NARUTO 661:失敗した世界 2
(その1の続きです)
・扉間とマダラの「姑息」
(飛雷神でマダラの元に飛び、飛雷神「二の段」のような攻撃でマダラを討とうとするも黒棒で串刺しにされた扉間…)
「正直な…ずっとお前にはこうしてやりたいと思っていた」
「お前は…イズナを殺めた男だ」
「動く死体にいくらやっても虚しいだけだが…」 (マダラ)
マダラ、容赦なく扉間をメッタ刺し、トドメに頭も串刺し…それこそ串刺し八つ裂きにしたい想いは昔からあったと思うんだけど、でも生前マダラはそれを「やらなかった」。出来なかったんですよね、マダラには… それは「復讐の虚しさ」を知っていたというだけでなく、マダラにとって「扉間」は「弟の仇」である以上に「柱間の最愛の弟」だからなんだと思います。
でも、だからって憎しみが消せるわけでも無いし…そんなモヤモヤした思いをマダラはずっと抱えていたんじゃないだろうか。
そしてマダラは何も「扉間個人が憎いから」やってみせた訳でもないと思うんです。「これが忍世界に蔓延る、断ち切る事の出来ない憎しみの連鎖なのだ」と…《この世界は失敗した世界であること》の証明としてやってみせたのかもしれない。
「うちはと千手」はお互いに親兄弟の仇であって、いくら表面上仲良く平和を保とうとしても、心の内に憎しみを抱えているんだと“自分の真っ黒な腑(はらわた)”を「正直な」と言いつつドーンと見せつけたのだと思います。どす黒い腑を…《お前だって持ってるだろ?》とでもいうように…。
そしてマダラは「虚しいだけだ」と言ってますが、この「串刺し行為」には憎しみというよりも、たしかに「虚しさ」が漂う…
それは「復讐相手が穢土転生体だから虚しい」というのではなく、ぶつけどころの無い虚しさ…「本当は憎しみ悲しみを抱えているのに、心を刃で抑え込んでごまかし、どこにもぶつけることも出来ず一人で苦しむ」虚しさなのかもしれません。
そして、おそらく扉間もその《虚しさ》は分かってる… だからマダラは自分の黒い腑をあえて扉間に「見せた」のだと思います。 お互い本当は分かっているからこそ、マダラはこんな事も扉間に言ったんじゃないだろうか。
「相手が勝利を確信したタイミング…そこを狙うのがお前の常だった
ガキ共にやらせ やはりお前は姑息な奴だ…扉間」…と。
あれれ、それってマダラさんの事じゃあないですかぃ…この戦場で「姑息にガキを利用した」のは、どちらかと言うとマダラですから…それも「さっき」オビトを利用したばっかり。
マダラの「姑息な奴」発言に、扉間は返す…
「お互いにな」と。
(そしてマダラは「フフ…」と嗤う)。
マダラがあんなこと言ったのも、扉間に「お互いにな」と言い返されることを計算の上、いや、言われることを「期待して」たんじゃないかと思うんです。だから自虐的な意味も込めて、マダラはあんな事を言ったと思うんですよね。それだけマダラは「オビトを利用せざるを得なかった」事にホントは心を痛めてるということ…
たとえ大いなる目的のためだろうと、いずれオビトを復活させるつもりだったとしても、とにかく「姑息な事をやった」自分が堪らなく辛いんじゃないでしょうか、マダラは(なにせオビトは「じいちゃんありがとう」なんて、戸惑うぐらい嬉しい事をマダラに言ってくれた唯一の「ガキ」ですから…)。
前にイズナを利用した時のような「痛み」…おそらく心の中ではメチャメチャ辛いに違いない。 「どちらかを犠牲にしなければならない」世界だからこその痛み…
《姑息な奴》…それはマダラと扉間、両者とも共通して「他人から言われていた」ことじゃないかと思うんです。マダラは「欲深な兄」と蔑まれてたみたいだし、扉間は穢土転生開発者として「卑劣な奴」とも言われてきたのだから…。2人とも「姑息な奴」で通ってきた…「姑息でなければならない」痛みを知っている同士。
「分かり合いたいという本能的な裏の心」…それは犬猿の仲、扉間とマダラの間でさえあるのだということが、「お互いにな」の会話中に感じられるのです。
・マダラの言う「荒療治」
(扉間) 「…無限月読とやらは…お前の考えか…?それが治療だってのか?」
(マダラ)
「そうだ 柱間の国作りは矛盾を抱えていた 人は平和を望む… しかしその一方で争いを望んでもいる」
「その2つを持ちえているのが人だ」
「平和だけを望み争いだけを摘み取ることは 人でなくなるという事に他ならない」
「そしてその2つは隣り合わせにある」
「何かを守る為には何かを犠牲にしてしまう」
「本当の夢の世界以外はな」
マダラは「愛だけの世界」とか言って「片方だけを肯定」しているように見えましたが、分かってるんですね…両方を持っててこそ「人」であり、都合のいいほうだけにするのは「人でなくなる」という事だと。
イヤどっちかと言うと、“今までの忍”こそ「どっちか」しか肯定されなかったんじゃないだろうか。「平和だけ」が肯定されるから「争い」のタネは摘みとられ地中に埋められる。 「愛」だけが肯定されるから「憎しみ」は心の中に封じ込まれる(マダラと扉間がお互いに心の内に憎しみを閉じ込めたように)。
だから今までの忍は「心、感情を失った存在」であり、それは「人でなくなる」という事でもあったんじゃないだろうか。
白ゼツ達が言ってましたよね、「ボク達人造人間にはちゃんと感情がある!うん○はしないけど」…彼らは「人じゃないけど人間以上に“人”」… だけど感情のなかった忍達のほうが「人じゃなかった」のかもしれません。
でもマダラの発想から考えると、たとえ幻術世界であろうと「どっちかいい方しかない世界」の人間は「人とは言えない」んじゃないだろうか…? マダラはそれを「本当の夢の世界」と言うのだろうか…? うーん何かすっきりしない、辻褄が合わない(気がする)。
マダラが言う「無限月読」が「荒療治」なのは分かった。
だけどマダラが言う理想的な「本当の夢の世界」とは、本当に片方だけの世界「無限月読」の世界なのでしょうか…そこんとこ、彼の理論から言うと少々疑わしく感じちゃうのですけどねぇ。
・サスケの「鷹の眼」
「そして新しい“眼”も育っている… こちら側に付くかは分からぬがな」
(マダラ)
(続けて「サスケの万華鏡写輪眼のアップ」と、「サスケが口寄せの鷹に乗る姿」の絵)
《サスケが鷹に乗る姿》…これはサスケの眼がうちはの高み「鷹の眼(仮称)」に近づきつつある事を意味してるんじゃなかろうか。
サスケの眼…その「秘めた力」については、おそらくイタチも、フガクも気づいていたからこそ「サスケを守る」と決めていたんじゃないかと思うんです。それに《育っている》という表現…イタチ、オビトが「育てて」きたサスケの眼は、まだ「育ってる」途中なんですよね、まだ「完成」はしていない。
大蛇丸も「イタチ以上の眼になる」と見抜いたサスケの眼。
オビトも「次の脱皮で“鷹”に変わるか」と期待したサスケの眼。
一族が長い時間かけて解こうとしてきた「六道仙人が残した」石碑の指し示すもの… うちは一族を「縛り」から解き放つのが、サスケの「眼」なんじゃないかとは思っているのですが、もはや九尾事件時の一族不在、クーデター絡みの事件等々、全ては一族全体がサスケの眼に「希望」を託すためのシナリオだったんじゃないかとさえ思えてきます。…
・柱間とサスケと《イタチの想い》
サスケは当初、柱間に「マダラを止める術を渡す」と言われても無関心だったのが、 「お前にオレの残りチャクラを全て渡す… マダラを止めてくれ…」と言われて「……」と驚いたような表情をしたんですよね。
で、「なぜうちはのオレに」と問うと、柱間は
「…お前は似ている… マダラの…弟…うちはイズナに」と言うのですが、ここでもまたサスケは「無関心」…。
42巻ではじめて「マダラの弟」の絵が出てきた時、あまりにもサスケそっくりで驚いたもんですが(イズナ、サスケ、オビトの3人は目元がそっくりなんですよねぇ)、でも見た目だけじゃなく性格や喋り方、刀の扱い方などもイズナとサスケは似てるのかもしれないですね(もしかしたら「瞳術も」かもしれませんが)。そして「眼の素質の高さ」も…。「ナルト」がかつてのオビトを思い出させたように、「サスケ」がかつてのイズナ(とかつての自分)をマダラに思い出させる事になるのか・・
今やマダラの「荒療治」は神まで巻き込む「大掛りすぎるもの」になってしまってますが、原点を辿れば「イズナへの想い」なのだと柱間は考えているのでしょうか。そこを解決しなければ、進めない…いくら親友柱間がマダラの心に近づいたところで「弟を守れた柱間と、弟を守れなかったマダラ」という埋められない溝が邪魔をしてしまうから。
で、サスケはまた「それがどうした?」とか少々不機嫌そうに答えてますが、次の柱間の言葉で《表情が変わる》。
「お前なら 力でなくマダラを止める事が出来るかもしれない」
今度は「……」さえ無しで、柱間を食い入るように見つめてるんですよね、サスケは。「何か」を想った様子なんですが、なにせうちは一族の「心の中の声」は書かれないから勝手に推測するしかないんですが、サスケは柱間のこの言葉に《イタチの言葉》を重ねていたんじゃないでしょうか。
「お前が父を母を …うちはを変えることができたかもしれないと…」
穢土転生イタチが、最後にサスケに伝えた言葉の1つです。
あの時のイタチの言葉は、今もずーっとサスケの心の中に響き続けていると思うんですが、それですぐさま呼応したんじゃないでしょうか…《お前なら》…《止める、変えることが》…という言葉が。
で、この先が肝心なんです。イタチは《できたかもしれない》と言ったけど、柱間が言ったのは《出来るかもしれない》。「できたかも」という過去の話ではなく、まだ未来…「できるかも」なんです。
《お前なら、うちは(マダラ)を止める(変える)ことができるかもしれない》…イタチが仮定法過去完了で言った「実現しなかった願望」が、まだこれから…実現できるかもしれない。サスケはイタチの想いを胸に「柱間の術とチャクラ」を貰い、鷹に乗ってマダラの元へと急いだんじゃないだろうか…?
・そして…「サスケとマダラ」
しかしサスケに「柱間のチャクラ」が入ったとなると、遂にサスケも「うちはと千手」両方の力を得た事になりますよね。そうしたらサスケの“眼”にもさらなる変化が表れるんじゃないかと思いますが、マダラもこれを狙っていたんじゃないでしょうか…「直巴」のサスケの眼が柱間からチャクラを貰い、眼を「完成」させるのを。
(マダラの背後を不意討ちしようとしたサスケはマダラに勘付かれ、動きを止められ、逆に草薙の刀で刺されてしまう…)
「……時間は充分やったろう」
「残念だ」
えぇっ、草薙の刀はサスケの心臓のあたりを貫いちゃってますが、どういう事…?
しかし当然コレ…マダラはサスケを本当に殺すつもりではないと思いますので(なにせサスケの「眼」の成長、そして「完成」を願っているのはマダラ自身なのですから)つまり、これはサスケの眼の「最終仕上げ」に関わってくる可能性が高いんじゃないかと思ってます。 それに…「マダラは優しい男」、そして「サスケは最愛の弟イズナの生まれ変わりのような存在」…本気で「倒す」目的ではないだろう、と。
刀で「我が子(子孫)」とも言えるサスケを貫きながら、マダラはあの日を思い出しているのでしょうか…終末の谷の「矛盾劇」を。この世界が「失敗である」ことが証明されてしまったあの時を。
しかし、ただ1つ気になるのは前回も書いた『ナルトが鉄の国で言っていた事』なんです。《もし行き着くとこまで行ってお互い死んだとしても…うちはでもなく九尾の人柱力でもなくなってよ 何も背負わなくなりゃあの世で分かり合えら!》…まさにそれが現実化しつつあるような…。
あのセリフが意味を持っているとしたら、これでナルトとサスケ、2人とも一度「あの世」(あるいはあの世との狭間、外道、十尾の空間、神威空間)へ行って、お互い「背負わなくなって分かり合えら」の展開はあり得るのかもしれません…(もちろん「生きて戻る」のは大前提ですが)。
それにあの時、ナルトが《二人とも死ぬ》と言った時の周りの4人の反応、サクラは「!?」、カカシは「…!」、白ゼツは「…?」とそれぞれ「ありそうな反応」をしたのに、オビトだけは「……」だったんですよね。 なんとなく、オビトにはその「理由」が分かっていそうな感じの反応だった…それが気になります。でもそれはそれで、ナルトとサスケが十尾と向き合うチャンスになる可能性もあるし、これは「新たな」展開待ちでしょうか。
そして《力でない方法でマダラを止める》… この発想はサスケには「新しい」ものであったかもしれません。 だけど、イタチが言っていた言葉の意味…7、8歳当時のサスケが「両親を、うちはを止められたかもしれない」と言った意味も、これでようやく見えてきたんじゃないでしょうか…
そして本当の意味での「一族の復興」「一族の名誉回復」も見えてきたかもしれない。
《イズナ》の名がサスケに重ねて出されてきた事も気になりますが、サスケは再びあの時イタチが見せた「記憶」を辿り直す事になるのではないでしょうか…「まだ間に合う、これからうちはを変えられる」と。
サスケの「うちは」と「イタチを辿る旅」は、もしかしたらここから始まるのかもしれません…
(まずはナルトとサスケのこの先が気になる…)
☆長駄文、読んでくださって感謝。
☆再び全尾獣を吸収してしまった魔像ですが、どうなるんでしょうね。再び「十尾」の姿になることはあるのか… もし十尾の形(第2形態ぐらいかな)になった時、今度は九尾事件で失った「左手」だけじゃなく「右手」も取れていたりして…あ、でも魔像そのものの「右手」はカカシの神威で時空間に飛ばされてるんでしたね。アレはどんな意味を持ってくるのだろう…。
☆逆にサスケの方が動きを止められてしまったのは、サスケの中に入った『柱間のチャクラ』を利用されたのか、あるいは元々サスケの中に在る「マダラと同じ禍々しいチャクラ(あの黒いチャクラかな)」を利用されたのかな。
☆まだ「陰チャクラ」の九喇嘛がミナトのところには残っていますが…
それにビーはどうなっているんでしょうね。この前八つっあんが残したタコ足と一緒に居るのでしょうか(まだ八尾チャクラもビーに 少し残っているんだろうか)。
☆また思いついたところは補完していきます。
(ナルト好きブログ! 2014/01/20)