ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

2014年のNARUTOから《感動したセリフ、場面》を5つほど…

2014年のNARUTOから《感動したセリフ、場面》を5つほど…


大雪の地域もあるようで‥寒さが厳しくなってきましたね。
感動した場面・言葉ランキングにコメントしてくださった皆様、ありがとうございます。 まだこれからの方も、よろしければこちらから投稿してくださったら嬉しいです⇒ 
 
  さて、今年のNARUTOを読み返して思うのは、派手ではない「静か」な感動が多かったなぁという事… 最後のサスケとの闘いもエンディングもそうですが、「静かだけど心の底から揺さぶられるような話」が多かったと感じています。 694話までの中から選んでみた5つの言葉・場面も「派手ではないけど、静かに心に響く」ような感動の場面…(1つだけ「ちょっと違う」んだけど)。
 
私が選んでみた「5つ」はこれ…
 
・「父親だから」
 
・「誕生日おめでとう …本当に立派になったね ナルト」 
 
(ミナト、664話と691話)
 
・「お前は… 必ず火影になれ」
・「六代目火影はお前がなれ カカシ」 
  
(オビト、687話&688話)
 
 
そして…一番「感動」したのは、ナルトの長い時間をかけた努力が報われた、この場面…
 
「くらえ!!」
《おいろけ 逆ハーレムの術!!!》
(チャクラの祖だか何だか知らねーが見たことねーだろこんな術!!)
 
「これが忍の歴史だ コノヤロー!!」   
 
(ナルト、682話)
 
…「逆ハーレム」に最初はビックリ驚いて大笑いしたけれど、あとでじわ~っと感動したんです。 カカシと同じく《自来也先生見てますか??》という気持ちになった…何だか嬉しくってね。
 
  で…ミナトの言葉が2つ入っているのは、これは…今年一年分を読み返して思ったのが、物語の終盤になって「父と子」の話が意外に多いという事だったんです。それでミナトの「父としての」言葉を2つ。
 「父と子」の話は派手じゃないし、強烈なインパクトがある訳でもない…かなり地味なものなんだけれど、それでもなぜか「自然と心に沁みこむように残ってる」…。
押し付けがましくなく、自然に刷り込まれる様に「親子の温かさ」が心に残る…不思議な温かい感覚として残ってるんです。 
 
 ミナトの言葉と「父と子」…これに関しては(語ると長くなっちゃうので)年明け最初の雑考として別記事で取り上げたいと思います(ミナトの誕生日が1月ということもあるし)。
 
 そして、次のオビトの「火影になれ」2連発…これはご承知の通り、699話と700話で「実現」することになります。  皆様から募集中のコメントでも、この言葉を書いてくださった方がありましたが、この部分は戦争編の…いや物語全体を通じての1つのクライマックスと言えるんじゃないのかな。 
 見開きの2人の表情がとてもいいのですが、特にナルト… 溢れ出す感情を《グッ》と抑えているような、あの表情。 分かり合えた喜びと、別れの悲しみ…そして助けられなかった悔しさと、託された想いを受け取る覚悟と決意…すべての感情が混ざったような あのナルトの表情を見ていると、こちらも表現できないような熱いものが込み上げてきます。 あの画は岸本先生ならではの画といいましょうか…… ナルトの目に、第1巻から今までの「ナルトが歩いた道」…ナルトの今までの闘いが思い起こされるんです。 
 
 オビトとの「直接対決」は59巻からずっと続いて…それだけでも十分長かったんだけど、実際には31巻から…いや第1巻から始まっているようなもの。 その「敵」と、最後にお互いに「ありがとう」と言い合って「火影になれ」とまで言ってもらうなんて、ナルトだからこそ出来た事…  
 相手をボコボコに倒すのではなく「心で分かり合う」…再不斬戦に始まった「ナルトの闘いの流儀」がここに極まったと言いましょうか…それは《ワシはいつか分かり合える日が来ると信じとる》と言っていた自来也の願いが叶った瞬間でもあったと思います。 だからこそ、このあと「一番近くて一番遠かった」サスケとも“闘う”事が出来たんじゃないかとも思うんです。
 
 そして「慰霊碑の英雄」に認めてもらったという事は…第1巻から始まった『長い長い鈴取り合戦(忍者になる為の試験)』にやっとナルトが「合格」できたという事でもある……「駆け出し忍者ナルト」がやっと一人前の忍になった…NARUTOの物語もいよいよ「終わりが近づいた(あとはエピローグを残すのみ)」と実感した瞬間でもありました。 ナルトに「必ず火影になれ」と言ったオビトの表情は、厳しかった試験官がようやく「合格」を認めて微笑んでくれたような感じだったし…ナルトは何度も失敗しながらようやく卒業を認められた生徒のような表情。 (そしてその後、ナルト達第七班はカカシ先生からも「卒業」を認められる事になる…)
 
 それに…まさかカカシまで「火影になれ」と言われるとは…でもちょっと安心もしました、オビトからの言葉がなければ、カカシの物語も終われないですから。 カカシはもう「写輪眼」こそ無いけれど、そのかわり(もっと大切な)オビトの言葉と意志を(今度こそ)本当に受け取ったんじゃないのかな… イタチがシスイの眼を燃やしてしまった事を思い出しますが、まさにそれと同じ…《大切なのはオビトの意志》だからもう眼は要らない…
 
 そして、私が「おいろけ 逆ハーレムの術」に感動した理由なんですが…
 
これは682話の感想で述べたとおりなんですが、ナルトが「あんな術をあんな相手(カグヤ)に使った」という事、どんな相手であろうと分け隔てせず「心を持った人間」として向き合ったこと…そんな「ナルトらしさ」に安心したんです。 ハゴロモだって「母にあんな術が効く」なんて思わなかったんじゃないのかな…。 結果としては一瞬のスキを作っただけだったけど…でもその「一瞬」が大事だったと思うんです。
 
 ちょっと前の記事(木ノ葉丸の記事)でも「おいろけの術」の事を書いたのですが、おいろけ系は《同じ穴のムジナだコレ》発想が前提となった術でして…誰にでも「心」はある、どんな理解不能な相手でも「共通するものがある」と信じているからこそ出来る術。 「ナルトの闘い」は、相手と「分かり合える取っ掛かり」を探してそこから相手の心と繋がっていくパターンが多いですが、ナルトのその信念を形にしたのが《おいろけの術》とも言える… 
 ナルトは「オレってば密かに螺旋丸以上にこの術を練習してきたんだってばよ!」と言っていたけど、それは「おいろけ系」はどんな相手とも「繋がれる術」(ほぼオールマイティに誰の心にも効く)…だからナルトは「密かに螺旋丸以上に」練習してきたんじゃないのかな、まさにナルトの忍道を示すナルトらしいオリジナル忍術。
 
そして、あの「心が無いと思われたカグヤ」でさえ「一瞬」でも効いたという事は、どんな相手にも「通じるものがある」と信じるナルトの信念の「勝利」…カカシが思わず「見てますか!!自来也先生!!」と心で叫んだのも分かる気がしたんです。
 
 かつて自来也《世界を救う予言の子はナルトだとワシは信じとる ミナトよりワシに似てかわいいところがあってのぅ…》と言っていたみたいですが、その「自来也と似てかわいいところ」ってのは…誰もが「バカらしい」と思うような事を信じたりやったりする事…でしょうか。 破壊力抜群の忍術よりも、「愛」とか「おいろけ」とか…誰とも共通して「分かり合える」ものを大切にするところ…  
 自来也も本気で「この本で世界を変える」と言ったり、「いつか分かり合える日が来る」と信じてイチャイチャシリーズを書き続けていたけれど、それはナルトが「おいろけの術を練習し続けた」のと似ている(ような気がする)。  
 
 ナルトが「エロ忍術で世界を変える」というのは、自来也が本(イチャイチャ)で世界を変えるのと同じこと…イチャイチャシリーズ愛読者のカカシは、どう思っただろう…? ナルトのこういう《かわいいところ》…バカらしい事も真っ直ぐやれてしまうのは、「同じ穴のムジナ」…いや「誰もが分かり合える」という想いがあるからこそだと思っています。それが嬉しかった…なぜだか妙に嬉しかった。
 
 
 
 …とまぁ、まとまらなくなりましたが…だらだらとすみません。
 
 
 
土曜日はジャンフェスに行ってNARUTOの報告を出来たら…と思います!
(脈絡なし)
 
 
 
(駄文読んでくださって感謝)。
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!  2014/12/18)
 
 
 
 
(いつもリコメ、メールの返事、遅くなってごめんなさい。有難く読ませていただいています…)