ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

サスケの“影”発言について (ナルトとサスケ雑考の前置きとして)

「お詫び」と・・ 
サスケの“影”発言について (ナルトとサスケ雑考の前置きとして)

 
ナルト好きブログ!を読んでくださってありがとうございます。
 
今週(662話)の感想で、グルグルの居場所をカン違いしていて書いてて本当に申し訳ありませんでした。別戦場だったんですよね、ここにお詫び上げます(ホントにひたすら土下座)。
 
うーむ、グルグルに乗っ取られたのがオビトじゃないなら、今のグルグルはどういう状態なのか(誰かに寄生しているのか、あるいはグルグル「だけ」なのか)という問題は確かにあるわけですよね。本来、それを書き直し加えるべきところではありますが、なにしろ自分の関心事はもっぱら《グルグルの正体と目的、今までのグルグルとオビトの関係、それとグルグルが本当は何を言いたいのか》にありまして… なので雑考の大筋に変更が無いため、あえて「そのまま」してあります(すみません)。
そそっかしいのは相変わらずですが、いつも皆様に助けられ教えられ、ここまで辿り着き…ひたすら感謝しております。どうかこれからも間違い部分等気づかれましたら、どんどんご指摘いただけるとありがたいですm(__)m
 
さて、次週のNARUTOは休載という事なので、まずは「ナルトとサスケ」を中心に雑考していこうと思っておるのですが(660~662話あたりの話に絡めて)、今回はまず「前置き」という事で…《サスケの「影」発言について》ちょっと考えてみました。
 
631話で周囲を驚かせた、サスケの「オレが火影になる」宣言。
 
12月のジャンフェスでは岸本先生が「あの発言の真意が次第に明らかになる」とおっしゃっておられましたが、今週662話でサスケが「本当の里を創る…本当の影を示すまで…」なんて言ってましたね。そろそろサスケの「影発言」真意も見えてくるでしょうか。
 
631話、サスケが火影発言をした当時の感想で、私は『ナルトとサスケ二人で火影をやればいいじゃないか』と書きまして、それに対して色々とご意見も頂戴いたしました。でも…今もその考えは変わってません。
ナルトとサスケの二人で火影をやって、同期の皆がまわりを囲んで助けてやればいいんじゃないだろうか。イメージとしては、651話の画…ナルトとサスケの「九喇嘛×須佐能乎共闘」を同期の皆が螺旋丸を持ってぐるっと囲んだ画…あれです。将来、ああやって助け合っていけばいいのでは?と思うんです。
 
サスケは過去の影達の話を聞き、過去の影達が「今の状況を作った」と言っていた…「彼らの失敗の原因をサスケがどう考えているか」なんですよね。
 
今までの火影は一人で為そうとして失敗してる…そして闇を生み出し、その闇を誰かに背負わせ隠そうとしてきた(ヒルゼンとダンゾウのように)。
イタチも一人で為そうとして失敗したと言っていたし「何であれ一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない だからこそ補うモノが引き寄せられるように生まれ…側で対を成して初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う」「イザナギと…イザナミの術のように」とサスケに語っていました。過去の火影達には、この発想が無かったんですよね、だから失敗した。
一人で全部為そうとするか…あるいは「一人は完全な光、もう一人は完全な闇として隠れる」だった。「側で対を成す」発想が無かったんですよね。
 
サスケは「本当の影を示す」と言っていたけど、サスケは「本当の影」…火の影になろうとしてるんじゃないだろうか。
 
「火(光)=ナルト」の「影」に…
 
ダンゾウは自分のことを「闇」と言っていたし、地中に隠れる“根”、「見えないところ」でヒルゼンを支えようとした。
だけどサスケは「闇」じゃなくて「影」…影とは、光のある場所、見える場所にいて、光にぴったりと寄り添いくっついて常に一緒にあるもの。そして「影」は光が無いと生まれない…影があるという事はそこに光があるという証拠でもあります。
 
サスケはナルトと対等に「一緒に」補い合う存在になろうとしてるんじゃないだろうか…光(火)の「影」として。
 
…といいますのも、この戦場に来てからのサスケを見ていると、それを既に「意識して」行動しているように見えるんです。 とにかくサスケはここに到着してから「ナルト」を実によく観察してる。ナルトの戦い方、ナルトの作戦の立て方、ナルトの考え方を…。
 
ナルトの直観力の良さと応用力の良さに感心したり、逆にナルトの抜けたところや天然なところに呆れたり…そして「(お前と)一緒にするな」なんて言ったりしながら。特に67巻あたりのサスケを見ていると、ナルトをジッと見て観察している絵が多いんですよね。それは「ライバル心」からだけではなく、どうやったらナルトを「補えるか」ナルトの良さを「引き出せるか」考えて見ていたんじゃないかと思うんです。
 
例えば647話、心が折れそうになったナルトに「ナルト…もう終わりか?オレは行く」とさり気なくナルトの背中を押したり、641話では「今度はオレが写輪眼でお前のチャクラ比に合わせる」なんて言ってナルトを「支えてる」。ナルトがどういう心理状態になっているかも察し、どうやったらナルトを励ませるかも「ちゃんと分かってて行動している」…どうやったらナルトと「合わせられるか」自分の方から調整しようとしてる。・・・既にサスケはナルトの「影」として行動し始めてるんじゃないだろうか。
 
サスケは影となり、ナルトは影を背負い…
2人がその発想に至ったのは、お互いに「友達だから」という信頼が秘かにしっかりと生まれているからだと思うんです。そして、それは「我愛羅」のおかげでもあった…と思っています。
 
ナルトに「影を背負う」ことと「友という言葉の意味」を改めて教えてくれた我愛羅の…
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
(次回、ナルトとサスケの「友情」についての雑考に続けます・・)