ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

サスケの「影」を背負う覚悟 (サスケと、イタチの生き様・死に様」)

サスケの「影」を背負う覚悟(サスケと、イタチの生き様・死に様)

 
《破壊しそして創り直すのさ 闇を抱えぬ里 忍世界を一新する!》
 
《オレが掲げるもの それは…》
《革命だ》
 
 691話の雑考も、まだ途中で放り投げ中なんですが(マダラとオビトの最期の部分)…先に692話の追加雑考を書いちゃいます。 マダラとオビトは一応「決着」は着いたものの…彼らの最期にも“何か引っかかるもの”を感じております。で…サスケの言動にも、似たような種類の“引っ掛かるモノ“を感じてしまったんですよね…。
 マダラもオビトも「ホントの本音」を語ろうとしませんでしたが、「ホントの本音」を見せないという点では、サスケはマダラやオビト「以上」のような気がする。
 
 この戦場にナルトとサスケが携えてきた想い…それは共に《火影になる》という想い、《影の名を背負う覚悟》。でも、ナルトとサスケでは考える《影を背負う》の意味はかなり違うのだと思います。  
 
 「一族とは、イタチとは、里とは、忍とは何だ?」…と問い続けたサスケは、影達の「影(闇)を背負う」生き様を知り、それをイタチの生き様と重ね、イタチが守りたかった「里」を守る決意をし…その上でイタチには出来なかった《革命》を実行しようとしている…    
 その一方で、サスケはイタチと同じような「影」の歩み方を選ぶつもりでいるんじゃないだろうか…とも思えるんです。
 
 平和を脅かす危険なものを排除するという事は、その結果新たな「闇、憎しみ、罪」を自分が背負うことになる… イタチはその罪を「大切な者に裁かれる」という形で終わらせ、全てを己と共に葬り、サスケには光の中を進むことを願った…
 
《お前に倒されることで うちは一族の仇を討った木ノ葉の英雄にお前を仕立てあげる為に》…《名誉の代償に汚名を…》 
(43巻、トビの言葉)
 
《そしてお前のためだけではない… オレはうちはであるお前の手でいつか裁かれたかったのだと思う》…
(61巻、穢土転生イタチの言葉)
 
 里を守る為のイタチの苦渋の決断「一族の抹殺」…そして実行。 しかし一族を殺めサスケから両親を奪った「罪」は消すことは出来ず、イタチは「サスケに裁かれる」事を望んだ…。 
サスケの忍世界を変えるための苦渋の決断「五影の処刑」…そして「尾獣の処理」。しかし今までのサスケの罪やこれからの行動の「罪」も、消すことは出来ないハズなんですよね。
 
 サスケがこの戦場に来た時に言っていた「お前らがオレのことをどう思うかは関係ない」の言葉は、今までの事だけではなく、これから先の「五影の処刑」や「尾獣の処理」を意識しての言葉だったんでしょうか。それにサスケは、今までの罪は「チャラにはできないだろう」とも言ってましたよね。 サスケは「赦されること」や「名誉挽回」は一切考えていない。 そして「さらに」憎まれる役割を引き受けようとしている… 
 サスケはこのまま「犯罪者」の道を進み、その汚名を返上するつもりはない…それがサスケの《影を背負う覚悟》なんじゃないだろうか。 それは「木ノ葉の大罪人」という汚名のまま一人で闇を背負ったイタチの生き様と同じです。 
 
 ナルトも、サスケも…今まで出会った《敵》の生き様、言葉、失敗から多くを学んでいますが、サスケの場合は、まずは「柱間」… サスケは「今までの影達がこの状況を作った」と言っていたけど、サスケは今までの影達が、闇を隠して影を背負う代償に「名誉」を手にしてきた事…そこに「疑問」を感じているんじゃないかと思うんです。 
「里を守る為に一人で闇を背負った」事は、歴代の影達もイタチも同じではありますが、影達は「闇を背負う代償として名誉を手に入れてきた」点がイタチとは大きく異なるんですよね… 影達は闇を背負っている事を隠し、慕われる影であり続けた… 一方のイタチは己が闇も罪も背負い、制裁を受けた…そこに大きな違いがあります。
 
サスケは柱間達の話を聞いて、「里を守る為に闇を背負った影達の想い」には理解を示したものの「五影は処刑」という結論に至ったのは、闇を抱えた者は「名誉」ではなく「制裁」を受けるべきだという考え方からだと思うんですよね。 
ならば…闇を背負ったサスケ自身だって、当然「己も制裁されるべき」と考えるだろう…と思うんです。自分だけ「例外」ってことはないだろうと…《罪をチャラにはできないだろう》…と言っていたぐらいですから。
 
 サスケの考える「影の背負い方」は、歴代火影のような「こっそりと隠れて影を背負う」方法ではなく、堂々と汚名をそのままに「影を背負う」…
そして「罪はチャラにはできない」、制裁されるべきだと考えるのなら、サスケもイタチと同じように…「一番大切な存在に裁いてもらう事」を望んでいるのではないか…つまり「五影の処刑と尾獣の処分」達成後にナルトの手で裁かれる事を望んでいるんじゃないだろうかとも思えるんです。イタチと同じように「大切な者に裁かれて、己に忍世界の闇を封じて消える」事を考えているんじゃないだろうか…。
 
 もっとも、イタチの影の背負い方は『イタチの真の想いは絶対に外に漏らさない事、サスケにも絶対に隠す事』が大前提だったんですよね。その為にイタチは己を偽り、最期までサスケの前でも「憎まれる兄」を演じ続け、最後までサスケを煽るような言葉を連ねていましたが… 
 692話でサスケが「そして邪魔者はいなくなった…お前以外はな…ナルト」なんて煽るような事を言っていたのも、以前のイタチ…サスケに「憎しみが足らないからだ」などと煽っていたイタチの言動と重なってしまうんです。
 
ナルトが、一生懸命「サスケは昔のままの、仲間思いのいい奴なんだ」と思おうとする一方で、サスケは「オレは目的だけしか考えていないんだ」とナルトに伝えようとする…
マダラ・カグヤ戦の間ずっと、二人の間でそんな駆引きが続いてましたっけ。
 
たとえば、ナルトに《あの橋(ナルト大橋)での出来事》をツッコまれた時は、背中を見せたままサスケは無表情を装っていましたし… カカシやサクラを須佐能乎で守った事についても「たまたま彼らがナルトの側にいたから」なんて冷たく無表情で言ってましたっけ。 まるでナルトに「冷たい奴」と思わせておきたいかのような、サスケの言動の数々…
なのに690話でカグヤを封印した直後、サスケはカカシとサクラのところに行って「ここからもっと遠くへ離れろ!」と2人に注意しているんですよね。その時のサスケの表情はごく「自然」な表情だった…あの時の「カカシとサクラを心配する」サスケは「本当のサスケ」だった…。でも、サスケは《ホントは仲間思いのいい奴》という自分を「断ち切ろう」としてるように見えるんです。 
 
 今思えば、691話でナルトが「友達はいっぱい出来たんだ!!皆いい奴なんだ!!」と言った時、サスケは「……」とナルトを見つめてましたけど、あの時のサスケの真剣な表情…どこか悲しげにも見えますね。 これから先、ナルトに「宣戦」する事を考えての表情だったのか…ナルトが嬉しそうに『皆』いい奴なんだ…と言ってるのを、サスケはどんな思いで見つめていたのかと思うと何だか切なくなります。
 
 しかし、サスケが《イタチが歩んだのと似たような「影の背負い方」》を選んだのだとしても、それはただ「イタチの影響を受けただけ(イタチを頼っただけ)」なのではなく…ここに至るまでに通った道、闘った相手の生き様を自分で「考えた」結果なのだと思います。 
 その一人が《ダンゾウ》…サスケが通ってきた道の中でも「ダンゾウの生き様」は、かなりサスケの考えに大きな影響を与えたと思うんです。「闇は制裁され葬られるべき」…そういう結論にサスケが至ったのも、イタチを見倣ったというよりも、ダンゾウの生き様を知った影響が大きかったのではないか…と思います。
 
 
 
 
(「ダンゾウとサスケ」に続けます…)
 
 
 
 
 ナルト好きブログ! 2014/09/18