ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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2014年のNARUTOから《気になったセリフ(場面)》を5つほど…

 

2014年のNARUTOから《気になったセリフ(場面)》を5つほど…

 
さて、今年は物語の進みかたも早かったし、どのセリフも場面も「気になる」ものばかり… その中からまずは「感動」とはちょっと違う「気になった」セリフ(場面)というのを5つほど選んでみました。 どれも今年の雑考(感想)内でブツブツ言い続けていた話題ばかりなので「しつこいぞ!」と言われそうな気もしますが…結局、選んだ「気になるセリフ・場面」のはこの5つでした。
 
 
・ まずはこれ、662話のトビ(グルグル)のセリフから…
 
「ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないってこと?」
便意ってどんな感じか聞いてんだろ」
「まぁ…人を殺した時の…スッキリ感に似てるって思うんだけどね…」

 
 
やっぱりアレか…と思われるかもしれませんが;また「う○こネタ」ですみません。
トビはなぜ便意を問い続けるのか… 私にとって、これはNARUTO雑考上の最大関心事の一つと言いましょうか…63巻の603話以降、永遠の「お題」のようにも感じております。 もちろん、トビは単純に「人間の排泄行為に興味があっただけ」かもしれませんが、私にはどーしても「ただそれだけ」には思えませぬ。 
 結局「トビの正体」は不明なままですが、彼(?)は相当な知能と知識、ボキャブラリーの持ち主であるようだし、どこか達観しているような雰囲気さえある… 
 
 662話の感想でも触れたことですが、その「ボキャブラリーも豊富」なハズのトビのセリフは なぜか「意味不明」なのです。 そもそも「便意」ってのは「もよおす」ムズムズ感の事であって、それが「スッキリ感に似てる」ってのは変でしょ…(「出した後」なら「スッキリ感」とも言えますが)。 
 だけど、ここでトビが言う「便意」を「生の実感」(人間として“生きている”事を実感できる感覚の1つ)と解釈するならば、トビが語っている事便意=人をころした時のスッキリ感」とは「人間は“生の実感”を 人を殺す事で得る」という皮肉になる…と私は解釈しています(あくまで私見)。 便意を感じたことが無い(生物的に人間とは言えない)トビや白ゼツは「自分たちはう○こはしないけど、ちゃんと感情がある」と言っていた(603話)…あれは「感情を無くした忍」への痛烈な皮肉であったと私は思っています。
 
《人をころすことでしか「生」を実感出来ないほど「感情を失い人間らしさを失っていた」忍達》に…トビは「ボクの質問にマジメに答える奴は一人もいないってこと?」と問いかけたのではないか。…トビにとって、無限月読を打ち破ったナルト達の答えは「まだまだ真面目に答えていない」モノなのか…それとも「納得」いくものだったのだろうか。
 
 
・そして次は、それに関連してなのですが…大蛇丸のこのセリフ。 
 

「……」
「この敵…」
「……」

(662話)
 
 
「この敵」ってのは「トビ(グルグル)」の事なのですが、あの時大蛇丸はどこまで何を分析していたのだろう…。 トビの中に「ヤマト」がいることも当然見抜いていたでしょうが、あの大蛇丸の事ですから「それだけ」ではありますまい… 
 あの敵が「いったい何者なのか」大蛇丸はどう分析していたのか…これ、ぜひ聞きたかった! 〝暁〟に居てアレコレと調べまわり研究し尽くしていた大蛇丸は、おそらく現在の忍達の中で一番いろんな知識を持っているはずだと思っています…。
 
 
…ついでに、大蛇丸のセリフをもう1つ…
 
(仙人状態のカブトに香燐が“イヤなチャクラ”を感知した理由について)
 

「ちなみにイヤな感じがしたのって 私のチャクラがまだ残ってたからかしら?」
「それとも…」


(667話)
 
 
自分のチャクラを「イヤなチャクラ」と言ってみせる「自虐」…最近の大蛇丸はキレのあるギャグで笑わせてくれますが…  それより、「それとも…」の後…大蛇丸は いったい何って言おうとしたんだろう? 
 
 香燐がカブトに「嫌なチャクラ」を感知したのはカブトが扱う自然エネルギーのせいだったのか…それとも「柱間細胞」のせいだったのか。  柱間は時々チャクラを荒立てて周囲を《ゾクッ》とさせていましたが、それと同じような《ゾクッとするようなチャクラ》をあの時カブトは発していたのではないか… 
 上で取り上げた「この敵…」もそうだけど、岸本先生は「大蛇丸の分析結果」を読者に教えてくれないのです。それも、思わせぶりに期待させておいて『教えてくれない』… だいたい大切な内容に限って「途切れて謎のまま」になるんですよね。
 
 
・そしてもう1つ気になったセリフを…今度は ナルトとサスケが「二人で決着を付ける為」出ていった時に ハゴロモ(六道仙人)が呟いたセリフ
 
 

「今度は憎しみが愛情に変わるのを願いながら…」
「イヤ・・・愛情を取り戻させると願おう…」
「ナルトだけでなく サスケも母とは違い愛が何か知っている者だ」
 
(693話)
 
 …普通にいいセリフなんですが、この“余計なひと言”が気になっちゃうんですよね…《母とは違い》のひと言が。 だけど「わざわざ」付け加えずにはいられないほど「母と息子達の確執」はとんでもなく根深いって事なんですね。
 
 ハゴロモは「愛情は憎しみにも変わる」と分かっているのだから、当然、自分の母ちゃん(カグヤ)の愛情にも気づいていると思うんですが…なぜかハゴロモはそれをバッサリ否定する。 
 この親子の「愛情の行き違い」…これを何とかしないと永遠に問題は続いてしまいそうで…ハゴロモのこの一言は、モヤ~っと心に残った一言です。
 
 
…そして5つめ、今度は「気になった場面」を1つ。
 
 
687話で、怒ったナルトが《フッ》と黒ゼツのところに瞬身で“飛んで”ズバッと攻撃した場面。
 
 
687話当時は《ついにナルトも飛雷神で飛んだか!》とテンション上げちゃったのですが、その後何の説明もなく…違ったのかと意気消沈(笑)
 コメントでご指摘あった様に、アレはサスケが輪廻眼の瞳力で「ナルトを飛ばした」という可能性も十分あり、結局どうなのかなぁ…と気になっております。 
 ただ、700話でナルトが「瞬身」を使ったことで、687話のアレも「飛雷神のような(時空間系の)瞬身」だったのではないか…という期待が再びモコモコっと…。
 
 「チャクラ転換能力」などミナトと似た体質を持ち、ミナトよりもはるかに多くのチャクラを持つナルトは、飛雷神を使える「条件」は満たしていると思うんです。あとは「覚えるだけ」…。
 戦争中に何度もミナトや扉間に『飛雷神で飛ばしてもらった経験』で、ナルトは「体(感覚)で覚えて」いつの間にか使えるようになっていた…としても不思議ではない(と思うんだけどな…)。
 
 そのあたり、ちょこっとだけでもいいから…「ボルトの話」の中で明かしてほしいなぁ…なんて期待しています。ちょっとだけ…
 
うん、「気になる」言葉は色々とある…
 
 
(次は、2014年NARUTO-ナルト- の中で『感動したセリフ、場面』5つを
「ぶっちぎり1位」のあの場面についても…)。
 
 
 
※皆さまにとっての「気になった」「感動した」場面・セリフも募集しております
 
 
 
 
☆駄文お付き合いいただき感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/12/15)