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BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-第13話「切り札の価値!!」感想を少しだけ

BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-第13話「切り札の価値!!」感想

今週もBORUTO,読みました! 

 話の流れは「誘拐されたテントウのもとにボルトが助けに駆けつける」という、やや案の定的なモノではありましたが、そこに絡んだ《ミツキ・ボルト・サラダ》の話が面白かった・・


・ミツキの「ことば」から、なんとなく見えるモノ


「そう珍しい事でもないよ 今の風影様も 下忍時代にBランクをクリアしてる」
(木ノ葉丸先生から「Bランク任務」を言い渡された時のミツキの言葉)

 ミツキが「情報通」なのは分かるんだけど、Bランク任務は、いちおう「今の火影(ナルト)」だって下忍時代にこなしているんだけどなぁ・・・ だけど、ミツキが出した例はなぜか「今の風影(我愛羅)」。

 なぜミツキが「下忍時代の我愛羅」の話を知っているんだろう・・と思ったけれど、親の大蛇丸が「下忍時代の我愛羅」とは何かと関わってたんですよね(関わりと言っても、我愛羅の父を倒したのが大蛇丸だったり、大蛇丸のお気に入り・君麻呂と最後に闘ったのが我愛羅だったという因縁だけれど)。 だから、大蛇丸がミツキに「昔の我愛羅」の話を色々としていた可能性は・・ある。

「闘の書」によれば、 下忍時代の我愛羅がこなした任務は「Sランク1、Aランク1、Bランク1」。 「木ノ葉崩し」は超Aランク扱いなので、Bランク任務とは「木ノ葉への増援(サスケ奪還任務、音の五人衆戦)」なのかな、それとも違うのかな・・・?  

 いずにれにせよ、ミツキの「風影様も・・クリアしてる」の言い方からは、普通に「風影様への尊敬の念」も感じるんですよね、つまり、大蛇丸が「下忍時代の我愛羅」のことを高く評価するような形でミツキに話していたんじゃないかと思えるのです(下忍時代の風影は、君麻呂と対等に闘える忍だったのよ・・とかね)。 
 もちろん、これは推測でしかないけれど・・・それでも、親の「価値観」は自然と子供に刷り込まれるし・・・逆に子供の言動から「親の家庭内での言動」もバレますから。

 大蛇丸が「若い世代を正当に評価できるようになった」のは、NARUTO62巻のこと。 そこに至るまでの長い間、ホントに色々あったけど・・今では心から若い世代を愛おしみ、評価しているのが伝わってきます(62巻以降の大蛇丸を見ていると分かる)。 そして、大蛇丸による「若い世代の評価」はミツキに伝わり、ミツキに自然と刷り込まれる。

 ミツキを見ていれば「大蛇丸の日常」も、なんとなく見えてくるような気がするんですよねぇ・・


・ボルトの「選択」に見えるモノ

 そして、木ノ葉丸先生に命じられたBランク任務を放棄して、テントウの救出に向かったボルト。

 先生からは「期待が大きいって事はその反面・・失敗した時の評判の落ち方もハンパじゃねぇ」と言われていたのに、ボルトは迷わず「友達」を選択してましたね。 自分の評価が下がるとか、勝手な行動はいけないとか、全く気にしていない。 
 そして《任務か仲間の命か》の究極の二択は、サクモ以来、多くの忍達がず~っと悩んできた「お題」でもあるのに、ボルトはこれにも全然迷ってないんですよね。決断がすごく自然なんです。

 で・・この迷いのない判断は、ボルトが「ナルト父ちゃんの日常」を見てきたからじゃないかと思うんです。 たとえば、今のナルトはかなりの遅刻魔みたいですが、それも「人助け」に忙しかったりするからであって(第1話でバアちゃんをおんぶしてる火影ナルトの画がある)・・・子供って、そういった親の「何気ない日頃の言動」をちゃんと見てて、自然に身につけていくんじゃないだろうか・・? ボルトの姿に、ナルトの日常の姿が見えるような気がする・・


・サラダの「しゃーんなろー」に見えるモノ

 で、今回一番驚かされたのがサラダなんです。 大事な任務に「行けなくなった」としか言わないボルトに、サラダは「大事な用なの?」「話せない事?」としか聞かないんですよね、そして「わかった」と・・・ え、それだけ??

 サラダは怒りもせず、ボルトを問い詰めたりもしなかった。

 真面目なサラダにとって「大事な任務を放棄しちゃう」ボルトの感覚は、おそらく理解不能。 だけど、「しゃーんなろーだよ・・!」で済ませてしまってる。 自分とボルトの「感覚のズレ」を受け止め、受け入れているんですよね、自分と「同じ」である事にこだわってないんです。

 前にも、男子たちがカード集めに夢中になってる様を「バカだね男って」と呆れながら受け入れている場面がありましたが(詳細は※「サラダのバカだね男っての雑考」にて)、あの時の「バカ」も、今回の「しゃーんなろーだよ」も、NARUTO699話でサクラが辿りついた「しゃーんなろーよ……バカ」の境地なのです。 

 ちなみに「問わない」のは、カカシが70巻で到達した「サスケ・・お前が今何を想っているのかオレ達にも話したくないならそれでいい」の境地とも通じるし、「仲間だからって全て同じである必要はない」って事も、先達が長い時間をかけて辿り着いた答えなんです。 なのに、サラダはもうこの境地に達している・・思わず「スゴイ」と思ってしまった。

 だけど、これらはサラダ自身が己の経験で「その境地に達した」わけではなくって、サクラママの日常を見てきたからなんですよね。 外伝(花つ月)でサラダが知った、サクラのサスケへの「受け入れる愛情」・・ひたすら信じる愛情・・そんなサクラの日常の姿を見てきたからなんだと思います。 サラダの姿に、サクラの日常の姿が見えるような気がする・・


・切り札の「価値」

 テントウは、ボルトにもらった「火影のカード」を見て、ボルトに教えてもらった事を思い出し、自分もパパの役に立とうと根性を見せようとする。 そしてボルトは、テントウの激レアカードを見て、テントウとの友情を確認し、さらにこれは自分の力で手に入れると決意を新たにする・・  「カード」の価値も、大切なのはその表面上の価値(カードの強さやレア度)ではなく、そこにある「意味」なのかもしれません。
 ボルト達が遊んでいる忍者カードは、おそらく強さの「ランク」や格付けみたいなのがあって、その基準や激レア度によって「価値」が決まっているんですよね。 ボルト達に与えられた任務も「Bランク」と決められているようにね・・ だけど、本当の価値はそんなところにあるわけじゃあない(きっと)。


 忍の任務も「Bランク任務」だからスゴイとか、珍しい(レア)だからスゴイとか、凄い忍がやった事だからスゴイという「誰かが決めた基準」によって価値が決まり、判断される。 
 だけど・・・たとえば我愛羅がこなした「Bランク任務」にしても、それが仮に「音の五人衆戦(木ノ葉への増援)」だとしたら・・・その「難易度」に価値があったのではなく、その任務が「木ノ葉との友情を築いたこと」に本当の意味、価値があったのだと思います。

 ボルトは、「既成された価値判断基準」にとらわれる事なく、「己の価値判断」に従っている。 本当に大切なモノが何なのか、ちゃんと分かってる・・ 父ちゃん達が苦労して辿り着いた地点に既に立ち、それを受け継ぎ、そこからスタートしようとしている。  そして、それを子供たちに伝えたのは、親達の「何気ない日頃の普段の言動」・・・特別な何かではなく「飾りのない、本心からの自然な言動」じゃないのかな?

 子供ってのは、親の「カッコつけた背中」以上に・・・「日常の背中を見て育つ」ものなんですなぁ・・・





☆サラダの家に立ち寄るボルトの背景に、「ゴオオオオ・・」の無気味に吹き荒ぶ風の音が。 で、テントウがとらえられている倉庫の外にも「ゴオオオ」の音。

☆これBORUTO第2話でも出てきた表現で(※第2話感想その1)、嵐の予感・・そして2地点を繋ぐ音として出てきてるような感じ。

☆ここで風影様(我愛羅)のことがで出来たのは、今後ボルト達が砂隠れと絡んでいく前振りなのかな?(砂隠れの若手三人組とはこれから関わりそうだし)。

☆ボルトは、テントウ護衛任務のことを《最初のうちはマジ無理って思ってたんだけどよォ・・ちゃんと話してみたら案外イイ奴でさ 最終的にフツーに友達になったぜ》と説明していたけれど、これが「ボルト流」になっていくんじゃないのかな。 はじめは苦手だと思っていた相手と、よく話してみると「案外とフツーに友達になちゃう」というね(ナルトもそうだったけど)。

☆参考までに、過去記事紹介「ゲンマとライドウの会話から《勲章と基準》」忍達は「誰かが決めてくれた基準」と「己の基準」の間で迷ってきた・・

☆ライブスぺクタルNARUTO(舞台)観てきました。今回は、サスケ・イタチ兄弟の話がメイン・・二人の闘いが終わるところ(44巻のはじめ辺り)までのストーリー。泣けました、




☆長駄文、読んでくださって感謝・・・





(ナルト好きブログ! 2017/06/05)