ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

カグヤの涙と「親離れ」について ・・(BORUTO-ボルト-第1話感想、その2)

カグヤの涙と「親離れ」について ・・(BORUTO-ボルト-第1話感想、その2)


《他でもない これはオレの物語だ》

《だけどオレは火影の息子・・・オレの物語にはどうしたってこの父ちゃんが絡んでくる・・・夢を叶えた忍 火影が》

《そして・・・オレの物語は 父親が自分の事を見てくれねーといじけてたガキの頃から始まる》

《もう一度断っておくが これはオレの物語だ》

《ただ・・・最初のほんの少しだけは 父ちゃんとオレの物語だ》

(第1話より)

これは、大きくなったボルトによる回想の「語り」なんですが、ボルトは《偉大な七代目火影の息子》という重たい看板を背負って苦労したんですねぇ・・。

 ナルトが《九尾》を背負って育って苦労したように、ボルトは《偉大な火影父ちゃん》を背負って苦労してる。 それでも、ボルトは父ちゃんの事が《大好き》なんですよね。 
 大好きだからこそ複雑・・・父ちゃんに対して「本気の怒りの眼差し」を向けることもあれば、子供らしく「父ちゃん大好き」モードで眼を輝かせることもある。 突っ張って大人っぽく振る舞う事もあれば、無邪気で子供っぽい態度を見せることもある。

 親子ってのは、色々なカタチがあって・・・それぞれに難しいもんですね。
 

で、親子といえば・・・


「大筒木カグヤと息子達」 (いきなり話が飛びますが)。


 カグヤの二人の息子達「ハムラ・ハゴロモ(六道仙人)」は、親がした事の「尻拭い」をして、息子(ハゴロモ)はン百年経っても母に「驚くほどドライな態度」を見せていた。 それに、「カグヤと黒ゼツ親子」というのも、実に謎だらけ。

 今ちょうどアニメでも「カグヤの話」に差し掛かっているようですが、NARUTO-ナルト-のラスボスである「カグヤ」ってのは、結局よく分からなかった。 
 ナルトもカグヤのことを「心がねーみて―な感じだった」と言っていたけど、カグヤに本当に「心」が無いかといえば、そんな事も無く・・・彼女は「お前達が・・・憎い ハゴロモ・・・ハムラ・・・お前達はワラワのもの」と涙を流していたし、ナルトの「あの術」おいろけ・逆ハーレムの術に(一瞬とはいえ)見事に引っかかったぐらいだから、ちゃんと「心がある」ハズなんです。

 それでもナルトが「カグヤには心が無い」と言ったのは、まだ17歳の少年に「ン百歳のバアチャンの母心」を理解するのは難しかったのか、あるいは、今までの敵のように「自分と共通する何か(心をつなぐ取っ掛かり)」を見出すことが出来なかったせいだろうか・・? 


 ナルトはあの時「親離れを喜ぶのが母ちゃんってもんだろがァ!!」と言っていた・・・ 

 ナルトがそんな事を言ったのは、その少し前にミナト父ちゃんが「すっかり成長して頼もしくなった息子ナルト」に嬉し涙を流していたからでもあるんですよね。 
 だから、息子のことを「ワラワのモノ」とか言って「憎しみの涙」を流すカグヤは、ナルトには「親離れさせたくない親(子離れ出来ない親)に見えたかもしれない。

それに、ン百年もベッタリと親にくっついて離れようとしない黒ゼツには、「そういや・・お前 親離れしたくねーんだったな」「親離れもできねェガキ一人がカン違いしてんじゃねェーってばよ!!!」と怒って投げ飛ばしていた・・・。

ナルトは・・・好き好んで「親離れ」したわけじゃないけど、ずっと一人で親離れさせられて、頑張ってきた。 それだけに「勘違いしてる」彼らには余計腹も立ったんじゃないだろうか。 ナルトから見たら「親と一緒に居られる」だけでも十分幸せで恵まれているハズなのに、こいつらは一体何やってるんだ!って思ったかもしれない。

 だけど・・・カグヤと黒ゼツ、そしてカグヤと二人の息子達の間に「本当は」何があったのか・・その複雑そうな関係やら事情を、ナルトは知らないんですよね(そして読者もよく知らない)。 
 親子の間には、愛情と信頼「だけ」ではない、複雑な想いの行き違いや誤解、しがらみなどが色々あるけれど、ナルトは(まだあの時のナルトは)それはよく分からなかったんじゃないだろうか。

 
で・・ちょっと思い出したのが、第1巻のサクラがナルトについて語ったセリフなんです。


「いつも一人でワガママしほーだい!!」
「いーわねーホラ!一人ってさ! ガミガミ親に言われることないしさ」
「だから いろんなワガママが出ちゃうのよ」

(第3話から)


 それでサスケに「…孤独 親にしかられて悲しいなんてレベルじゃねーぞ」「お前 うざいよ」と例の言葉を言われて、やっとサクラは思いやりのない言葉を言ってしまったことに気付くのですが・・・

 でも、あの時のサクラの言葉は意地悪だったわけではなく、あれも素直な子供らしい発想だったんじゃないかとも思うんです。 単純に「うるさい親がいなくて自由で羨ましいなぁ」というね・・・  もしサクラが好きな時間まで遊んだり、勉強もしなかったり、お汁粉ばっかり食べてたら、親に「ワガママは許さん!」って叱られてしまうからだと思うんですよね。 だから「ナルトってワガママだよね」って思ってしまったのかもしれない。

 あの頃のサクラに「ナルトの孤独」を分かってやれと言っても、難しかったに違いない。 逆に、あの頃のナルトに「サクラがそう思う気持ち」は分からなかったとも思う。

 黒ゼツってのは最後まで卑怯なキャラで、もはや「同情のしようもなかった」けど・・・アレはアレで他人には分からない過去があって、「親離れ」できない事情があるのかもしれないし、カグヤも「親離れさせたくない身勝手な親」ではなく、母親としての深い愛情や悲しみがあるのだと思う。

 一筋縄じゃいかないのが「親子」の関係・・・ 

「里の親、そしてボルトとヒマワリの親」となった「今のナルト」だったら、ちょっと違う見方をしたかもしれないし、それに「ボルト」だったら・・・カグヤの複雑な親子関係について、ちょっと違うことを考えたのかもしれない。出来たのかもしれない。

・・・・・・・・・
 

《他でもない これはオレの物語だ》

《もう一度断っておくが これはオレの物語だ》

 ・・・ボルトはそう言うけれど、物語が始まったばかりの今はまだ、どうしてもボルトを「ナルトの息子」として見てしまう。 ボルトの中にナルトを見たり、BORUTOを読みながら、こうやって「NARUTOの雑考」をしてしまったり(ごめんよボルト!)。

・・・だけど、それでも今はいいんじゃないか、それでも仕方ないんじゃないかと私は思ってます。

 BORUTOの物語を読んでNARUTOの物語を考える・・・それはそれで「2つの物語をつなぐ」ことになるんじゃないかと思うし、無理に「ボルトだけを見る」事をしなくてもいいんじゃないかとも思う。 そのうち、意識しないでも自然と「ボルト」だけを見ていけるようになるかもしれない。 ぜひ、そうなって欲しい。そうさせて欲しい。 
 そして、それは「ボルト自身の歩く道次第」だと思っています。 ボルトがどうやって「親離れ」してみせてくれるのか・・・その過程を見守っていきたいと思っています。



 
☆長文を読んでくださって感謝・・・そしてまだもうすこし今週の感想は続きます(ボルトたちの家族像のことや、木ノ葉の人達のことなどを少々)。




(ナルト好きブログ! 2016/05/11)