ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

うずまきナルト考察・・ナルトの《ヒーローは遅れてやってくる》

登場のしかたの美学・・・ナルトの《ヒーローは遅れてやってくる》

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「悪いなサスケ・・・
合言葉は・・・忘れちまったぜ!」
 
中忍試験、死の森でカッコつけて登場したナルト。 でもサスケに「カッコつけて助けに来たつもりだろーが・・・出しゃばるな!逃げろ!」なんて言われてる・・。
 
「登場のしかた」にこだわりがある人と言えば、思い浮かべるのはまずナルトなんです。
特に最初の頃のナルトって、かなり「登場のしかた」にこだわってたと思うんですよね。 ナルトにとってカッコいい登場のしかたは「ヒーロー風の登場」、つまり仲間のピンチに助けにやってくるスタイル。
 
第2巻最初の「鈴取り合戦」の時、カカシの口から出た「英雄」って言葉に「それそれそれそれーっ!!それいーっ!」と騒いだナルト。 ナルトがイメージしたのは怪獣映画のヒーローかもしれないけれど、カカシが言ってる英雄(ヒーロー)ってのは任務中殉職した英雄のことだった・・。 
いきなり夢と現実の違いを聞かされて衝撃を受けたナルトですが、でもたぶん・・・まだこの時はよく分かってない。
 
で、最初の任務らしい任務の波の国任務でも、「ヒーローってのは遅れてやってくる」なんてイナリに言ってましたっけ。 イナリの前ではそれなりにカッコついたけれど、でも再不斬・白との闘いの場に「遅れて登場」した時は戦況を読まず状況を悪化させただけだった・・。それでも懲りず?その後もナルトはいちいちカッコつけて「登場」してますが、これが決まったり決まらなかったり・・;
 
何故ナルトは「ヒーロー風登場」にこだわっていたのか?といえば「助けてくれる人はいい人」と認めてもらえるからだったのかな。
 
幼い頃のナルトにとって一番大切だったのは、周囲から自分の存在を認めてもらうこと。でも手っ取り早く“存在”をアピールできる手段は「イタズラ」ぐらいしか思いつかなかったんですよね。
なのにサスケってば・・・アカデミーでも『出てくるだけ』で女の子にキャーキャー言われるし「がんばって~」なんて言われる。 
 
サスケは『ただ出てくるだけ』でも歓迎される存在。 
それに比べてナルトは出てくるだけで「あっちいけ」みたいに扱われる。つまり存在そのものを歓迎されていない・・・
いつかはサスケみたいに「登場しただけでキャ~と言われる存在」つまり「誰からも認められた存在」になりたいとずーっと思っていたんでしょうね。。
 
忍者になったばかりの頃のナルトの夢、それは「里の奴ら全員にオレの存在を認めさせてやるんだ」。
 
里の人達の事を「奴ら」なんて言ってる時点でかなり敵視しているというか;自分の存在を無視し認めてくれない彼等は ナルトにとっては「敵」みたいなものだったと思うんです。 第1巻のナルト、けっこうまだ深い闇を抱えてますよね~・・。 
 
「奴ら」に自分の存在を認めさせること・・・それは(大げさに言えば)ナルトにとっての「復讐」だったのでしょうか。
ヒーローになって奴らを見返すしかない・・・ナルトにとって《ヒーローになること》は子供らしい夢というより、切実な『自分の存在を世間に認めさせる唯一の手段』に思えたのかもしれません。
そして「ヒーローとして登場した時」こそ、自分の存在を奴らに認めさせたと思える「瞬間」だと闇ナルトは思ってたんじゃないでしょうか。 ナルト式「復讐を達成できる瞬間」・・・・
 
もちろん、これはごく「最初」の頃の話であって、第七班として仲間の大切さを知っていく過程で ナルトの《ヒーローとしての登場願望》の意味もどんどん変わっていくわけです。 
ナルトがイメージするヒーロー像というのも、互いに守ったり守られたりしていく中で「怪獣映画のヒーロー」から次第に「サスケ、自来也やカカシ、そして同期達の姿」に変わっていったかもしれません。
 
そして、ペインを倒して本物のヒーローになって里に帰ってきた時・・・
ナルトを迎えたのは かつて夢にまで見た「オレの存在を認めた奴ら」・・・じゃない「里の仲間達」。 
 
なのにあの時のナルト、意外と心が満たされなかったんですよね。 ずっと憧れてきた瞬間のハズなのに何かが違う・・みたいな。 ナルトがずーっと「ヒーローみたいな登場をしたかった理由」は、里の皆(奴ら)に対する復讐(憎しみ)みたいな気持ちからだったということに あの時なんとなく気づいてしまったのでしょうか。 
願い通り里の皆に認められた瞬間・・・つまり復讐を果たした瞬間にナルトの心にはなぜか穴が開いてしまったの「かも」しれません。サスケが復讐を果たした瞬間、心に穴が開いてしまったのと同じかな・・・。
 
ナルトとサスケ、全く違う道を歩んでいるようでいて・・実は似たような道を歩んできたのかもしれません。
 
それから先のナルト、かなり迷い悩んで・・でもクシナやビーのおかげもあってその「穴」を埋められましたよね。(今、サスケも同じようにイタチによって心の穴を埋められていってますが・・)
だから今のナルトは相変わらず「ヒーローっぽい登場」をしてますけど、でもそれは「認めさせるため」にやってるわけじゃない。 ごく自然ですよね、仲間と一緒に闘いたいという素直な気持ちで行動したら ああなっちゃってる、というか。さりげなくヒーローっぽい登場をしてしまうのは、父ちゃん譲りの天然にも因るのかもしれませんけど;登場しただけで今じゃ自然とヒーローに見える。
 
これ・・・穢土転イタチが言っていた『火影になった者が皆から認められるんじゃない 皆から認められた者が火影になるんだ』と同じですね、ヒーロー(英雄)になった者が皆から認められるんじゃない、皆から認められた者がヒーローになるんだ・・ということなのかな。
あれだけ「ヒーローっぽい登場」にこだわっていたナルト、今では「ヒーローだから」皆に受け入れられているんじゃなくて「ナルトだから」皆に受け入れられている」感じがします。 
 
「ナルトだから」って・・・理由になってませんけど、ま・・・そこはナルトの「不思議な力」ということで(ごまかしておこうかな・・・・)
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
☆逆にサスケは「登場」にはあんまりこだわってなかったように見えるんですよね;
もっとも「ウスラトンカチと同じことなんて出来るか!」というプライドのせいで出来なかっただけかもしれないけれど。 香燐の前ではヒーローっぽく登場してましたもんね・・隠れ願望はあったのかな。
 
☆ガイのヒーローっぽい登場については、過去記事でチラッと触れてるので(略)
でも、ガイの登場もカッコいいんですよね。彼は尾獣を見て「怪獣総進撃」なんて言ってますから、ヒーローもの見て育ってますね、きっと。。
 
☆ガイの「怪獣総進撃」話題についていけなかったカカシですが、意外とヒーローっぽい登場をしてる事が多いんですよ彼も! サスケを連れて中忍試験本選で派手な木ノ葉瞬身で登場したりとか、色々・・・。
だけど目立たないんだな・・・。
 
自来也の登場は歌舞伎風の見得を切ったり、蝦蟇に乗って登場したりで豪快ですよね。彼の場合は、ヒーロー的に目立ちたいというよりは 挨拶や礼儀のようなスタイルに感じてます・・・闘う相手に対する挨拶、無駄な殺生を好まず平和を望んだ自来也らしい態度というかな。。
 
 
☆さてGW始まりますが・・怪我や病気に気をつけて楽しんでください(って、そそっかしい自分が一番危ない。)
次のジャンプまでまだ1週以上あるので、ちょこちょこ思いつきで記事つけ加えていきますので・・・よろしかったらどうかおつきあいください