今日のアニメ(「NARUTO疾風伝スペシャル暁始動~青春への懸け橋~」)周辺の原作に潜む「謎」についてちょっとだけ。
今日は本当は雑考記事(今日のお題)を1つ『ナルトとサスケ』に関する考察を…と考えていたのですが、これがとにかく結構長文になってしまいまして(少々熱くなり過ぎて)…もう少しまとめたいと思ってますので、このお題については次週にしっかり書いてアップする事に致します。
ということで、今日は本日(1/23)放送のアニメの感想…というよりは「その周辺の原作部分の気になる点」についてちょっとだけ雑談です。 あのあたり、原作でも謎がてんこ盛りなんですよね(原作で言うと606~607話)…アニメしか見ていないという方も、ぜひぜひ原作を読んでみる事をお勧めします。アニメの絵も美しいですけど、原作の絵も本当に美しい。
原作では、悲しいけどとにかく美しかった「オビトがリンを抱き寄せる画」、あのあたりはアニメでもやっぱり切ないですね・・・悲しすぎる。信じてきた世界が「一転する」。オビト視線で見た「忍世界の現実」…もう1つの「本当の現実の世界」。このあたりのアニメは前回から「続けて」観たいです。
でもマダラの「家」に帰ってきてからのオビトが「カカシを殺さなかった理由」…この時、オビトは「どうでもよかった」とか「これから創る世界にカカシは居る」からとか言ってましたけど、ホントはそうじゃないでしょ・・どうでもよかぁなかったんでしょーよ…オビトにカカシは殺せない…その理由は、そんな理由じゃなくって《友達だから》ですよね、仲間だから。 オビトのこういう言い方、どこかサスケとも似ている。
その後、オビトが「偽マダラ」を名乗ってマダラの計画「どおりに」動き出すまでがサーッと描かれていきますが、でも気になるのはまだ語られていない「その後」。
弥彦とオビトの「あれからの話」、そして九尾事件でオビトが「十尾模様の仮面をつけた理由」…これは凄く気になっている点です。
さて“暁”の名前の由来・・・これは私がNARUTOの中でも《最も気になっている謎》の1つでして、おそらく忍世界の“暁”(夜明け)という意味じゃないかとは想像しておりますが、原作において“暁”の名の「本当の意味」が明かされるのはまだ先ですかねぇ・・実際に“暁”の刻になって東雲が朝日で赤く染まる頃じゃないかと思っております。
思えば弥彦が立ち上げた“暁”ももちろんですが、最近の“暁”の連中も、あれで根は純粋、今の忍システムに問題を感じていた人達ですよね。 自分なりの方法で「変えたい」と思っていた人達… お尋ね者ではあったとしても、憎めない人間臭い忍達ばっかりでしたよね、彼らは本当に魅力的だった。
正直、今回のアニメではどんな話が「作られちゃうのか」不安だったのですが、原作の過去のシーンの回想が多く使われていて「よかった」・・・ 弥彦達の事も、「十尾の抜け殻=外道魔像」のことも上手く「説明」しつつ、原作からそれほど逸れる事もなく・・なにより「弥彦」という魅力的なキャラクターが活き活きしてたし、自来也先生のエロさも全開で何だか和んだし(笑)
そして今回のアニメでも登場した部分なんですが…これに今、ちょっと引っかかってます。
(オビト) 「あれがマダラの輪廻眼か…」
(グルグル) 『マダラの本当の眼だよ あの子が子供の頃に気付かれないよう移植しておいたんだぁ~』
例の、グルグルの気が抜けちゃうような口調のセリフなんですが、ここ『移植しておいたら しいよ』ではなくって『しておいたんだぁ~』なんですよね。グルグルは《長門に輪廻眼を移植した経緯》を実際に知っているのではないか…?とも思える。
で・・・グルグルはおそらく63巻91頁で描かれている『魔像からぶる下がっている、白ゼツとは外見が違う一体』なのだと思いますが、オビトがマダラのところに来たばっかりの頃は、まだ「製造途中」だったらしいんですよね。 それでも「長門が輪廻眼を移植された経緯」を知ってるっぽいということは…つまりグルグルは、あのグルグル模様の「型」が完成する前からどこかに存在し、マダラの側でずっと「見ていた」のかもしれない。そういう疑惑が生じます(疑惑って…大袈裟だけど)。
じゃあ、あのグルグル人形に入る前は、彼(?)はどこにも「入ってなかった」のか、あるいは別の「型」に入っていたのかもしれないし、意外と「マダラの中」に入っていたりしたのかもしれない等と考えられるのです。 やっぱり私は「グルグル」が気になって仕方ない。
そういえば、今回のアニメでも登場した《輪廻眼開眼当時のびっくり顔の笑えちゃうマダラさん》はアニメでは少々可愛らしくなっていたけれど、彼は口寄せした魔像に繋がって栄養補給しなければ生きてられない体だったんですよね。 だから、お外に出て行くことは出来なかったハズで、602話では「なによりもお前(オビト)もオレもここより出ることはできん …この体ではな」なんて言ってましたっけ。
でも、この《この体ではな》の台詞が前々からひっかかってるんです。 《この体ではダメ》なら、どの体なら大丈夫なの?と…白ゼツじゃないけど突っ込みたくなる。
オビトはグルグルを着れば外に出られたんだし、マダラも同じように「何か(グルグルや白ゼツっぽい着ぐるみ)」を着れば外に出られたのかなぁ…と、このあたりも謎が残ります。
それにマダラの謎の「おねむ」についても気になるし、片目写輪眼だった理由は「外道魔像経由で」誰かと視野共有していたのか等々…気になることは多々あります(「視野共有」は時空間=外道の空間内なら可能なのかと推測中。カカシも時空間内ではオビトと視野共有できたし、オビトもグルグル内に居た時共有できた)。
なにせ『雨隠れで血霧の里をコントロールしていた人物』がオビトではない事だけはハッキリしてるし、イタチが会っていた仮面の人物(うちは事件の協力者)もオビトではない可能性が高いし(刀と草履という装備が違い過ぎる)、九尾事件当日クシナから九尾を引き出した存在も「オビトじゃない」事は言動からほぼ確か。
このあたりの謎も《長門に輪廻眼を移植したのは誰》とか色んな疑問に繋がってきそうな…怪しい匂いがします(笑) まだまだ解けない謎が多くて面白い。
しかし、弥彦という人物のカリスマ性は柱間とも共通するような、おおらかな人間的な魅力…ちょっとしか出てこない人物であるにもかかわらず、その存在感はとにかく大きい。それだけに、やはり“暁”の名の由来は大切!なんだと思います。
(小南が“暁”の衣の「東雲模様」の本当の由来を知らなかった(っぽい)理由も…“暁”立ち上げの経緯を弥彦から知らされていなかった理由も、そのうち明かされないかなぁ)。
☆駄文にお付き合いいただき、感謝。
(ナルト好きブログ!2014/01/23)