ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

『オレの息子なら』と 『さすがオレの子だ・・』

『オレの息子なら』と 『さすがオレの子だ・・』

まずは改めて・・ここに遊びに来てくださる方、駄記事読んでくださる皆様に感謝申し上げます。
 
先日書いた、イザナミに関しては厳しくもごもっともなご意見も頂戴して、確かにイタチが説明したルール通りにピッタシ当てはまるもんでもないしなぁ・・・とも思ったりもいたしましたが、その一方で・・・昔マダラはオビトに『うちはの禁術と六道の術と陰陽遁』は教えてるし、それらを使って何かをやらかしてる疑惑は相変わらず持っております。
 
・・・ということでちょっと凹んでおりましたが、凸凹といえば・・・ナルトの《チャクラ変換能力=仮称トランス能力》!これは本当に目からウロコの驚きでした。

これでミナトの謎能力の解明にも近づいたし、九尾事件の時にミナトが九喇嘛の陽チャクラだだけをナルトに遺した=陰チャクラを“死神”の腹に収めた謎もそろそろ分かるんじゃないかと期待しております。
 
つまり・・・全ての謎は物語の出発点、『九尾事件』に通ず、と。
 
NARUTOにおいて『ラスボス』という表現は適切ではない気もするのですがナルトとサスケが最後に向き合う存在は、十尾=神なのかとも(今の段階では)思っております。

十尾のバケモノ姿はあくまで仮の姿であり、十尾=国造りの神は『本来の姿』に戻ろうとしているんじゃないだろうかとも考えております。 そしてオビトは、十尾が《本来の姿に戻るため》の約束をグルグルとしてたんじゃないか・・・と推測しているのですが・・・
 
六道仙人の封印を解除する鍵を持つと思われるナルトとサスケ・・・2人は違う出発点から対称的なコースを辿りながら、最終的には同じゴールに向かってるわけでして、いつかナルト(獣)とサスケ(眼)が力を合わせて繋がれば、最終的な六道仙人の力が開き、術が解除されるのではないだろうかと考えてまいりましたが・・・ 
 
・ナルトがこれから辿る道
 
『獣担当』の運命の子であるナルトは、既に《尾獣達から9つの名前とチャクラ》を貰い、今はうちは一族のマダラとオビトと向き合ってるわけですが・・・これから先、ナルトはマダラとオビトの本当の心を知ることで、「うちはへの誤解」が解け、サスケの心に近づいていけるのではと思っています。つまり・・本当のうちは一族の姿とは、自己犠牲という深い愛の器を持つ一族だということを、知れば・・
 
 
・ミナトの『オレ達の息子なんだから』 そして『オレの息子なら』。
 
ナルトが二~七尾までの尾獣達からチャクラを貰えたのも、尾獣と人間の橋渡しを出来たのも《ミナト×クシナ》2人の子供だったからだと617話で判明しましたが、だからこそミナトの『オレ達の息子なんだから』 そして『オレの息子なら』の言葉が活きてくるわけで、ミナトがオレオレ言ってたのにも、ちゃんと理由があった・・・納得ってもんです。
(余談ですが・・ミナト同様トランス能力があったと思われる扉間とミトの間に子供がいたら・・・ナルトと同じような能力を持つ子が生まれていたのかも)。
 
《封印を解く運命の子》を待ち望む者にとって、『ミナトとクシナの子供』が生まれる時は 待ちに待った時だったのかもしれません。 そして生まれてくる子を運命の子にさせるためには、生まれてすぐにでも「人柱力」にさせる必要があったんじゃないだろうか。
 
人柱力は、尾獣とリンクさせるために幼い頃から尾獣と共存させ、適合させる必要があるといいますが・・・その極端な例が我愛羅ですよね。 加瑠羅母さまのお腹の中に居る時から憑依させられた・・・
九喇嘛も617話で「今ワシのチャクラとリンクできるのはクシナの血を引き・・・人柱力として長年付き添うことになったナルトだけだ・・」と言ってましたが、《長年付き添う》ことも完全リンクの為には重要な条件かもしれません。だから、ナルトが本当の運命の子になるためには・・・ナルトが生まれてすぐに九尾の人柱力になる必要があったんじゃないかと思うんです。 ちょっと言い方悪くなりますが、もしクシナが生きてあのまま九尾の人柱力だったら・・・・ナルトが人柱力になる事は無かったかもしれない。 そうしたら稀有な能力を持つナルトも、「運命の子」になる事は無かったかもしれないし、尾獣と人間の関係も昔のままだったかも・・・。
 
九尾事件は《ナルトという選ばれた者を「運命の子」にするためのものだった可能性もあるのでは・・・。
 
九尾事件の日・・・ミナトがナルトに九喇嘛の陽チャクラだけを封印したのは 「仮面の男を倒す為」だけではなかったのかもしれないとも思っています。 仮面男の謎の言葉、《気まぐれであり・・計画でもあり・・戦争のためでもあり・・・平和のためでもある》から、“本当のメッセージ”をミナトは何か受け取っていたのかもしれない。その言葉の「示すモノ」を理解したうえでの、「ナルトへの九尾封印」だったのではないかと思えてきました。
 
ただ・・・ミナトの本当の考えは、まだ読者やクシナには明かされてないんじゃないだろうか。ミナトはクシナを心配させないようにと、あの日・・・あまりクシナに多くは語ってはいない感じがするんです(夫の珍しいほど頑固な決意に、クシナも「何か」を察していたようだけど)。
 
『オレ達の息子なんだから』・・・ミナトがあの日、ナルトに託した想い。
 
尾獣の想い、そしてうちは一族の本当の姿を知ることで、九尾事件の真実を知り・・・ミナトが託した想いと、自分の役割をナルトは知ることになるんじゃないだろうか。
 
《眼と獣》・・・そのうち「獣」を担当する運命の子、ナルト。九尾事件とは、ナルトという「獣」担当の運命の子を作り上げるための事件だったとしたら・・・・うちは事件が、サスケという「眼」担当の運命の子を作り上げるための事件だったのではないかと思うんです。
 
・サスケの辿る道
 
ナルトと対照的な道を辿るのがサスケなら・・・眼と獣の「眼」担当の運命の子サスケは、大蛇丸の腕を取り戻す・・・つまり里側の火影達に会って千手側の真実を知ることで、千手への誤解を解き・・・と考えていましたが、それから《眼達》に会って、名前と意志を託されていくことになるんじゃないかなどと想像してます。 
 
じゃあ《眼》って何なんだ?ってことになりますが、それは「須佐能乎達」ってことなんじゃないだろうかと思うんです。ナルトは既に自分の中に九喇嘛という尾獣を持っていますが、九喇嘛以外の尾獣達とも出会っていったように・・・ サスケの中にも「サスケの須佐能乎」がいますが、その他にも須佐能乎たちはいます。 分かっているだけで、イタチの須佐能乎、マダラの須佐能乎、イズナの須佐能乎(59巻で見せたマダラの須佐能乎はイズナとの須佐能乎との合体型)・・
 
既にイタチの須佐能乎もサスケの中に居るわけですが、まだサスケはマダラとイズナ(の須佐能乎)には会っていない。今のところ存在が分かっている須佐能乎は、サスケのを含めて4体だけですが、他にも、もしかしたら・・・須佐能乎(須佐能乎開眼者)は居るのかもしれません。
 
サスケは今後、千手側の事情も理解していくと思われますが、その他に「眼担当」としての役割があるはずです。 結局、須佐能乎とは何だったのか・・
 
・『さすがオレの子だ・・・』
 
ナルトが特別なトランス能力を《ミナトとクシナ》から受け継ぐ選ばれた存在であり、そして九尾事件によって意図的に運命の子として生み出された存在だとしたら・・・
サスケも同じく特別な能力を《フガクとミコト》から受け継ぐ選ばれた存在、そしてうちは事件によって意図的に運命の子として生み出された存在なんじゃないだろうか。
 
フガクが言っていた、「さすがオレの子だ・・・」という言葉。
 
これは、ミナトの「オレ達の息子なら」 「オレの息子なら」と同じように・・・フガクとミコト、この“2人の”特別な能力を受け継ぐ、選ばれた者という意味だったんだろうか。
 
ど~も私はフガクのこの「さすがオレの子」という表現が好きじゃなくって、フガク父さんまるで俺サマ自慢じゃないかと思っていたのですが、《オレの能力×ミコトの能力》の特別な力を持った子(=運命の子)という意味だったなら、納得できます。そしてこの子なら、親である自分を遥かに超える存在であるハズだという・・・我が子でありながら敬意を持っての「さすが」だったのかと(その運命の子はイタチだと、フガクはしばらく考えていたようですが)
 
でもフガクとミコトがどれだけの能力者だったのか・・・これ、まだ謎なんですよね。
 
彼らの描写は全てサスケの回想ばかり、つまり、うちはの忍としての姿ではなく、サスケの父さん母さんとしての記憶ばっかりです。 だから、読者はまだフガクとミコトの実力や瞳術は知らされていない・・。
 
うちはの長をしていたぐらいだからフガクはかなりの瞳力を持っていたのだろうし、ミコトさんも上忍だから、あんな優しい顔をしてても「凄腕の忍」でかなりの瞳術を持っていたと推測しています。もしかしたら2人は万華鏡写輪眼の開眼者だったかもしれないし。 フガクが天照、ミコトが月読とかね・・・ 
うちはがクーデターを本当に考えていたのだとしたら、万華鏡開眼者無しで企てるとはとても考え辛い。
もしそうだとしたら、「オレの子」なら天照と月読の両方つまり須佐能乎を開眼できるに違いないと考えた可能性もあるんじゃないだろうか。
 
でも、あのクーデターは事実だとしたら 少数のうちは一族だけで あの強大な戦力を持つ木ノ葉に向かうなんて無謀すぎなんですよね。協力者があったと仮定しても、その真の目的は里の転覆などでは無く、実は里を守るためだったのか・・・あるいは「サスケ」を運命の子に仕立て上げる為だった可能性もあるんじゃないか等々と思えてきます。
そして背後にあるのは、やはりサスケを運命の子として導こうとする存在・・・ナルトとサスケによって封印を解除させようとする存在・・・
 
イタチの記憶で明らかにされた、フガクとイタチの最後のやり取り・・・・
 
『そうか・・・ お前は向こうへついたか・・・』 
 
『父さん母さん・・・』
『わかってるわ・・イタチ』 
 
『・・・イタチ 最後に約束しろ』
 
『サスケのことはたのんだぞ』
『分かってる・・・』
 
・・・「里側」ではなく「向こう」。
フガクの「サスケのことはたのんぞ」、
そしてミコトの「わかってるわ」と、イタチの「分かってる」。
 
向こうが指すモノは何なのか。 
フガクが頼んだ「サスケのこと」とは何だろう。 
そして、互いの「わかってる」・・・・・何が「わかった」のかは、読者とサスケにはまだ分からない。
 
両親の真の想いが明かされる鍵は、フガクとミコトがサスケにただ一つ、名前というプレゼントに残した鍵・・・「サスケ」なんだろうと思うんですがね・・。
 
『さすがオレの子だ・・・』
 
フガクがあの日、サスケに遺した想い。
眼たちの想い、そして千手一族と里の本当の姿を知ることで、うちは事件の真実を知り・・・フガクが託した想いと、イタチの想い、自分の役割をサスケは知ることになるんじゃないだろうか。
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(2013/01/30 ナルト好きブログ!)