ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

「カイザ」に見る、NARUTOの典型的な“ザ・父ちゃん”

「カイザ」に見る、NARUTOの典型的な“ザ・父ちゃん”

NARUTOの「父ちゃんズ」から、今回は「カイザ」そして「カイザとイナリ親子」のことを少々。

 カイザは、波の国エピソードの(回想上に)出てくる「イナリの父ちゃん」。    直接ストーリーに関わる事もないし、「忍」でもないし、イナリとは「血」のつながりも無い。   だけどNARUTOで一番最初に登場する「父ちゃん」で、カイザの生き様・死に様は  NARUTOに於ける「父ちゃん像」そのものと言っていい(と思う)。


カイザがイナリに伝えた言葉にも、NARUTOの「父ちゃん像」が見える・・

「男なら後悔しない生き方を選べ」

「自分にとって本当に大切なものは・・つらくても悲しくても頑張って頑張って たとえ命を失うようなことがあったって この2本の両腕で守り通すんだ!」

「そしたらたとえ死んだって 男が生きた証はそこに残る・・・永遠に」

・・まさにNARUTOに出てくる「父ちゃん」、カッコいい父ちゃんの背中。


  カイザは己の信念を貫き通き、大切なものを守り通したカッコいい父ちゃんだけど、それでも・・失敗もした。 NARUTOには そういった父ちゃんがたくさん登場しますよね、ミナト、サクモ、ダイとか・・   それにカイザの生き様・死に様は(父親ではないけど)自来也やイタチ、歴代火影やネジにも通じるものがある。   カイザとは、広義での「NARUTOに於ける典型的な父ちゃん像」と言えるんじゃないだろうか・・?

  《カイザは、どこか他の国から波の国にやって来た漁師で、危険を顧みずに人々を助け、「英雄」と呼ばれるようになる。  しかし目立ち過ぎたせいか、ガトーに言いがかりをつけられ、処刑されてしまう・・・それも、イナリの目の前で。
  英雄(ヒーロー)だと思っていた父ちゃんの失敗や現実の厳しさを目の当たりにして、それ以降イナリは心を固く閉ざしてしまうのだが、ナルトと出会って・・「父ちゃんの意志」を胸に立ち上がるのだ》。

 で・・・このエピソードで注目すべきと思うのが、イナリがただ父ちゃんの意志を受け継いだだけじゃなくって《父ちゃんには無かったモノを補った》という点なんです。 尊敬する父ちゃんを真似するだけでなく、ちゃんと父の失敗に学び、父に足りなかったものを補って・・自分なりのカタチにして受け継いでいる。  
 《自分ができなくても、後の者が受け継いで つないでくれる》《尊敬する者の真似をするだけではなく、足りないものを補っていく》 ・・・これらは、NARUTO終盤で何度も繰り返されたテーマでもあります。

では、イナリはどうしたのかというと・・・

  自分一人で頑張ってヒーローになるのではなく、人々を説得して《皆と一緒に力を合わせて 協力して立ち上がる》ことを選んだ。   「皆と協力した」というところが、父カイザとは違ったんです。

  カイザは頑張って「何でも一人でやろうとした」から、町の人達はすっかり彼に頼り切ってしまった。  だから、英雄カイザがいなくなった途端に「皆あきらめてしまった」んですよね。 でも イナリは、諦めずに皆で「協力」すれば 希望はつながると信じた。


  第4巻33話、イナリが人々と一緒に並んでガトーに立ち向かう画(110頁)は、物語終盤で「オビトに立ち向かって並んだナルトと忍連合」の画と どこか似てるような気がする。 辛くても悲しくても、それでも「親の生き様、カッコよさとカッコ悪さ(失敗)」から学んで、父ちゃんの想いをつないでみせたイナリ。  その姿は、まさに《忍び耐(つなげ)る》ものでした。

  ナルトやサスケも、父ちゃんや先輩たちの「想い」は大切に受け継ぎながら、彼らの失敗に学んで「彼らに無いモノ」を補っていった。 「一人で頑張る(忍び堪える)」のではなくて、「つないで皆で一緒に頑張る(忍び耐える)」というふうにね・・    
  ナルト達がその答えを確信したのは 物語終盤のことで、そこに至るまでは数年(4巻から72巻まで)の長い道のりだった・・・  でもそれより前、ずいぶん前に第4巻でイナリが「答え」を見せてくれていたんですね。  《最初に重要なテーマや答えを示しておいて、それから時間をかけてナルトが証明していく》・・・これ、岸本先生のお得意パターンですから。

 ご承知の通り「波の国エピソード」には、これから本格的に始まるNARUTOの物語の重要なテーマがギッシリと詰め込まれていますが・・ 「忍の生き様・死に様」そして「忍とは何か」という問題は、《再不斬と白》によって提示されて・・  そして「親子の在り方、父と子の間で受け継がれていくもの」という問題は《カイザとイナリ》によって示されている。

  「忍」問題の提示役であった「再不斬と白」が、いかにも典型的な“ザ・忍”であったのに対し・・「親子」問題の提示役の「カイザ」は、まさに“ザ・父ちゃん”。 
  
  カイザを「忍」ではない一般人(漁師)に設定し、さらにイナリとの親子関係(つながり)からも「血」を取り払ったことで、「カイザ」というキャラクターの「父親」としての面が一層際立っているんですよね。  忍という特殊な職業柄とか、血が繋っているかどうかに限定しなかったことで、かえって純粋な「親子のつながりというもの」、親子の在り方が浮かび上がってくる。 忍とか、本当の親子とか関係なく紡がれる《確かなつながり》・・・ 岸本先生が問う「親子」というテーマの本質が「カイザとイナリの話」にあるように思えるのです。  

  《処刑されるカイザが、イナリがいることに気づくのですが・・その時、ちらっと微笑んでいたようにみえる》・・
  
  ちょっとカッコ悪いけど、息子の前で 最後まで「自分の言葉」を曲げず、“父親”としての生き様をみせることはできた・・・    いつかイナリが希望をつないでくれる日が来ることを確信しての「微笑み」だったのではないかな。 
  そして、それはミナトが最期に見せた微笑みや、自来也の最期の微笑み・・  イタチの、ダイの、ヒルゼンの最期の微笑みと同じだったのではないかと思います。




☆駄文読んでくださって、感謝・・





☆第1巻第1話冒頭の「里を守った四代目火影」の語りも、命がけで大切なものを守った「父親」の話だから、厳密に言えば 最初に登場した「父ちゃん」はミナトだったのかも。   しかし、ミナトがナルトの「父親」と判明するのは、ずーっと先のこと・・・     後になってから「あれは(カイザのように)子供に未来を託して 大切なものを守った“父ちゃん”の話だったんだ」とジワジワ伝わってくる・・というのも、また乙なり。



(ナルト好きブログ!   2016/11/30)