永遠の万華鏡写輪眼はなぜ「永遠」なのか・・という話 (永久の美についての雑考)
今回は、前回に引き続き《永久の美》関連の話として、「永遠の万華鏡写輪眼は何故永遠なのか、なぜ綴じないのか」について・・・今さらな事を今さらながら少々。
最後のほうは、「瞳術」も些か飽和気味だったけど、それでも第2巻でカカシが「写輪眼」を見せた場面とか、イタチが「月読」を初披露した時はワクワクしたもんでした。 特に、一瞥しただけで異世界に引きずり込む「万華鏡写輪眼」なんてのはね・・。
最後のほうは、「瞳術」も些か飽和気味だったけど、それでも第2巻でカカシが「写輪眼」を見せた場面とか、イタチが「月読」を初披露した時はワクワクしたもんでした。 特に、一瞥しただけで異世界に引きずり込む「万華鏡写輪眼」なんてのはね・・。
だけど、その万華鏡写輪眼にも「失明」というリスクがあるとわかって、そのあと登場したのが 「眼の移植」という“その眼を永遠にするシステム”。
42、43巻のイタチ、トビによる「マダラ・イズナ間の眼の移植」話はかなり生々しかった事もあって、永遠の万華鏡写輪眼ってのは“呪われた力”だと思ってた頃もあった・・ だけど、その後マダラ・イズナの兄弟愛が明かされて 、「永遠の万華鏡写輪眼」のイメージも随分変わりました。 これも「愛情あればこそ」なんだなぁと分かって・・
で、 以前は「どういう仕組みで失明しなくなるのか、永遠になるのか」って事がすごく気になって、アレコレ妄想してました。 過去記事には、そういった恥ずかしいものがいっぱいある・・・ 2種類のチャクラをブレンドすると「変化」が起きるんじゃないか・・とかね。 ま、いくら考えたところで「岸本先生世界のシステム」を解析できる訳が無いんだけれど、それでも二枚目火影・扉間風な「分析ごっこ」をして遊ぶのも、それはそれで楽しかった。
で、 以前は「どういう仕組みで失明しなくなるのか、永遠になるのか」って事がすごく気になって、アレコレ妄想してました。 過去記事には、そういった恥ずかしいものがいっぱいある・・・ 2種類のチャクラをブレンドすると「変化」が起きるんじゃないか・・とかね。 ま、いくら考えたところで「岸本先生世界のシステム」を解析できる訳が無いんだけれど、それでも二枚目火影・扉間風な「分析ごっこ」をして遊ぶのも、それはそれで楽しかった。
・・・だけど、ホントは「そういう事じゃない」んですよね。 チャクラや身体的な変化とか・・ そんな事ばっかり目が行ってるうちは、物事の本質なんて見えてなかった。見えるはずもなかったんです。
それは、シンプルに「受け継がれていくことで、想いがつながれていくから」ということなんですよね、きっと。
体内で起きる変化の「理由」が何かあるにしても、大切な事はそういう事じゃあない。
《永久とは何なのか、どういう事なのか》について、ひとつの明快な「答え」を示してくれているのが、55巻のカンクロウの言葉です。 カンクロウがサソリに語った、本当の意味での《永久》とは・・・
《永久とは何なのか、どういう事なのか》について、ひとつの明快な「答え」を示してくれているのが、55巻のカンクロウの言葉です。 カンクロウがサソリに語った、本当の意味での《永久》とは・・・
『アンタの造った傀儡にこそ 朽ちる事のない魂が宿ってんのがオレには分かる』
『アンタの技術・・・ そして造った傀儡は 朽ちる事のないもんだ そこに宿る魂を受け継ぐ後世の操演者がいてこそな!』
・・私はこの言葉が大好きでね。
《そこに宿る魂を受け継ぐ後世の操演者がいてこそ》・・・それは、きっと「永遠の万華鏡写輪眼」も同じことですよね。 想いと共に受け継がれた傀儡が《永久の美》となるように、想いと共に受け継がれた万華鏡写輪眼は《永遠の万華鏡写輪眼》となる。 それってチャクラの変化がどうこうとかより、ずっと大切な事だと思う。
眼を受け取った(託された)側であるマダラやサスケは、「兄弟の願いを実現できない自分」に悩んで迷っていたけれど、それでも「兄弟の想い」はしっかりと受け止めていたんじゃないのかな。 だから、だからこそ、その眼は《永遠=永久》になったのだろうと・・思う。
「永久、永遠とは何なのか」という事については、大蛇丸も当初は「朽ちない肉体」が答えだと思ってましたよね。 18~19巻の「三竦みの闘い」では、永遠の若さと美貌を保ちたい2人(綱手と大蛇丸)が闘っていたけれど、あの時、先に「答え」を見つけたのは綱手のほうだった。 「想いは朽ちない」そして「受け継がれ、繋がれていく」んだと・・・・
ナルトとサスケは、共に“大切な人達”を失ってしまった。 だけど、逝ってしまった人たちの想いを、カタチを変えながらつなげていった。 ナルトとサスケ・・・彼らが歩いてきた道は、どちらも 《永遠=永久の美》を追求する道でもあったんですね。
そして、命も力も芸術も「1人だけ」では限りがあり、いつかは滅びていく・・ だけど、後継者に受け継がれる事でそれは《永遠》になる。 岸本先生が 「永遠の万華鏡写輪眼」物語を通して伝えたかったのも、《永遠、永久の美とは「本当は」どういう事なのか》という事なんだろうと思っています。
なんだ・・そんな事かぃと言われそうな、すごく今さら感のある話ではありますが、アレコレ屁理屈の雑考もしてきた自分としては・・一度「反省」の意味もあって・・ 今さらながら、今さらな話をあえて 書かせていただきました。
大切なのは、その言葉の「意味」なのだと・・
☆駄文、読んでくださって感謝。
☆NARUTOの中であらゆる角度から描かれた《永遠、永久の美》。 その一方で《一瞬》は、そしてそれに関連して「グルグル」のことを次回、
☆月曜日の夜に、次回のBORUTOの感想もちょこっと。
(ナルト好きブログ! 2016/09/11)