ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 667:碧き日の終わり 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ15号) その1

NARUTO 667:碧き日の終わり その1

 
 
「木ノ葉の碧き猛獣は終わり 紅き猛獣となる時が来たようだ」
(ガイ)
 
 
ガイは、どうやら第八“死門”を「開」する決意をしたみたいですが、朝孔雀、昼虎…と来て、次は何でしょうか。ゲームでは「夜鳳凰」になってるらしいですけど…とその話は最後にするとしまして…
 
今週から恒例だった冒頭の「模写」無しで始めてみましたが…ン年間続けたパターンを止めるのって、案外と難しいもんですね(出だしが掴めない;) 今週印象的だったのは、タイトルでもある「ラストのガイ」なんですが、もう1つ印象的だった絵は《オビトとナルト、カブトとサスケ》が並べて描かれていた絵なんですよね… “敵”として登場したはずの彼らが、ナルトとサスケを必死に助けてくれている姿に…心がキューーンとなりました、絞られるように。 やっぱり、こういうのがNARUTOなんだなぁ…と思えてくる。
 
そして、今週も引き続き戦場が「分かれている」せいか、どこか、ひっそり感があるんですよね。 でも、それぞれの戦場では、そっと心の通い合いとか、再会が続いています。 瀕死の主人公達、ナルトとサスケの周りに集まってきているのは、オビトとカブト(そして大蛇丸)という立場上一番「遠かったはずの人達」と、彼らにとって家族のようなごく「近い仲間」…つながりの「核」になるような人達。静かなんだけど、小さな「ともしび」のような、命と友情のつながりが、新たな希望みたいに見えてくる。
 
六道マダラも、今はごく淡々と「準備しているだけ」に見えるんですよね。この前サクラは「恐怖」を感じていたみたいですが、何だかなぁ…今週も、マダラの表情は柔和に見えて、「恐怖」は感じませんでした。
 
 
・そして「瀕死」で思い出しましたが…
 
そういえば、扉間って金角部隊と戦った後「瀕死に追い込まれた」綱手が言ってましたよね(56巻527話で)。 てっきり、金角戦で扉間は「戦死した」と思ってたのに「瀕死」だったとは…今のサスケみたいな状態だったんだろうか。
今回、サスケが死の淵から帰還できたのも、どうやら扉間がカブトに何らかの「アドバイス」をしたおかげもあるようですが、何を助言したのでしょうね。
扉間は663話で「せめてワシの禁術で、魂だけでも」(だけど体が動かない)とブツブツ言ってましたけど、あの禁術をカブトに行わせ、魂だけでも繋ぎ留めておいたのでしょうか。
 扉間が金角戦で即死せず一度「瀕死」で保ったのも、その術(魂を留める術)のおかげだったのか。んー…「その術」やっぱり気になります。その術で留まっている「誰かさんの魂」が、今もどこかに在り続けていそうな気がするんですよね。
 
で…さり気なく触れちゃいましたが、例の裸足の男は
 
 
・「カブト」でしたか。
 
先週投稿されまくったのもこのネタバレだったのですが(非公開にしてます)、「意外な人物」では無かったので正直ほっとしております。カブトで…「良かった」。
 
なにせ最近では、大蛇丸がすっかり“鷹”の優しいお母ちゃん的ポジションになりつつありますし、物語の流れから考えてそろそろ「敵キャラ株、総(大幅)上ゲ」が来る頃だと想像しておりましたから、カブトにも絶好のチャンスが与えられてホッとしておるところです。
 
しかし、裸足男が最初に現れた時に「裸足といえばカブト…」と書いたのは「まさか」のつもり程度でした。それに香燐が「知らない人物、イヤなチャクラ」と言うし…その時点でカブトは「無いな」と思ってました(笑…キッシーの罠にはまった)。でも大蛇丸が香燐に「知っている人か」とわざわざ聞いた時点で、「香燐が知っている人物」である可能性は高かったんですな…。
 
香燐がチャクラ感知で誰だか「分らなかった」理由はごく単純…「カブトには色んな人のチャクラが混ざり、仙術チャクラまで混ざっていたから分からなかった」らしい。
 
 62巻で、大蛇丸がカブトからオロチャクラを抜いて、すっかり浄化され「カブトらしく」なったんじゃないかと思い込んでましたが、結局また不気味な姿になってますね(正直、元のカブトに戻っていなかったのは残念)。再び仙人モードになっていたのは感知の為やサスケを回復する為かもしれませんが、でも相変わらず「その他の多数人物のチャクラ」は残ったままとは…(これはまだ抜けないんだろうか)。
 
しかし、香燐が「イヤなチャクラ」と言った理由は、どうやら訳アリっぽいですね。大蛇丸「ちなみにイヤな感じがしたのって私のチャクラがまだ残ってたかしら?」とさり気なく自虐ギャグを(笑)いつの間に、こういうキャラに…
 
この前も、香燐と水月の前で首ニョロニョロ~とさせて「変なのはお互い様」と言ったり、とにかく大蛇丸のキャラ「更改」が激しいですよね。だいたい、今までの大蛇丸というのは「余計なひと言」癖がありまして、それが皮肉っぽいものだから「誤解される」の原因の1つだったんです。 だけど最近はその「ひと言」が「皮肉」から「お茶目なもの」になってきた…これもイメージが変わる大きな原因の1つかな。
 
で、肝心の「イヤな感じのチャクラ」の正体について、大蛇丸「それとも…」と言いかけてくれたのに、『サスケから離れろインテリヤロー!!』という香燐の叫び声で…見事に掻き消されてしまいました。香燐、ちょっとは空気読めーっ…と泣きたくなりましたけど(笑)、いっつもこうなんですよね、“鷹”って。
 
 
・“鷹”の空気読まない発言にみる「理想的なチームワーク」
 
前も、水月『何よりこのボクが新世代忍刀七人衆の隊長であり、そして―』と肝心の“締め”を言おうとした時に、重吾が「もういい…大声でしゃべりすぎだ」と遮っちゃったんですよね、水月・満月兄弟がなぜ「忍刀集め」をしていたのか、その理由をせっかく言いそうだったのに。 この時も《おぃ重吾、そこ読者の空気読め!》って思いましたっけ。
 
で、なぜ「いっつも“鷹”はこうなっちゃうのか」…といいますと、“鷹”の皆さんって、日頃考えてる事や「目的」がバラッバラなんですよね。サスケばっかりの香燐、刀にしか興味がない水月、君麻呂が全ての重吾… 
今だって、重吾は心配そうな顔で《どうするつもりだ?…大蛇丸なんて考えてる。サスケの心配と言うよりも「君麻呂の意志をどうやったら実現できるか」を「今は」ひたすら考えてる感じなんですよね。 どうやら重吾の“真剣度”から考えて、かぐや君麻呂の意志が実現出来るのは「今」しかない、と考えているんじゃないだろうか。重吾も、今の戦況の「深層部」に関わる何かを知ってそうな雰囲気なんですよね。
 
…とまぁ、“鷹”のメンバーってのは、考えてる事も目的も関心事も、見事なまでにバラバラです。 だからマイペースで、お互いの発言にかなり無頓着といいますか、今回の香燐も大蛇丸の言葉を全く聞いちゃいないし、関心もないから堂々と無視して遮ってしまう(まったく)。
 だけど不思議な事に、彼らは決して「烏合の衆」じゃあない…いざという時は一致団結し、心を一つにして「守り合う」。理想的と言える程のチームワークを発揮して魅せてくれる。これが「不思議」でして…それこそナルトの「不思議な力」並みの不思議さといいますか、あれだけ考えも趣味も目的も違うのに、すぐ団結するし、離れ離れになっても「引き寄せられるように戻ってくる」…しょっちゅうケンカはしてるけど、すぐに「何事も無かったように戻る」。お互いに言葉にはしなくても「つながり」を信じてるんですよね。
 
“鷹”こそ理想的なチームワーク、これからの「理想的な繋がりのあり方」なんじゃないか…と思えるんです。666話で、ケンカばっかりのカカシとオビトを「リン」が引っ張ってくれたような事を…“鷹”はそれが自然に出来ている。 なんだかんだ言って、彼らは互いの「違い」に余計な干渉をせず、互いの違いを認め合ってるんですよね。 
 
 
・で…またまた水月がさり気なく鋭い発言を。
 
「カブトさん…まさかサスケまで取り込む気じゃないよね?カブトにサスケで
カブケかサストか知らないけどさ?」って… 
 
多分、水月自身は軽いイヤミ程度で言ったと思うんですが、カブトは「……」と真剣な反応、いきなりグサッとくる一言だったんですね。 カブトは一応「カブト」の名前こそ使っていましたが、その名の「意味」は完全に無くなっちゃってましたもんね。
にしても「カブケかサスト」って“混ぜる”発想は面白いですが(笑)、うーむ、これって、オビトが「トビ」と名乗っていた理由も、こんな感じだったのかな…なんて思います。オビトがグルグル(トオビ?)を取り込んでいたから、混ぜて「トビ」だったのかなぁ…(これは未だに謎)。
 
(しかし、カブトは《ボクはもうそんな事はしない》し、《もうサスケくんを奪おうとは思わない》と言ってサスケを救った…「ボクの医療忍術と研究しつくしたあの柱間細胞 そしてある方の助言で彼の一命をどうにかとりとめたんだ」と。)
 
ここにきて、さらに《柱間細胞》の存在が大きくなってきてますが、そもそも《柱間細胞》というのは「とんでもない生命力と圧倒的な回復力」を持ち、暴走したり尾獣チャクラと反応すれば「木になる」。それこそ十尾そのものの力というか、《柱間細胞を解く》ということは《十尾(神樹)を解く》と言ってもいいんじゃないか…だから大蛇丸とカブトの《柱間細胞の研究成果》は、今後重要になってきそうですよね。
《敵キャラ株総上ゲ》もまだほんの序の口、今後忍達が「向き合う存在」の事を一番よく知ってるのは、大蛇丸、カブト、オビトの3人じゃないかと思いますから。
 
 
・気になった大蛇丸の「二代目扉間様」
 
そして、また大蛇丸「これはこれは…私が最も尊敬する火影…二代目扉間様」なんて言ったあと、水月「あ!」と反応してるんですが、この「あ!」は何だったんだろう?
《こんな所で、二代目がグサグサ刺されて動けなくなってる》ことへの反応の「あ!」なのか、それとも、大蛇丸“最も尊敬する二代目扉間様”なんて言い方をしたから「あ!」だったのか。 うーむ、どっちかというと「後者」、大蛇丸が「二代目扉間“様”」なんて言ったからではないか…と考えます。大蛇丸は、ちょっと前まで扉間の事を「二代目」と呼んで、扉間の政策や術にかなりケチつけていたのに、今回は「二代目扉間“様”」なんて「様」を付けて格上げしてるのだから…そこに水月は「あ!」と反応したんじゃないだろうか。
 
ご承知の通り、水月自身も前までは大蛇丸の事を大蛇丸と呼び捨てか「アンタ」と呼んでましたけど、ちょっと前からなんですよね…「大蛇丸“様”」と様を付けるようになったのは。 「アナタ達はもう蛇じゃない」と言われた直後から、水月は「大蛇丸様」と呼ぶようになり態度を「激変」させているのです。きっと、大蛇丸のことを「今まで誤解していた」と感じて、今では尊敬して「大蛇丸“様”」と言うようになったんじゃないか…と思っておりますが。 なので、大蛇丸まで「二代目扉間様」なんて言いだした「変化」に、水月だからこそ「敏感」に反応したんじゃないのかな。
 大蛇丸が「扉間様」なんて言い出したのは「前までの大蛇丸」なら《グサグサに刺されて動けない扉間への皮肉》に思えるんですが、「今の大蛇丸なら《二代目の本当の人柄や術に対する想い、サスケを助けようとした行動への尊敬》として素直に「扉間様」と言うようになったんじゃないだろうか? 「少しずつ」人間ってのは、思い込みを解き、わかり合い、誤解も解けていくものなのかもしれない…なんて思ったけど、そのわりに大蛇丸はすぐに扉間に背を向けちゃうんですよね。うーんやっぱり「皮肉」なのか、淡々としてるのか(苦笑)
 
ちょっと話がずれますが、ますます気になるフガクがヒルゼンの事を《火影“様”》と呼んでいた事実(25巻)… 「様」が、もし心からの尊敬の証であるならば、フガクが三代目の里を相手に不平不満だけでクーデターを起こすだろうか?というのがますます疑問に思えてきます。 
イタチがサスケに伝えた「真実」の中で、あの夜フガクが言った「お前は向こうへついたか…」「向こう」とは、「里」ではなくって…あのロン毛仮面男の事だったんだろうか(話が逸れてすみません…でも、今回の「様」発言は、そこに至るヒントなのではないか…という気もしないではない)。
 
 
・カブトの「帰るべき場所」
 
そして、何と言っても、カブトがどうやって《イザナミの無限ループ》から抜けたのか…あれから何周したのか、抜けた後どんな気持ちになっていたのかが気になっておりました。で、カブト自身から語られた、カブトは《何に気付いたのか》…
 
「でもイタチはその術でボクに気付かせた ボクは他でもない―――」
 
「カブトなんだと」
 
「そして帰るべき場所も」
 
「ボクは今…帰るべき場所を無くしたくないと心の底から願うようになった」
「イタチが死んでも守りたいと願ったサスケくん… その想いが痛烈にボクの心を貫いてきた」
 
 
うん、カブトの言葉も痛烈に私の心を貫いてくる。なんか…じわっときましたね、特に《イタチの想いがカブトを貫いた》という一言に。 イタチの想い、カブトにしっかり通じていたんだな…と。
 
カブトが、自分の存在を「内側から」肯定し、もう迷いがないのは《他でもない》という強調や《カブト“なんだ”と》と念を押すような宣言からも伝わってきたし、帰る場所の事を《帰る“べき”場所》と言っていて、思い浮かべてるのはマザーとウルシと仲間達…そして「9時を指す時計のある家(孤児院)」。
その「絵」が、カブトの心を呼んでいるような感じなんですよね。 それは「帰りたい場所」とか「帰ってもいい場所」とかそんなユルいものではなくって、カブトを引っ張るように、早く帰ってこいと呼ぶような《帰るべき場所》…
 
それにカブトのセリフに《心》という言葉が二回も繰り返されてるんですね、《心の底から》とか《ボクの心を》とか。
 
今までのカブトは「他人の心理」を読むのは結構お得意で、相手をそれで動揺させることはあったと思うんです(さすがスパイだし)。だけど、なぜか「自分の心」には鈍い反応をしてたと思うんです。 だけどそのカブトが、イタチのサスケへの愛情が「痛烈にボクの心を貫いた」と思うぐらいに感じ取ったり…そして「心の底から願った」と言うほどの《深い愛情》を自分自身の中に感じ取ったり… 「出来た」んですよね、あのカブトが。
 
大蛇丸「それがイザナミという術なのよ」と言ったけど、このイザナミ」…これこそ本当の意味で「うちはの最高瞳術」なんだと改めて思います。元来愛情深い一族である「うちは」だからこそ可能な術…己の眼(己の魂というべき眼)を犠牲にしてでも仲間の「心」を救う術… イタチの「想い」がカブトの「想い」を引き寄せたように、イザナミは仲間への愛情が、仲間の愛情を引き寄せる術なんですね。チャクラでしかチャクラを引き寄せられないように、心でしか心を引き寄せられない…
 
イタチの「サスケへの想い」がカブトの心を「痛烈に貫き」、その愛情が間接的にカブトを通してサスケにも伝わっていく。そして、サスケに近寄り心配そうに涙する香燐の「心」…《サスケを助けたいと願ういくつもの心》がサスケに送られていく。
 
でも、水月「今さら言えた義理かよ!」もゴモットモなんですよね。それが、ごく「一般の忍達の気持ち」でもあると思います。
 
「その通りだ…ボクも そのオビトも この世の中に自分の居場所がなくなってしまったと思い込み皆を巻き込んだ」
「だが もう自分が何者か分かっている… そして己が何をすべきかも!」
 
って…やっぱりカブトは「偽マダラはオビト」だと知ってたんですね(他の誰もが分かっていなかったのに)。 これ、良くも悪くもカブトがこの世界に「思い込み」が無かった分、意外とすんなりと「事実」が目に入ってきたのかもしれないですね。 
カブトは、随分前の“暁”潜入時代からオビトのことを知っていたのだとしたら…カブトがカカシに対して挑発的だったり、意味ありげな写輪眼に関する発言をしていたのも「納得」できます。
 
そして、《サスケを助けようとするカブト、生気を少しずつ取り戻していきサスケ…》、そして《ナルトを助けようとするオビト、生気を少しずつ取り戻していくナルト…》という対になるような構図… この絵を見ていると、この戦場に「敵」なんて無いんだと思えてくるんです。どっちも、そして誰もが「忍とは何か」という問題と真剣に向き合い闘ってきたんじゃないだろうか…と思えてくる。 だからこそ、オビトとカブトが「心の底から」ナルトとサスケを助けたいと願う想いも伝わってくる…本来、2人共 心が優しい人たちですもん。ナルトとサスケが彼らに助けられたってのが、何だか…嬉しい。
 
何と言うのかな…「オビトとカブト」は、ナルトとサスケの「影の部分」の理解者とでも言いましょうか。ナルトとサスケがひっそり内側に抱える影の部分、危うい脆い部分を「理解」してやれる、数少ない存在と言えるんじゃないでしょうか。
ナルトとサスケの「光の部分」を理解してくれる人は大勢いると思うけど、「影の部分」を思い遣ったり理解出来る人は少ないと思うんですよね。だからこそ、オビトとカブトは、彼らの影の部分…「もろく危うい部分」を裏打ちし助ける事も出来るんじゃないだろうか。
ナルトとサスケ、オビトとカブト…どちら側も忍世界を変える為に必要だったのだと…つくづく思います。
 
カブトがサスケにどんなエネルギーを『注入』してるのかハッキリしませんが、柱間細胞、自然エネルギー(仙人の力)を与えているのでしょうか。
ナルトは体内に《尾獣の力》を与えられ、そしてナルトは元々《仙人の力》は持っているし…サスケには《千手の力と仙人の力》が与えられたのならば…
 
ナルトの「仙術・螺旋丸」も、ミナトが術を開発した由来である「人間と尾獣の共闘」としての力をフルパワーで発揮できそうな気がしますし、サスケの「仙術・千鳥」も、カカシとオビトが完成させた「うちはと千手の共闘の力」をフルパワーで発揮できるんじゃないか…と、ますます期待してしまうのです。2人で、力を合わせれば…と。
 
そして、サスケの「眼」にも新たな変化が起きそうな気はしていますが、それは輪廻眼でもない、マダラも到達できなかった…己を解き放つ「眼(仮に“鷹”の眼)」になるのでしょうか(サスケも、あの世との狭間で『誰か』に会ってるのかな…)。
 
 
 
 
 
(その2、ガイVSマダラへ続けます。)