ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 657 :うちはマダラ、参る 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ02号) その1

NARUTO 657:うちはマダラ、参る  1

 
今週の感想の前に、また横道にそれますが、言い訳です。
この数日コメントのお返しが短く遅くなってホントごめんなさい。おそらく今週も記事をあげる事で手いっぱいになりそうです。実にプライベートなことですが、事情がありこの数日病院に籠っており(私自身は健康ですが)、病室内でパソコンとジャンプ新号を抱えてコソコソやってるもんですから、書けるときに書ける分だけ書いてアップするペースになりそうです。どうかご了解ください(いつも載せてる模写も、時間が取れたら書き加えます)。
 
今週は、久々の「マダラらしさ」が炸裂して、爽快なまでに面白かった・・!
それに黒ゼツとの絡み・・さまざまなシナリオが交錯し、そのあやとりが何とも面白い。写輪眼にまつわる話も進みそうだし・・感想も長くなりそう(おぃ)。
 
まず今週のタイトルの「参る」なんですが(参る・・ですよね?)、実は「参」の文字が滲んでよく読めず(老眼になっただけなのかも笑)、「参る」なのか「舞る(まいる)」なのか最初迷ったんです。明るいところで観察した結果、単純に「参る」だったと分かった次第でして(視力低下しすぎぞ)。 
そもそも「舞いる」なんて言葉は無いんだけど、マダラは「よく踊る」とか「踏み込みがなってない」とか踊り関係の言葉をよく使う。 それに、以前のタイトルにも「忍び舞う」という言葉があったりで、今週の『力を取り戻したマダラ』の切れのいい動きも、「舞い踊る」の言葉にもふさわしいモノでした。
 
それと、本来「参る」という言葉は「自分より目上の存在、神仏のところに詣でる」という意味でありまして、マダラの場合はどっちかというと「降臨」という雰囲気といえましょうか。 
だけど、もし(万が一)「参る」という言葉の中に、マダラが「神の戦場に馳せ参じ参る」という意味が(こっそり)含まれているのだとしたら、それはそれで「参る」という言葉も活きてくるのかもしれません(かも、という話ですが)。
 
そしてマダラと柱間が子供時代にやっていた例の「水切り」にしてもなんですが、少年柱間がやっていた水切りには「願”賭け”(自分の実力を試す)」の意味があり、少年マダラがやってた水切りには「願”掛け”(神仏に願う)」の意味があったのではないかと私は解釈しております(勝手にですが)。 
同じ目標に「届かせる」ために、自分の力を試して夢に「賭ける」のか、あるいは神仏の力に託して夢に「掛ける」のか。二人は同じ向こう岸を見つめながら、すでにあの時から考えに「微妙な違い」があったのではないかと考えております(このあたりは当時の雑考でも触れ済み…)。もしそうだったとしたら、マダラが「神」の力を得る手段を知れば、それこそが「届く手段」と考えるのも当然だったのかもしれません。そして、マダラはようやく神の居る戦場に「参る」、参上したという事なのかもしれないいつものごとく考え過ぎだとは思うけど)。
 
 
《さて、「生」に悦ぶマダラにいきなり天照を食らわせるサスケですが・・》
 
やっぱり・・・またサスケが「真っ先に」動きましたか。 
 
サスケは、十尾にもオビトにも「真っ先に」突っ込んでましたが、うちはの生き残りとして「旧時代の遺物の後片付け(尻拭い)」をやっているんじゃないかと思うんです(前の雑考でも述べましたが)。イタチが一族の愚考愚行の片づけを一人で背負ったように・・
 
とにかく・・
 
ついに出会いましたね、《マダラとサスケ》 (やっとか!)
 
これでようやく「新旧の運命に選ばれた二人どうし」が顔を合わせたことになります。
 
ナルトとサスケは、既に能力的には旧二人組を超えているのかもしれませんが、まだまだ足元に及ばない点もあるんだなと・・それが今週初めの部分、新旧二人のセリフの中に感じられるんです。
 
「旧時代の遺物がしゃしゃるな」 (サスケ)
 
「オレに届きもせん砂利ごときが… それはこちらのセリフだ」 (マダラ)
 
・・・「遺物」と「砂利」と。
 
サスケにとっちゃマダラは「終末の谷の石像」、完成されてるけど、もはや風化もしてる過去の遺物。 マダラにとっちゃサスケは未知数で「可能性もある」けれど、まだちっぽけな形もない砂利の一粒でしかない。 
お互いの「言い合い」・・・サスケのほうは真剣に精いっぱいの「罵詈雑言」を浴びせているんだけど、一方のマダラにはサスケの言葉に「応じて」砂利呼ばわりして「返答してやった」感が強い・・精神的な余裕を感じちゃうんです(サスケを「試してみたい」気持ちもあるんだろうけど)。いくらサスケが意気込んでみても、いかんせん風格というものに「差」があるわけでして、同じ「強気な物言い」同士でもまだその差はかなりある(当然ながら)。
 
 そして一方の《柱間とナルト》・・
こちらはサスケの天照攻撃に対しての反応に「差」が・・・。
 
「…!?」 (なぜ目を閉じた…?) (柱間)
「サスケ!こいつにただ術をぶつけても意味ねェーってばよ こいつは忍術を吸収すんだよ!」 (ナルト)
 
柱間は「マダラが天生されてからずっと眼を閉じたままで、天照の黒炎も輪廻眼で吸収しない」ことをチェックしてるのに対し、ナルトはサスケが「勇み足的な攻撃」をした事をチェックしてる・・ここに「差」が出てるんです。
 
もちろん、ナルトが指摘した点も間違いじゃないし、正しいアドバイスなんです。だけど、ナルトは「つい」サスケがまた先手を取ろうとしたことが気になっちゃったんじゃないだろうか。 サスケが戦場に来てから、ナルトとサスケはお互いを意識し過ぎなんですよね・・ライバルだから当たり前だけど《戦ってる相手以上に「お互い」が気になってる》のは確かだと思う。
 
ナルトはサスケが「やたらと先手を取ろうとする」のが気になる。サスケはナルトが「やたらと冷静に分析し作戦を打ち出す」のが気になる。
本来なら自分のほうが『得意』と思ってる分野で相手が上を行ってることに、焦りやら戸惑いを感じ、どうしても意識しちゃうんじゃないだろうか。
 
だから・・・つい、ナルトも肝心なマダラの観察より「サスケの勇み足」のほうが気になって、「この前のお返し」的な発言を言いたくなってしまう(「この前」とは、ナルトが「十尾人柱力には仙術しか効かない」のを忘れて突っ込もうとした失敗を、あとでサスケに「お前と一緒にするな」みたいな言い方をされちゃった件)。 その点、柱間はライバル・マダラの様子も冷静に観察してる・・そういうところは同じ「いい意味でのバカ」同士であっても、柱間とナルトにはまだ差はある。
 
前のナルトの「オビトへのお説教」もそうなんですが、言ってることは「ごもっともでカッコいい」ものであっても、年長者、大人から見たら「まだまだだよ」ってことも中にはあるのです。ナルト達の年代にはありがちな、もう一人前という自覚、自信の中にある危うさ・・ それが同じ事象を見ながらも、ナルトと柱間の見て取るものが「差」となって出る。やはり年長者の年の功、経験値の差というものがあると思うのです。彼ら「遺物」から学ぶべきところも多くあるはずなのです。
 
一方で、マダラは子孫の事を「オレに届きもせん砂利」扱いするのも相変わらず。
 
マダラが「誰もオレに届かない」と言うのは、『誰もオレに届いてくれない絶望』にも聞こえるし、『誰かオレに届いて超えてくれ』という願望にも聞こえる。
 
マダラが一族の長だった頃、彼が一番嘆いていたのは《一族に骨のある奴はもういない》事だったと思うのだけど、サスケに対してもそう簡単に及第点をつけたりはしないのでしょう。とはいえ、マダラがサスケの「写輪眼」には興味津々なのは、サスケの眼が「相当なレアもの(直巴)」だと見抜いているからなんでしょうが、眼の価値でしか判断できないのも哀しい・・(直巴については後述)。
 
にしてもマダラがずっと目を閉じたままで「眼を欲しがっている」という事は、穢土転生は輪廻天生の「器」としては使えても、「眼」までは復活されないってことなんだろうか(その理由についてはちゃんとした説明を待ちたいと思いますが)・・ そこで気になってくるのが、あの「大量の写輪眼が保管された水槽」なんです。
 
眼さえ保管していれば、白ゼツに故人のチャクラをコピーして作った「器(体)」に輪廻天生すれば「優秀な目を持つ、うちは一族の最強軍団」を天生させることだって可能なの「かも」しれません(もっとも天生には「魂」があの世に行っていなくて、まだ時空の狭間(あの世との狭間)に残っていることが条件なのかもしれないと考えております。たとえば「己の存在を消した」とまるで時空間に消えたような表現のシスイとか・・ オビトはシスイの眼を欲しがってたけど)。
話それちゃったけど・・とにかく本来の計画でも、マダラは天生されてから「長門に預けた目を返してもらう」ハズだったんですね。 
 

「相反する二つは作用し合い森羅万象を得る」
「柱間 かつてうちはの石碑の前でお前に語ったのを覚えているか?」
 
「相反する二つの力が協力することで 本当の幸せがあると記されている石碑だと」
 
「!?」 (ナルトとサイ)
 
「だが…別のとらえ方もできるとも言ったな」
 
「うちはと千手… 両方の力を手にした者が本当の幸せを手にする
そういうとらえ方もできやしないか…?」 (マダラ)
 
(鎧が脱げて、柱間の顔が浮き出た上半身を露出したマダラに驚く柱間… というか、柱間は黒棒を刺されて動けなくされている。マダラが黒棒攻撃してたのはこのためだったのか・・)

前にも五影の前でもはだけて柱間フェイス露出して『見せつけて』ましたけど、今度は柱間の前で柱間自身の顔を見せつけて・・これやりたかったんでしょうね、マダラさん。
 
遠山の金さんが桜吹雪を見せつける時の快感といいますか、水戸のご老公が葵の御紋を見せつける時の快感といいますか(もっといい表現ないんかい)。 相手の反応を「見たい」・・こういう悪趣味、いや(ホントは)茶目っ気たっぷりなところがマダラの「子供」っぽさでもある(と思う)。

千手とうちは、両方が永遠に手を取り合うのは「不可能」と考えたマダラは、ならばオレが一人で引き受けて叶えてあげようというね・・「柱間フェイスを付けた体」は悪趣味にも思えるけど、いわば「マダラの愛情を具現化した姿」なんだと思います。 父ちゃんが母ちゃんも兼ねちゃった両性具有化の姿みたいな・・(もっといい表現ないんかい)・・これも「ずっと先まで」里の者たちを兄弟として守るための、マダラの愛情表現なんだと思えるのです。
 
そして「森羅万象」・・これこそがNARUTO世界の物語(シナリオ)をどこかからか動かしている存在長門が言っていた「本当の神」とでもいうべき存在)そのものじゃないかという気もします(「岸本先生」ではなく)。それゆえ森羅万象を解き明かし知る事、その過程が重要になってくるのではないだろうか。
 
「うちは」の石碑に記された「森羅万象を得る」という言葉。
そして大蝦蟇仙人の夢に出てきた「森羅万象を見てまわる」という言葉。
自来也が世界をめぐり森羅万象を見てまわる・・という夢のお告げ)
うちはと千手側、それぞれに示された「森羅万象への道」。
 
「得る」ためには「体」が必要で、「見る」ためには「眼」が必要で、これじゃあ「うちはと千手」逆にも思えるけど、結局は「得る」も「見てまわる」も同じく「知る」という事なんじゃないだろうか。
「体」を持たないうちはは「得る」ことを、「眼」を持たない千手は「見る」ことを通し、互いを知り・・森羅万象(天地間のすべてのモノ、世界の真理)をやっと「知る」事が出来るという意味もあるんじゃないだろうか。
 
この前、オビトが《自来也という存在の大きさ》に触れていたけれど、彼は自来也が大蝦蟇仙人に「夢のお告げ」を託されてたことを知っていただろうか。
 
自来也が大蝦蟇仙人の夢のお告げを受けて書いた書物(シナリオ)と、マダラが六道仙人の石碑を読んで作った計画(シナリオ)と・・
この相反する二つが作用し合った時に、森羅万象への道が開かれるの「かも」しれません。
 
そして、それも「見えざる本当の神」のシナリオのうちだったりして・・
 
 
 
(まだまだ最初の部分だってのに、これじゃ長くなりそう・・・その2へ続けます。)
ただし事情がありまして、アップ時間は未定ですみません・・が「必ず」続けます。コメントのお返事は当分できないかもしれませんが、お許しください。
 
ところでサスケが乗っているのは「サスケが口寄せした鷹」かと思ったんですが、あれはサイが描いた鳥でしょうか(違うかな)・・いつの間に)。

NARUTO-ナルト- 656:交代 今週のジャンプ・ナルト感想 その2(WJ01号)

NARUTO 656:交代 (2)

(その1の続きです)
 
そして、カカシの「友オビトへの本当の気持ち」はここにも見える・・「今までの行為に対してきっちり報いてもらおうと思っていたが…」とか「生きて償うことだってできるんだぞ」とか。 これも《オビトに生きて欲しいからこそ》の言葉だろうし、厳しい言葉のようでいて、そうじゃない… おそらくカカシが言ってる「報いる」「償う」とは、連合の一員として共に闘うという意味だと思うんです。そうすれば、オビトも皆に受け入れてもらえる「かもしれない」という・・これもカカシのオビトへの想いだろうと思うのです。オビトに「生きて欲しいからこそ」「帰ってきてほしいからこそ」の言葉・・・。
そして何もオビトの為だけじゃない・・カカシ自身もオビトを必要としてるんだと思います。本来、同じ想いを共有できる無二の親友のハズなのだから・・
「お前が生きてたら・・」なんてずっと言ってきたのだから。
 
だけど・・やっぱりオビトは「責任の取り方」として、廻天を選んできましたか・・

 
「外道…輪廻天生の術だ」
 
 
オビトは「自分も(長門と)同じ事をするとは…思いもよらなかったがな…」なんて言ってますが、ホントかなぁ~… 最初っからそのつもりもあって輪廻眼を装着してきたんじゃないのと疑ってしまいます。十尾の人柱力になる為に輪廻眼が「絶対に」必要なのかは不明ですが、今までオビトは輪廻眼瞳術を全く使っていなかったし(せいぜい穢土転生人柱力と視野を共有した程度)、外道魔像の取り扱いは「輪廻眼無しでも出来る」とマダラは言っていたし(606話で)。
 
 
そして・・オビトの口から出てきた自来也の名前・・・
 
 
「数珠つなぎの重なった人の想い… それも強い力になるんだな…」
長門もナルトも自来也の弟子だった… オレは…自来也という人間に負けたとも言える…」
「先生…アナタの師であり アナタを火影として育てた人…」
「そしてオレは…アナタの弟子… 火影をあきらめ…繋いだ想いを切った忍…」

 
はて、なぜオビトは「自来也」の名前を出したんだろう?オビトと自来也って殆ど接点ないんじゃないの…?なんて最初は思ってしまったんですが、いやいや接点あったんですね。 
自来也は、長門とナルト、ミナトとつながり・・そしてミナトとオビトも繋がってるのだから、オビトと自来也だって繋がってたことになる。自来也って、多くの「道」を作った人でもあったんですね。
で、オビトがこんな事を言い出したのも、ミナトと自来也経由で長門とオビト”も繋がってたって事を言いたかったのかな。
 
オビトは長門に「裏切られた」事に相当ショックを受けたみたいだったけど、裏切ったのは長門じゃあないんですよね・・オビトのほう。 長門は繋がりの中に「戻った」だけであって、オビトのほうが繋がりを断ちきっていただけ… オビトもその事に気付いたんだろうか。そして、その数珠繋がりの中に戻るためにも、オビトは長門と同じ手段《輪廻天生》をしようとしてるのかもしれません。そうやってオビトは長門との繋がりも戻したいんじゃないだろうか。
 
(オビトがこれほどにこだわる《長門達との繋がり》…オビトがこんなに長門達との繋がりに思い入れがあるのは、オビトにとって「弥彦」が特別な存在だったんじゃないかと思ってしまうのです。606話の「弥彦とオビトの出会いのエピソード」…あのあと、弥彦とオビトで“暁”を立ち上げたいきさつが、やっぱり気になって仕方ありません)。
 
でも、たとえ断ち切ったように見えても、オビトは切れない数珠繋がりの中に居る。《ミナトの弟子》である以上、今も多くの繋がりの中に居る。この前、ナルトが言ったみたいに… 《アンタはカカシ先生の友達で 父ちゃんの部下で サスケの親戚で オレと同じ夢を持つ木ノ葉の先輩だった》ってね(652話)。
人は、誰でもつながりの中で生きている。つながりの中に居る。ナルトもいっぱいの数珠繋がりの中に居る・・「四代目の息子」ってのも、もちろんその1つ。
 
カカシは「・・・・・」となってるけど、カカシはオビトが十尾との綱引きで「ミナト班の繋がり」を必死に守ってた事を知らないんですよね。 それでもオビトがシッカリと繋がりを守ろうとしてる事に気付いただろうか…。
 
 
「向こうでリンに… 合わせる顔が…ないか…」
 
そういってるオビトの顔、悲しいというよりはちょっと微笑んでいるようにも見える… 
 
「後悔」しているというよりは、最初っから「それは覚悟していた事」なんじゃないのかな。オビトにとって輪廻天生をすることが、せめてもの償い・・それでもリンには振り向いてもらえないかもしれないし、怒られるかもしれない。でもそれでいいのかもしれない・・オビトにとって『カカシがリンにとって英雄であり続けること』の方が大切なのだろうから・・。
 
そして、カカシも長門の「輪廻天生」で生き返った一人であり、長門の命と引き換えに戻ってきた一人…いわばカカシの命には長門の「想い」も託されている。だから、オビトのやろうとしている輪廻天生にも、オビトが託す「強い想い」があることがカカシには分かるのかもしれない・・だから「それでいいのか」なんて言って、あまり強くオビトを止められないのかも。
でも、オビトを死なせちゃダメだと思うんですがね・・死んで責任を取る時代はもう終わりだと思うから・・
 
しかしオビトの輪廻眼(って本来マダラの眼だけど)が、こんな厄介な事になろうとは…
 
 
(輪廻天生で忍達を復活させようとするオビトを黒ゼツが止めに入る)
 
「今度ハオレモ協力シテヤル」 (黒ゼツ)
 
「交代だ…」 (マダラ)

 
黒ゼツ・・・ついに出てきましたか!
 
いや、いつ出てくるかと思ってたんです。あのまま長十郎に抑えつけられてるわけじゃないだろうし、オビトが「意識的に遠ざけてた」理由はあるハズですから。
 
「今度ハ」って言ってるところを見ると、前の時(前にオビトが十尾人柱力になった時)も黒ゼツは見てたんですね。 それに「協力シテヤル」って言い方は、マダラに対しても「上から」の言葉に感じる… う~んやっぱり黒ゼツは「全テノ地ハオレソノモノ」、自然の神っぽい存在にも思えます。いまだに謎な存在なんですよね、黒ゼツ。

そもそも黒ゼツは、マダラが外道魔像から出した「黒棒チャクラ」で作った人型であって、あの《黒棒チャクラ》が黒ゼツの本当の姿なんじゃないかと思ってしまいます。そしてそのチャクラこそが、九喇嘛が言うところの「禍々しいチャクラ」そのものなんじゃないだろうか、と。
 
そしてマダラの「したり顔」… マダラがオビトに輪廻天生させようとするのは二回目ですが、最初に失敗した時は「まぁいい」と余裕でしたよね。あのあと、マダラは柱間を「もう少しいただく」なんて言ってたし、どっちかというと前のタイミングよりも「今度のほうが」マダラにとってもベターだったんじゃないだろうか。
 
しかし最初にも「マダラの表情」は面白いって話をしましたが、とくに「横目遣い」…これがまたいいんですよねぇ。
柱間回想に出てきた相子劇場で、柱間の「腑」を伺う際、柱間をチラッと見た時の横目と言い… 十尾の上でオビトとやり取りし合った時の「各種横目遣い」廻天生して欲しいといった時、十尾玉をぶっ放してみたいといった時、オビトにガキだと言った時など)といい、「横目遣い」がとにかく印象的。で・・・今週も、横目遣いが面白い。
 
ジャンプ113頁、柱間が「必ず次の忍術は吸収できんという事だ!!」と言った直後の《チラ》の横目。 さらに次の何かを確信するかのような、やや上目遣いの横目「・・・・」。さらに118頁、ニンマリとした横目(ワルっぽい目つき)。 
柱間が何を言おうと、マダラの「横目」はずーっとオビトを気にしてますよね。
勿論マダラの居る場所からオビトの姿は見えてないと思うんですが、でもナルトを観察していればオビトの状況は分かりますよね・・・ナルトが『出てきた』という事は、オビトが戦闘不能になってるという事…。それにマダラは《オビトなら輪廻天生を使うだろう》という事さえ、もしかしたら見抜いていたのかもしれない。
 
この時を待ってましたとばかりに、感情の高ぶりを抑えきれない眼。オビトの目がどんどん優しく穏やかになっていくのと対照的に、マダラ爺の眼はどんどんギラギラしていく(笑) 
 

「悪イナオビト… オレハコノ為二イタヨウナモノナンダヨ」 (黒ゼツ)
 
なるほど・・・はじめからこのシチュエーションも「マダラと黒ゼツのシナリオ」にあったという事なんですね。
 
もしかしたら、これが本当の長門が死亡した場合のシナリオ』だったのかもしれません。長門の代わりに「オビトを使う」というのがね・・ で案外、こっちのほうがマダラの「本命ルート」だったのかもしれません。

 長門が死亡した場合のシナリオ》というのは、48巻の黒ゼツとオビトのやり取りの中で出てくるのですが(453話で)、このあたりでオビトと黒ゼツの間で微妙に「ズレ」が生じているのです。
そして、どうやら黒ゼツが言ってる「シナリオ」と、オビトが考えてる「シナリオ」には違いがあるんじゃないか・・というのが既に48巻時点で見えているのです。 
 
48巻ペイン戦直後・・長門が死亡したというのに、黒ゼツは「ウマクイッタナ」と言って満足していて、一方でオビトは「イヤ…長門にしても(略)裏切るとはな」と結構落ちこんでる。さらに黒ゼツは「ダガ長門ガ死ヌシナリオモ用意シテアッタト…」なんて言うんですが、オビトは「一応な・・だがオレの本命ルートじゃないのは確かだ」と言ってる・・・。オビトは長門死亡を「失敗」と受け取ってますが、黒ゼツは「なぜか」長門死亡をウマクイッタと捉えてるんです。
 
今から思えば、黒ゼツがウマクイッタと言ったのは長門が死んで、オビトを使うシナリオに移ったから《ウマクイッタ》」という意味だったのだと思います。いよいよ《マダラの本命ルート》にいよいよ移行したと・・
 
一方でオビトはオビトで、マダラのシナリオ通りに運ぶつもりはなく、「黒ゼツに内緒の第三のシナリオ」を動かしていたんじゃないかと私はずっと考えているのですが、長い間…黒ゼツと、オビト(とグルグル)の間でずっと「腹の探り合い」、「監視し合い」の駆引きが続いていたんじゃないか…なんて思います。
 
そしてオビトだって利用されてただけではなく、分かってたんですよね・・だからこそこの戦争でも黒ゼツを「避けるように」ワザと遠方に足止めさせていたわけで(大名担当にして)、それにいつもオビトは黒ゼツの前では「意識して喋っていた」し、大切なところでは「黒ゼツを避けて」行動していた(鉄の国にナルトに会いに行った時など)・・・ 
なぜ、マダラとオビトがそんな駆引きをしなければならなかったのか…そこが最大の気になる点でもあります。
 
ちなみに、尾獣チャクラには「白チャクラ」と「黒チャクラ」がありますが(八つっあんの尾獣玉の作り方説明の中で出てきた)、外道魔像(抜け殻)に残るチャクラは白ゼツ(あるいはグルグル)の白チャクラ、黒ゼツの黒チャクラに分かれていて、それぞれに「違う意志」があるの「かも」しれません・・・ 
陰九喇嘛と陽九喇嘛、それぞれ別の意志が在るように。 
 
マダラには黒チャクラ、オビトには白チャクラのほうが付いている・・という事じゃああるまいか(ただの想像ですが)。
 
 
しかし・・・
 
「やっとまともに戦える!」
 
「やはりこの体でなければ!」
「血湧き肉躍ってこその戦いだ!!」
 
あぁ・・ついにマダラ、復活しちゃったみたいですね(凄い興奮っぷり)。
 
久しぶりに感じる生身の体の「熱さ」、生の躍動…やっぱり、こういう時のマダラって「まるで子供だ」。そしてつい「生身体の力」を試してみたくなっちゃうのもマダラという人…やっぱり戦うのが「好き」なんですねぇ。

自分が計画を為す前に「柱間と戦ってみたかった」と言っていたし、過去にも「本当の夢の道へ行くまでの間 お前との闘いを愉しむさ」と言っていたマダラだから、とりあえず目的の前に柱間と「死なない体ではない、生身の体で」戦ってみたいのでしょうか。
 
マダラのこの興奮っぷりと、柱間への強烈なライバル心…なんだか守鶴にそっくり。
 
守鶴も、九尾をやたらと意識して競い合ってたけど「本音は寂しがり屋で繋がりたくって仕方ない」・・・で、マダラもそうなんでしょう。
本当は柱間との繋がりを「ずっと保っていたい」。ただ、ああいう人だから「差し出された手を取って握手」なんて方法ではなく、「本気で闘って」つながりを確かめたいのかもしれません。本当は・・マダラも「数珠繋がり」の中に居たいのでしょう・・。
 
マダラにそれを実感させてあげられるのは、柱間でもあるけれど・・子孫であるオビトやサスケでもあると思うんです。特に「兄の眼だけでなく意志をちゃんと受け継ごうとしている」サスケの姿は、「弟が死んで残ったのは瞳力だけ」なんて言ってたマダラにとって「新たな道」に見えるかもしれないし、そろそろサスケとマダラが「出会っても」いい頃なんじゃないのかな。
 
オビトは輪廻天生を使わされてしまったようですが、でもオビトの中にはまだ「外道魔像=あの世との狭間に居る者」がいるから一体どうなる事やら・・・
そろそろ「グルグル」の秘密、オビトの「(グルグルモード?)すり抜け」の秘密と共に《あの世との狭間=神威空間(かな)の秘密》・・・時空間の秘密も見えてくるでしょうか(時空間好きですみません!)
 
とりあえずは、興奮気味のマダラ爺が何をしでかすおつもりなのか・・マダラのシナリオとオビトのシナリオがどう「ぶつかるのか」。そしてマダラは「オビトを利用してた」と知ったナルトが(そしてカカシが)どう動くのか。いよいよ「最終章突入」らしいし、楽しみに次週待ちたいと思います。
 
柱間も、いくつになっても“平然とキレイ事を口にする”大きな子供みたいなところがあるけれど、マダラもいくつになっても大きな子供・・・
里を作った二人の歴史上の人物は、揃って夢を追い求める大きな子供みたいなものなのかなぁ・・。

「やっとまともに戦える!」 
「やはりこの体でなければ!」
「血湧き肉躍ってこその戦いだ!!」・・・
 
マダラのこの「ノリ」、嫌いじゃありません。
柱間は酒酌み交わして繋がりを確かめるタイプだろうけれど、マダラは戦いの中でしか繋がりを実感できないのかな・・。でもこれがマダラの不器用な、だけどひたむきな「繋がり」の求め方なのかもしれないから、なんだか憎めない・・
 
 



 
〈・・・ホントは真顔で愛を語る、後ろに立たれたらダメな人なのになぁ)
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
☆繋がりを求めるといえば・・健気にナルトをサポートする「サイ」。
彼のストレートな、純粋な『求め方』にハッとしてしまいます。
 
 ☆気が付いたらもう「01号」・・
もうすぐ六十七巻発売です。
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/12/02)