ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS- 第14話「チームワーク・・・!!」感想

-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-  第14話「チームワーク・・・!!」感想

 今回は場面転換なしでずっとバトルでしたが、ところどころ「ボルトらしさ」も出ていましたね。 


・バトルでの「ボルトらしさ」

 ナルトの影分身は千人、ボルトの影分身は4人・・・この「数の差」だけは、どーしても超えられない壁ですよね(今のところ)。  パワーでは父ちゃんに劣る点を、ボルトは「器用さ」で補っている・・  手裏剣に雷遁を流して使いこなすところや、煙玉を使って視界を遮ってからの多重影分身など、戦い方の段どりの良さは新米忍者とは思えないほど、洗練されている・・(これは、ミツキやサラダにも言えるんだけれど)。   それに「黙って冷静に頭の中で分析していく」ところも、父ちゃんとはちょっと違う感じ。

  「ヒーローとしての登場の仕方」にしても、大昔のナルトは「三枚目的登場」で自来也型、ちょっとダサくて泥臭いカッコ良さだったけれど、ボルトは自然とクールに決まっている・・      ま、言葉遣いこそ「図体の割にクッソ速ぇな」とか、上品とは言い難くて「火影のご子息らしい」とは言い難いんだけど・・  それも「意識的に口調を崩してる」感があるんですよね。    クールを装っているのか、あるいは火影の「坊ちゃん」として扱われたくない為に、意識的に崩してるんだか・・ でも、随所に見られる《優しくて人が良くて、本来どこか〝無邪気でおっとり〟としたミナト爺ちゃんに似た一面》に「育ちの良さ」が見えるような気もするんですよね(それがまたボルトらしくていいんだけれど)。

 

・育ちの違い


「育ち」といえば、ショジョジがこんな事を言ってますね、

「元々何でも喰う生きモンだろ 人間なんてのは・・・ それぞれ育ち方が違うだけだ」って。

  なら、ショジョジさんはどんな育ち方をしてきたんだろとも思いますが;  そういや「あの一族」も、何でも喰らっちゃう一族でしたよね。 仲間を喰らったモモシキ、神樹の実を喰らったカグヤ・・・   かつての大蛇丸も若い子を乗っ取って「捕食」してましたっけ。

 人間てのは、育った環境で考え方や常識が大きく変わるもんですよね。  前回(13話)の感想で、ミツキ・サラダ・ボルトを見ていると「親の日常が分かるような気がする」と書いたんですが、ま、親の顔が見たいとかよく言いますもんね。  ようするに「家族、家の環境=お育ち」って、影響が大きいような気がする。

 ボルトがあのムカつくテントウと仲良くなれたのは、「育ち」に共通する点があったというのもありますよね。 ボルトには、テントウの心の「軌道」が読めた・・とでも言うのかな。  もし、育ちや考え方、互いの感覚が違って「共通する取っ掛かり」が全く見つからなかったら・・仲良くなるのは もっともっと時間がかかって難しかったかもしれない。 
 良くも悪くも人間は狭い認識世界の中に居て、その殻を打ち破るのは難しいもんですよね。 大昔、人間には「地球がまるい」なんて発想はなくて、どこかに地の果てがあると考えていたように・・己の認識の枠を打ち破るのは難しい。

  前回13話の感想では、忍世界の古い慣習や既存の価値判断基準にとらわれることなく、ボルト達が自分自身の基準を持ってくれて嬉しいとか書いたんですが、それでもまだまだ、彼らは狭い世界の中で「認識」してるのかもしれないですね;

 ここでまた、私の頭の中にはイタチのあの言葉が響いてきます・・

《人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている しかし知識や認識とは曖昧なモノだ その現実は幻かもしれない》
《人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか?》

・・ほんと、その通りだと思う。


・認識と軌道


で、今回出てきたセリフを2つほど出してみますが・・

《風遁・風伯盾(ふうはくじゃん)は、認識した攻撃なら全て返せる無敵の風バリア》
《認識して全て返す・・!? 多分「消える螺旋丸」も効かねぇ・・ 軌道を読まれて返されるだけだ やるなら不意をつくしかねぇだろうが・・》

・・《認識》そして《軌道》(定まった道)。

 ショジョジのバリアは「認識したもの」だけ跳ね返せる。  「知っている」とか「一定の法則が決まっている」(軌道がある)ものは認識できる。  だけど、自分の認識を超えたものは読めない・・・そして、

(知っているぞ うずまきボルト・・お前の影分身は「4体」まで・・)

(知っているぞ)とは言うけれど、なまじ「知ってる」だけに、その情報・認識に縛られ、ショジョジは不意をつかれてしまった。  ただの情報、データ、知識として「知っている」だけのモノは、実際に経験・体感して得て「知った」モノとは違って、応用したり発展して考えられないんですねぇ・・

  ボルトがテントウと仲良くなれたのは「育ち」が似ていて、気持ちがよくわかるという理由も大きかった。 だけど、それ以前にお互いを「知る」大切な過程がありましたよね。   実際に触れてぶつかって、語って共に時を過ごしていくことで、「データや情報で知る」のとは違う「知る」体験をして、「意外」な発見をしていった。 だからこそ心が繋がり、それが不意をつくチームワークになっていったんだと思います。

 ショジョジはこんな事も言ってましたよね、

「百の術など学ぶ必要もない 相手を倒す力は相手が持っていればいいのだ そして気に入ったら喰えばいい」って。

 ショジョジのように喰らって丸ごと能力を得たり、まるまる記憶を得たところで「分かる」はずもない。 経験し学び覚えていく「過程」こそ最も大切なんだってことは、NARUTOでもいっぱい出てきましたね。
 「己の知識や認識を打ち破る事」は容易ではないけれど、地道に「知って、覚えて」、そうやって、ひとつひとつ「己の知識や常識の枠」を打ち破っていけるんじゃないだろうか・・と思ったりします。

 次回は、どうやらショジョジの驚く告白があるという予告だから、何か大きな展開があるんだろうか・・? もしかしたら「ショジョジってただの気持ち悪いオッさんでしかない」という私の「認識」も打ち破られるのかも・・(と期待)。



☆「部下4人」を先に戦わせて後から出てきたショジョジ、そして「影分身4人」とボルト本体。 数を合わせてるんですね。そこにボルト側は「+テントウ」と加わる・・  わかりやすい。

☆前の任務では、木ノ葉丸先生の話をよく聞かずに突っ走ってしまったボルト・・・チームワークの大切さを再確認したんじゃないかな。 「影分身は4人まで」でも、ボルトには仲間が居る・・・

☆ただ、今回ちょっと気になったのは「手」。 チャクラが練れない・・とアップになった、例の呪印のようなモノが刻まれた、あの手です。 

☆アレがずーっとボルトの心に影を落としてるような気がするんですよね。モモシキ戦のあと、ボルトの表情、目にはどこか曇りがあるような気がするというか・・ 

☆ボルトの事だから、周囲に気を遣って普段通りに明るく振舞っているんだろうけれど、「アレ」のことはずっとボルトの心に影のように付きまとっているんじゃないだろうか。 今回みたいに、ボルトが自分のチャクラを練れない事態になった時、あの「印」に封じられた力がいずれ蠢き、動き出すのではないかな・・

☆外伝花つ月のアニメも始まるようで、今はそれも楽しみ。



☆長駄文、読んでくださって感謝。






(ナルト好きブログ! 2017/07/13)