ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 590:お前をずっと愛している 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ30号) まずは最初に・・・イタチ、愛していると言ってくれてありがとう!

NARUTO 590:お前をずっと愛している  (まずは、最初に…)

お前はオレのことを ずっと 許さなくていい…
 
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お前が これからどうなろうと
おれは お前を ずっと愛している 
 

デコ遁するかのように伸ばされたイタチの手は、サスケの頭を通り過ぎてガッと力強く掴み、グぃっと自分に引き寄せた・・
最後のページを見た時、お腹がキキュンとして…そして涙がしばらく止まりませんでした。
今まで、もぅイライラするほどスレ違いだったうちはの兄弟。そして闇の中で一人だったサスケにも やっと、温かい光が射しこんできたんだな・・
 
NARUTOを読んでいて感じるのは…作者が「全ての登場人物」に注ぐ愛情の深さです。
忍世界の暗闇に迷ってしまった忍にも「救いの手」を差し伸べてくれる・・その温かい「救い」にいったい何度泣かされたことだろう・・?
作者が忍達に注ぐ「愛」は、忍達の優しい表情、言葉となって読者の心を満たしてくれる。だからなんですよね、「NARUTO-ナルト-」って作品が、こんなにもあったかいのは。
 
だから… 私は「NARUTO-ナルト-」が大好きなんだ!
 
 
でも、今週の内容は、けして「感動の嬉し涙」だけではありませんでした。
 
 
「うちは事件の真実」…それはNARUTOを読み始めてからというもの、一番知りたかった「真実」だったんです。
だけどそれは、想像していたより遥かに「重たい」ものでした。
自分はもっと救いのあるものを想像していたんですよ・・全ては幻だったんじゃないか?とか、イタチは手を下していないんじゃないか?とか。でも、それって・・ただそう「思いたかっただけ」かもしれない。
 
…真実はトビが語った通りだった。
 
衝撃だったんです、イタチが両親に直接なんて…出来ればそう思いたくなかった。
忍世界の現実は容赦なく過酷なもので、読んでいてホント胸が引き裂かれそうでした。イタチはこんな重荷を背負ってきたのか。
 
だけどあの辛い事件の中に在ったのは、“愛情”でもあったんです。
 
九尾事件が里側が受けた痛みなら、うちは事件はうちは一族が受けた痛み。 両方に見え隠れするのは「仮面の姿」、だけど共通するのは「両親の愛情」でした。 
そして真実を知って衝撃だったであろうサスケの心をすぐに「愛で」満たしたのは、優しいイタチの言葉でした。
 
《ずっと愛している…》  イタチが一言だけちゃんと伝えておきたかった言葉。
 
兄弟共闘がスタートしてからというもの、イタチにはストレートに「サスケに愛してると言ってあげてほしいのに」というご意見を何度か頂いてきました(私なんぞ当初「お前は木ノ葉のうちはサスケだ」といってやれとか面倒なことを言っておりましたが…)。 そして「愛してる」は、クシナがナルトに伝えたかった言葉であり、ナルトの憎しみを一瞬で消してしまった言葉でもありました。 やっぱり作者が一番伝えたいのは 今さらながら《愛》なんだ・・と(エロスの愛じゃなくってアガペーの愛)。
 
とにかく今回のイタチとサスケの邂逅は 驚くほどクシナとナルトの邂逅とそっくりに進みました。 《一番会いたかった人と会い共闘し、知りたかった「真実」を知り、愛していると言ってもらう・・・》。そしてナルトとサスケの二人が運命の岐路に立たされた「事件」にすらも、同じように「愛情の真実」が在ったりとか。
ナルトとサスケ…対称的な道を歩みながら、結局《似たような体験》をしていく・・・そしておそらく、その先にある「到達するところ」は同じなのでしょう。 485話のタイトルに《近く…遠く…》というのがありましたけど、まさに二人の関係は「近く…遠く…」。2人の進む道は、見事なシンメトリーを描いています。

NARUTOを読んでて気づくのが、作品の構成が《立体的》だってことなんですよね。これだけの長期連載でも話がダラダラにならないのは「構成」も1つの理由じゃないかと思っています。以前雑誌のインタビューで、前担当の方が「岸本先生は100話先まで構成を考えておられる」とおっしゃってましたが、構成がきわめて計画的にデザイン化されているとでも言いましょうか・・・。話が終わりに近づくほど初期のテーマに回帰していったり、ナルトとサスケの歩く物語が光と闇の見事なシンメトリーに描かれていたり、中央に《変わらないテーマ》がズドーンと貫かれていたり。「全体像」を見渡しての作品デザインはお見事としか言いようがないです。

そして、驚くほど似ている《クシナとの邂逅》と《イタチとの邂逅》ですが、それでもクシナとイタチの愛情表現にはちょっとした「違い」もあるんですね。最後にクシナがナルトに「ごめんね・・」と謝っていたのとは違って、イタチが言ったのは ―― 

《お前はオレのことを ずっと 許さなくていい…》 

今までのイタチは「許せサスケ」ばかりでしたが、穢土転イタチはサスケに一言も「許せ」を言わない。
「ゴメン」とか、「悪かった」という謝罪は言ってないんです(戦闘中に助けられての「すまない」はありますが、今までのことを謝罪しての「すまない」は無い)。 
「許してくれ」とか「すまない」というのは誠意の表れではありますが、でも《赦しを乞う》行為でもあります。謝罪している本人が救われる為のモノでもあるんです。そして相手に「赦し」を半ば強制する事になりかねない…特に「サスケみたいに心が優しい相手」に対しては。 
 
なので「許さなくていい・・」という言い方をしたのは、相手を想えばこそだと思うんです。 それもまた、イタチがサスケに示した《究極の愛の形》でもあると思っています。

実を言いますと…サクモがカカシに再会した時、《カカシを一人にした事をサクモが謝罪してない様子だった》のが不思議でならなかったんです。 サクモは怖くて切り出せなかったのかなぁ・・なんて思ってたんですが、でもやっとその気持ちが分かった気がします。 彼もまた《オレの事は許さなくていい》って思ってたんでしょう・・・だから赦しを強いるような「謝罪の言葉」は言えなかったんだろうな、と。
(で、カカシの方から「父さんを誇りに思う」という言い方で父の負担を軽くするのですが、これについてはフガクの「誇りに思う」発言の心理共通するので、これを絡め後日、お話ししたいと思います。)
 
そして「オレの事はずっと許さなくていい」・・・これは「この世界に未練はない」と同じで、この世に残される者に一切の精神的な負担を残すまいという優しさだとも思うんです。 サスケにもう一切の心配や後悔を残さない…立つ鳥跡を濁さず的な、潔い優しい心遣いといいましょうか。 
ここにも弟が可愛くてたまらない、どこまでいっても《兄バカ》で 優し過ぎるイタチの真実の姿を感じるんです。
 
未練はないと言い切り、許される必要もないと言い、こうなって欲しいという自分の願望も押し付けない。
「さよならだ」と巣立ちを誓った弟を 「兄」の縛りから解き放ち、空高く羽ばたかせてやる・・・。
 
旅立ちの前に、その器に「愛」を入れて。
 
その潔さは「男性的」で、なかなか女には出来そうにないな・・・。イタチの決断力と潔さにはトコトン「男らしさ」を感じます。でも、潔く割り切ったようなイタチの言葉の中にも、ちゃんと忍ばせてある「兄ちゃんの素直な思い」もあるんですよね。…それが2度繰り返された《ずっと》という言葉なのかな・・とも思います。
 
…《ずっと許さなくていい》、《ずっと愛している》。
 
かつてサスケに言った《お前と共に在り続ける》という言葉同様に、そこにあるのは“永遠への願い”なんです。
もう会う事は無くっても、もう側に居られなくても《永遠にお前と一緒に居たい》という素直な気持ちが《ずっと》の繰り返しに詰ってます。その想いが切ないほど、伝わってくる・・・。そして、5歳の時に言っていた《何があっても“絶対”お兄ちゃんが守ってあげるからな》「絶対」と同じように、繰り返された《ずっと》は イタチが最後に残す約束なのかもしれない。

そして・・・《愛している》と言った時だけ、珍しく「オレ」じゃなくて「おれ」とひらがなになってますよね。
これが最後の微笑みと同じぐらい、優しくて柔らかい響きを想像できるんです。 お母さんの言葉みたいに優しい響きというかな・・・。
 
さらにサスケの頭に添えた手の優しさ・・・これこそサスケが一番欲しかったもの「スキンシップ」なんです、サスケがずっとずっと求めていた、イタチの“温かい手の温もり”なんです。
言葉も大事だけど、触れて感じる人の温かさ…これこそサスケには必要だったんです(「サスケと手の温もり」記事で書いた、トビの手の温もりですらサスケには温かく感じたのだろう…・という話)。
おでことおでこを合わせるのだって、お母さんが小さい子の熱を測るみたいで、もうコレ・・メチャクチャ親鳥じゃないですか(鳥じゃない、人間だ)。 イタチには、お母さんみたいに包み込んじゃう優しさもある。これ共闘中もそうでしたよね、父のように盾になると思えば 時には母のようにサスケを心配する。
 
そして「オレが初めからお前とちゃんと向き合い 同じ目線に立って真実を語り合っていれば・・」という言葉、ホント・・・この兄弟は今までコレが出来てなかったんですよね。 《なんでこうなるんかなぁ~》というヤキモキの原因でもあったんです。 やっと気づいたか、イタチ!・・・でも「まだ間に合う」で本当に良かった。
今まで二人が正面から向き合った時ってのは「戦った時」しかなかったんですね。正面から向き合って戦うという事は、「敵同士」ってことになる・・。
でも、やっと585話で《背中合わせ》の共闘が実現したんです(背中を預けられる「信頼出来る仲間」になったということ)。・・・・ここまでに到達するのに どれだけの遠回りをした事だろう。
 
今までサスケが見てたのは《兄さんの背中》でばかりでした。 
背中で語る愛情…「盾として守ってやる」という愛情、そして「オレを越えていけ」という愛情…それは父親的な、男性的な愛情だと私は考えています(四代目のように)。 だけど、真正面から抱きしめるように受け入れるのは本来なら母親の役目…女性的な愛情でもあると思っています(クシナのように)。

サスケの頭をガッ!と力強く引き寄せた手は、「オレ」をずっと許さなくていいという《男らしい》言葉と共に・・・
優~しく正面から見つめた目は、「おれ」はずっとお前を愛しているという《包み込むような》言葉と共に。
 
イタチがサスケに与えた、父親的な愛情と母親的な愛情…勿論それは兄貴としての愛情ではありますが、そこにはイタチが両親から《サスケの事はたのんだぞ》と託された思いも感じられるのです。
 
 
なぜ、あの日サスケは一人だけ残されたのか。サスケがずっと知りたかった、その答え。それは・・・
 
 
愛されていたから、だった。
 
 
本来なら会う筈は無かったこの兄弟に、短くても濃密で幸せな時間を与えてくれた「穢土転生」。カブトにも秘かに感謝したくなる… お腹のあたりがまた、キキュンと疼いてしまうのです。
 
イタチ、愛していると言ってくれて、ありがとう・・!!
 

・・・って、雑考はこれで終わりじゃなく、ここから始めます(笑 
 
 
今週は一度に「うちは一族の真実、シスイの真実、うちは事件」が来ちゃいましたから特例措置にて時間を頂きき、項目別に記事を分け 追々順番にアップさせて頂きとうございます(ご容赦。
(まずは今週の冒頭「マダラVS五影とナルトVSトビ」から、それから「イタチの真実」へと進めていきたいと存じます)。

・ここまでの長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
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