ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO65巻を読んで、あれこれと・・・

NARUTO65巻を読んで、あれこれと・・・

65巻、読みました!
歴代火影の後ろ姿・・・足があんまり長くないところとか、リアルでいいですね(・・って無礼な!) いや、キッシーのこういうリアルな絵が好きなんです。やっぱり扉間は、腕組みしてるんですね。 
 
さて恒例の「加筆・訂正ヵ所探し」なんですが、627話「サスケの答え」で2ページ新たに追加されてますが、大きな変更はそのぐらいでしょうか? 後は細々とした点・・・サスケの万華鏡がちゃんと「永遠の万華鏡」になおされてたりとか・・
 
627話の大蛇丸の言葉、「皆残念だったわよ」→「皆残念がってたわよ」  (ミナトの死について)
サスケの言葉「無にするのだ」→「無にするものだ」 (月の眼計画の説明)
その他、漢字が「才→歳」、「無し→なし」、「事→こと」に変えられた事とか、須佐能乎に色が加えられたぐらいでしょうか(ざっと見たところでは・・なんで、見落としてそうですが、他に有ったら教えて下さい)。
 
あと個人的に1ヵ所、「コミックスで加筆されるかどうか」気になっていた点がありまして・・・そこは結局『変更なし』でした。 162頁~164頁、終末の谷の最後のところですが、マダラが柱間にバックから突かれちゃった時、口元から血が「ツー・・」と流れてるんですが、次のコマでマダラが眼を「スッ」とした直後、流れていたハズの「口元の血」が一瞬で消えてちゃっているのです。  これ、ただの「描き忘れ」だったのか、それとも意図的なものなのか…コミックスでどうなるか気になっていたのですが、訂正無し。 結局、マダラの血は「一瞬で」消えています。 これ・・・マダラが「生きていた」理由に、関係あるのかどうか。気になっています。
 
そして《加筆された627話、「サスケが決意するまで」の2頁》なんですが。 
 
ジャンプを読んだ時は、正直サスケが「決断するまで」が早過ぎ!でして、読んでるこっちの方がサスケの思考についていけなかったもので・・・これは「良かった」。 これなら、サスケが決意するまで(短時間ながらも)、イタチの最後の言葉を1つ1つ深~く考え抜いた上での決意だったという事が伝わって来ると思ったんですけど、皆さんはどう思われたでしょう? 
 
もともと、176~7頁の絵の上に載っていた「イタチの言葉」を、新たに加えられた2頁に移動しただけなんですが、印象が全然違う。 たった2頁の追加だけで、こんなに違うんか!と思うぐらいに・・。 
イタチの言葉を少しずつ思い出しながら、だんだんサスケの絵が小さく、遠ざかっていくんですよね・・・イタチの言葉の中に引きこまれ、埋もれていくようにして。 そして最後のおれはお前をずっと愛している》では、全身イタチの愛に満たされるサスケ。
 
イタチの愛に埋づもれていきながら、印象に残る《“お前が”、父を母を・・うちはを変えることが出来たかもしれないと・・》の言葉。 「お前が」に点がふられて強調されてるせいもあるんですが、イタチの愛を感じながら、サスケの心にしっかりと《オレがやらなくては》の想いが生まれていったんじゃないか・・と思えるのです。そして《今度こそ本当のことをほんの少しだけ》・・・イタチはあえて《ほんの少し》の真実だけを伝えることで、サスケの《知りたい願望》をさらに刺激したんじゃないだろうか。 
 
・・・イタチが一度死んで到達した心境とは、六道仙人が達した心境に近いモノだったのではないかと思うのですが(61,62巻でのイタチがカブトに向けて残した言葉の数々は、六道仙人の言葉と思えるようなモノばかり)・・・つまりサスケが《イタチを知る》という事は、《六道仙人を知る》とほぼ同じといっていいんじゃないかと思えてしまうんです。
 
その中でも、《オレが初めからお前とちゃんと向き合い同じ目線に立って真実を語り合っていれば・・》の言葉は、六道仙人が十尾に対して遺した想いのような言葉・・・
 
私は今のところ、いわゆる「ラスボス」的な位置にあるのは「十尾」じゃないかと考えているのですが(この作品で「ラスボス」という表現はふさわしくないかもしれませんが)、もし「イタチの言葉≒六道仙人の言葉」として捉えるのなら、イタチの言葉こそ十尾に対して示すべき「答え」として一番近いような気もしています。だから、サスケがイタチを知り、イタチが出来なかった事を成すことが、六道仙人が残した課題への答えになるんじゃないだろうか(等々考えてしまう)。
 
イタチとサスケは、六道仙人に近い立場に立ったと思えるのですが・・・しかし「マダラとオビト」を見ていると、「うちは一族」とは本来、十尾の意志を託された一族ではないかと(私は)感じてしまうんです。 
今ジャンプのほうでは、マダラとオビト、双方が十尾の人柱力になろうとしているし、2人とも十尾にリンクを認められているという事実(マダラは、オビトほどは十尾とつながっていないと思えるのだが)・・・
それと65巻の描写にもある《マダラの周辺に漂っていた精神エネルギー(らしきもの)の存在》からも、十尾は「うちは一族」側に近い存在として感じるんです(あくまでも個人の感想です・・ってことで)。 
 
625話と626話の「今週の感想」で書いているので詳細は略しますが、625話でマダラのところに舞い降りた《木ノ葉に宿っていたモノ》は、《器と肉体エネルギーを失った十尾の精神エネルギー》だったのではないか・・と(あくまで個人的な見解ってことで)。 「葉」は自然エネルギーの象徴に思えるし、葉に空いた1つ穴からマダラが眼を覗かせている姿は、十尾にも見える・・ 
それと625話で、柱間と扉間が会話しているのを盗み聞きしていた「感知系の扉間も感知出来ない存在」とか、626話終末の谷で柱間が「感じた何か」・・それらも「十尾の精神エネルギー」だったのではないかと考えてます(今のところは、ですが)。 なので・・今、私がもっとも気になっている事の1つが《十尾とマダラ、十尾とオビト》の関係だったりします。これらは物語の中枢に絡んでるような気がしてなりません。。
 
そして、それに関して65巻で興味深いのが《扉間による、うちは観察》。 扉間って、本当によく調べ尽くしてる・・
 
「奴らの瞳力は憎しみの強い者ほど強く顕れる ・・・写輪眼がそうだ」 (625話の回想中)、
「愛を知ったうちはの者がその強い愛情を失った時 それがより強い憎しみに取って代わり人が変わってしまう」
「うちはの者が大きな愛の喪失や自分自身の失意にもがき苦しむ時・・脳内に特殊なチャクラが吹き出し視神経に反応して眼に変化が表れる それが“心を写す瞳”・・・写輪眼といわれるものだ」 (619話の穢土転扉間)
 
ここで言う「特殊なチャクラ」というのが気になるんですがその「特殊なチャクラ」こそ、六道仙人の長男が受け継いだ「六道仙人の眼とチャクラの力と精神エネルギー」の「チャクラ」ではないかと推測するのですが(はて)。 
そもそも十尾の人柱力となって「人外の者」となっちゃってた(らしい)六道仙人の「眼と肉体」とは、すなわち「十尾の眼と肉体」と言っていいのではないか・・とも考えています。 といいますのは、千間の「木遁」も十尾由来(ルーツをたどれば十尾)の力と思えるし、仙人に近い肉体を持つと思われる「重吾」の肉体は、まるで白ゼツ・・というか十尾の分裂体みたいともいえるし、六道仙人の「眼」も十尾の眼を反映したものだと思えるからなんです。つまり・・《写輪眼》とは、ある状況下に於いて、脳内から「十尾由来のチャクラ」が噴出して起こる変化なのではないか・・と(想像の範疇ですが)。
 
ただし、その「特殊チャクラ」噴出のキッカケは、必ずしも「憎しみ」とは限らないと思うんです。65巻で描かれた「マダラの写輪眼開眼」も、千手への憎しみというよりは「弟を守りたいという愛情の覚醒」にも思えるし、そもそも愛情と憎しみは表裏一体、受け取り方次第では「どっちとも解釈できたりする代物」なんですよね。
 
で・・・柱間の回想に登場する「マダラ」を見ていても、やっぱりこの人は愛情深い、世話好きな人だと思うんです(柱間が落ち込んでるのを、放っておけなかったりするし)。  《裏切られた》とか《自分は見放された》という想いも強いみたいだけど、それって愛情が濃いからこそ一層強く感じるものですよね。
一族に対する責任感も強いし、里創設時にこの里の忍達は、皆お前の兄弟と思って見守ってほしい」と柱間に頼まれた、あの言葉を「極めて真剣に」受け取ってると思うんです(表情は真剣だった)。 いや、真剣に受け取り過ぎて、「徹底的に先まで」見据えて見守ろうと決意してたんじゃないだろうか。 
 
「相反する二つの力が協力することで本当の幸せがあると謳っている」
「だが・・別のとらえ方もできる」 (625話・・マダラ)
 
石碑に書かれた内容を「別のとらえ方」をしたものが、ン十年もかけていまだに「続行中」のマダラの計画ではないかと思いますが、マダラをこの計画に向かわせるキッカケになったのが、マダラの周囲に存在していた「十尾の精神エネルギー」だったんじゃないか?と思ってはいるのですがね。。
 
625話で「本当の夢の道へ行くまでの間・・・お前との闘いを愉しむさ」と言っていた、マダラさん。 「本当の夢」に行く直前である今、最後に「もう一度だけ、柱間との闘いを愉しみたかった」のかもしれませんが・・・ しかし、マダラの言う「本当の夢」というのが、はたして「無限月読」の事なのかどうか、まだ「疑問」と感じております。 もしマダラが目指す「本当の夢」とやらが無限月読を指すのなら、長い時間をかけて《マダラの名を恐怖にしておく》必要なんて無いわけですから。
 
625話、里抜け前のマダラが柱間に言い残した、この一言がすごく気になります。
 
「オレと対等に争えるのはお前だけだ」
 
「対等に争える」こと・・・つまり、「同じ力を合わせられる事」。
 
この前、ナルトとサスケの「共闘」でも《同じ力で合わせるのが重要》という話が出ましたが、これこそマダラが目指す「本当の夢」の実現のために、必要なことなんじゃないだろうか。
 
 
 
・・・なんて「だらだら」書き連ねましたが、結局、65巻で一番好きなのは、「扉間の兄者へのツッコミ」と、子供マダラの「シャイな可愛らしさ」です(笑)
 
 
 
 
 
☆結局、また長文になってしまって・・・すみません。 最後まで読んでくださった方、ありがとうございます(感謝
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/07/04)