《写輪眼×怪力》…これが全てを語ってますよね。 サラダは自分の拳を見て、ちょっと驚いたような顔もしているので、この時初めて発揮できた力だったんじゃないかと思うのですが、まさにパパとママの力の合わせ技… 

 そして、それを自然にこなしたサラダを見て、本来なら「さすがDNAが為せる業だね!」と言うところなのでしょうが…今回ばかりはちょっと違う受け取り方もできました。 ナルトが前に指摘していた「(サラダは)雰囲気はサクラちゃんとそっくりだしな… キレた時が怖そうなところもな」…それって、以前の感想でも触れたように「DNAに因るものではなく」、親の姿を見て自然と「似てきたもの」じゃないかと思うんです。 

 「キレたら怖い」ってのは、普段は理論的で物事をわきまえているサクラが、日頃溜めてきた想いをチャクラとして一瞬に「凝縮し爆発させる」って事かと思うんです。 かつてサクラは、その爆発力を日頃は「内なるサクラ」に閉じていましたが、次第にそれを「表」に出すようになり、彼女の愛情由来の怒りは「しゃーんなろー」とともに一気に放出されるようになった…
 サラダも、普段はチョウチョウの「訳わからない妄想話」にも我慢強く付き合ってあげてるし、ママの「言い聞かせ」もちゃんと聞いていたり「日頃はずっと耐える」事が出来る…だけど溜まってきた疑問や不満、不安を両親やナルト相手に「一気に爆発」させたりする。 

 サラダの「雰囲気はサクラちゃんにそっくり、キレたら怖そうなところも」というのは、瞬発的な《しゃーんなろーな爆発力》と言いますか…それが自然とチャクラコントロール(および感情のコントロール)やチャクラを溜める事(想いを溜める事)、一気に爆発させるのを可能にしたんじゃないだろうか… 
 だから怪力に関しては、もしサラダがサクラと「血が繋がっていなかったとしても」可能だったのではないかと思ったりするんです。「長期の忍耐と瞬時爆発」は「DNAに因るもの」ではなく「親の背中を見て育った子供が自然と身につけたもの」じゃないかと…子は親を見て育つ…いずれにしても、これこそ《親子の証》と言えましょうか。

 サクラの《ギュ》という力いっぱいのハグや、《しゃーんなろー》という力いっぱいの拳。 日頃想いを理性で抑えていたり、わきまえている分、表現する時には「力いっぱい全力」。  たとえば21巻での告白や、72巻での告白《私はサスケくんが好きで好きでたまらない》とか《大好きなのに…!!こんなに想ってるのに…!!》とか… 大切な人を傷付けたり陥れた者に対して「パワフルな拳」を喰らわせたりとか「モラル欠如のヘビ野郎」「黙れメガネ!」という厳しい言葉を投げかけるなど…彼女はいつでも愛情を全力投球する。

 で、今回もサクラはサラダを《ガッ》と引き寄せて抱きしめてるんですよね。 

《ガッ》ですから…思いっきり力強く引き寄せてるんですよね、で…サラダにまた「苦しいよ…ママ」と言われてしまうほど、サクラは思いっきりパワフルに抱きしめる。愛情いっぱいに全力で抱きしめる。

 サクラの《ガッ》という愛情表現を見て…2人の父親達(ナルトとサスケ)は、それぞれ「……」と無言で見つめていますが、ナルトはすごく嬉しそうだし、サスケは相変わらず(比較的)無表情。  でも、あえて「……」が書かれているって事は「それなりに想う事がある」って事なのでしょう(きっと)。

 「サスケと温もり」については以前も考えたことがあるのですが()、サスケは「スキンシップ的な行動」を自分のほうから起こすタイプではないかもしれないけど、本来はそういう温もりを「求めていた」んじゃないかと思っています。 かつてイタチの「背中の温かさ」が恋しくてワザと怪我をしてみたり(25巻の回想)、「安心できる温もりの大切さ」をサスケはよく知っているハズなんです。 
サクラが「サラダにそれを惜しみなく渡している」のを見て、サスケはどう想っただろうか…?
 
 だけど、ナルトのほうは…サクラの「正真正銘私の子に決まってるでしょ」を聞いた時、それまでの嬉しそうな表情から「……」とちょっとキョトンとした表情になったのですが、その後サラダの「パパはママと気持ちがちゃんとつながってると思う?」「何でそう言いきれるの…?」という質問への、サスケの答え…


『お前がいるからだ… サラダ』

…に、ナルトもニッコリする。


いやぁ…最高ですな、サスケのこの言葉。ボソッといいこと言うな…

それを聞いたチョウチョウも(なんか…いいな…サラダ)なんて思ってますが、いや、チョウジだって同じように想っているハズだよ…とも言いたくなったけど、でも「これほどの言葉」を親から直接聞ける事って、実はなかなか無いんじゃないだろうか…とも思いました。 少なくとも日本では親も子も愛情をストレートに表現することは少ないから、親が子供にこんな言葉をダイレクトに言ったり、子供がこういう質問を親にダイレクトにする事は少ないかもしれない。 
 もっとも、サスケがこの言葉を「照れも無く」言えたのは、この言葉が「道理に適ったもの」であるせいかもしれませんが、だけど、実は愛情がいっぱいないと言えない言葉でもある…  

 サスケのこのセリフが《サスケ、サクラ、サラダ》三者の絵の「ドまんなか」に置かれてるのも、この言葉によって3人がよりしっかり「ギュッ」とつながれた感じが伝わってきます。 この「三竦み」、皆がお互いに「守りたい」と思っていて繋がってる…そして支え合っている。
 子は鎹(かすがい)とはよく言ったものですが、本来血が繋がっていない夫婦を「つなぐ」…それは単純に「血でつなぐ」だけじゃなく、「想いでつなぐ」…こっちのほうが圧倒的に大切なんだって事を、今回の外伝は改めて教えてくれた気がします。 子供の存在が、夫婦の《想い》をつないでいる…サラダはちゃんと「お弁当を届けることが出来ていた」んですね。いいなぁ…家族って、親子って。
 

(そして、うちは一家の食卓風景)…

 家族全員で食卓を囲み、子供の話をパパが聞いてあげて、ママが温かいご飯を持ってきてくれて…本当に「どこにでもありそうな、ごくありふれた光景」。ナルトにとってのそれは、イルカ先生と「一楽で過ごす時間」だったのだろうし、53巻の扉絵では「幻のミナト一家のだんらん」の絵が“ちょっと騒がしい朝食風景”として描かれてましたっけ。
 でも、こういう何気ない日常を過ごせる事こそが、きっと本当の「幸せ」。 ナルトとサスケは、失ったり最初から無かったからこそ、そんな日常の「有難さ」をよく知っている者だと思うのですが…できるならやっぱり「失う前に」気づきたい。気付いてほしい。

 短い時間ではあったけど、サラダもそんな「日常にある何気ない幸せ」を初めて味わって、その「有難さ」と「それを守る事の大切さ」に気付いたんじゃないかと思うんです。 そして…サスケが守ろうとしているモノも、こういった「当たり前の日常、里の人達の何気ない幸せ」なんだと…サラダもいつか分かってくれるんじゃないのかな。

 そして旅立ちの朝、サスケは…寂しそうなサラダを《スッ…》と抱き寄せてやりましたね、自分から。 ちゃんとしゃがんで、サラダと「目線を合わせて」…
 サスケの抱きしめは、サクラがやったみたいに《ギュ》《ガッ》とか「ママ痛いよ」的な力強いものではなくって、《スッ》…“そーっと”なんですね。コワレモノを扱う様に、壊れないように大切に、そーっと愛おしく包むように…。

 「里の外」という見えないところで危険な任務に就くことも、子供達、そして里の未来を守る為…それは「ダイレクトに伝わる愛情表現」ではないけれど、大切なものを外から“そーっと”包むようなサスケらしい守り方。 それが「サスケらしい愛情表現」なんじゃないのかな。

 だけど、サスケにとって「最大の愛情表現」とも言える とっておき特別の「また今度な」《トン》…今度はサラダにあげましたね(サラダ、すごく嬉しそう…)。  そしてこの時のサスケは自然な微笑みで、すごく…いい表情をしている。
 
 ん―…つまり、699話でサスケが旅立ち際に、サクラに「また今度な…」《トン》をしたってのは、あれはサスケにとっちゃ「相当かなりの愛情表現」だったんだと改めて分かります。 サスケの中では「告白」に近いものだったんじゃないかな、アレ…。

しかし、今回サクラは「おあずけ」…ま、娘の前ではそうなりますか(笑)
でも、サクラは頬を紅くしたり、デコトンしてもらいたくて積極的に顔を突き出したり、得意の「上目遣い」をしたり…相変わらず乙女っぽくて可愛らしい。 たぶん、サスケは「いくつになっても変わらない愛妻」に、きゅ~んとハートを掴まれたんじゃないかと私は思うのですが、あまりにもキュンとなり過ぎて「照れた」んだろうか…クルッと後ろを向いて「行ってくる」って…(照れ隠しかなコレ…)

(私はおあずけ~~~!!? しゃーんなろー!!!)

ったく…照れ屋で素直になり切れないところも含めて「サスケらしさ」という事でしょうか。 でも、サクラは「こういうサスケ」が大好きなんだろうし、だからこそ「また今度な…」の言葉も活きてくるってものなのかもしれない。

 後ろを向いたサスケ…口元しか見えないけど、わずかに微笑んでますよね。 
そして手には「しっかりと握ったサクラ御手製のお弁当」…サスケがサクラの想い、気持ち、突き出したオデコをしっかりと「受け取っている」のが分かる… そして、サクラとの繋がりを「確かめている」ようにも見える… この思いを胸に、パパは遠い地でも頑張れるのだろうな…


・そして「サラダの眼に写るもの」

「里の人みんなにお弁当を届ける訳にはいかないから… 代わりに」
「火影になるって決めたの」

そうか、そうなったか…!

700+3話のサラダのセリフ、「届ける人がハッキリと分かってるなら迷う事もないじゃん… それなら…私にだって届けられる!」…この言葉の着地点は何処なんだろうとずっと探していたのですが(700+3話の感想で「この先読み進めるうちにこの言葉の意味がさらに分かっていくだろうから、この言葉の「雑考」はもうちょっと先までとっておこう…」と言い訳して保留してました)、どうやらここに辿り着いたようで…  サラダは「里の人みんなに届ける」こと、そしてその為に「火影になる事」を決めたらしい。 サラダには、ナルトが「里の人みんなにお弁当を届けてくれている」って思えたんですね(でもボルトはそうは思っていないらしい)。… 
 サラダの「本当の親探し」、そして「お弁当配達の旅」は、「火影になる」という新たな夢に辿りついた…

 いつか、きっと…サラダには「初のうちは一族出身の火影」となってもらいたい…。

 んでもって、サラダの火影岩にはトレードマークのメガネとさらに写輪眼もしっかり彫ってもらって… でも、それだと目が飛び出てるみたいになるね(笑)  

(最後に、サスケ、サクラ、サラダようやく家族3人揃った写真を見てニコッと最高の笑顔を見せるサラダ)。

 でも、今は…サラダが大切そうに見ているのは「写真」そのものではなくって、そこに写った「つながり」そして「想い」なんだろう…と思います。 
 サラダの写輪眼は、目に見えない「本当に大切なモノ」を見る眼…つまり目に見えている真実事実とやらより「本当に大切なもの」…想いや愛情を見る事ができる眼になっていくのかもしれません…



サラダの眼には、どんな里の「未来」が写っているかな…


イメージ 1

(感想その2を後でアップします…シン達の事、カブト、香燐のこと、そしてこの外伝を読んで思ったことなど…そして「今後」のことなど。 最終回なので、ゆっくり続けさせてください…)








ナルト好きブログ! 2015/07/06 その1