サムライ8の35話《侘び寂び》を読んで、(そうか・・NARUTOも侘び寂びだなぁ~・・)なんて思ったりしてました。
「この世のどこにも完璧なものなどない」
「崩れや歪みから重さや引力が生まれ あらゆるものを結びつけている それこそが“美しい”本来あるべき姿なのだ」
・・これがサムライ8に登場する武神・不動明王の「侘び寂びという美の概念」。
そしてNARUTOでは・・
「何であれ一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない
だからこそ補うモノが引き寄せられるように生まれ・・
側で対を成して初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う」
「オレを完璧だったなんて言ってくれるな」
「オレを見てオレになかったものをお前には探してほしい」
・・これは587話イタチの言葉。
これぞNARUTO流侘び寂びの美学・・というより「岸本先生の美学」でもあるのかな?
でも、ナルトが「完璧じゃなくていいんだ」と気付いたのは、意外と終わりのほうだったんですよね。 58巻、穢土転生で復活させられたイタチと再会して、そこでイタチに忠告されて やっと気付いたのだった。
《“火影になった者”が皆から認められるんじゃない》
《“皆から認められた者”が火影になるんだ》
《仲間を忘れるな》・・と。
さらにイタチは「自分自身が何でも一人で全部やろうとして失敗した」経験から、こうも伝えるのです・・《力をつけた今 他人の存在を忘れ驕り“個”に執着すれば いずれ・・ マダラの様になっていくぞ》《どんなに強くなろうとも全てを一人で背負おうとするな・・ そうすれば必ず失敗する》と。
《“火影になった者”が皆から認められるんじゃない》、《“皆から認められた者”が火影になるんだ》・・・これは「NARUTO-ナルト-の中の名言中の名言」の1つですよね。そしてナルトの「忍人生」を大きく変えた言葉とも言えましょうか。
もし、ここでイタチにこの言葉をもらわなかったら・・ナルトは「一人の道」に進んでしまって 物語は“違うエンディング”を迎えてしまったかもしれないのです。
(イタチに指摘されたナルトは・・・その少し前にイルカ先生に言われた言葉を思い返します)
「お前ばかりが全部背負いこむ事はないんだ」・・というね。
で・・それはどういう状況だったかと言いますと・・
戦争が始まってから、ナルトは開戦を知らされないまま 島亀に閉じ込められていたんですよね。 それは「人柱力であるナルトを守る為」だったのですが、その事実を知ったナルトは慌てて飛び出して行こうとする。 そこで「ナルトを止めるための切り札」として投入されたイルカ先生が説得を試みるのですが・・ナルトは「この戦争は全部オレ一人でケリをつける!!憎しみも痛みも全部オレがまとめて引き受ける!!オレの役目だ!!」と言って聞く耳を持たなかった。
そして「オレを一番最初に認めてくれた先生が何でオレを信じてくれねーんだ」とイルカ先生に言うんです。そして、
「オレってばもう昔と違う・・強くなった」とね。
たしかにナルトは強くなって、ペインからも里を一人で守って・・ やっと皆から信頼してもらえるようになった。 だから、もっと一人で頑張って引き受けなくっちゃって焦っていたんですね。 まだ《皆に信じてもらってる自分》というものに自信が無かったんじゃないのかな・・?
それに、ナルトにとってのイルカ先生は「一番最初に認めてくれた人」。 そして「落ちこぼれで弱かった頃をよく知ってる人」でもあります。
だから、あんな事を言ったんですね・・・ なぜオレを子ども扱いするんだ、「何で信じてくれねーんだ」と・・そして「もう昔とは違う・・強くなった!」ってね。
結局イルカはナルトを止められず、ナルトは戦場に向かっていきます。 その途中で 穢土転生で復活したイタチに出会い、ナルトは《本末転倒な発想になっていたこと》に気付かされるのです。
ナルトは いつの間にか《“火影になった者”が皆から認められる》式発想になっていたんですね。
しかし、その「本末転倒な発想」は なにも この頃から始まったわけではなくて、起源を ず―――っと辿っていくと、第1話まで遡ります。
・・そもそもナルトが《火影になる》夢を公言したのは、物語開始早々の第1話。
(火影岩にいたずら書きして怒られて、掃除させられたその帰り・・イルカ先生がラーメンをおごってくれるのです。 この時ナルトは本当に嬉しそうな顔をしてるんですよね、ニコニコと顔を輝かせて)
そこで、なぜ火影岩にイタズラなんかしたのかとイルカに尋ねられると、ナルトはシュビっと箸を突き出して、力強くこう宣言するのです。
「このオレはいずれ火影の名を受け継いで」
「んでよ!先代のどの火影をも超えてやるんだ!!!」
「でさでさ 里にオレの力を認めさせてやんだよ!!」
・・・はい、ここです。 すでに「本末転倒」になっておりますよね、《“火影になった者”が皆から認められる》式発想です。
で、コレを聞いたイルカ先生の反応は こんな感じでした・・
ラーメンを頬張って、すすりこもうとする寸前で止まっちゃって、お口から麺が一本飛び出してる・・
本来ならこういう場面、ニコニコして「頑張れよ!」と応援するとか、逆に「無理に決まってるだろ!」と笑い飛ばすとか・・ だけど、イルカの反応はどちらでもなくて《ゾクっとするような表情》なのです。 そりゃそうですよね・・ナルトのこの「火影宣言」は、あまりにも「闇」が深すぎた。 少年漫画の主人公が、第1話でいきなりコレ・・ そしてイルカは「自分の子供時代」をナルトに重ね、ナルトの孤独、心の傷の深さを思い知らされるのです。
だから・・イルカが一番よーーーーく分かっているんですよね、ナルトの発想が「最初っから本末転倒になっていた」ことを。 そしてそうなっちゃった原因が「孤独」にあることも・・
それで、そのあと・・イルカは例の「あの言葉」をナルトに伝えてあげるのです。
「今はもうバケ狐じゃない あいつは木ノ葉隠れの里の・・うずまきナルトだ」。
これまた「名言中の名言」・・・ナルトの「人生に大きな転機を与えた言葉」ですね。
こうして、ナルトの「出発点からズレていた火影への道」は、イルカの言葉のおかげで軌道修正され、ナルトは「皆と一緒に歩く道」へと向かっていったのです。 だけど、いつの間にか またズレ始めていた・・・ 根っこに《まだ皆に信頼してもらっていないのかも》《失敗したら失望されて また孤独になってしまうかも》という不安があって、それを打ち消すように《オレは昔と違って強いんだ!》と自分に言い聞かせているようだった・・。
一人で全てを背負って「オレが」と言い張るナルトに、イルカは「ナルトの心に今も残る孤独の闇と不安」を察したのでしょうか。 イルカが「お前ばかりが全部背負いこむ事はないんだ」と伝えたのは・・・
《オレってばもう昔と違う・・強くなった》と言うナルトに、
《お前は昔と違う・・・もう一人じゃない》と伝えたかったのだと思います。
昔と違って「強くなった」だけじゃない・・もう「一人じゃない」んだと。 そして、こっちのほうこそ大切なことなのだと・・・
イタチに指摘された後、ナルトはイルカのあの言葉を思い返しています。「確かに・・オレが何とかしなきゃダメなんだって・・ 思い込みすぎてたかもしんねェ」と。
それ以降、ナルトはしっかり「皆と一緒に」の道を歩いていきます。 皆を守って皆に守ってもらって・・足りないところは仲間に任せて、信じて信じてもらって。 皆と一緒に歩く道に戻ることが出来たのです。
《自分ばかりで全部背負い込む事はないんだ・・“皆から認められた者”が火影になるんだ・・仲間を忘れるな》・・・
そして、物語の結びには こう書かれる事になるのです。
《忍の童 忍の者と成り 妖狐と忍の輩 一丸となりて これを封印せしめる》
一丸となりて・・・皆と一緒に。 これ(十尾)を封印せしめる・・・ 十尾は未解決(封印=とりあえずの仮解決)。
仲間を忘れず、無理して完璧を求めず、足りないところは補ってもらう・・・それこそ《NARUTO流・侘び寂びの美学》。 マダラが目指した《完璧な美》ではなく、《不完全なものに在る侘び寂びの美》・・・
でも、もしあの時ナルトがイルカにあの言葉をもらえてなかったら・・そしてイタチに出会わなかったら・・ ナルトの物語は「侘び寂びの美学」とは かけ離れた 全く違う美学の物語になっていたハズなのです。
(あの時、イタチに出会っておいてよかったよ・・ホント;)
☆長駄文、読んでくださって感謝。
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(ナルト好きブログ! 2020/02/14)