ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS- 第16話「器」感想

BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-       第16話「器」感想

『「器」が失われた』
『「外陣」を一人動かすとしよう』
『新しい「科学忍具」のデータを必要としていた所だ』

  ……やっぱり「」が多いよね、BORUTO

 「殻」メンバーの会話は、「内陣(インナー)」とか「外陣(アウター)」とか訳わからん組織用語が出てきたけど・・・こういった情報のチラ見せって、謎な雰囲気を演出したり 読者の「知りたい願望」を刺激するコツなのかな。

  そして今回登場の「殻」の面子ですが、これって池本先生の画風のせいかもしれないんだけど、ハリウッド映画を観てるような…  「果心居士」はどことなくSTAR WARSクワイ・ガン・ジンに風貌が似てるような(…気がする)。  しかもこの果心居士、名前に「果」つまり「実」的なモノが入っているところなど、気になりますなぁ・・コレ。


 そしてタイトルの「器」。 

 組織名の「殻」については前回書きましたが、「殻」も一種の「器」なようなものですよね。

 で、『器』という言葉にはちょっとドキッとしてしまった・・ なぜなら〝器〟といえば、「NARUTO」ではちょっとしたキーワード的なモノでもありましたから。  「器」ではなくて〝器〟ではありましたが。


「お前が望むような兄を演じてきたのは・・お前の〝器〟を確かめる為だ・・」

一族一族・・そういうあんたらは己の〝器〟の大きさを測り違え オレの〝器〟の深さを知らぬから今そこに這いつくばってる」

「組織に執着し一族に執着し名に執着する・・  それは己を制約し その〝器〟を決めつける忌まわしき事・・ そして未だ見ぬ・・知らぬモノを怖れ憎しむ・・愚かしき事!!」

「オレの〝器〟はこの下らぬ一族に絶望している」

(NARUTO25巻より、イタチの言葉)


イタチがサスケに言った「お前の〝器〟」の〝器〟とは、言葉の意味通り「能力、素質」あるいは「(うちは一族の能力バロメーターでもある)愛情の深さ」と解釈していいとは思うんだけれど、何だか気になっちゃってね……〝〟による強調が。  

 それに、もう1つの一族に向けたセリフ「オレの〝器〟はこの下らぬ一族に絶望している」などのセリフは、いくらイタチが早熟な少年だったとはいえ、弱冠13歳の少年が発する言葉としては古臭いというかジジくさいというか・・  あの後、イタチはサスケの声に「ピクン!」として現実に引き戻された感じがあったので、あの一連のセリフは イタチがどこかで読んだ いにしえの碑文とか 誰かから聞いた言葉を引用しながら語っていたのではないか…と考えたりした事もありました。

  で、その後しばらくそれを忘れていたのですが、久々にその 〝器〟という言葉を思い起こしたのが、68巻 651話に出てくる「須佐能乎を着た九喇嘛」の絵。  ナルトとサスケの共闘による、満月を背景に須佐能乎を〝器〟とした九喇嘛の絵・・
 これぞ神の「元の姿、本来の形」に近いのではないかと思うほど、その姿は実に神々しかった・・    そして、須佐能乎を尾獣のチャクラの〝器〟としたスタイルこそ、本来の「神」の状態なのではないか……〝器〟とは神の型のようなモノなんだろうか等、ふと思ったものでした。

   もちろん、今回出てきた「器」とNARUTOの〝器〟が直接関わってるかどうかはかなり疑問だとしても、何れにせよナルトの時代から 「神」はずーっと忍の世界に介在している。   そして、それを利用する人々も蠢き続けている…    
   実際、ボルトはモモシキに「神を倒した者 」と言われていたし、既に「神」の領域に片足踏み入れてしまっている・・無関係じゃ居られないんですよね。当然ながら、師匠のサスケもそれを心配しているわけで…

   NARUTOBORUTO世界の「神」は未だ正体不詳で、ちょっと無気味な怖い存在で、全ての危機の元凶、根源のようにも見える。   だけど、本当に世界にとって「厄災」なのか…… それはまだ分からないと私は思っています。  イタチが言っていた
《未だ見ぬ・・知らぬモノを怖れ憎しむ・・愚かしき事!!》 …未だ見ぬ知らぬ「神」は 、忍達にとって「厄災」なのか、或いは生み育て、与えてくれる「恩恵」なのか……それを決め判断するのは「神」ではなく「人間、忍達」自身ではないだろうか。  受け取り方次第ではないのかな。


サスケは、科学忍具について『要は「使い方」だ』と言っていた。


  忍具や忍術だって、元を辿れば神樹由来の「神からもらった能力」を利用したものですよね。 それを、忍達は如何に使ってきたかというと主に「戦うための道具、人をあやめる道具として」だった。  「NARUTO」に於いて、そのことに疑問を呈し、最後まで忍達に真剣に〝問い〟続けていたのは「グルグル(トビ)」で、ラストまでその答えを示さなかった忍に、グルグルは深い絶望と怒りを見せていた…
(当ブログに於ける「グルグルの問い」の解釈については、記事のいちばん最後(☆1)に補足)。

  サスケは『この世界の「危機」はまだ去ってない』とも言っており、ラストに添えられた文には「殻・・器・・果心居士・・静かに忍び寄る厄災の足音」とあります。  確かに、ボルト達にとって「殻」は、新たな脅威、危機、厄災。   しかし「殻」にしろ「大筒木」にしろ忍にしろ、結局は皆「神の力」を利用したり利用しようとしている点に変わりはない(まだ「殻」の目的はよく分かんないけれど)。    神の立場から見たら、どれも大差ないんじゃないのかな…?
  でももし、そこに何か「違い」や差があるとしたら、それは「使い方」じゃないだろうか。  《要は「使い方」だ》・・・

   ボルト達に課せられた新たなお題は「使い方」。  

 もしかしたら、ボルト達世代は「忍術の使い方」はどうあるべきか、その力は本来どういうものなのか、それに対してどう向き合うべきなのか・・そもそも忍とはどういう存在であるべきなのか。  それらに「真剣に答える」ことになるのかもしれません。




☆ナルトが使った右の義手、カタスケに作らせた科学忍具らしいけど…カタスケはこの前、色々とやらかしたばかり。   でも厳しいお咎めではなく、本人の能力をちゃんと正しく活かすという形で落ち着いたっぽいですね。  本来なら戦犯として処分されそうなカブトだって木ノ葉系列の孤児院でちゃんとお仕事して能力を活かしているし、時代は確かにいい方向に変わったなぁと思う。  これもまた《使い方次第》のいい一例。

☆ラストには棺桶のような容器が出てきましたが、あの箱の中に入っていたモノが「器」とやらなのでしょうか。 木ノ葉丸、ピンチかも・・(もっとも彼は若くしてペイン一体を倒したほどの実力者ですがね・・最近「コレ」が減ってしまったのが残念)

☆ナルト、ボルトの忍組手はいいですねぇ。  なんだかナルトとミナト父ちゃんも、もしかしたらこんな時間があったのかな…なんて思ってしまった。 今のナルトは、ミナト以上に落ち着いた貫禄ある火影様になった気がします。  それにしても、ボルトの実に器用なことよ・・  



☆長駄文、読んでくださって感謝。


☆久々にゲストブックを公開しました。
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(☆1)まだ読んでない方向けに、当ブログに於ける「グルグルの問い」の解釈について少々補足。

  グルグルの問い「便意ってどんな感じ?」とはストレートな意味ではなく、人間は食べたもの(つまり自然、大地の恩恵)のおかげで「生かされている」訳で、その有り難さや「生の実感」を「便意」にたとえて問いかけているのではないかと解釈しています。 白ゼツは、白ゼツ細胞(自然エネルギー)のおかげで生きていられるオビトに「感謝してほしい」と言っていた…。  だけど人間は感謝していない…   それどころか、忍達は神の力(チャクラなど)を生きるためだけではなく、戦いの道具としている…      
 終盤登場したグルグルの「まぁ…(便意は)人をころした時のスッキリ感に似てるって思うんだけどね…」とは、相変わらず「他者をあやめる事でしか生の実感を得られない」忍への強烈な皮肉と解釈しています。







(ナルト好きブログ!   2017/09/11)