NARUTO 585:ボクがボクであるために (その2)
(その1の続きです・・・)
・《ボクがボクであるために》
(以下、585話のイタチとカブトの会話より)
「カブト…お前は大蛇丸じゃない 尊敬している存在を真似るのはいい・・ だがその存在に己を同一化するな」
「お前が… その存在そのものになれる訳じゃない」
「・・・・」
「人の多くは何をするにもまず真似事から入るものだよ サスケくんが君を真似していたように」
なんだかこれは「カブトと大蛇丸」の問題だけじゃなく、そのまんま「サスケとイタチ」の問題と言っちゃっても良さそうですね。
サスケには、良くも悪くもイタチが基準、目標もイタチ、憎むべき相手もイタチ、最愛の存在もイタチ。 「兄さんの様に立派にやりなさい・・」というフガク父さんの言葉は、今も呪印のようにサスケを縛っているような気もします。たとえ「これからは兄さんを追うな」と言われても、サスケは兄さんの背中をずっと追い続けている・・・。
幼い頃から「イタチの弟」じゃなくて「父さんの子であるサスケ」として存在を認めてほしかったのに、父さんも他人も「イタチの弟」としてサスケを見ていた。 優秀すぎる兄と常に比較され、自分が優秀じゃないと錯覚する・・・サスケは自分を過小評価し、自分で「自分を認められない」。 ずーっと周囲から「自分」を認めてほしかったのに、サスケ自身が自分を認められないできた・・・ありのままの自分を受け入れられなかった。
『その行為は己が成長するための過程だ! お前のように己を偽るための衣として使うな!』
『・・・・・』
『自分自身の値打ちを称賛に値するものに結び付け 自分の存在意義を見い出そうとしてもそこには何もない』
カブトに語るイタチの言葉は・・・サスケに《オレの真似をしようとせず、オレのところから巣立って行け》と言っているようにも聞こえてきます。
そして、ここにもイタチの「優しさ」が伝わってくる部分があるんですね・・「真似することが悪いわけじゃない」と言って、カブトが歩んできた道を「全否定しない」点です。 「尊敬している存在を真似るのはいい」と言って、「大蛇丸様」を基準に生きてきたカブトの人生も否定はしていない。その上でのアドバイスをしている・・・
カブトも、イタチの《優しい受け入れ》に気づいているハズで・・そのせいか「・・・・・」になってるんですよね。
『最後にもう一度言う』
『嘘をついて己をごまかすな』
『己自身を認めてやることができない奴は失敗する』
「最後に」というのは、イザナミに入る前に最後にカブトに言っておきたい言葉という意味でしょうけど、これは「イタチがサスケに言っておきたい言葉でもあるんじゃないだろうか?と気になる・・・。
最後に「ちゃんと言っておきたい言葉」については《ちゃんと場を整えてから(話す)》と言ってましたから、場を整えるというのが《イザナミの準備完了させてから》という意なのか《全てが終わってから》と言う意味なのか、いったいどれがイタチ最後の言葉になるのかと、次第に不安になっております;
でも、この言葉も・・・イタチが今のサスケに「もっとも伝えておきたい言葉」の1つでもあるんだろうなぁと思うんです。今のサスケは自分を責め、受け入れられずにいる・・・そして本心に素直に従っていないのだから。
《サスケが里に戻っていない》とナルトから聞かされた時、「なぜサスケは里に戻らない?」とビックリ反応をしていた穢土転イタチさん(58巻)。 あの時は、逆に「イタチの楽観視」にこっちのほうが驚いたものでしたが、今考えてみればイタチは楽観していた訳では無かったんですね。 サスケの「本当の本質」を見抜いていたからこそ、そして「とことんサスケを信じていた」からだったのでしょうか(それが兄っていうモノなのかな?)。
サスケはけして「闇に染まった」わけではなく、自分を責め、兄との縮まらない差に一人で苦しんでいただけなんじゃないだろうか。 サスケが「深い愛情の器」を持っていることを見抜いていたイタチは、サスケをずっと「信じていた」んだと思うんです。 だけど、イタチにとって誤算だったのは、サスケの中に在る「イタチへの愛情が、イタチが思っていた以上に大きかったこと」そしてサスケの「愛情」というものが予想以上に大きかったことなのかもしれません。
・《カブトの泪》
「サスケ・・オレの眼を見ろ!」 「!そういうことか!」
「幻術・写輪眼!!」 「月読!!」
(サスケの眼はイタチの眼を移植しても、その幻術は「月読」に進化はしないんですね・・普通の「幻術」のまま)。
とはいえ、互いの幻術で魔笛・夢幻音鎖を上書きして解除、須佐能乎で大蛇を拘束・串刺し・・・またまた完璧なコンビネーション。そして・・
「・・・・・・」 《ツー―・・》 突然、カブトの眼からこぼれおちる泪(なみだ)。
カブトは何故、なみだを流したんだろうか・・・?
「全てを持った天才には分かりようがないよ」
「・・ボクはボクをボクにしたいだけさ」
この言葉が切ないですなぁ・・・。
本当は、カブトも「分かってる」んだと思います。イタチの言う事も、確かにそうなんだと・・『自分自身の値打ちを称賛に値するものに結び付け 自分の存在意義を見い出そうとしてもそこには何もない』んだと、本当は言われなくっても分かってるんだと思います。だけど、そうしなくちゃならなかった「理由」がカブトにはあったんです。元々「名も無く、家も無く、なにも無かった」カブトには、「自分はどこの誰」と言えるだけの「何か」が必要だった。それがニセモノだろうとなんだろうと、カブトは「ボク」を作りたかったんですね。
見事な「阿吽の呼吸」でカブトを阻む、天才エリート一族「うちは」の兄弟たち。
とくに、カブトが呟いた「分かりようがないよ」の言葉は、「分かるもんか!」「分かってたまるか!」ほどの強気じゃないんですよね。 しょぼん・・とした言葉なんです。 もう、カブトはここで「敗北」を認めざるをえなかったんじゃないかと思うんですよね。
そして「力」で負けたというよりも、「ことば」に負けたと言いましょうか・・カブトも、ホントは「イタチが言ってる事は正しい」と分かっている(分かっていた)んだと思います。「お前は大蛇丸じゃない」なんて言われなくても本当は分かってるんだけど、だけど「天才イタチ」には言われたくはないのかもしれない。 カブトがいくら願っても手に入れられなかったものを「初めから全部持っている」イタチには、自分のことなんてわかってなど欲しくないのかも・・。「ボクはボクをボクにしたいだけさ」は、「分かっちゃいるけど、そうせざるを得なかった」言い訳を自分自身に言い聞かせているようにも聞こえます。
『これよりイザナミに入る… お前はもう… 失敗したんだ…』 (イタチ)
『終わったのか?』 (サスケ)
『・・・・・』
(チャクラを練るイタチを、カブトがチャクラのメスでイタチを輪切りにする)
んん~~~これ、イタチはわざと斬られたようにも見えるんです。 あえて「これよりイザナミ・・」なんて言ってタイミングを誘っていたように見えるし、これも必要な動作だったんじゃないだろうか。イタチはわざと攻撃を喰らった可能性大かなと思える・・・スキを突かれるようなイタチじゃあないですよね;
(前も今回も、崩れゆくイタチの右眼が暗いのは、穢土転生の体が崩れていく描写ってことなのか、それともイザナミによって瞳力が失われた描写なのか・・どっちなのだろう?)
(前も今回も、崩れゆくイタチの右眼が暗いのは、穢土転生の体が崩れていく描写ってことなのか、それともイザナミによって瞳力が失われた描写なのか・・どっちなのだろう?)
涙を流しながら、イタチを「斬った」カブト。 そういや、回想の中で・・マザーを失った時、カブトは泣きながら「大蛇丸に切りかかった」描写がありましたよね。あの時も「今まで自分がやってきた、ボクがボクをボクにするための作業」は一体何だったのか!?と分からなくなって(あたるようにして)大蛇丸に斬りかかっていましたが、あの時とまた同じような気持ちなのかもしれない。じゃあ、どうしたらいいんだ・・と。
《ボクは、ボクを、ボクにしたい》・・・
ボク(という形を持たない本体)は、今ここに在るボク(誰だかよく分からない形骸化したボク)を本当のボク(自信を持って自分と言える理想のボク)に作り上げたい・・・という感じでしょうか。
ピクッと思いだしていた「真っ暗闇を一人で震えて歩いている幼い頃のカブト」・・・あれがずっと《ボク》だったのかもしれません。心はまだ、あの時のまま・・・
でも、それはサスケも同じなのかもしれないですね。 ずっと兄さんを探し求めて、今の自分を否定して違う自分になろうとして自分を探してきた・・・。
そして、それはカブトやサスケだけじゃなく、他の戦場にいる忍達にも言える事なんじゃないだろうか。
でも雨の中、一人で迷い込んだ暗い森の中で・・・やっとサスケは《兄さん》に出会う事が出来たんですよね。 だからカブトも、あの暗い暗い孤独の闇の中から・・・きっと「光」を見出すことができるんじゃないでしょうか。
「イザナミ」によって・・・
(次回、イザナミの術の詳細が分かりそう)・・
☆「己自身を認めてやる事」・・・これ、もしかしたら自分も出来ていないかもしれない。難しい事ですよね;
☆長駄文、読んでくださって感謝。
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