ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

チヨばあの《死んだフリ》 (年寄りの生き方)

 今月のBORUTOでは、青はやっと最後に自分を取り戻したみたいだったけど・・・今の青は、過去も現在も未来も全部 諦めちゃってるみたいだった。 かつての青は、そうじゃなかったと思ってたんだけどなぁ~・・・
 
《我々の時代は…》が、青の口癖だった。 年寄りの「昔話、自慢話と説教」は煙たがられるけれど、そういうのを語れるお年寄りって、ある意味幸せなのかなぁと思ったりもする。 だって、そういう人は自分の歩いて生きた道に自信や誇りがあったり、後世に何かを伝えなくちゃという気概を持っているのだから。 
《我々の時代は…》と語れた青も、青春時代が懐かしい思い出になっていて・・そして自信もあったんだろうと思っていた。 ブツブツ苦言を呈しながらも、現在(五代目水影)や未来(長十郎)を守ろうとしていたんじゃないか・・そう思っていた。
 
 NARUTOには、とにかくいろいろなお年寄りが登場します。 優しく今や未来を見守る三代目のような人もいれば、過去を拗らせちゃってる人もいたし・・そして「過去、現在、未来のすべてを諦めちゃってる」気の毒な人もいた。 それが、砂隠れの「チヨばあ」。
 
(28巻で登場した砂隠れのご隠居チヨは、弟のエビゾウ爺と向かい合って、ひっそりと小さな池(?)で釣りをしている。 じっと動かず、問いかけにも答えないチヨに、エビゾウは「死んだか?」と聞く・・ するとチヨは「な~~んてな 死んだフリ~~ ギャハギャハ」とおどけてみせる)
 
《死んだフリ~》と彼女は笑いながら言ったけど、チヨの今の状況はまさに死んだも同然、死にぞこないの状態・・いや「死んだフリをするしかなかった」んじゃないだろうか。 
 
 チヨは「くだらぬ年寄りどもが作ったこの忍の世界」とか「かつてワシがしてきた事は間違いばかりじゃった」と言っていた。 それに「里の未来などどうでもいい」とも・・・ チヨは、過去も現在もそして未来も、すべてをどうでもいいと諦めていた。 隠居して、何も語らず何も聞かず何も見ずの状態・・だから肉体が生きている以上《死んだフリ》するしかなかったのかもしれない。なんだかなぁ‥それって切なすぎる。そして、そういうお年寄りって、現実にも案外いるような気もする。
 
 釣り糸を垂れながらも、実際には何かを釣るわけでもなく・・ただ時間をやり過ごして《死んだフリ》をしてるだけ。 その眼は、死んだ魚のように水面に向けられて「何も見てない」ように見えた。 釣り糸も、チャポン‥と静かな音を立てるだけで、何も動かない・・まるでここは「時が止まっている」みたいだった。
 
 その《死んだフリ》のチヨの眼が、少しずつ開いて・・現実をしっかり「見る」決意をする時が来ます。 そしてその描写が、岸本先生らしい「水面」を使った実に見事な描写なのです。
 
(29巻254話、チヨは孫のサソリが“暁”のメンバーであることを確認する。「・・・・」と黙る横顔が描かれ、その次に「洗面器に映る彼女の顔」が描かれている)
 

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 しわが深く入った、長い間抱えてきた苦悩、長い年月が刻まれたチヨの顔は・・「時は確実に流れている」ことを物語っていた。 そして「今まで現実を見ようとしてこなかった」時間の経過も物語っていた・・
 チヨが何十年という長い年月ずっと忘れられずにいた「心残り」。 それと向き合う《決意》をした心のうち、彼女が抱えてきた苦悩の深さを・・水面に映った「深くしわが刻まれた顔」がそっと語ってくれる。 
 
 チヨは、隠居してぼ~~っと釣りをしている間、水面に映っていた自分の顔も「見てなかった」(見ようとしていなかった)んじゃないかと思います。 だけど、この時やっと「見る」決意をしたんじゃないのかな・・・
 
(その決意の後、彼女は孫のサソリと毅然と戦っていきます。 そしてサソリが自らの体を「人傀儡」にして姿を昔のままにしていることに驚く・・・サソリも自分と同じように現実から目をそらし「時を止めたまま」でいた。 チヨは、そんな孫を不憫に想い、一層愛おしく感じていたのではないだろうか・・ そして彼女は「切り札」“父と母”を出す決意をします。 チヨとサソリが共有する心の痛みでもあり、二人をつなぐ存在でもある“父と母”を・・)。
 
 過去にはいろいろと失敗し後悔も多く、その結果である「今」を受け入れられず、未来を諦めていたチヨも・・若い世代と触れ合うなかで、過去と向き合い孫とのつながりも確認し、過去を懐かしい思い出に変えていき・・・今「自分に出来ること」を見つけて命を未来につなぎます。

チヨが《死んだフリ》しながら垂れていた糸は・・・本当は「大切なもの」とつなげたくて、それを探すように垂れていたのかもしれないですね。 
 
 NARUTOはあくまで十代のナルト達が主役で、ターゲット読者層もまた十代・・だけどそこに各種お年寄りたちが関わって、様々な「年寄りの生き方」も見せてくれる。 三代目火影、チヨばあ、自来也自来也はそこまで年寄りじゃないけど)・・と笑って未来を見据えていった年寄りもいれば、過去を拗らせたうえ未来まで心配しすぎたマダラ爺のような年寄りもいた。 年取ること自体を拒否してる大蛇丸みたいなのもいるし(綱手もそうかな)・・口うるさく「昔話、自慢話、説教」をたれる青みたいな人もいれば、かつてのチヨのように「死んだフリ状態」で生きていた人もいる。
 
 年取ったからといって、皆が悟りの境地に達していたわけでもなく、あの六道仙人ですら後悔したり悩んだりと、かなり人間臭かった・・ 最後まで悩んで迷って、だからこそ共感できるものもあった。 お手本にしたくないような人もいたけど、それでもどこか憎めないような・・みんな人間臭い人ばかりだった。 
 
「老いぼれのワシにもまだ出来ることがあるかもしれんのォ・・」とチヨは語り、
「ワシらの役目は次の世代のために手本となり手助けをすること そのためなら笑って命を懸ける それが年寄りの格好良さというものだろーのォ」と自来也も言っていた。 
 
いくつになっても、年齢相応の「格好良さ」ってのはあるのだと・・・彼女らに教えてもらった気がします。
 
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!  2018/03/31)