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認めるという事、認められるという事 (587話雑考に加えて)

認めるという事、認められるという事 (587話雑考に加えて)

 
最近イタチやカブトが連発している《認める》という言葉。
 
いや、最近に始まったことじゃない・・・NARUTOって漫画ははじめっから「認めてくれ物語」だったじゃないか。・・・
 
《でさでさ 里にオレの力を認めさせてやんだよ!!》
《里の奴ら全員にオレの存在を認めさせてやるんだ!!》
 
第1巻からナルトは叫んでますからねぇ・・・上の台詞はイルカに対して、下の台詞はカカシの前で。
 
この2つは似たような言葉で、言ってる内容はほぼ「今まで自分を認めてくれなかった人達への復讐宣言」みたいなもんです。 だけど・・・この2つの言葉の間には微妙に差があるような気もします。
 
上のイルカに対しての言葉は、まず対象が「里」なんですよね。 この発言はまだ第1話で、イルカからもまだ認められてる自覚が無い時の発言ですので・・ナルトにとって里全体が復讐対象になっちゃってます(復讐ってのは大袈裟ですが、見返してやる対象という意味です)。
 
“認める”という言葉は本来「受け入れてもらう」という意味ですが、この時のナルトが受け入れてもらいたかったのは《オレの力》。 オレには力があるんだってこと認めさせ、オレのことを蔑ろにするんじゃねェ・・ってことですよね。
 
忍世界に於いて「認める」という事は、強さを認めるってことなんだろうと思うんです。認められる基準が「戦闘力の高さ」・・・つまり里への貢献度が高い事、それが強いということであり、そして認められるという事。
だからナルトが単純に強くなればいいと思ってたのも理解できるんです。強い忍になれば、自然と認められるようになると思ってた。 
 
で、2つめの言葉は「第4話」に登場しますが、この時には既にイルカ先生に『お前は木ノ葉隠れうずまきナルトだ』と認められた後なので・・多少変わってます。 
 
対象が「里(全体)」から「里の奴ら全員」に変わっていますよね・・・ 既にイルカには認めてもらってるので、認めてもらう対象が「里の一人(イルカ)から里の全員へ」に変わったということでしょうか。
 
そして認めさせたいモノが「力」ではなくって「存在」に代わってるんです。
 
それも第1話で、「ナルトの存在そのもの」をイルカ先生が受け入れてくれたわけで・・・それがナルトにとっちゃ、すっごく嬉しかったんですよね。 
自分が本当に認めてほしかったのは「自分の力(強さ)」ではなくって「存在そのもの」だったんだと・・・あの時ナルトは気付いたのでしょうか。それで「オレの力を」から「オレの存在を」認めさせるに変化したんじゃないかという気がします。
 
そうやって少しずつ、ナルトは・・・《オレは自分の存在を里の皆に受け入れてほしい、認めてほしい》ことに気づいていくんですね、少しずついろんな人たちと関わっていくうちに。
でも当初の目標を達成してしまうと、今度はナルトは《自分自身が自分をまだ認めてない》事に気付いちゃうんですよね。そして・・・結局は、クシナに受け入れられ(つまり認められ)やっと自分を認めてやれるようになった。
 
つまり社会的に広~く認められたとしても、自分が尊敬していたり大切に思っている人から認められなければ・・・人間ってのは自分の存在を認められないような気がします。
逆に社会的に広く認められてはいなくっても、大切な人にさえ存在を認めてもらえていれば・・・人間って自分を認めてやれて、幸せを実感出来るんじゃないかな・・なんて思ったりもします。
 
大蛇丸が木ノ葉崩しをした理由・・・その理由の1つは、ヒルゼンに「認めてもらいたかったから」のような気がしてるんです。
 
大蛇丸としては、自分や自分の両親を蔑ろにした木ノ葉へ、そして自分に情けをかけたヒルゼンに《自分の力を認めさせること》・・それが復讐のつもりだったのかな、と思うんです。 
だからヒルゼンとの対決にはかなりのこだわりを見せていて、歴代火影を出して戦わせたりとか・・・自分が研究していた「穢土転生」と「不屍転生」の完成を見せつけたりとか。 なんだかなぁ・・・ヒルゼンに「アナタがあの時私を見逃してくれちゃったせいで、私はついにこれらを完成させたんですよ」と言いたかったのかな、なんて思ったりで。
 
ヒルゼンに己の《力》を認めさせたかった大蛇丸だけど、でも受け入れてもらいたかったのは「力」ではなくって本当は「存在」だったのかな・・・なんて気もするんですけどね~・・。
 
そして師弟対決と言えば、自来也長門
 
(あの)長門が、自来也に対してあれだけ冷酷になれたって事がしばらくモヤモヤ~っとしてたのです;
でも当時の長門は、もしかしたら自分のしていた事に「迷い」があって・・・師に「認めてもらいたかった」のだろうか?長門にしてみれば、一番大切な師である自来也に勝って力を認めてもらえれば・・・それは「お前は正しい」と認めてもらえることになる、そう思っていたんじゃないかと。 でもナルトに会ったことで長門の考えは変わるわけですが・・・
 
十拳の剣に封印される間際に長門はこんなこと言ってましたよね。
 
『師にも認めてもらってない』
 
仕方ないとはいえ、なんだかこの一言・・・切ないというか、ちょっと気の毒にもなったんです。
長門自来也に「己の力」を認めてもらいたかったわけじゃない、やっぱり自来也の弟子として認めてもらいたかったんだろうな、と思うとね。。
 
 
大切な人に認めてもらってない、受け入れてもらってない・・それってやっぱり一番辛いことなんだな、と。
そして大切な尊敬する存在に認められた時・・・やはりそれが一番うれしいのかな、と。
 
そういえば、
 
『自分が認めた男に先輩も後輩も無いよ ま・・後輩の中でオレが認めた男ってのもお前くらいだけど…』
 
こんなことをカカシに言われたヤマトが、ついつい嬉しくなっちゃってラーメン代を払っちゃった事件がありましたよね(ナルトの風遁螺旋手裏剣修行中)。 
 
この時のヤマトは《カカシの後輩として認められた》ってことがよほど嬉しかったんだろうなぁと思うんです。 
ヤマトっていつも明るくてポジティブな人ですが、しかし《柱間遺伝子》という重たいモノを背負って生きてきた人でもあります。暗部でずっと辛い仕事をこなしてきたのだろうし・・・暁に拘束された時に《己の覚悟》なんて言葉が出てきた時は、やっぱりこの人も過酷な道を歩んできた人なんだな・・・と思わされたものでした。 
 
そんなヤマトにとって、カカシ先輩の後輩である自分ってのは誇りなんですよね。
そして《カカシとコンビを組む、カカシの後輩であるテンゾウ》であることがヤマトのポジション・・・「居場所」でもある。 大事な先輩に「後輩」として認められた事・・・それはヤマトにとって《存在そのものを認めら受け入れられた》ぐらいに、めちゃくちゃうれしい瞬間だったのかもしれない。
 
 
 
 
・・・だからって、ラーメンおごらされちゃたまらないけれど。
 
 
(次の記事に続けます・・・)
 
 
☆続きの雑考つけくわえ、水曜夜にアップしたいと思ってます(できればだけど・・・)
 
☆あのカカシの言葉、あれで・・本気だったんだろうとは思いますけど(たぶん・・・)
 
☆長駄文読んでくださって、有難うございます(感謝)
 
 
☆ご意見ご叱責等ございましたら、今週のジャンプ雑考のコメント欄か自由に語り場のコメント欄に書いていただけたらありがたいです。
 
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