ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

獣になりたかったガイと、人間になりたかった鬼鮫

獣になりたかったガイと、人間になりたかった鬼鮫

マイト・ガイ…木ノ葉の気高き碧い猛獣、いや紅き猛獣かな。
あのマダラに「最強の体術使い」と言わせた忍… 弱点は「船酔いと花粉」。
 
「逆立ちで里を500周」なんて無茶な(と思われた)ガイの「自分ルール」も、けして無駄ではなかったんですねぇ。 地道な日常の努力こそ大切だという事を教えてくれたガイは《遅咲き達にとって》ヒーロー。
 
 そして、もはや「顔と名前を憶えない」事が特技とさえ思えるガイが、「はたけカカシだったな!」と(アカデミー入学前に)カカシの名前をフルネームで憶えていたとは…。
 サクモがガイの事を評価したのは「努力の跡を示す手足の傷」のみならず、カカシの名前をしっかり「覚えていた事」もあるんじゃないかと思います。あんなにも「差」があったのに、ガイはカカシの事を早速《ライバルに設定》していたってこと…きっと追いつき追い越すまで、この子はどんな努力も厭わないだろう…とサクモは考えたのかもしれません。 だから、カカシにも今からライバルとして認識しておかないと、あっという間に抜かれちゃうぞ…とアドバイスしたのかな。
 
そして「ガイ」の事を高く評価していた「天才」はサクモだけじゃない…イタチもその一人。
 
「あの人を甘く見るな」
 
初めて出会ったガイのことを「珍獣」と見下した鬼鮫に、イタチが「忠告」する…(16巻で)。
 
あの時、鬼鮫は「カカシ」の事は知っていましたが「ガイ」の事は知らなかったんですよね。そしてこの忠告は「予言」のように、このあとの鬼鮫とガイの因縁を示すものとなります。 
  「鬼鮫とガイ」…この因縁の二人もある意味「対称的な対」を成す存在。タイプとしては「鮫と獣」とどちらも動物系、外見も逞しい系で「鮫っぽい鬼鮫」と「珍獣っぽいガイ」と共通するものはあるけど、「真逆」なところもある。
 たとえば、彼らの「逆」な発想は、彼らの「口上」にも表れているような気がする…。
 
「木ノ葉の気高き碧い猛獣…マイト・ガイ!!」
 
「元霧隠れ忍刀七人衆の一人 干柿鬼鮫 以後お見知りおきを」
 
ガイの場合、時には「木ノ葉の気高き碧い猛獣」とだけ名乗る事もあり、口上で大切にしてる部分はどっちかというと《猛獣》という通り名のほう(だと思う)。
一方で鬼鮫の場合、時には干柿鬼鮫 以後お見知りおきを」とだけ名乗る事もあり、口上で大切にしている部分はどっちかというと干柿鬼鮫という名前のほう(だと思う)。
 
「獣」として認められたいガイと、「人間」として認められたい鬼鮫
 
鬼鮫が「干柿鬼鮫」としてお見知りおき頂きたいと願うのは、「人間願望」が強かったからじゃないかと考えております。 「人間願望」なんて言うと人じゃないみたいで変ですが、鬼鮫は「仲間殺し」を任務としてきた己の生き様を受け入れることが出来ず、「自分はろくでもない人間」まるで共食いする鮫のような「動物以下」な存在だと卑下していた… それだけに「人間・干柿鬼鮫」として認められることを願ってたんだろうと思います。だから、自分で自分のことを「獣」なんて名乗るガイのことは到底「理解しがたい」ものがあったかもしれません。「獣」なんて名乗るとは、この方は頭のほうもかなりの珍獣のようですね、と。 
 鬼鮫はガイの事を「珍獣」と言って見下してはいましたが、なにもガイだけではなく、“忍”という存在は全て「人間とはいいがたい」ものだと思ってたんじゃないだろうか。
 
 でも鬼鮫さん…「珍獣」ガイから「名前を覚えてもらえない」という最大の屈辱を受けたうえに、「珍虫」とか「フグとかいう魚」とか真顔で言われ、もはや冗談ではなく真面目に「人間扱い」されなくなってしまった…これ、かなり傷ついたんじゃないかと思いますが、でも最後には納得したみたいでしたよね。
「まぁ…アナタは私の事など覚えていないようですが…」とガイを認め、逆に自分はガイに認められなくても仕方ないというような発言までしてましたから。
 
ガイの「昼虎」のオーラがチャクラではなく「蒸発した汗」だと聞かされ、鬼鮫は己とガイの「決定的な違い」を知ったのでしょうか。鬼鮫は人間離れした「莫大なチャクラ量」を誇りそれを利用する忍。ガイは人間本来の力を利用する忍…
「チャクラ」という本来「人間離れした力」に頼った挙句、その力を仲間殺しに向けた鬼鮫と…「チャクラ」だけに頼らず本来の人間の力を極め、その力を仲間を守る事に徹底して使うガイでは、どちらが「人間らしいのか」答えは明白ですから。
 「獣」と名乗るガイのほうがよっぽど「人間らしい生き方」をし、「人間」と名乗る鬼鮫のほうがよっぽど「人間的らしくない生き方」をしてきた…
 
「人間」だからこそガイは「獣」のようにありたいと願い、
自分のことを「人間」とは認められなかった鬼鮫は「人間」のようにありたいと願う。
 
日頃「人間らしい」生き様を貫いているガイは、形だけ「人間扱い」される事なんかに興味はなく、「珍獣」と呼ばれようが、「本性は人じゃないと思いますが」なんて“毒舌アオバさん”にからかわれてもお構いなし。むしろ「獣」と呼ばれることに誇りを持っている。 ガイが《獣》の前に《誇り高き》の一言を付けている理由もちゃんとあるんですね。そして「人間らしい誇り高き獣ガイ」を見て、鬼鮫も「本当に人間らしい生き様は何なのか」という答えにやっと辿り着けたのでしょうか…「命がけで情報を守り仲間に託す=仲間を守る」という答えに。
 
ただ、ガイも鬼鮫も「忍は死に様」と考えているところは共通しておりますが、ガイはナルトのおかげで助かり、「死に様」ではなく「生き様」になってくれそうでホッとしております。 鬼鮫も最後に《仲間を守る》ことで己の「生」の意味を見出せたようですが、「生きて」実感することも出来たのになぁ…と、そこはかなり残念。しかし…
 
「本当に死んだのか…?」 (54巻、鬼鮫の死を見てのモトイ発言)
 
なかなか鋭そうな感知系モトイさんの、あの一言がちょっと気になったんですよね。とはいえ、その直後にビーがモトイさんの問いに
 
「今度こそ本当のようだ こいつ(鮫肌)もさめざめ泣いてるぅ♪ 今回ばかりは本当のようだぜ…亡き者ゥ♪」
 
と言って鮫肌に「よしよし」と慰めていたので、あぁやっぱり鬼鮫は本当に死んでしまったんだな…と納得したのでした。 鮫肌は「ギギギギィ~」と言ってるだけですが、なにしろ「鮫肌語」が分かるのはビーだけですから…
 
でも、ちょっと待てよ… そのちょっと前に、ビーとモトイはこんなやり取りをしてるんですよね。
 
「オレの八尾の腕に掴まれ 珍獣♪ ぶん投げてやる!方向は十時♪」
 
「韻を踏むためにいいかげんな事言うな! 方向は二時の方向!」
 
…ビーは「韻」が最優先。たとえ「いいかげんな事を言ったとしても」韻は踏む。 だから、「ないて」と「なきもの」の韻のために、ビーは「いいかげんなこと」を言った可能性も…「全くのゼロ」じゃあないかもしれない。
 なんといっても、ビーという人は大事な作戦会議も全く聞かずに「ライム手帳」にネタを書いてたぐらいの大物…「常識では計り知れない」存在ですから(笑)
 
 
 
鬼鮫さんの「最期」は天のみぞ知る。
 
 
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
 (ナルト好きブログ! 2014/04/17)
 
 
 
 
 
☆どうでもいい話ですが、小旅行で京都行ってきまして、日本一イケメンと言われているらしい?帝釈天(インドラ)像を見たり、山歩きしたりしてきました。一部桜も残ってて、花びらが散る新緑の山は美しかった…そのうちNARUTOネタに色々とこじつけて雑談アップしようと思ってます。