ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

グルグルと「生の実感」・・・彼が問い続けた「便意」

グルグルと「生の実感」・・・彼が問い続けた「便意」 (永久の美と一瞬の美の雑考、その2として)

8月末、舞台「ライブスペクタクルNARUTO」千秋楽のライブビューイングを観てきました。 今回は、須賀健太さん演じる我愛羅の、このセリフがドキッとするほど心に残った・・・

《オレを傷付ける程の奴を倒し そいつの全てを奪い去ることは・・オレに より強い 生の実感 を与えてくれる!》

 舞台では原作通りのセリフだったか記憶にないんだけど、とにかくこの部分・・・

 ちょうど「永久の美と一瞬の美」の雑考を書いてた事もあって(そうだったよなぁ、我愛羅も《生の実感》ってもんを探していたんだよなぁ)としみじみしてしまった・・

 他者を倒す事でしか己の存在を認められず、生きていることを実感できない・・・それって、我愛羅に限った話じゃあないと思うんですよね。 厳しい任務を経験した忍達の多くが抱え、悩んでいた問題でもあったんじゃないのかな。

 生きている歓び、生の実感、《一瞬の美》・・・「今」この時を精一杯生きる、限りある生命の力強い輝き。 第一部で、我愛羅が探し求めていた《生の実感》・・・結局、忍達はその「答え」を見つけられたんだろうか・・?


・グルグルの再登場 

 《永久の美》とくらべたら、忍達は《一瞬の美》について真剣に考えてこなかったんじゃないだろうか・・という話は、前回の雑考(その1)で触れましたが、「サソリの昇天とデイダラの封印」以上に ハッキリそれを感じさせたのが「グルグルの再登場」でした。

 NARUTO-ナルト-の物語終盤、突然戦場に姿を現したグルグル・・・ 彼(?)が忍達に語った言葉、それは《お前ら忍は「生きているとは何か?」の問いに、真剣に答えようとしなかった》という意味だったんじゃないかと思ったからです。


・グルグルが登場した「タイミング」


 「グルグル」が最初に“表”に登場したのは、63巻603話オビトの回想上・・・時期的には九尾事件直前、ようはうずまきナルトの物語」開始直前でした(このタイミングが重要だと私は思ってる)。 

 その時、グルグルは何を言ってたかと言うと・・


便意! つまりうんこをしたくなる気持ちってどんな感じ? 例えて・・》


・・なんですよね。 この時、グルグルは初登場でいきなりこの「問い」を投げかけているのです。 便意ってどんな感じなのか《何かに例えて言ってみろ》って。

 その次にグルグルが“表”に登場するのは69巻、時期的には戦争終盤、NARUTO-ナルト-完結直前でした。 ナルトの物語も終わりに近づいて、登場人物達が各々「こたえ」を見つけていった頃、そのタイミングに再び出てきたグルグルは・・・

《ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないってこと?》

便意ってどんな感じか聞いてんだろ》

《まぁ・・・人を殺した時のスッキリ感に似てるって思うんだけどね・・》

 ・・・とバッサリと切り捨てる。 「NARUTO-ナルト-の物語開始直前」に登場し、「便意ってどんな感じ? 何かに例えると、どんな感じなのか?」と質問を投げかけたグルグルは・・・「NARUTO-ナルト-の物語終了直前」に再登場し、「結局、誰もボクの質問に真面目に答えなかったね」と裁定するのです。

 グルグルに言わせれば、この間の十数年――いわばNARUTO-ナルト-の物語に於いて――この問いに対する忍達からの「期待したような返答は無かった」――ということらしい。

 

・グルグルが問う「便意」の真意

 グルグルが言うところの「便意」・・・このブログではそれを「生の実感」あるいは「生きている」感覚、生の歓びのことじゃないかと解釈してきました(参照、過去記事=2014年の気になったセリフからグルグルと白ゼツの便意雑考662話感想など)
 つまり、グルグルは便意を何かに例えるなら、それは生の実感、生きている歓び、他者によって生かされていることの有難さ」という答えを期待していたんじゃないか・・と私は思うんです。

 人間が感じる便意とは、ごはんを食べて栄養をもらって「そのおかげで生きている、生かしてもらっている」事を実感出来るモノでもあります。 それこそ、生きている証、生かされている事の有難さを実感できるモノ・・・
 603話で、白ゼツとグルグルは「白ゼツ細胞(いわゆる柱間細胞)のおかげでキミ(オビト)は生きてられるんだよ、ありがとうって感謝して欲しいぐらいだよ」とも言ってるんですよね。

 人間が、日ごろ当たり前のように受け取っている栄養分、ごはん・・いわば大地の恵み。 人間は他者によって「生かしてもらってる」のに、その有難さを忘れかけている。 しかも、かつて忍達は《他者を排除する事で生の実感を得られる》とまで考えていた・・・それじゃ“真逆”だっていうのに・・・  

 古い時代にくらべたら、ナルト達の時代は随分変わったように見える。 だけど、それでも「相変わらず戦争をしている忍達」の姿は、グルグルには「この十数年で何も変わっちゃいない、相変わらず他者を傷付け排除する事でしか生を実感できてない」ように映ってるんじゃないだろうか。 
 十数年経っても、誰もグルグルの質問の“意味”を真剣に考えようとしなかった…まともに取りあおうとしなかった。 グルグルが満足するような答えを示さなかった。 だから、グルグルは《まぁ・・・人をころした時のスッキリ感に似てるって思うんだけどね》と強烈な皮肉を吐き捨てたんじゃないだろうか。 それは斬り捨てるような冷たいセリフと言うよりも、深い失望からくる嘆きのように聞こえる・・


・「生きてる!!」・・生の実感、生の意味

 第二部は「死」が支配し、忍達がその死を乗り越え昇華していく物語の連続・・という話をこの前いたしましたが、もちろんNARUTO-ナルト-の中に「生きている歓び」が描かれている部分もあります。 たとえば、第一部ラスト、綱手《でも・・皆生きてる それが何よりだ》の言葉と、それを聞いてのシカマルの涙は印象的だった・・・ 生きてる・・ホント、それが何よりだって、心からそう思えた。

 だけど、第二部でいきなり「死」が連なったため、それを乗り越えるのに皆が必死になってしまった。 その中で、グルグルが登場する603話の直前「602話の最後」・・・これは子供オビトの《オレは生きてる!!》のセリフで締めくくられているんです。 当時、あのセリフに私は強烈なインパクトを受けましたね・・・NARUTO-ナルト-の中で《生きてる!!》ってストレートに「生」を叫ぶシーン・・意外と少ない気がするんですよ、だからすごく新鮮に感じられたんです。 で、603話のグルグルの「問い」は、その流れの続きにあるんですね。

 さらに、グルグル再登場の時(662話)・・この話はナルトとサスケが「生と死の狭間」を彷徨う話でもあるのですが、この時サスケはこう叫んでいる・・・

「イタチの…生きた…意味を… こんな…ところで…」
(本当の里を…創る… 本当の影を示すまで…)
「オレは…」
《死んでたまるか!!》

って。

死にたくないと「生」を求めるサスケは・・この時、イタチの「死の意味」ではなく「生きた意味」とも言っている。 
 グルグルが登場する度に叫ばれる「生」、そして「生の意味」。 それはいったい、何を語っているのだろう・・・


・託された《一瞬の美》の答え

 結局、グルグルとは何者だったのか、そのあたりは完全に「謎」のまま終了してしまいました。 物語上、トリックスター的な存在でもあるグルグル・・・ 
 データブック「陣の書」では、グルグルじゃなくって「トビ」の名で載っていますが、その名から連想する「十尾」なのか・・あるいは「デイダラ」とコンビを組んでいたことからも、でいだらぼっち(十尾の呼び名の一つ)なのか・・結局分からないまま。 でも、もし彼が“全ての祖、大地、自然そのもの”の十尾だったとしたら、忍達が「生」への感謝、生かされていることの有難さを忘れていることは、嘆かわしいに違いない・・

 「今」生きている歓び、生かされている有難さ、一瞬の美・・・

699話のエンディングで、求めるように伸ばしていたグルグルの「手」・・・ あれは、一時的に取り込んでいた「ヤマト」に向けられていた・・というよりも、忍達全体に向けられた「手」だったんじゃないだろうか。 まだ、答えをもらっていないというね・・・

 そして、その答えは「次世代」であるBORUTOに託されたというよりは、もしかしたら「読者」それぞれに託されたんじゃないのかな。 《生きていることの実感、生きている歓び》は、それぞれ自分で見つけていけというね・・・ 

便意ってどんな感じ? 例えると・・・》

・・・案外、これは作者から読者への「問い」だったりして。





☆長駄文、読んでくださって感謝。


☆29日、いよいよアニメも大詰めのようですね。楽しみにしてる半面・・寂しくもあり。 その前に、できれば「ナルトとサスケ」の雑談記事をちょっとだけと思ってます。 アニメの感想もかきたいなぁ・・・  






(ナルト好きブログ! 2016/09/22)