ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト-疾風伝「ナルトとサスケの最後の闘い」の感想、 印象的だった「手」

NARUTO-ナルト-疾風伝「ナルトとサスケの最後の闘い」の感想を 印象的だった(手)

  この前のアニメの感想を、ちょっとだけ(今頃だけど)。

ついにナルトとサスケの「ラストバトル」が始まったけど、アニメは進むのが速いなぁ~・・・ じっくり「味わう」ならコミックスを読む方がいいかもしれないけれど、でも「アニメならではの良さ」も やっぱりある。 

 この前のアニメでいいと思ったのが、ナルトとサスケが最後に《螺旋丸と千鳥》をぶつけ合うところ。 「螺旋丸と千鳥」といえば、ナルトとサスケの今まで「歩いてきた道」。 それを遂にぶつけ合う時、それぞれの物語をぶつけ合う時が来たんだという感慨もあるけれど・・・その演出が素晴らしかった。
 
《ナルトが螺旋丸をつくる時に「たくさんの手」が出てきて、ナルトを助ける》・・・

 これは原作漫画には無い演出なんだけど、次から次へと現れる「師や父ちゃん、仲間達の手」が何とも優しくて、《ナルトは一人じゃないんだ》と胸が熱くなった。 

 この少し前、サスケが「多重影分身の術」のことを「ナルトの弱さ」だと指摘してますよね。 でも、ナルトは「己の弱さ」を受け入れたうえで、それを「一人でやるんじゃなくて皆と協力する」という「己の強さ」に変えている。 《皆でつくる》螺旋丸は、サスケの指摘への「答え」にも感じられた・・・ 言葉じゃなくって、拳にその「想い」を乗せたんじゃないのかな。
 
 アニメだとちょっと分かり難いけれど、闘いの後半、実はナルトはほとんど「しゃべっていない」んです。 ナルトは、52巻で言っていたあのセリフ《ぐちゃぐちゃお前に言うのはやめだってばよ!…ったくよ 口ベタなオレが説教なんてガラじゃなかったぜ! 拳で分かり合うのがお前とのやり方なのは間違いねーよな!》を このあたりから実践してたんじゃないかと私は思ってます。 最後の「螺旋丸と千鳥」の前も、直前までサスケのセリフはあるんだけど、ナルトはほとんどしゃべっていない・・

 そのかわり、サスケは実によく喋っているんですよね・・・
第二部以降ほとんど明かされなかった「サスケの心の中の声」もオープンになってるし、本当によく喋っている(アニメでも杉山さんのセリフが多かったハズ)。
いつもなら「ナルトが喋ってサスケは黙ってる」のがパターンなのに、ナルトが黙ってるもんだから、サスケは独り言のようにして喋っていく。 

 サスケは「己の弱さを受け入れているナルト」に自分自身を重ねているから、ナルトのことを認められない。 認めるわけにはいかない。 この《ナルトとサスケのラストバトル》は、サスケが「己の弱さ(つながりを求める気持ち)」を受け入れて認めていく闘いでもあるんですよね。そして「何度でも黙って立ち上がるナルト」に拳を向けながら、サスケは己と闘っていく・・・ナルトに「本当の自分の姿」を見ながら。

  それと、闘いの前半で「過去を切り棄てる」と言ったサスケに、ナルトが「オレは全部過去の人達から学んできたんだってばよ!」と言って、師や両親、仲間、出会った人達の顔を思い浮かべてる場面が「原作」にはあるんだけど、アニメではこの描写はありませんでした。 そのかわり、ナルトのその想いを「螺旋丸を一緒に作る手」として表現していたんじゃないだろうか。  「口下手な説教」は止めて「拳」に全ての自分の想いを託す・・・ナルトがそれを行動で示したのが、アニメの《皆の想いと一緒に作る螺旋丸》だったんじゃないかと思います。

 
螺旋丸と千鳥で差し出される「手」、
つながれる「和解の印」、
失われる代わりに想いでつながれる「手」、
同じ方向を向いてつながれた、無限月読解のための「手」・・・

ナルトがサスケに向けた「拳」・・・ナルトと一緒に「螺旋丸」を作ったたくさんの「手」は・・・仲間達からサスケに差し出された「つなぐ為の手」にも思えた。 サスケがずっと求めていたはずの「手の温もり」が、そこにはあったように思えた・・



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(いよいよ次は「和解の印」、その前に(予告を見ると)アニメオリジナルの付け加えで「52巻のナルトのセリフ」(オレ達が闘ったら死ぬ、うちはでも人柱力でもなくなって・・)を回収するみたいですね。 あの部分の解釈は色々あると思うけど、アニメではどんな風に使われるのかな・・・)


☆関連記事:697話感想その2(連載当時に書いた感想)
      螺旋丸と千鳥の雑考(これは連載中、ラストバトル前に書いた記事)




☆駄文、読んでくださって感謝・・


(ナルト好きブログ! 2016/10/05)