ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 661:失敗した世界 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ08号) その1

NARUTO 661:失敗した世界 1

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お前を…絶対死なせはしない!!
 
死なせるか!!
 
ドクン、ドクン、ドクン…》とナルトの心臓が大きく鼓動してフワ~・・と後ろへ飛ばされてく描写。本当は一瞬の出来事なんだろうけど、まるで時が止まったみたいに…音も《ドクン、ドクン》しか聞こえないような静寂。 止められた「時」は我愛羅の《サァ-・・・》という砂の音で追いかけられ、《ザァァァ…ドッ!》と(ナルトを)掴む音で全てが「戻る」。いいですよねぇ、こういう岸本先生の音の描写。
しかし休む間もなく、今度は容赦なく尾獣たちが魔像に吸い込まれ、我愛羅の「守鶴!」の叫びもせつない…
 
(どうやら尻尾の数順に吸い込まなくちゃいけないのは本当みたいですね。八つっあんと陽九喇嘛は最後に吸い込まれてる…) 「すまねェ…ビー!」とか「頼んだぞ風影のガキ!」とか…尾獣達が呑み込まれる直前、刹那の心の中の言葉が「人間達への想い」溢れる言葉だってのもたまりません。でもこんな「荒療治」でもしなかったら、人間と尾獣、心が繋がることは難しかったんですよねぇ。「こんなにでもならないと」大切な存在の有難さに気付かない事が多い…
 
ナルトを抱え、月下の「天と地の間」を急ぐ我愛羅の…《お前を死なせはしない!!》の想いが、悲しいほど伝わってきますよね。ナルトは前、我愛羅を助けようとして必死で走ってくれたんだから…  今は「人柱力」としてとか「風影として」とかは関係なく「友」だから… 我愛羅の胸にある想いはただそれだけじゃないのかな、今はただ。
 
(その1つ次の絵では、「地」からやや見上げる角度で、マダラとその後ろに輝く「天」上の月…) 
 
オビト戦での大綱引き大会後、ど~も忍達は「出しきった感」があって、尾獣たちが「全部吸い込まれてしまった」というとんでもない事態発生にも《そんな…》《全て吸い取られちまった…》と、まるで半信半疑のような「脱力感」を見せてますね。そりゃそうですよね…ここはもう脱力するしかないというか、またやり直しなのか?なんて…想像もしたくないはず(読者だって)。真っ白ですよね…そりゃ。
 
 
・白ゼツのこと
 
さて、約2週間ぶりのジャンプですが(長かったぁ!)、前回660話「裏の心」の話が素晴らしかったんで、その余韻に浸りつつ(長いインターバルのせいでボーっとしつつ)思ったことを少しずつ…と思っています。で、いきなりなんですが…この数話、ずっと気になっておる「白ゼツ」のことから少々。 
 
白ゼツっていっても、いま『マダラの横にいる右腕のとれた白ゼツ』の事なんですが、やっぱりなんだか「キャラが変化した」ような気がするんです(そう思うのは自分だけかなぁ?)。 オビトからマダラに寝返ったせいで「キャラが変わった」のかもしれないし、例によって私の「考えすぎ」なのかもしれないけど、なんだかなぁ…「グルグル」っぽさが増したような気がする。
 
「揚げ足取り」と言えば、かつてデイダラとコンビを組んでいた「トビ」の十八番でしたよね。 「先輩のは勘忍袋じゃなくて起爆袋でしょ」とか「先輩のほうこそ口数多いっすね」とか、デイダラ先輩の揚げ足を取りまくっちゃあ怒られていたっけ(懐かしいなぁ…デイダラ&トビコンビ。あの「トビキャラ」は、オビトじゃなくて「グルグルモード」だと私は考えてるんですが)。
今週の白ゼツも「数秒じゃなかったですねェ」とマダラをからかったり「黒ゼツは毒舌、白ゼツは饒舌」とかボキャブラリーの豊富さ”を見せつけたり。 この前なんてマダラに「魔像に尾獣を入れるタイミングのアドバイス」までしたり、それってボキャブラリーも頭のキレも君より上っすよ!》なんてオビトにいろいろアドバイスしていた「グルグル」にそっくりというか…それに「口調」も幾分グルグルっぽい。 今週の白ゼツの「ボクら白ゼツは“饒舌”で通ってますからハハァ~♪」ってのも「(長門に眼を)移植しておいたんだぁ~~」なんて気が抜けちゃうような喋り方をしていた、あの「グルグル」の特徴とそっくり(もっとも白ゼツだって「ハロ~~」とはやってたけど)。
 
「グルグル」は「白ゼツ達」とは別の“違う存在”じゃないかと(今のところ)考えていますが、マダラについてる「白ゼツ」の“中身”はあのグルグルだったりしないか?…という疑いをちょっとだけ持っております(今のところ「ちょっと」だけど)。それに「白ゼツの本体」はもう存在しない(サスケに倒された)というのが、やっぱり気になるんですよね。
 
そして、マダラが白ゼツに尋ねた「…向こうの戦闘は大丈夫だろうな?」の意味も気になりますが、「向こう」ってのは黒ゼツの事かな(黒ゼツの話題が出た直後だし)。「白ゼツ」は「大丈夫ですよ!なんせ“中身が”けっこうイイんでね!」なんて言ってますが、“中身”って言い方が気になります。「九尾事件」でも外見はオビトだったけど、クシナから九喇嘛を引き抜いた時の仮面の“中身”はオビトとしては矛盾がある言動をしていた訳で…。
 
万が一ですがもしグルグルが関わっていたら、あのグルグルがオビトを裏切るとは考え難くって「今後」何らかのどんでん返し的な事はあるんじゃないかと期待したりして(ちょっとだけ)。というか、いい加減「グルグル」の真実が知りたいかな…。
「お喋り白ゼツ」に、さすがのマダラも「お前ら(白ゼツ達)はオレの作った失敗作だな…」なんて言ってますが(意外と怒らないですよね、マダラって…怖いイメージ作ってるわりには「憤怒」とか見せない)、だけど「失敗作」と思われた中にこそ意外と名刀とか傑作があったりするもんなんですよね。白ゼツ達とは見た目が違って「失敗作」と思われるあの「グルグル」、“中身(精神体)”は十尾かと思ってましたけど、どうなんだろう。
 
 
・失敗した世界
 
それにしても「失敗作」とか「失敗」とか、忍達は「失敗」という言葉をよく使う。 失敗、失敗と…あちこちで繰り返してる。
 
少し前にも、三代目が自分のしてきた事は「失敗」と言っていたし、長門も自分を「失敗作」、四代目風影は(かつて)我愛羅の事を「失敗作」と呼んでいたし…ほんっと多いんですよね「自称失敗」が。そしてイタチみたいに「失敗した自分を受け入れる」のではなく、己の失敗を許してない人達が殆どで、彼らは「失敗」に縛られてる…縛られ過ぎてる。
 
マダラは「この世界は失敗した前任者柱間のもの」だから「柱間の成し得なかった国作りを代わってやるだけ」なんて言ってますけど、それは625話で「里の皆をしっかり見守ってほしいんだ」と柱間から託された事を、マジメに「実行」しようとしてるのではないだろうか。そして「荒療治」なんて自分でも言ってるけど、思い切った事をやらないと変えることは出来ないことを、よく分かってる。で…こんな荒療治は柱間にはできないし、させられない事でもある。「火影岩」になって皆に慕われる役割ではできないこと、「マダラにしか出来ない」荒療治でもあるんですよね。
 
そして《たとえそれが友であろうと兄弟であろうと我が子であろうと…里に仇なす者は許さぬ》という柱間の“矛盾を抱えた言葉”をマダラは思い返していますが、マダラが否定しているのは「柱間」その人ではないんですよね…全てが矛盾の中に存在している「この世界そのもの」。この世界そのものが「失敗の世界」。
 
 マダラが失敗と呼んだ《柱間の国作り》…
 
“国作り”に関しては、はじめから2人の考え方、見据え方にはズレはあったんですよね。柱間の回想に出てくる「里を興した当初の二人の会話」でも、
 
「国作り」に際し、柱間は「うちはと千手」だけでなく「猿飛一族、志村一族」も受け入れようと話すのですが、それに対するマダラの反応はウソだろ…」。
 
そして「火影」としての見守り方も、柱間は「この岸壁の上から《火影岩として》見守る」と話すのですが、それに対するマダラの反応も「冗談だろ…」(以上625話)。
 
柱間が本気で語る「国作り計画」も、マダラには「ウソ、冗談レベル」にしか思えなかったんですね。《大切なものを守ろうとすれば何かが犠牲になる》…そのリスクの大きさを「イズナの死」でマダラは知っている。だから、柱間の夢が大きくなれば大きくなるほど、マダラは「リスク(犠牲)、歪みも大きくなる」ことを危惧していたのではないだろうか。
 
 
・「天と地」 
 
「…マダラは…元来…優しい男だ」
「…弟想いで…願掛けをする信心深い奴だ」
 
(柱間がサスケに語った言葉)
 
《うちはマダラ》という人物は、柱間が語ったこの3つのワード、優しい男》《弟想い》《信心深い奴》…これで語り尽くされると言っていいんじゃないだろうか。柱間は「こんな状況下でも」マダラの本質を忘れちゃいない、これが柱間のすごいところ…「人を信じる」のが柱間の基本なんですね。
 
「柱間がサスケに語ったセリフ」については後ほど(後半で)書かせて頂きますが、大暴れ中のマダラを前にしても柱間は「マダラ」を見失ってない…それは「友だから」ですよね。特に「うちは」ってのは表面上の言動だけでは分かり難い生き物だけに、その「本当の姿」は見失うべきではないと思うんです。せめて「友」だけは… そうじゃないと解決の糸口も見えない掴めない(メンドクサイですけどね…うちはって)。 例えばオビトだって「友であるカカシ」じゃないと、本当の姿は見つけられないと思うんですよね…
 
だから「マダラ」が何を言おうと何をやろうと、柱間が言った《優しい、弟想い、信心深い》…この3本立ては忘れちゃならない事なんだろうと思います(読者としても)。
 
その3本立ての1つ、「願掛けをする信心深い奴」…これまた「マダラ」をよく表した言葉ですよね。「マダラと柱間の違い」は何かと言われたら「何を信じるかの違い」と言ってもいいぐらいだと思いますから…
 
柱間が信じるのは「火の意志」つまり「人間」。 「木ノ葉は無神論者ではないが、先代を神とし火の意志を思想に行動する」と長門が言ってましたっけ…。
だけどマダラが信じるのは人間ではなく「神」。「うちは一族」は神社に一族の集会所を設けるなど「神」を意識していた一族。
 
肉体エネルギーを司る千手一族は「人間(地)」を、そして精神エネルギーを司るうちは一族は「神(天)」を…と、それぞれ《拠りどころ》が違うのかもしれません、心の拠りどころが。これはどっちが正しい悪いという問題じゃあなく、違うってだけの問題ですよね。だけど厄介な問題として表面化もする…
 
柱間が「マダラの願掛け」を例に出していましたが、同じ「水切り」をやってても、柱間の場合は「願掛け」はなくて「願賭け」(「願懸け」でもあるかな)だったし、試していたのはあくまで「自分」なんですよね。 自分が投げた石が向こう岸に届けば“自分達が”夢を叶えられると信じた…柱間が「向こう岸」に見ていたものは、自分達の手で成し遂げた「平和」。
 
だけど、マダラは「願掛け」…石が向こう岸に届けば“神”が夢を叶えてくれると信じたわけで…マダラが向こう岸に見ていたものは、神が届かせてくれた平和…あのガキんちょの頃から見ていたものが既に違ってたんです。「届かせ方」も… 
 
だから終末の谷の戦いで「オレは届いたのさ!」と言っていたマダラの言葉には、既に「神(天)に届いた」という想いがあったんじゃないかと思います。国作り(国造り)において、マダラは「神(天とも言う)とも言える存在」と何らかの接触、交渉をしていたんじゃないだろうか。
 
今週の「扉間との会話」中でも、マダラは天が味方したのはオレの方だ」と言っていましたが、それは「ラッキーだった」という意味だけじゃなく、「オレには天(神)が味方している」という意味が含まれていそうな感じするんですよね。 
唯一の人間の協力者「オビト」でさえ心から信じる事は出来なかったマダラが、こんな長期にわたる大計画を実行できたのは、「神」という絶対の存在が「協賛者」として在ったからなんじゃないだろうか。
「お前ら兄弟(柱間・扉間)がかつての力を出しきれない理由」とか「偶然にしろ必然にしろ今はオレに分がある」とか言っているのにも、自分の背後には「絶対の存在がある」自信を感じられるのです。
 
少し前、十尾人柱力オビトと忍連合の「大綱引き大会の図」がありましたが、あの図は《神樹の花(オビト)とそれをつなぐ茎(チャクラ)と、地に張る根(忍連合)の図》でもありましたが、《天(神)と地(人間)の綱引きの図》のようでもありました。 
あの時にも、この戦争の本質は《天と地の闘い》なのではないかと思わされたのですが、マダラは「救世主」として天に代わって荒療治をしようとしているのか、あるいは一人で「原罪(チャクラ)」を背負い込むつもりなのか…やはり見えてくるのは今も「天と地の闘いの構図」なのです。
じゃあマダラとオビトで何が違うかと言えばオビトは神樹、天が地上に蒔いた種のような「子供のような」存在の代理に見え、マダラは天そのもの「親のような」存在の代理に見える(あくまで個人の感想です)…
 
マダラが高い所から見下ろす姿、あれを私は「マダラ立ち」と呼んで「カッコつけ」ポーズと捉えておりましたが…あれは「火影岩として里を見守る」代わりの行動だったのだと思えてきました。
 
625話で「火影岩」について、マダラは「火影ってのは里にずっと居て皆を見守る役目ってことか?」なんて柱間に質問してましたけど、里にずっと居て皆に好かれて微笑んで見守ってる…なんてのは「ガラじゃない」ぐらいマダラは自覚してたと思うんです。だからマダラは「マダラのやり方」で…つまり「里でじっと見守ってる」のではなく「里の外に出て動き回って見守る」方法を選んだのだと思います。そして岩壁なんかよりも「もっと高く」そして「もっと遠くまで」見通せるところから見守る手段を考えていたんじゃないだろうか…?
 
マダラが「なるべく高い所に陣取って見下ろそうとする」のも、偉そうに見下すためではなく、「火影岩よりももっと高い所からもっと遠くまで見守りたい」想いがそうさせてるんじゃないだろうか…
 
 
《優しくて、弟想いで、信心深いからこそ》・・・
 
 
だから「何かを守る為には何かを犠牲にしてしまう」この世界をマダラは許せない。
 
そしてその世界に居て《一族のため、そして「眼」のためにイズナを犠牲にしなければならなかった》自分を許せないのだろうし、計画の為にオビトを犠牲にしなければならなかった》自分もまた-許せないのだろうと思います(マダラのその“想い”は、この後の「扉間との会話」で溢れてきてる←感想後半で後述します)。
 
いくら柱間とマダラの腹ン中の「本当の想い」は同じだったとしても、やはり「弟を守れた柱間と弟を守れなかったマダラ」の溝だけは、どーしても埋められなかったんですよね。こればっかりはどうしようもない。
最愛の弟・イズナを守れなかった事…これがマダラを一層「神」へと想いを向かわせた要因じゃないだろうか。「地=この世界」ではなく「天=夢の世界」へと…。より高いところへと…
 
だからこそ、マダラを止められるのは《イズナにそっくり》なサスケしかいないと柱間は考えたんじゃないだろうか。
 
 
 
 
(感想、後半へ続けます… 後半は夜にアップすると思います、すみません。ここまで読んでくださって感謝)