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千手柱間の「カリスマ性」 (雑談です)

千手柱間の「カリスマ性」


10月23日は初代火影・千手柱間の誕生日。  柱間については、昨年10月の記事で書きたい事は大体書いちゃったので、今回は「雑談」をちょっとだけ…

 「柱間」に関しては… 65巻で穢土転生されて「ガハハ」と豪快に笑ったり、弟に怒られてズーンと落ち込んでる「意外な姿」に、とにかくイメージを覆されました。 なにせ「初代火影」ということで、もっとお高い感じで近寄りがたい「神がかったカリスマ性」を持つ人かと勝手にイメージしてたからです。 だけど、違った…親しみやすく、おおらかで…だけど、やっぱり威厳に満ちている。

 本当の意味での貫禄、威厳、カリスマ性…柱間にそれを感じたのは620話、サスケのわだかまりを解くために「話をしてやろう」と《どっしりと座り込んだ時》でした。 目先のことより今何をすべきかを考えて、大局的に物事を見据える…そして「座り込む」ことで、サスケと目線を合わせてゆっくりと話をしてやる… そこにとんでもない「器の大きさ」を感じさせられたのです(これも以前の記事に書いてるのですが)。 

 そして、本当の意味での「カリスマ性」ってのは、こういうものなのかなぁ…なんて思ったものです。

 実は、今回もちょっと「柱間」に関する記事を書いてはみたのです。が…いつのまにか「扉間」中心の話題になってしまったので、やめにしました(苦笑)
 今までも、柱間のことを書いていると次第に話が逸れてしまって、なぜか「扉間と柱間」とか「マダラと柱間」の話になってしまうことが多かったんです。 なんでいつもこうなるんだろうと考えたら、「柱間」という人は あれだけのカリスマ性を持ち個性も強烈なのに、「たった一人」では成り立たない人だからじゃないか…と思ったんです。 
 「成り立たない」なんて言ったら語弊があるけれど、何といったらいいのか…彼はまさに「光」そのもののような人だから、「影」となってくれる存在があってこそ、くっきりとその人物像も魅力も浮かび上がるんじゃないだろうか(その逆も然りだけど)。

 そして彼の天然で楽観的なキャラも、誰かの「突っ込み」があってこそ際立つ。

 先日のアスマのところでも、シカマルはアスマに色々と突っ込みながら「補佐役」としてのスキルを磨いたんじゃないか…なんて思いましたが、扉間もそうだったのかもしれない…扉間にとって「兄者へのツッコミ」は、補佐役としての重要なルーティンであり、癒しの時間…   
 穢土転生された扉間は、ミナトの術名「螺旋閃光超輪舞吼参式」に反応して「普段ならお前の術名にツボるところだが…奴の前では笑えんぞ」なんて言ってましたから、普段は「柱間兄者の天然な術名」にツボっては笑っていたのでしょうか(柱間も子供時代には「体術奥義超火遁幻術斬り大手裏剣二段落としの術」なんて術名をつけていた)… 扉間の絶妙な突っ込みがあればこそ、柱間のおおらかや優しさも、さらによく伝わる… 

 たしかに柱間の「能力」は、特別すぎるほど特別でした。 強くて特殊な能力を持ち… だけど「強い」忍は他にもいたかもしれないし、平和への夢を持つ忍も多かったかもしれない。 その中で柱間が「特別」だったのは、彼自身の能力以上に「周囲に恵まれていた」という点で特別だった…それが何よりも一番特別だったんじゃないか…とも思います。 あれほどの人物であっても、やはり柱間一人では成し得なかった… 

  ありとあらゆる面で的確に突っ込んでくれた「扉間」という優秀な弟がいて、互いに刺激し合い切磋琢磨してきた「マダラ」という永遠のライバルがいて、九尾の器にまでなってくれた「ミト」という妻がいて、柱間の《賭》精神を受け継いだ「綱手」という孫娘がいて…  周囲に恵まれていたからこそ、柱間は持ち前のカリスマ性を十分に発揮することが出来、その魅力を発揮できたのではないかと改めて思います。 今更だけど、今更ながら…


「ちょっと」のつもりが長くなってしまいましたが…  次回は、もう一人の「カリスマ」 …(カリスマといえば「あの方」)…についての雑考をと考えています。





☆駄文読んでくださって、感謝…