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NARUTOキャラ考察・二代目火影 千手扉間 「次男」の生きかた

 

千手扉間の、「次男」の生きかた・・・(再投稿)

 
 
 
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柱間兄者を心配そうに見つめる、扉間と板間・・・
なんだか仔犬みたいに愛らしい・・(板間は雑種の仔犬みたい)
 
※この記事は約2年前、2013年3月6日にアップした記事ですが、なぜか本日(2015年1月21日)削除されていたので(理由不明)、再度アップいたしました。 文章は2013年にアップした当時のオリジナルそのままです。
(ナルト好きブログ!)
 
 
622話は柱間とマダラの話が中心だったわけですが、その他の『柱間を取り巻く人物達』の話もなかなかに興味深い・・・ 中でも幼い頃の扉間、彼はまだ幼いのに「弟(次男)」としての長けた処世術を既に心得ていたのには驚きでした。 いや・・・大した人です。
 
今回取り上げる「千手扉間」は一応次男ですが、もしかしたら「姉妹」もいたかもしれないし、もっと前に戦死してる兄弟もいるかもしれないし、実際には何番目かは分からない・・・ 過酷な時代ですね。  
当時は幼い子供も「一人前の忍」として戦場に送り込まれ、たくさん兄弟がいても次々戦死し、生まれてもまた死んでいく・・・。 
子供達も守られる存在ではなく、自分で自分の身を守らなければならない時代。強い者だけが生き残り、弱い者は淘汰され、そうやって「忍として優れた遺伝子を持つ者」優秀な種だけが残されていく・・・。
 
生命力を受け継ぐ千手一族さえも例外ではなく、「忍」として適性がない者は容赦なく切り捨てられる。 
幼い瓦間や板間を、大人は「守って」あげられなかったんだろうか?という疑問もあるのですが、もしかしたら、彼らは『1人で生き残れるかどうか』を試されたんじゃないか・・・そんな気さえします。
「強い者だけが生き残っていけばよい」という考えが、次第に優秀な一族を自滅に追い込んでいったのでしょうか。大蛇丸の「美しい種の保存研究活動」の背景には、そういった事情もあったのかもしれません。
 
瓦間が死んだ時、涙を流していた弟の「泣き虫忍者の板間」・・・ 
扉間は、彼に「そんなこと言ってるとお前も死ぬぞ お前も大人も熱くなりすぎだ」なんて忠告してましたが、その忠告は当たってしまうんですよね。 
扉間はどういうタイプが生き残り、どういうタイプが淘汰されていくかを冷静に分析してるんだと思うんです。そして、感情に流されるタイプは「この世界では生き残れない」と判断している・・・
 
家族内においても、扉間は幾度となく《父親と柱間兄者の衝突》を見てきたのだろうし、《感情を表に出せば争いが起きる》という事を幼い頃から見てきて、よく知ってるんですよね。 だから、生き残りたかったら「感情を表に出さずにやり過ごすのが一番」と学んでしまってるんだと思うんです。 
父親と柱間が言い争えば、余計な口出しは一切しない・・・どちらの味方もしない。 
だけど、兄者が殴られれば倒れないようにサッと受け止める。 
 
さらに険悪になってしまった場合は間に入り 父を立てつつ、兄を庇い、「可愛らしく」振る舞う。
 
「父上・・・今日は兄者も気分が沈んでいるから」
 
「・・・もう許してあげてよ・・・」
 
この「もう許してあげてよ・・・」の一言が、いかにも「小さな子の無邪気なお願い」っぽくて、健気で可愛らしいんですよね。 この兄思いの「かわいい一言」で、あの父上も拳をひっこめざるを得なくなったような気がします。
 
が、この直後の扉間の《大人達はバカだ》発言のクールさを考えると、あの「かわいいお願い」は、計算されつくした演技のような気もしないではない・・・・ 
 
自分が間に入って止めれば 争いは「止まる」。 
とりあえず「腑(はらわた)」ではどう思っていようと、「形だけ」でもいい・・・穏便に振る舞い、余計な事さえ言わなければ争いは起きないことを、扉間はよく理解してる。
 
そして、何かと矢面に立たされやすい長男とは違い、黙ってさえいれば父上からの直接攻撃(干渉)を受ける事も少ない「立場」を活かし、いつも一歩退いて・・・「冷静に見極める仲裁役」としての仕事を学習していったんじゃないだろうか。 
 
扉間にとって、「父親と柱間兄者」は一族の縮図であり、忍世界の縮図だったのかもしれません。その中で「学習」し、扉間は“一族という名の群れ”の中でも若手2番目ポジションとしての立ち位置をしっかりキープしていったじゃないかとも思うんです。 兄を超えての下剋上は考えず、立ち位置を崩すことなく守ることが、自分の身も一族も守る事に繋がると幼くして学んでしまったんじゃないだろうか・・・
 
弟の死に際してさえも感情をコントロールし、冷静(冷淡)に見える扉間だけど、兄弟の死からも《なぜ彼は生き残れなかったのか》を分析して学んでいるんですよね。 そしてそこから得た答えは《感情が、争いを生む》ということ・・・ 兄弟の死に学ぶことが、扉間なりに弟の死を“犬死とさせない”手段だったのかもしれません。
 
逆に、これだけ多くの犠牲を日々目の当たりにしながら、何も学習せずに同じことを繰り返している「大人達」・・・ 扉間の目には、彼ら大人達は相当な“バカ”に映ってるんだと思います。 動物だって、学習するってのに・・・ 子供にすら分かる「不条理」に、目を瞑ることを「大人(一人前)」だと言うのなら、扉間にとって「大人=バカ」でしかなかったのかも
 
でも、扉間の鋭い指摘は「大人」にだけではない・・・柱間兄者にも向けられる。
「父上に歯向かったらどうなるか・・・ 分かってるだろ」。
同じことを繰り返す柱間兄者にも、《いいかげん、学習しろ兄者!》と言いたげでしたよね。もちろん、これは兄者を心配する気持ちからの諫言なんだろうけれど・・・
 
「愛の千手一族」というよりは、本当は「力の千手一族」と言った方がいいような一族の中で、「力無き者は淘汰されていく」現実・・・ 扉間は、それを「過去の痛みから学習する者は生き延びる」に変えたかったんじゃないだろうか。
 
扉間が火影時代に行った事と言えばアカデミー創設、中忍試験制度設立ですが、それらも忍達に「学ばせたかった」からじゃないかと思うんです。 何も知らないまま戦場に送り込まれる子供達を減らす為にも学ばせ、そして「忍の心得」という厳しい掟で感情を縛ることを教え込む。
 
サクラが、アカデミーで100以上もある「忍の心得」を覚えさせられたことを語っていた事がありますよね、
 
「“忍の心得第25項を答えよ”って・・・」
 
「“忍はどのような状況においても感情を表に出すべからず
任務を第一とし 何ごとにも涙を見せぬ心を持つべし”って・・・」 (第4巻、波の国で)
 
かつてカカシも、オビトに言い聞かせていたことがある、あの「第25項」・・・
 
「“忍の心得第25項”知ってるか? 忍は涙を見せるべからずって項目の掟!!」 (27巻)
 
コレが忍達から感情や心を奪い、戦う道具とさせちゃった「元凶」のようなモノなわけだけど、扉間の小さい頃を見ていると・・・この項目が作られた本来の目的は「戦いによる無駄な犠牲者を減らす為」だったんじゃないのかとも思うのです。 戦国の世で弟達を守れなかった扉間の「弟達の死を犬死とさせないための」ホントは切ない想いが込められているんじゃないだろうか・・・ 涙を流していた、感情豊かだった弟・板間みたいな犠牲を、もう出したくないという願い・・・。
 
うちはへの偏見に満ちた発言も、うちはを恨んでのことではなく・・・ただ「争いごとの原因となる余計な感情」への憎悪なのかもしれません。
 
でもデータブックによれば(あまりあてにはならないけど)扉間の性格は「情熱的」とされているんですよね。で、その性格の片鱗は「木ノ葉への復讐」と口にしたサスケにチャクラを荒立てた時にうかがわれる・・・。 
 
その「熱しやすい」性格が扉間の本当の性格だとしたら、表情を変えることなく見つめていた「瓦間の死」・・・・ あの時は、内に悲しみや怒りを必死に抑え込んでいたんじゃないだろうか。
自分が感情を爆発させたら、泣いている板間はどうなるか・・・そして兄者を誰が止めるのか。
自分の「立場」を考え、ひたすら無表情に、遠くを見つめていたのだろうか。
 
「囮役はもちろんオレが行く・・・ 貴様達はこれからの里を守っていく若き火の意志達だ」
「里を慕い 貴様を信じる者達を守れ そして育てるのだ 次の時代を託せる者を」
 
扉間の「最期の言葉」には、若い者達を「守りたい」想いが強く強く感じられるんです。 感情を抑えろと言っていた人にしては、言葉が熱い。・・・・熱すぎる。
幼い頃から、常に群れや家族の中に於ける『2番目ポジション』を意識し、2番目だからこそ出来る役割を己に課し・・・必死に感情をコントロールしてきたんじゃないだろうか。
・・・1つ1つの痛みに、学びながら・・・
 
それが、ちょっと分かりにくい、扉間式の愛情表現だったの「かも」しれない・・・・
(「かも」という話ですが)。
 
 ☆長駄文、読んでくださって感謝(2013/03/06  ナルト好きブログ!)