ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

「変わっていくカタチ」…NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ を読み終わって思ったことをちょっとだけ

「変わっていくカタチ」…NARUTO-ナルト- 外伝~七代目火影と緋色の花つ月~ を読み終わって思ったことをちょっとだけ

 さて、外伝連載が終わって一週間… 
 コメントで教えて頂いた「月刊ガンガン掲載の岸本兄弟対談」を読んでみましたが、外伝は…岸本先生が思う「王道」とは外れているけれど面白い作品にしたつもりだそうで(女の子を主人公にしたり、敵が第一話から出てこなかったりとか)。 私としては、細かい部分にも刺激的なエッセンスがあったりNARUTO世界に残る謎を思わせるなど)、気になっていた人物たちの「その後」を知る事が出来たり、短い中でも岸本ワールド的な「つながり」メッセージがドーンと伝わってきたりで、ずっしりぎっしりな面白い10話だったと思っています。

 それに…少しずつだけど、ナルト達が住む忍世界の「変化」も実感することも出来ました。 変わったのは「高層ビルが立ち並ぶ整然とした街並み」だけではなく、人もそうなんだな…と。

 で…外伝を読んで最後に思い出したのが、34巻のサイのセリフでした。

《人は変わる でも変わらないモノもある つながり…それを確かめたいんだ》

 これは私の「大好きなセリフ」の1つでして、本編の感想でも度々引用させてもらいました。 「人は変わる、だけど つながりは変わらない」…それを確かめたかったのはサイだけじゃなく、皆そうだったんじゃないかな…。 第七班にとってのサスケもそうだったし、カカシとオビトもそうだったし、柱間とマダラもそうだったし…大蛇丸綱手自来也…さらに大蛇丸と三代目もそうでした。 時代の流れや運命の流れ次第で、人の考えは変わっていく。 だけど友情、師弟の信頼関係、大切なつながりは変わらない…  

 外伝でも、カブトとウルシの変わらない繋がりが描かれていたし(カブトは仙人化の影響が残ってて「前とは姿は変わって」いるけれど)、香燐も「カタチは違っても」つながりを大切に守っている事が描かれていた…

人は変わるし、想いだって繋がりの在り方だって「カタチ」は変わる。 でも、香燐はサスケを「割り切った」訳じゃないと言っていた…香燐がサスケを「大切に想う気持ち、自分の幸せ以上にサスケの幸せを願う気持ち」に変わりはないんだろうけど、そのつながりの「カタチ」は変わる…  大切な本質は変わらないまま、柔軟に「カタチ」を変えていく…それこそ本当の「進化」じゃないだろうかとも考えさせられました。

 700+10話感想その3で書いた事の重複になってしまいますが、香燐のセリフ「つながりってのは色々なカタチがあんだよ…」と「カタチ」がカタカナで書いてあったところに「なるほど」と思ったんです。
 こういう「カタカナ表記」は流行りのスタイルでもあるけれど、漢字で「固定、指定」しないことで、自由に変化できる柔軟性を感じられるんです。 本質は変わらないけど、色々な「スタイル」は変わっていく… 

 これもは全くの私観ですが、たとえば忍の在り方「たえしのぶ(タエシノブ)」についても、自来也が言う「堪え忍ぶ」からナルトが言う「耐え忍ぶ」に変わっていったのも、「本質は変わらないが時代とともにスタイルは変わっていく」という事なのかと私は考えておるのですが(616話感想※)… 時代に合わせて「カタチ」も変わる…それも受け継いで進化させていく方法の1つなんだろうかと思うんです。

 シンさんは、進化の為に必要なのは「弱いモノを淘汰し強いモノが生き残る」事だと言ったけど、確かにそれも一理ある。 だけど、それはただの「能力的な進化」の話であって、本当に大切な進化とは「前の人達の想いは繋いで、前の人達の失敗から学んでいく」そして柔軟に変化させていく事なんじゃないだろうか…と思います。
 
 ちょうど今アニメで放送しているマイト・ダイ、ガイ親子の話もそうですが、本編の最後のほうで「親子」の話がちょこちょこ出てきましたよね。 カカシもガイも偉大な父さんを持っていて、それでいて父さんの「ちょっとダメな部分」も息子達は感じていたりして… 息子達は父さんの失敗した部分から学びながら、父さんの想いはしっかり受け継いでいる。 それこそ「父親を超えていく(進化)」という事なんじゃないかと思うんです。 「能力的に」超える事だけが、「親を超える」という事ではなく…「想いをつなぎながら、自分のスタイルで受け継いで変化させていく」のが親を超えるって事でもあるんじゃないだろうか。

 ナルトも「過去の人達から学んだんだってばよ」と言ってましたっけ…
過去の人達の「失敗」や、敵の考えを「否定」したり淘汰するのではなく、そこにある大切な想いは受け取って「学んでいく」…

 ボルト達も、親の「偉大さ」にプレッシャーを感じたり「親のやり方」に違和感を感じる事も当然あるハズ。 彼らが、ナルト世代にはなかった発想で、親父たちが出来なかった事を学びながら、また新しい忍の世界を作っていくのかな…なんて期待しています。 自由に「カタチ」を変えていけばいいんじゃないのかな…


(映画のボルトがどんな「オヤジ超え」をしてくれるのか、楽しみ…)。




☆駄文読んでくださって感謝。



☆ちなみに聖史先生の絵、絵によっては斉史先生の絵に似てるし全然違う雰囲気もあって…双子で漫画家って、やりにくくないのかな…と思ってしまう。不思議だなぁ兄弟って…

(ナルト好きブログ! 2015/07/13)