ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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サスケと「手裏剣と積み木とかわいい怪獣さん」

サスケと「手裏剣と積み木とかわいい怪獣さん」

  この前うちはサスケの写輪眼伝(3巻)」を読んで、容赦ないキャラ崩壊や随所に散りばめられた原作ネタに大笑いさせてもらったのですが・・・しかしまぁ写輪眼伝のサスケは微笑ましいほどに「ガキっぽい」ですなぁ。 たとえば「幼稚園児サスケ」の話では、サスケが水月たちのことを「まだまだガキだな」なんて言ってカッコつけてるのですが、逆に「怪獣さんコップで水飲んでるほうがガキっぽいだろ!」とツッコまれてしまうのだ。

 でも、実際のサスケも「ちょっとそういうところを秘めてる」ような・・


 ところで、写輪眼伝でも登場した「コップに描かれている可愛い怪獣さん」・・・アレって、サスケの部屋に置かれていた怪獣さん(原作43巻の幼少時回想)ですよね。

 サスケも、あんなにかわいい怪獣さんオモチャで遊んでいたのかと「意外」でもあったけど、ちょっとホッとしたような気持にもなった・・ サスケもごくごくフツーの子供だったんだ、手裏剣修行ばかりしてるような子じゃあなかったんだと・・

 でも、こんな可愛い怪獣さんと無邪気に遊ぶ姿が出てきたのは、この43巻の回想が初めてなんですよね。 それまでの回想、25巻の長~い回想にこんな場面は一切出てこなかった・・  25巻の回想に出てくるのは《父さんに認めてもらうため、強くなるために必死に頑張ってきた》幼いサスケの姿・・・修行に励む姿ばかりでした。
 25巻、里を抜けようとしていたあの頃のサスケは「子供」である自分に別れを告げ、甘さや弱さを断ち切ろうとしていたから、可愛い怪獣さんと遊んでいたような「子供(ガキ)っぽい自分」の記憶は、意識的に消去・・「見ない」ようにしていたんじゃないだろうか?


 サスケって・・・「子供であること」を、己の弱さ、己の罪のように感じていたような気がするんですよね。

 「子供」だったから、父さんになかなか認めてもらえなかった。 
 「子供」だったから、一人だけ生き残ってしまった。
 「子供」だったから、一族を守れなかった・・ 
 「子供」だったから、守られてばかりで甘やかされ、強くなれない・・

「子供だった自分」を認められず、否定してきたような気がする。

 それで己の弱さを断ち切るために大蛇丸のところに行ったのに・・・でも結局は大蛇丸にもひよっこ扱い》されてしまうのです。


 大蛇丸のところでは《優秀だから、大切な次の“器”だから》という表向きの理由でサスケは特別扱いされ、拘束もされず、無礼な口のきき方も許されてきた。 だけど、そういった「一人だけ甘やかされた特別扱い」ってのは、サスケにとっちゃ《ひよっこ扱い》と同じだったと思うんですよね。 
 かつて両親から受けたような、一族から受けたような、里から受けたような「特別扱い」・・・一人だけ「特別」大切にされること、守られること・・・それは「お前はまだ弱い、お前は子供である」と言われているのと同じだったんじゃないだろうか。 

 (サスケが「己の弱点」と思っていた「子供っぽさ」・・・大蛇丸はその「弱点」を巧みに利用して事実上支配、操ってきたんですね。ホント、大蛇丸ってのは巧みに人の心の弱みを見抜き、利用しますな)

 
 そして約3年大蛇丸のところで耐え、力を付けたサスケは・・いよいよ大蛇丸を倒そうという時、こんな事を言っていました。
 

「フッ…ひょっこじゃなけりゃ手に入りそうも無かったんだろ?」
 
 
「イタチが無理だった…だからひょっこのオレを狙ったんだろ?そうだろ?」

「それでもどうにかしたいと巣の中のひよっこを狙ってたお前が…逆に狙われていたのさ」
 
(344話より)
 
 ・・・「ひよっこ」連発してますよね。
 
 
大蛇丸の「ひよっこ扱い」に3年間堪えてきた・・というより、サスケは「ひよっこである自分」と3年間ずっと闘ってきたのかもしれない。
 
 
 さらに、
 
 
 「アンタはオレより弱い」
 
と言って「力」を証明し、
 
「アンタの前でも非情になれそうだ」
 
と「精神力」も証明してみせようとした。 
 
 「力」をつけ強くなること、そして非情になって「精神力」をつけること。 それを証明して「もう子供じゃないんだ」と自分に言い聞かせたかったんじゃないだろうか。
 
 
 だけど、その後イタチと闘いイタチの真実を知って、サスケは「自分はまだ子供だった」と思い知らされてしまうのです。

 で、その時冷静に過去を振り返ったサスケの回想冒頭に、あの《かわいい怪獣さんと遊ぶサスケ》の姿が出てくる・・・
 
 

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これが その怪獣さん。

 

《一人で遊ぶサスケの部屋には・・ 床には重ねられた積木や積み木の家、あの可愛い怪獣さんと、もう一つ怪獣さんらしいオモチャが転がっている。 そして、サスケは手裏剣(のオモチャかな)を手にしている》・・・
 
 
 これ、怪獣さん遊びというより「ヒーローごっこ」なのかな? 里や家を襲ってくる怪獣さんをやっつけるヒーロー・・ ナルトも英雄(ヒーロー)に憧れていたけれど、サスケもカッコいいヒーローに憧れていたんですね。 

 でも、サスケって外で友達と遊んでいる回想は無いんですよね。 「手裏剣修行に励む姿」とか「同級生の前でカッコよく手裏剣をきめてみせる姿」はあるけど、皆と一緒になって子供らしい遊びをしている姿がない。 「子供っぽさ」を「弱さの象徴」、そして「己の弱点」のように考えていたサスケは、それを外に晒すような真似は出来なかったのかもしれない・・


 だから、43巻回想に出てくるあの「サスケの部屋の風景」は、誰にも見せないサスケの「心の風景」のような気がするんです。 いわばサスケの原風景とでもいいましょうか・・・

 
《手裏剣》は、サスケが憧れるカッコいい強い「力」の象徴。
《積木の家》は、サスケが守りたい「大切な家族、里」。
 
そして《かわいい怪獣さんは、サスケがやっつける悪い奴ら・・・かもしれないけど、それにしちゃあ全然怖そうじゃなくて「可愛らしすぎる」。 可愛いオモチャの怪獣さん相手に「やぁっ!」なんてやってるサスケは、本来の子供らしくて無邪気なサスケの姿、サスケの純粋な心そのものでもあります(他人に見せようとはしなかったけどね・・)。


 43巻でようやく『本来の自分』を直視したサスケだけど、それでもそれを「受け入れられた」わけじゃあなかったんですよね。 この直後、サスケはマダラ(というかオビト)の前で「憎しみ」を散々ぶちまけた上、こんな事を言っていた… 《オレを感情的に動くガキだとバカにするならそれでいい》と。  サスケは・・まだ子供である自分を許せなかったのかもしれない。 

そして、サスケはさらなる「力」とさらなる「精神力」を手に入れようとしていった・・ 心に《手裏剣》だけを握りしめ「力」を得て、《守りたい大切な仲間》を切り捨て、《子供っぽさ》を隠しこんで「精神力」を得ようとした・・・

・・・だけど、ますます自分を見失うだけだった。


 サスケに転機が訪れたのは62巻、穢土転生されたイタチと再会したあとでした。
イタチと別れた後、サスケは大蛇丸とこんなやり取りをしている・・
 
 
「そんなこと知らなくてもいいじゃない  君はまだ子供なんだから」

「今はもう子供じゃない  …子供ではいられない 」  

 
  《君はまだ子供》とか、大蛇丸は相変わらず意地悪い事言ってますけど、これもサスケを試したんでしょうな・・・ホントに今度こそ「お尻に殻のついたひよっこ」じゃなくなったのかどうかを。
  でも、今度のサスケの反応は  前とは違っていたんですよね。「今はもう」とか「~ではいられない」とか、今までずっと子供だった事や 今もまだ子供である事をやっと素直に認めることが出来たみたいだった。  
 
 
(そしてサスケは、最終的にはナルトと闘って自分と向き合い、本来の自分を受け入れていく・・・)
 
 
 サスケ自身は〝子供のような純粋な心〟を〝弱点〟と思っていたかもしれないけれど、それは《人を惹きつける魅力のひとつ》でもあると思うんです。サスケがいくら切り捨てようとしても、〝鷹〟のメンバーが最後までサスケに付いていったのは・・「強くてクールなサスケ」以上に「なんだか放って置けない、いい意味での子供っぽさがあるサスケ」に惹かれていたからじゃないのかな。
 
 大切なものを守るための「力」、守りたい「大切な家族と里」、そして大人になってもどこかに在る「純粋な無邪気な心」。  遠い幼い日の風景にあった《手裏剣と積み木と可愛い怪獣さん》は、大人になった今でもサスケの心に残る「大切なもの」じゃないだろうか・・なんて思ったりするのです。







☆長駄文読んでくださって感謝・・


 
 
(ナルト好きブログ! 2017/12/12)