ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

岸本先生の視点を動かすカメラワーク(NARUTO考察)

「ジャンプ流Vol.2 岸本斉史」を読んで・・その3、「視点を動かすカメラワーク」のことを少しだけ(マダラとナルトの目線)

  今回の本についてくる「岸本先生描きおろしの火影ナルトの絵」・・これがまた、ナルトが「こっち」に向かってくるような迫力のある絵なんですよね。 その絵を「製作中」のDVDも見ましたが、先生はサササっと描いていってしまう(ように見える)・・・うーん、まさにゴッドハンド。 
 
 さて、最後に・・「ジャンプ流・岸本斉史」の中から、先生ならではの「視点を動かすカメラワーク」のことを少しだけ。 
 
  視点を動かす、変えることで、違う面が見えてくるカメラワーク・・・「ジャンプ流」では、ナルトがペイン天道に螺旋丸を撃ちつける瞬間を「三方向のカメラから」立体的に撮る手法が1つの例として出されています。 カメラ位置を「どこ」に置くかによって、絵の印象は随分と変わってきますよね。 
 
 たとえば、その効果を実際に感じたのは「サスケが香燐を刺したときの顔」(51巻)・・あの時のサスケの顔は「下からカメラを見上げる」ことによって、さらに怖く見えました(陰影を利用した、いわゆるヤマトの“恐怖による支配”効果)。
 その「見上げると怖い」効果を、自分の「イメージ戦略」に利用していたのが うちはマダラです。
 
 コミックスで「穢土転生されたマダラ」の登場シーンを見ると、ほとんどが「高いところから偉そうに見下ろす」位置にいるんですよね。忍たちを見下ろし、尾獣達を見下ろし・・・そしてライバル「柱間」に対しても、見下ろす位置を取ろうとしています。 
 第四次忍界大戦の戦場で柱間を出迎える時にも、マダラは「高いポジション」をしっかり確保し、柱間を見下ろす準備をしていましたし(66巻66ページ参照)、43巻180ページで登場する「終末の谷の戦いの絵」(トビがサスケに語っている絵)も《九尾を従えたマダラが満月を背景に高く舞い、柱間はマダラを見上げながら迎え撃つ》構図になっています(この絵は「ジャンプ流」でも「客観的に広角レンズで描かれている」という説明があります)。 
 
 
・《客観的な描写と、主観的な描写》
 
 「客観的なカメラ」は、そうやって常に彼の「威圧的な態度」をとらえていたわけですが、 ではマダラの心情を写す「主観的なカメラ」は、いったい何をとらえていたのでしょうか。 
 
 「主観的なカメラ=マダラの眼の位置に置かれたカメラ」がとらえた映像は、61巻21ページ「マダラ本人が回想する柱間の絵」として登場します。マダラの「眼」が見た「柱間」は、《まっすぐ正面に毅然として立ち、対等に向き合っている》…
マダラは柱間を見下ろしてもいないし、見下ろされてもいないんです。あくまで「対等」なんですね。 しかも・・
 
 「全ての術がケタ違い・・人は奴を最強の忍と呼んだ 奴とは命懸けの戦いをしたものだ・・」と語るマダラの表情は、なぜか少し柔らかく、嬉しそうでもあります。 マダラの主観的カメラは、本当は柱間を見下ろしたいのではなく「対等である事が嬉しかった」ことを正直に写し出しています。
 マダラがその他に「うれしそうな表情」を見せたのは、「忍連合が意外なほど見事な連係を見せた時(64巻92ページ)」「ガイが見事な体術でマダラを追い込んだ時(70巻)」でした。 やはり本当は「見下ろしたい」のではなく、「対等以上」な人材と出会いたかったんじゃないだろうか。
 
 昔・・里の創設時のことですが、柱間はマダラに火影就任を依頼して、マダラの「優しい顔に修正した火影岩」を作り、「高いところから里の皆を見守ってくれるように」頼んだ事があります。 でも、マダラはその逆・・「いかつい顔で見下ろし、皆を恐れさせる」道を選んでしまったんですね。でも、それはマダラなりの「高いところから皆を見守る」方法だったような気もします。  「力が無ければ大切なモノを守れない」と考えていたマダラは、高いところから「優しく見下ろして見守る道」よりも、「いかつく見下ろして挑戦者をあおる道」を選んだのかもしれません。

だけど、マダラが信頼できるような「対等以上」の人材は結局現れず・・マダラは将来を悲観し「自分が一人で全部やる」道を選んでしまったのでしょうか。 その道は、うっかりすればナルトだって進みかねない道でもあったわけですが、でもナルトはそうはならなかった・・・
 
 「見下ろす」 と「見上げる」カメラワークは、ナルトの場合は違った形で使われています。
 
 
 
・《視点の変化が語るもの》
 
 
 
「お前は“皆のおかげでここまでこれた”と言ったな 力をつけた今 他人の存在を忘れ 驕り “個”に執着すればいずれ・・」

「マダラの様になっていくぞ」

「・・・仲間を忘れるな」
 
 
 
 
 
・・・これは、58巻でイタチがナルトに忠告した、鋭い一言です。  もし、あの一言が無かったら、ナルトも「マダラと同じ方向」にいっちゃった可能性はあったのです。
 
 ペイン戦で見せたナルトの強さは「憎しみ」にも依存していたし、「仙人モード」という特別な力を得たことで「全部自分一人でやる」というマダラっぽい発想になりかけていたのも事実なんですよね。 それを指摘し軌道修正してくれたのが、サスケの兄ちゃんだったのです。

(イタチがあの時言った「マダラ」とは、マダラ本人なのかオビトなのかハッキリしませんが、特に本家マダラはその傾向が強かったと思う)。
 
 
 
 それから戦場に向かったナルトは、仲間と一緒に戦うことで つながりや信頼を確認し、マダラとは違った道を進む事になります。 それを視覚的に伝えているのが「カメラワーク」・・・(これでやっと「感想その1」の続きに戻ります!)

  46巻ペイン戦でのナルトは、『バァちゃんは茶でも飲んでいてくれ』と言って「オレが」「オレ一人で全部やる!」のナルトでした。あの時カメラは、正面のやや高い位置に置かれ、敵をキッと見据えるナルトと、その後ろに座り込んでいる綱手の両方を撮っています。 ナルトが壁となって仲間を《守る》事が、強調されているんですね。
 
 
しかし・・イタチに会って忠告された後の60巻と66巻では、カメラはその「逆」の位置に据えられています
 
 
 60巻567話では、ピンチに陥ったナルトのところにカカシとガイ、二人の先生達が駆けつけて「壁」となり守ってくれます。 この時のカメラは、ナルトと一緒になって「先生達の背中を見上げる」位置に置かれています。 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
(567話感想から)
 
今度はナルトが《守られる》事が強調されているんですね。
 
(同じ「見上げる」であっても、「顔」の場合は怖~く見えますが、「背中」の場合は眩しく頼もしく感じられるから不思議)。
 
このカメラ位置、これがまた絶妙に計算されていまして・・・ナルトが「見上げている姿」という“客観的な絵”と、ナルトの眼が見ているのとほぼ同じ「先生の背中」という景色(“主観的な絵”)が同時に映し出しています。
 
 
 「見上げる」ことで、先生たちの背中はさらに大きく眩しく 「頼もしく」見えます。これは、この時の「ナルトの心情」そのもの・・・そしてナルトはすごく嬉しそうに「来てくれたんだカカシ先生!! ゲキマユ先生!!」とはしゃいで、素直に喜んでいるんですよね。 もう「先生たちは危ないから引っ込んでてくれ」なんて言うナルトじゃあない、素直に喜んで素直に甘えるナルトです。

(その後のナルトを見ていても「さすがカカシ先生」とか「カッケ―ゲキマユ先生」と、他者を「ほめる」場面がちょくちょく描かれます)。

 
 
 
 さらに66巻629話になると、「大勢の一般の忍達」がナルトの壁となってくれます。 この時のカメラ位置は「60巻の絵とほぼ同じ位置」に置かれていて、60巻の絵とは「対」になっているんです(これは当時の感想で触れましたが・・)。 
 
イメージ 1
 
 
(629話感想より)
 
  今度は壁となってくれる「人数」も増えているし、 しかもナルトが見上げているのは、「一般の忍達」・・言っちゃナンですが、カカシやガイほど強くなさそうな「一般の」忍達の背中なんですよね。 だけど「見上げ効果」ってのは抜群で、彼らの背中でさえも凄く頼もしく見えるのです。 この「眩しく頼もしい仲間達の背中」も、この時の「ナルトの心情」そのもの。
 
 そして今度は(皆ァ・・)と しみじみと仲間の有難さをかみしめながら、仲間を頼もしく思うような表情を見せています。 60巻で先生たちが来た時は(来てくれるなんて!)という感じで「嬉しくてはしゃいでいた」ナルトですが、今度は(嬉しそうなんだけど)すごく落ち着いているんです。 もう自然になっているですね、お互いに守ったり守られたりということも・・信頼され信頼することも。 そんなところにも、ナルトの成長した軌跡が感じられるんです。 ペイン戦の時のナルトとは全然違う・・そこに居るナルトは「すっかり仲間から信頼され、仲間の事を心から信頼している」成長したナルトでした。 
 
  ナルトは実感したんじゃないでしょうか・・  大切なのは「戦闘能力の強さ」ではなくて、「仲間を想う気落ち」なんだってことを。  ナルトは「強さ」に関係なく仲間を信頼し、託すことができた・・・これこそナルトに出来て、マダラには出来なかった事だったんですね。 
 
 ペイン戦の時から新たに始まった、ナルトの新たな「内面的な成長」の物語は・・46巻、60巻、66巻で使われた「視点を動かしたカメラワーク」によって見事に演出されていました。 「視点を動かす(変える)」ことで、今まで見えなかったものも見えてくる・・・それを教えてくれるのも、岸本先生のカメラワークなんですね。
 
 
 (私も「視点を変えて」の雑考をしていけたらなぁ・・とあらためて思いました。できれば・・だけど)。
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝・・・
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2016/02/07)