NARUTO 585:ボクがボクであるために (その1)
『全てを持ってた天才には分かりようがないよ』
『・・・ボクはボクをボクにしたいだけさ』
『・・・ボクはボクをボクにしたいだけさ』
・・・そんな顔をするな、カブトよ・・。
さて、イザナミはまだかいなと思ってる方も多いと思うんですけど(私もなんだってばよ)、今週はやっと「回想」が終わり戻ってきましたが・・
タイトルの「ボクがボクであるために」・・・なんだか、ものすごく切なく、悲しくなるようなタイトルですよね。
・《君を君たらしめるもの》
『イタチ・・・君は君を君たらしめる多くのものを持っていた ボクの穢土転生にこれ以上の適役はいないよ』
カブトが欲しかった、カブトには無くてイタチには有るモノ・・・それが《君を君たらしめる多くのもの》。
具体的には《うちはという血統、木ノ葉の忍という所属、万華鏡写輪眼という個有の能力》・・・ようするに血脈(ルーツ)という己の過去、所属という己の現在、個有の能力という己の未来を保証するモノをイタチは持っていた・・という事でしょうか。 《過去、現在、未来》・・・どの時間軸においても確固たる己が在る事、それが「君を君たらしめる多くのもの」ということなんじゃないかと。
「君らの前でうちはの名などと強がってはみても・・やはりその名には羨望するよ」というカブトの言葉に「うちはという名はあくまで血脈(ルーツ)や所属を示す お前が名乗ったところで意味は無い」とイタチはキッパリ。
自分のルーツも分からず本当の名前も分からないカブトは「ルーツや所属の大切さ」には人一倍敏感なんだろうと思うんです。 たとえ他人のルーツであろうと他の一族の名前であろうと、その名を「手持ちのコマ」にすることで、自分のステータスが格上げされる・・・カブトは“自分の保証書”みたいなものが欲しいんじゃないでしょうか、それも立派なものが。
だから、たとえ自分は誰だかわからなくても「自分の手持ちのコマには、あのうちはマダラやうちはイタチを持ってます」となれば自分自身の品質も保証される・・みたいな。
で・・ここでちょいと気になる描写があるんです。
・《草薙の刀》
イタチが喋ってる横で、サスケが「ザッ」と移動して「スッ」と手を差し出して草薙の刀を拾いに行ってるんです。 その次の瞬間、カブトの折れたツノ(のあたり)が“ピクッ”と反応してる…イタチに草薙の刀で斬り落とされたツノが。
ダンゾウ戦では、サスケってばこの刀を谷底に落としていて、回収しないまま帰ってきちゃってたんです・・・だから「これは脱オロの証拠か?」なんて思って気にしていたんですが・・・いつのまにか回収していた(おそらくゼツが回収してきたと思われますが)。 それが580話から581話にかけて、ず~っとイタチがこの刀を使っていたんです・・・・カブトの「ツノ」を落としたりカブトのチャクラを受け止めていたり。 なので、この刀を使った動作は《イザナミの仕掛けの一部》なんじゃないかと疑っておりまして・・・。
で、刀に手を触れた瞬間にカブトの角がセンサーみたいに反応して「記憶」に入った・・というのがちょい気になっております(また考えすぎかもしれないけど)。あの一連の動作が気になります。
・《意味はあるのさ・・・》
カブトがふと思い出す光景・・・《真っ暗で孤独で、寒くて、悲しくて・・・暗闇の雨の中、ひとりで歩いていく・・》
これは幼い頃の「心の風景」なのかな、自分が誰だかわからないまま 真っ暗闇を彷徨っている・・・悲しい恐怖の心象風景のようにも見えます。が・・・もしかしたらこれは「事実」、実際の記憶なんじゃないかという気もします。マザーと出会う直前の記憶なんじゃないかと。
カブトはマザーと出会う前の記憶は「無い」と言ってますが、だけど「ボクを説明できるものがずっと欲しかった(そしてマザーが与えてくれた)」とも言っていたので、「それ以前」の記憶も実はあるんじゃないか・・とも思うんです。それを今思い出したのかもしれないし、あるいは思い出したくないだけなのかもしれない。
で・・・この光景、似てるんですよね・・・573話「輝きへと続く道」(60頁下段)、一人で雨に打たれて歩いていく孤独なサスケにそっくりなんです。サスケの心の中も、あんな感じだったんじゃないのかなぁ・・
・《ボクがボクであるための術》
『大蛇丸様はこう言ったよ』
『自分が何者か知りたければ――』
『この世のあらゆるものと情報… それらを集めつくしさえすればいいってね!』
左近の血継限界・双魔の術で体内から左近(ん~右近なの?)を出し、それを次郎坊に変化させ土遁・土陸返し、さらに鬼童丸の秘術・蜘蛛巣開、君麻呂の血継限界・屍骨脈・早蕨の舞・・・(どれも今では懐かしいけど)実にうまく使いこなしちゃってますが、カブト・・・一体何人の細胞を取り込んだんだろう?
これだけいじったのに、よくまぁカブトの肉体が対応できたものだと・・そっちに感心しちゃいます。取り込んだ他人の能力をそのまま使うなんて、そういえば角都も同じような事をしていたんですよね・・。
そして鬼童丸の「蜘蛛巣開」が出た時、サスケが「この糸は刀で切れない!」と言ってますが・・そういえば一度鬼童丸の蜘蛛糸を喰らってましたっけ。カブトの「五人衆攻撃」も見事なんですが、それを立て続けに防いでいく《イタチとサスケの共闘》、これが実にお見事! 阿吽の呼吸で天照で糸を燃やし、早蕨の舞攻撃のあとにも・・
『後ろの奥までクモ糸を仕掛けてやがったか! 後ろはオレがやる!兄さんは前を!!』
と完璧な「共闘」を見せるんです・・・。と・・・・ え?
に・・・兄さん!?
ついにサスケ、兄さんって言いましたね~!いつ出るか「兄さん」・・・・と思ってたら、さらっと言った!やっと。
でもこの《兄さん》という言葉、これをサスケが素直に言えるようになったら、そろそろイタチは消えちゃう(別れの時間が近づく)んじゃないかなんて・・・まるでNGワードのようなイヤな予感もあったりで(縁起でもなくてすみません)、なんだか嬉しいんだけど「あぁ~言っちゃったぁ」的な思いもあったりで少々複雑です。 でも、素直に兄さんが言えたってことは、サスケも「本当のサスケ」に戻りつつあるってことなのかな。兄弟の距離が近くなってる。
そして、互いに背中を任せての闘いは「完璧なコンビネーションの証」!(と勝手に思ってるのですが) この前、ガイとカカシが互いの背中をドン!と合わせて任せてたのが《さすがのコンビネーション》と何気に感動したんです。
イタチとサスケも、ついに信頼の証《背中合わせ》を自然にやったな・・と何だか感慨深い。それに今度はサスケのほうから指示を出していたし・・・少しはサスケも変わってきたのかな?
※つけ加え・・この背中合わせは、かねてより期待している「サスケ・イタチ合体型須佐能乎」の前兆にも思える。
でも、ここでまたまた気になる言葉が。
「まだ須佐能乎は使えるか?」 というサスケの問いに「ああ」 と答えたイタチ。
まだ・・・ですと? ん~・・穢土転生の体そのものは塵芥製だから何度でも再生可能だとして、そのチャクラの供給源はどうなってるんだろ?というのが気になってます。 それはともかく・・カブトが出したのは、多由也の魔笛・夢幻音鎖(幻術)。前にシカマルが縛られちゃったやつですね; しかし、あのイタチとサスケすらハメる幻術とは・・フカサク・シマ夫妻が使うデュエット幻術・蝦蟇臨唱じゃないですけど『聴覚』でハメる幻術の効力ってのは、かなりの防御力を無効化させるんですね。 さらにカブトが繰り出したのは・・・
え・・・お、大蛇丸様w
『どうだいサスケくん 覚えているかい?』
『今のこのボクの姿を・・・』
《アレは…・》
あの時の、大蛇丸ですね・・38巻、サスケを取り込む儀式の時の、大蛇丸の本当の姿《白いウロコの大蛇》。あの時、大蛇丸が失敗したことを、カブトが成功させることによって、本当の「大蛇丸様越え」をして本当の自分を体感しようというんだろうか。これこそカブトがずっと待ち続けてきた《瞬間》なんだろうか。
で、サスケはというと「アレは・・」と表情が固まっちゃってますねぇ(幻術で固まっている、というのとは別に)。
イタチに再会してからのサスケ、ど~もいつもの冷静な分析・攻撃が出来てないですよね。冷静でいられないのも仕方ないけど、一人で戦う時のサスケとは別人のように幼くなっちゃってる。 でもこれ・・・ナルトが『過去の人柱力や、尾獣化した人柱力達』と戦った時もそうでしたよね(ついこの前)。 やられっぱなしで、いつものナルトの戦い方じゃない・・なんて話をしてましたっけ(そこにカカシとガイが助けに来た)。 ナルトも、人柱力を相手に戦うのは気持ち的に難しかったんだろうと思います。
ナルトの「まさかの人柱力達や尾獣達」との出会い・・・そしてサスケのまさかの「イタチとの出会い」。そりゃ2人とも頭の中、冷静じゃいられないかも。
《尾獣との和解、兄さんとの和解》、2人は己が抱えている「最大の課題」と向き合っている最中なのでしょうか。 そして、2人は「獣」と「眼」の道を歩んでいく。
ナルトとサスケ・・・2人は全く違う道を歩いてきながら、同じような事を並行して体験し学んでいってると改めて思います。 はじめはずーっと遠くの違う方向から歩きはじめて・・・いつの間にか同じような経験を積みながら「同じ最終ゴール」へ向かってる。 時間をかけながらも・・・確実に2人は「近づいて」きてると思わせるのです。
・・・・・その2へ続きます、長文すみません;